『龍馬が・・・いない』

坂本龍馬がブームであるが、実像はどうであったか。

それを知るには当時の関係者たちの日記などが最も具体的であろう。例えば三条実美の日記には「奇説家より、偉人なり」とあり、薩長連合成立直後に勝海舟が記した日記には、「聞く、薩と長の結びたるを」と記し、その仕掛人が龍馬であるらしいという風聞を伝え「それをやってのけられるのは、あの男しかいないであろう」と書いている。

又、アーネスト・サトウの日記には「鬼のような形相で私を睨みつけた・・・」とある。さらに睦奥宗光の評では「度量の大きさは西郷と並び、また西郷をすばしこく(頭の回転が早い)したような機敏さを持っていた」とある。

 

 

 

幕末の三傑は「木戸大久保西郷」となっているが、考えてみたところ、この説はおそらく伊藤博文あたりが、自分を高く見せる為に流布させたように思われる。幕末に少し興味がある人ならば、上記の三人には?をつけるであろう。正しく幕末の三傑を挙げろと聞かれれば、私は迷わず「坂本高杉西郷」の名を挙げる。この三人の存在こそ、回転の絶妙時に奇跡的に出現し,具体的な維新の核的エネルギーとなった。この三人の後に、大久保小松木戸岩倉中岡、等が続くと私は解釈している。思うに彼等は自分が歴史に果たすべき役割を知っていたようなところがある。革命の語源は易経の「天に従い、人に応ず」の志であるが、それにあるように、天命を知る詩人肌の、自らの生に執着しない人物こそ革命家と呼ばれるに相応しい。この後に政治家という存在が来るが、それはつまるところ事務処理家でしかない。

 

さて、つまらない話を書く。数ヶ月前、TVで「今一度日本を洗濯する」と熱く語り、白いワイシャツを干しまくって、龍馬ブームにあやかろうとした菅は、今や我が手から離れつつある権力の妄執と化している。その菅や、かつての父親の存在と金のみを背景として理念無き鳩山や、幹事長という実質黒幕職大好きの小沢・・・といった詭弁だけがその能力の連中を幕末に配せばどうなるか? 彼等に相応しい役は、まあ、せいぜい黒船の出現で慌てふためいた下田の海岸警備の幕府の小役人あたりが相応しいだろう。残念ながら、今の日本にはその程度の人間(人材ではなく)しかいないのが実情である。しかし,龍馬や高杉といった人物も考えてみれば、時代の外圧によって化けた事を思えば「危機の時代」が人を造るともいえるであろう。秀でた人材が全くいないという事は、世の現実として、世界が生ぬるい事の映しであるのかもしれない。まことに世の中とは、一勝一敗の原理である。

 

 

 

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