『10月の個展を前にして』

前作の『モナ・リザ」ミステリー』に続き、拙著『美の侵犯 ―蕪村 X 西洋美術』が、日本図書館協会からの選定図書に選ばれた。全国に数多くある図書館という啓蒙の場に本が置かれる事で、いろいろな人に読み継がれていく事は意味深い事である。出来れば若い世代にも広く読んで頂きたいものである。

 

さて、拙著の全30篇であるが、読まれた方は、そこに登場するほとんどの芸術家たちの幼年期に、後の表現者へとなる伏線が潜んでいる事に気付かれたかと思う。………… 俳人の与謝蕪村は私生児として生まれ、蕪村の幼い時に、母は狂ったままに入水して自死を遂げている。同じく私生児であったダ・ヴィンチは、4歳の時に母と生き別れ。マグリットは10代前半に母親が入水自殺。ダリは生地に近いスペイン・カダケスの風景と幼年時代に固執し、コーネルも失った幼年期の記憶に固執、エルンストも幼年期に遊んだゲルマンの黒い森をイメージの原郷とし、クレーも幼年期の庭の記憶を、万象を映し出す原器とし、キリコも少年時に見たパラディオ(16世紀)の建築物にイメージの原点を見出し、…… ミケランジェロの遺作もまた、マリアとキリストの主題を借りながらも、そこには、6歳の時に亡くなった生母と自分の合体像を刻みこんでいる ………… etc。

 

かくして見ると、私が時々引用するピカソの言葉 ― 「芸術とは幼年期の秘密の部分に属するものの謂である。」という言葉が、いかに表現の本質に言及したものであるかという事に納得し、得心がいくのである。

 

私は銅版画のみに専心していた20代から、思えば独自的な考え方を持っていたかと思う。その契機になったのは、クレーが日記に記した〈私は版画家だけにはなりたくない。〉と、単眼を持った表現者に落ちていく事の危険を痛烈に自戒した言葉に接した事が大きい。…版画に関わる者たちが皆、判で押したように、既存の版画技法、単眼の狭い認識、…つまりは批評意識を欠いた版画家になっていく中で、私は「銅板という硬質な素材を通してしか立ち上がらない表現をしたい!!」という自覚を強く持っていた。故に私は自分の事を版画家だと思った事は一度もなく、それが自分の表現を独自的にして来たように思われる。そしてオブジェやコラージュを作り出すようになってからは、「人間の記憶を揺さぶる装置」としてのオブジェやコラージュを作り出し、美術という概念を超えて、「視覚による詩の表現」の顕在化を願い、特に最近はそれを強く意識して制作を続けている。個展会場における数十点もの作品。それを人々はじっくりと見ながら、自分の中の〈何か〉と共振したかのように、作品を選びコレクションしていく。それは私の作品を通して、その人たちが、自らの記憶の原郷に在る、切ないまでのノスタルジアとの〈鏡〉に映すがごとき出会いであり、コレクションされた後に、その長い秘めやかな対話が成されていくのである。作り手だけでなく、人々もまた内面に〈詩人〉としてのもう一人の自分を有しているのである。そして、私はその出会いを演出する人間なのである。冒頭に記したように、表現の本質が〈幼年期の秘密の部分に属するもの〉であるならば、私の〈人間の記憶を揺さぶる装置を作っている〉という自覚は、極めて根元的なものであるという確信へと繋がっていく。以前に刊行した拙著『「モナ・リザ」ミステリー』を書いた時は、ダ・ヴィンチの思考を通して〈暗示〉というものの強さと重要さを、私は彼の諸作や手稿から学んだが、この度の『美の侵犯 ―蕪村 X 西洋美術』では、その登場人物たちの作品背景やピカソの言葉を通して、私は自分の認識と方法論が、何ら間違ってはいないという事を改めて確認する事となったのであった。

 

メディアを通しての美術の今日の状況、その舞台裏の内実の不毛さをよく知るだけに、私にはそれらが表象のぺらぺら、幻のうたかた、対岸の小さな風景として霞んで見える。まぁ、つまりは一度しかない人生をどう生きるかに尽きるのであるが、少なくとも私は表現に関わる者として ………… かなり醒めている、と思う。この醒めた視点を与えてくれたのは、若い時分に読んだ小林秀雄の『様々なる意匠』であった。それと前述した『クレーの日記』。ちなみに今、私が読んでいるのは、拙著を刊行した求龍堂が昭和4年に出した『ドラクロワの日記』である。「『ドラクロワの日記』は長い間、私の枕頭の書であった。」と、三島由紀夫は日記で告白しているが、醒めた孤独者のみが享受出来る馥郁たる精神の豊饒を何よりも伝えてくれる事に於いて、この本は実に素晴らしい。私が持っているこの『ドラクロワの日記』は一部の研究者を除いては、今や版元の求龍堂にも無い絶版となって久しい貴重本である。私はこの本を求めて二十五年以上が経ち、ようやく最近、幸運にも入手出来たのであるが、5年ばかり前にパリで再版した時は、たちまちベストセラーになった本である。私はこの再版を求龍堂に度々薦めている。もし刊行の際はぜひとも一読をお薦めしたい本である。

 

さて、10月22日から日本橋の高島屋で開催される私の個展も、いよいよ会期が近づいて来た。既にコラージュは50点以上完成し、イタリアで撮影した写真の現像が終わり、今は、オブジェの制作に集中している。私は自分のオブジェを、「立体犯罪学」とも別称で名付けている。立ち上がるポエジーと、何やら不穏な、秘められた物語の気配。その両立と、完成度の高さを必ず入れるという、アクロバティックな試みの日々が続いている。

 

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