……年末の某日、急に故郷の名産である越前がに(雄)やセイコガニ(雌)が食べたくなり、築地の場外市場に行った。市場内にある水産専門の斎藤商店は越前蟹を商う唯一の店。行ってみて驚いた。例年より倍以上の高騰で、しかも身が薄く痩せている。今年は大漁の筈なので、高騰の理由を主の斎藤さんに訊くと、コロナ禍の影響で帰省出来ない人が多いので、地元から発送する需要がかなり多いのが原因という。ならば蟹は1月中旬頃に出直すとして、手ぶらで帰るのも寂しいので、老舗の「松露」で九条ネギ入りの玉子焼き(秘伝のダシがよく、玉子焼きはこの店が一番美味しいと思う)を買い、鮭の専門、昭和食品で超辛口紅鮭を買う。昔ながらの製法で塩漬けして半年以上冷蔵したこの塩鮭は、焼いていると塩が吹いて来て白くなる絶品で、塩分の過剰摂取はもちろん体に悪い。しかし体に悪いというのは、何故か美味さに繋がっているから始末が悪い。……大晦日まではまだ日があるのに、市場の人出は既に多い。雑踏を縫うように歩きながらふと思う。……この人達は知っているのであろうか?昔、この築地場外市場が全て築地本願寺の地所であり、人々で賑わうこの場所が全て墓場と寺であった…という事を。
日本画家の鏑木清方の代表作に『一葉女史の墓』という名作がある。私と同じく樋口一葉を慕う鏑木清方が、一葉亡き後、この築地本願寺の墓地(つまり今の築地場外市場の場所)を訪れ、一葉の墓を写して画いた名作である。……清方の絵の着想の元となったのが、やはり樋口一葉を慕う泉鏡花が書いた『一葉の墓』という随筆で、当時(明治30年代)のこの築地本願寺辺りが実に淋しい場所であった事が伝わってくる哀惜に充ちた名文である。(ちなみに墓地は関東大震災で壊滅的に被災した為に、この墓地に在った樋口一葉の墓は「明大前」の築地本願寺和田掘廟所に、また琳派の酒井抱一や赤穂義士の間新六の墓は、築地本願寺の境内内にひっそりと移されている。)……当時と今の違い、築地場外市場が墓地であった事を示す地図を掲載するのでご覧頂きたい。〈昔日と変わっていないのは通りを渡った先にある割烹・新喜楽〈芥川・直木賞の選考会場で知られる〉だけである。
年末の某日、……来年1月20日頃に刊行予定の私の初めての詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』の原稿が全て完成したので、神田神保町にある文芸・美術図書出版社・沖積舎の社主、沖山隆久さんと細かい打ち合わせをする。沖山さんは私の初めての版画集、初めての写真集を次々と企画出版された方で、今回の初めての詩集が三つ目の企画になる。つまり、私の版画、写真、詩における表現者としての生き方において、導きを作って頂いた恩人なのである。詩は今までも折りに触れて発表して来たが、「詩集」となると、また別なものがあるのである。
……神保町での打ち合わせを終えて、次に向かったのは、竹橋にある東京国立近代美術館であった。美術課長をされている大谷省吾さんにお会いして、今日は近代日本美術史にまつわる幾つかの疑問についての自説を語り、そして大谷さんの分析を伺うのである。……先月の高島屋の個展に大谷さんが来られた際に、私は北脇昇について書かれた実に詳細に考察された大谷さんのテクストを頂き、個展の時に読み耽っていた。知の考察は鋭く深ければ深いほど、ミステリアスな妙味の深度も更に増していく。先に東京国立近代美術館で開催された『北脇昇展・一粒の種に宇宙を視る』は、近代日本美術史、特にシュルレアリスム絵画の日本における受容と展開を研究対象とされている大谷さんの企画によるものであるが、私はこの展覧会を観て、北脇昇について今まで語られていたのが、北脇昇とシュルレアリスムとの関係のみで、それが北脇においては一つの角度からでしかなかった事を知り、北脇への解釈がこの展覧会で一変したのであった。