『on Kawara(河原温)の作り方』

先月、池田満寿夫美術館で講演をした翌日に、私は長野駅から電車で上田駅に行き、私の作品のコレクタ―であり旧知の友人でもある真田町に住むK氏宅を訪れた。K氏ご夫妻は、500坪の土地と古民家付きの物件を3年前に田園風景の広い真ん中に入手して以来、自給自足・晴耕雨読の実に羨ましい人生の時間を過ごされている。庭園では数多くの野菜や果実を、また近くの川ではヤマメや鮎を釣ったりという、……都会の喧騒からみると、この土地では実にゆったりとした時間が流れていると想った。築100年は経つという古民家をモダンに改装したという趣のある家内に入って、すぐに私は驚かされる光景に出会った。……小暗い壁面に、グレーに彩色したキャンバスに、制作した日付をレタリングした「日付け絵画」で知られる河原温の作品が二点、さりげなく掛かっているのである。これは大変な購入金額になるであろう。……そして机上には、以前に川村美術館や原美術館の個展で見た事のあるトゥオンブリ(Cy Twombly)の、組み立てた細木に石膏地で白く彩色したオブジェが1点静かに置いてあり、……そして、もう一方の壁面には、私のオブジェらしき作品が掛かっているのである。しかし、一見して私は理解した。……自分で言うのもなんであるが、構成力、空間の間の取り方、詩情……つまりは総じての緊張感が全く伝わって来ないこのオブジェは、私の表現世界にK氏自身が入り込みたいという一心の強い想いで作った、一種のコピ―なのであった。私はその動機の純なるを知って笑いだしてしまったのであるが、……しかし、トゥオンブリは実に上手く出来ていて私は感心してしまった。トゥオンブリの個展会場に悪戯でそっと紛れ込ませても、おそらく観客も学芸員もそれと気付かないであろう、……それほどにこの作品は、トゥオンブリのエッセンスを掴んでいる。……そういえば氏は知る人ぞ知る、大のトゥオンブリのファンであり、その関連書籍を数多く持っている。果たしてK氏はトゥオンブリ研究の1つの試みとしてオブジェを作られた由。しかし私は言った。「君とトゥオンブリの決定的な違い、……それは君の方が綺麗に上手く造り過ぎている事だよ」と。……さて、もう一方の河原温、しかし、ここに両者(作者とK氏)の差は全くなく、完全にオリジナルに見えてくるから不気味である。……私は以前から河原温の「日付け絵画」を、関係画廊や美術館の学芸員が、沈黙に徹した河原温になり代わって、代弁者のごとくその意味性を熱く語る程には評価していない。ただ、その概念なり、ミニマルなり、……まぁそんな事はどっちでもよいのであるが、その概念なり、ミニマルなり……を意味付けるに足る、あの日付け日記の画面に配されたグレーの彩度の有り様の上手さだけは、意匠として、また修辞的な点から見て、秘かに、なるほど確かに役者だな!……と思っていた。スペインのベラスケスやゴヤの「黒」に影響を受けながらも、あの独自でエレガントな独自の黒に達した、マネのあの「黒」は、実に24色もの色彩を絶妙にブレンドして作られている事を知る人は少ないであろう。それを知る私としては、河原温について知りたい関心事は、唯その一点であった。……お茶を頂きながら、私はその事をK氏に話した。

 

 

