前回のブログは反響が特に大きかった。文豪達によるスペイン風邪の感染実態の被害状況を具体的に書いた事で、今のコロナ禍がそれに比べるとまだまだ軽いという事が読者諸氏に具体的に伝わり、安心された方が多くおられた事は良かったと思う。そして、明るい兆しが見えて来たと書いたが、あれから実際、コロナ感染者が激減して来て今日にいたっている。……それを受けて、20日から始まる個展に、昨年はコロナ禍で来られなかった遠方の人達からも、今回は安心して個展に行きますよ!という嬉しいメールが届いている。……ほぼ9ケ月の間、新作のオブジェ制作に専心して来ただけに、コレクタ―の方達からのメールに確かな手応えを今、覚えているのである。
……さて、では本文に入ろう。
……前回のブログで、芥川龍之介もスペイン風邪に2回感染していた事を書いた。龍之介は第1波、第2波とも感染し、なんとか潜り抜けたが、それから7年後に自殺した。「ぼんやりとした不安」が動機だというが、最初、彼はファンの女性(人妻)と日比谷の帝国ホテルで心中するつもりで直前までいった。しかし、女性の友人であった歌人の柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん―画像掲載)が芥川を一喝してこう言った。「そんなに死にたいのなら、あなた一人で死になさい!」と。この言葉が効いたのか、芥川は田端の自宅で一人で亡くなった。……大正の三大美人と言われ、繊細な顔立ちの白蓮の、しかし内面の腹は肝が座っていて、なかなかに面白い。
……問題は、前回のブログに登場した島村抱月と松井須磨子の悲恋の場合である。どちらも名前が実にいい。良すぎる。……だからどう考えてもハッピ―エンドに終わる名前ではない。この名前の中にしっかりと来るべき悲劇が内包されているようにさえ思われる。いわゆる負の言霊である。……島村抱月、……月は遠くから静かに眺めるものであって、けっして近寄って抱くものではない。抱けば、ルナティックス(月狂い)という言葉が、少しずつ騒ぎ出す。……
さて、先日、作品を作っていたら急に別件が頭を過って手が止まった。……それは「松井須磨子」という、美しい響きを持った芸名の由来が、はて何に起因するのかという突然にわいた疑問である。私は分裂型なので、頭の中を同時に様々なものが行き交っている。そして突然、疑問がわいて来てその虜になってしまうのである。…………本名、小林正子から芸名・松井須磨子へ。……タブレットでその芸名の由来を調べてみたが、本人がどういう経緯で「松井須磨子」という芸名にしたのかは不明であるという。……これは面白い。暫し考えて、私なりの答えがすぐに閃いた。
……月と云えば先ず浮かぶのは「有明」という言葉であるが、松井須磨子の「須磨」からは、月の名所で知られる須磨の地名がすぐに浮かんで来た。……この須磨(兵庫県神戸市須磨離宮公園)の地は、30代の頃に詩人の時里二郎君(2019年に第70回読売文学賞受賞)と歩いた思い出の場所である。確か不思議な作りの古い洋館があったと記憶する。……そして、この須磨の浜には美しい松林があった。……その須磨の浜の松に自分を重ね、抱月に抱かれるように、ずっとその月の光で私を照らし続けていて欲しい。……そんな切ない熱い恋情から、この名前は来たのではあるまいか!?……そういう結論に想い至った次第なのである。…………そんな事を考えて何になるの?……そういう、意味や効率ばかりを問う今時の声が聞こえて来そうな気もするが、しかし、ふと疑問が湧いて来たのだから仕方がない。以前に刊行して話題になった『美の侵犯―蕪村X西洋美術』(求龍堂刊行)や『「モナリザ」ミステリ―』(新潮社刊行)、また他の執筆も、最初はこういうちょっとした疑問、着想、仮説から実証への強い興味、様々な閃き、そして確信……から立ち上がって来たのである。……オブジェを作っている時のアトリエの中は実に静かであるが、頭の中では、あまねく様々な物語りの断片が次々と幻のように浮かんで来て、たいそう騒がしい。……さて、そのオブジェが今回は70点以上、画廊としては最大の空間である、高島屋の美術画廊Xに一堂に揃うのである。私にとって美術画廊Xの空間は、幻が飛び交う劇場である。20日から始まる個展が、自分でも今から待ち遠しいのである。
『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』
会期:10/20~11/8 時間:10:30~19:30
会場:高島屋本館6階/美術画廊X
〒103-8265 東京都中央区日本橋2丁目4−1
お問い合わせ ㈹:03-3211-4111