つまり、私達が既知として知っていると思っている近代美術史を含めた様々な事が、実は多面体の一面でしか無かった事を痛感したのである。〈……以前に、慧眼で知られるドイツ文学者の種村季弘さんは私に「皆は1960年代以降の事ばかり騒いでいるが、本当に面白いのは、むしろその前夜、暗い黎明期の胚種の頃だという事を誰も気づいていない」という、実にものの見方のヒントとなる発想法を伝えてくれた事があった。……私が発想の源に比較文化的な視点を置くようになったのは、実にこの種村さんと芳賀徹(比較文学者)さんからの影響が大きい。〉
……いろいろと話を伺っていて、大谷さんの最大の関心事が画家の靉光である事を知り、私は大いに共振した。私もまた同じだからである。……靉光……近代日本美術史上、最も鋭く、幅の広い表現力を持ち、最も捕らえ難い画家と云えるこの画家の頂点にして、近代日本の呪縛的な絵画、謎めいたブラックホ―ル的な作品『眼のある風景』は、シュルレアリスムの影響からも逸脱して聳える一つの巨大な謎かけの「門」である。……この絵の眼球に息づく、僅か二刷毛で描かれた緑の描写に幾度、溜め息をつき、唸って来た事であろうか。その靉光、高村光太郎、松本竣介、佐伯、ロダン…等について話し、時間はあっという間に経ってしまった。…帰り際に大谷さんから、コロナ禍で開催が叶わなかった展覧会の図録『無辜の絵画―靉光、竣介と戦時期の画家』(国書刊行会)を頂いた。近代という謎を多分に孕んだ靉光への、私なりの推理が、あらためて始まったようである。
……竹橋の美術館からアトリエに戻ると、郵便受けに手紙と小包が届いていた。開けると、手紙は詩人の野村喜和夫さんからで、野村さんの詩集『薄明のサウダ―ジ』が第38回現代詩人賞(日本現代詩人会主催)を受賞された事を伝えてくれる内容であった。野村さんは詩に関わる賞のほとんど全てを受賞している人で、詩の可能性を広める為にジャンルを越境して果敢に挑んでいる姿勢が私の最も共感するところである。私とはランボ―を主題とした詩画集『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』(思潮社)の共著があるが、いずれまた何か新たな閃きが湧いた時に、野村さんと組んでみたいという考えを抱いている。この国のほとんどの詩人達は、ささやかな得手の領域(巣箱)で甘んじているが、野村さんは全くそういった閉じた所が無く、むしろ次の予測が全く読めない人なので、それがいつも私における、楽しみの一つなのである。……小包を開けると、美学の谷川渥さんから届いた『文豪たちの西洋美術―夏目漱石から松本清張まで』と題する新刊書であった。先月の高島屋での個展の最終日に谷川さんが来られた時に「近々、新刊書が出るので送りますよ」と言われていたので、楽しみにしていた本なのである。……日本近代文学の文豪達は、どんな作品(西洋の美術作品)に触発されて来たか!?を切り口とした、今までになかった斬新な角度からの鋭い記述が満載である。……文豪と西洋の画家との組合せ。妥当もあれば意外な結び付きもあり、既存の解釈がぐらついてくる知的快楽に充ちている。コロナ禍で籠る事が多い昨今であるが、そういう時に、ぜひ気軽に読まれる事をお薦めしたい本である。
……さて、コロナ禍に終始した2020年もいよいよ後僅かである。来年はいよいよ正念場。世界はウィルスに押し切られるのか!?、……それともワクチンが想像以上に効いて、土俵際の見事なうっちゃりで、収束へと向かわせられるのか!?……不気味な気配を孕んだまま、今し地球がゆっくりと回っている。……読者の方々の平安と無事を祈りつつ、今年最後のブログを終わります。