哲学者として第一人者である木田元さんが、この晩夏に逝かれた。享年85歳であるが、生涯現役の人で、最近の『文藝春秋』9月号誌上でも徳岡孝夫氏と対談されており、「あぁ、木田さん、お元気だな…」と思っていただけに、その突然の逝去の知らせに、ただただ驚いている。そして私の手元には〈北川健次様 木田元〉と達筆で書かれた献呈本『最終講義』(作品社刊)があるが、それが形見となってしまった。
木田さんは拙書『「モナ・リザ」ミステリー』の中にも実名で登場する。私がダ・ヴィンチの「モナ・リザ」に関する本を執筆中に、直感から推測、そして実証へと移る段階で推論の壁にぶち当たってしまった時、私を京都大学大学院教授のS氏に会えるように段取りを計ってくれたのが木田さんであった。私は仮説を実証へと形にしていく為には、唯その為だけに必ず、その専門の詳しい人に会って裏付けを取る。机上の空論ではなく、刑事が「現場百回」を実行するように、自説の〈裏〉を必ず取るのが私の執筆における流儀なのである。私の、その実証主義を木田さんは、〈面白い奴め〉と思われたのか、この国における発達心理学の専門家としてはこれ以上はない最高の人と話をする機会を作って頂いたのであった。そして京大でS氏と納得がいくまで話し合えた事で、拙書の『モナ・リザ』の本は、予期せぬ人物、神戸の児童連続殺傷事件の「少年A」や三島由紀夫、そしてダ・ヴィンチを、脳の『扁桃体』をめぐる不気味なトライアングルとして絡めて展開する事になり、内容に唯の美術書の域を超えた膨らみが出来たのは、これ全て木田元さんのお陰といっても過言ではないのである。
最近、刊行した拙書『美の侵犯―蕪村X西洋美術』も、作品制作と並行しながら、蕪村の俳句の解釈、西洋美術の諸作の〈裏〉を徹底的に詰めながら執筆を続けたものである。そこを論者の中村隆夫氏(美術評論家)は確かに見て、先日掲載された産経新聞の書評でも、その点に言及し、書評の最後に「蕪村の句に対する読みの深さと鋭い直感力によって結びついた作品との意外な関係性の発見、それを納得させるための論理にぶれはなく、しかも随所にちりばめられたエピソードがスパイスとして利いている。(略)本書は蕪村の句に親しむことが出来るのはもちろんだが、美術家としての北川健次の思考回路の有り様が端的に示されていて興味深い。推理小説を読み進めていくようなスリリングな本である。」と書かれている。木田さんにもぜひ読んで頂きたかったと思っているが、これはもはや、仕方のない事である。
4月のイタリアの撮影の旅から帰国後、私は今秋の10月22日~11月10日まで、日本橋の高島屋美術画廊Xで開催される個展『Stresaの組鐘―偏角31度の見えない螺旋に沿って』の為の 制作に春も夏も集中して来た。アトリエでの孤独な作業に華やぎがある時は、言うまでもなく、手応えのある作品が出来た時である。今日私は、『ロココ ― あるいは天球の鳥籠』という作品を作った。コラージュからオブジェ、そして別な表現法へと、試みの日々がまだまだ続いていく。