『・・・・あの、自転車が怖い!!』

自称イラストレーターの男に連れ去られた小5女児が岡山市内で保護された。新聞を読むと、被害者が女児である事がほとんどで、男児というのはあまり無いようである。しかし私の身近の男性で、幼い頃に連れ去られた経験を持つ人を少なくとも二人知っている。一人は造型作家のT氏で、今一人は美術家のKである。・・・・そう、Kとは私自身の事である。

T氏の場合は、犯人が何と叔父であり、事件後に家族全員で引っ越しをしたが、当時幼なかったT氏はショックの為にしばらくの間、失語症になってしまったという。私の場合は小学校前であったから、たぶん4歳〜5歳の頃かと思う。私の作品を知る人は意外に思われるかもしれないが、私は子供の頃から性格がオープンであった。ゆえに人見知りもあまりしなかった事が災いとなり、私は見知らぬ男に自転車に乗せられ、郊外の方へと連れ去られてしまったのである。情けない話であるが、お菓子に釣られてしまったのである。時間は夕方であった。次第に暗くなって来るのと、未だ見知った事のない方角へ連れ去られていく怖さから激しく泣き出してしまった事までは覚えているが、その先の記憶が完全に脱けてしまっている。

・・・・間の記憶が飛んで、その次に覚えている記憶は数台のパトカーと、安堵した両親の姿、そして・・・・その後に待っていた両親の激しい叱責であった。推察するに、たぶん郊外の何処かで解放された私は一人で歩いてさまよっているところを誰かが見つけてくれて連絡し、保護されたのだと思う。繰り返すが、その間に何があったのか・・・・は全く記憶から消え去っている。よほどの恐怖に耐え難く、脳が本能的に消し去ったのであろう。

しかし、脳の側頭葉の部分には、個人が体験した記憶の全てが保存されているという。忘却とは、それが前頭葉に至る間の密な回路が寸断されているだけで、何かの契機があれば、それは繋がって、卒然と蘇るのだという。

先日、TVの旅番組を見ていた時に、昭和前期のレトロな自転車ばかりを商っている店が紹介され、一部分ではあるが、私の記憶の中で薄墨色の中に在った光景がまざまざと甦り、リアルな感覚が戻って来た。私が乗せられた自転車の記憶と、それが生々しく重なったのである。しかし、私を連れ去った男の顔は闇の中に溶けて全く判然としない。「坊や、いい子だから乗ってごらんよ」・・・・何やら、ひんやりとした、暗く野太い声だけが、私の頭上から下りて来るのを、幻聴のように今も時折、思いだすだけである。

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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