河原温のコピ―の出来映えのあまりの上手さに疑問を発する私の問いに、K氏は次第に含み笑いをしながら「……実は1冊のネタ本があるのですよ!」と言いながら席を立ち、書庫の中から1冊の薄い冊子を取り出してきて見せてくれた。私はそれを開いて呆気に囚われてしまった。……かつて60年代~70年代中期までを席巻した「概念芸術」なるものは、例えば神社の構造的仕掛けと似ているところがあるように思われる。奥の聖なる神威気に意味を持たせる為に、その拝殿に到る迄の、鳥居からの静静と続く長い距離と玉砂利の感触と音、そして鬱蒼とした杉の木立は必須アイテムなのと同じく、作者と観者には既にして共有化された約束事、共有感覚、集合無意識的なと云っていい課せられた意味付け……といったものがいつからかある。そしてそこに疑問を挟む事は村に棲む者同士の無言の掟のように排されている。概念が、ただ概念だけがそこでは必死で震えながらつま先立ちで立っている。……故にその傾向の作品の作り手達は、作品の横にいて意味付けに饒舌になるか、或いは河原温のようにストイックなまでに沈黙に徹するかの二者択一の選択をとる事となる。しかし、この〈沈黙〉は明らかにデュシャンの姿勢を借景としている事は明白であるが……。そして教祖の沈黙故に信者は代わって多弁になる。……しかし、私が手にした薄い冊子には、「それを言っちゃお仕舞いよ!」とばかりに、私が知りたかった日付け絵画のセピア色の下地の塗りから、次なる色の重ね、そして下地の透かしと相乗して映える仕上げのグレーの塗りの生々しい行為を写した連続写真。そして最後の日付けのレタリングの様。まるで夏休みの工作本のように、さあ、君にも明日から出来る「河原温の作り方」といった内容が写真満載で載っている本を私は手にしてしまったのである。プロセスを撮した写真の存在は聞いていたが、出版となると、そこに具体的な別なる意味が加わって来よう。……歌舞伎役者が舞台裏まであからさまに見せては中心の何かが割れる。概念とは、巨大な時間や世界までも孕んでいるようであるが、その実は「表こそ全ての、つまりは一種の知的遊戯」のようなものかと思われる。……その表象の意味付けは、行為の生々しさを隠す事によってかろうじて成り立っているのであるが、この本は禁裏を破るようにして今ここに在る。奥付けを見ると河原温がまだ存命中の時の出版とは如何にも不可解。出版したのは作者の身内らしき女性の名前……。想像力の動きすぎる私が先ず考えたのは、余人の計り知れない何事かあっての本人もまさかの出版という推理……。この着想を笑うなかれ、かつてダリと近親相姦の仲であったとされる妹が、ガラに走った兄への復讐に書いた暴露本の主題は「如何に兄(ダリ)が普通の人間であったか!」という内容。謎めいた自己演出に必死のダリが最も嫌がる弱点の角度を妹は知っていたのである。……故に私の推理は先ずは俗からはじまり、次に至ったのは河原温自身によるパンドラの函明け、……つまり40年以上コツコツと作り続けた日付け絵画からの脱出宣言、自己放棄によるカタルシスの獲得ではなかったか……という推理である。数年前に私は河原温と親しかったというニュ―ヨ―ク在住の女性の画家とたまたま会って話をした折りに、河原温の本音は、絵を思いっきり描きたかったという事を本人はいつも云っていたと言うが、あくまでも他者からの伝聞なので、さぁ本当かどうかはわからない。もし本音であったとしても、契約画廊はそれを望まず、ストイックな生き様と、スタイルが変わらないという牢獄のような徹底を持って作者のアピ―ルを続けるであろう。……この点、たとえそのスタイルが評判が良くても、賽子の目のように表現が次々と変わり続けたピカソとは対照的である。ピカソが資本主義にひれ伏すのではなく、経済も含めた世界がピカソに平伏したのである。

 

……K氏宅から見る田畑の拡がりは果てしなく続き、蛙の声が響いてきて懐かしい。晴耕雨読は誰もが懐く理想郷であるが、氏はその生活を獲得し、自然を愛でるように美の世界もまた変わらぬ強い関心を懐いている。帰りにK氏はトゥオンブリの画集をお土産にくれたばかりか、真田町のこの土地から出土したという、銃弾を製造する鉄製のやっとこのような道具をプレゼントしてくれた。江戸期には武器の無断の製造は禁じられていた為に、これは錆び具合から見て、真田一族の時代の物かと想われる。その錆びた感触からは明らかな、遠い時代の時間の澱が紡いだ確かな物語りの豊かさが伝わって来て、概念という実のないものとは明らかに違う、確かな手触りの生ある豊かさが、ありありと伝わって来るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◀展覧会のお知らせ▶

独自な切り口で知られるスパンア―トギャラリ―の企画で、6月25日まで六本木にある六本木ストライプスペ―スで、『永遠の幻想・美の幻影』と題した展覧会が開催されていますのでご覧頂けると有り難いです。出品作家は私の他に、金子國義・合田佐和子・野中ユリ・今道子・Hヤンセン・ベルメ―ル……etc

 

〈六本木ストライプスペ―ス〉

東京都港区六本木5―10―33・ストライプハウスビル 1F・B1

TEL:03―3405―8108

地下鉄大江戸線・日比谷線「六本木」駅3番出口。

アマンドを右に曲がり、芋洗い坂下る。徒歩4分。

 

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