『幻と共に―成田尚哉追悼展』

人と人との縁というのは、人生という舞台において最も不思議なものであり、時に運命とさえ思える事がある。……そして、それはある日、突然何気なくやって来る。成田尚哉さんとの出逢いもそうであった。

 

……今から25年ばかり前、渋谷でオブジェの講座が開設され、講師として喋っていた時があった。受講生は40人ばかりで女性が多い。ある日、そこへふらりと1人の男性が現れた。……成田尚哉さんである。一見寡黙な中に、意志の強さと、なんとも言えない優しさと懐かしさが伝わって来るその独特な気配から、何かをやっている人だなと直感した。訊くと映画のプロデュ―サ―との事。映画の仕事をしながら更に美術の世界に入ってきたその動機に興味が湧き、この日の講座は主に成田さんとの話に終始した。

 

…話題があちこちに飛び、……昔、私が学生の頃に横浜の大倉山にある「精神文化研究所」という建物が放つ怪しい気配に惹かれ見に行くと、白昼のその暗い建物内から、全裸の少年が突然逃げて来るように飛び出して来て私と目が合うと、少年は怯えたように踵を返して裏の梅園に消えて行った。あすこは怪しい……と言うと、成田さんは、強く共鳴し「その場所は僕も知っています」と言う。『1999年の夏休み』という映画を撮った時に、そこでロケをした事があり、連日、怪我人が何故か続出するので撮影を早く切り上げたという。……その映画は観た事があった。女優の深津絵理が「水原里絵」の名前でデビュ―した作品で、不思議な韻と透明さに充ちた記憶に残る映画だった。「そうか、あの作品は成田さんが作っていたのか」。……すぐに気が合い、講座の後で成田さんとお茶をして、それからの親しく永いお付き合いが始まった。

 

……キネマ旬報ベストワンを受賞した『櫻の園』をはじめとして、『海を感じる時』『ヌ―ドの夜』『遠雷』………、日活のロマンポルノから文芸まで、日本の映画史に遺したその実績は幅広く、確かな足跡を刻んで来た成田さんであったが、察するに、映画という集団による表現でなく、あくまでも成田尚哉個人の内に棲まう、もう1つの可能性の引き出しを、人生という一回性において出し切りたいのだという強い思いが伝わって来た。……果たして、講座で彼が作る作品はどれも完成度が高く、既に成田尚哉独自の美意識に充ちていた。

 

しばらくして、私は成田さんはもはや個展をするべき時だと思い、自由が丘、渋谷、そして銀座の画廊を彼に紹介して個展が開催された。更に私は、もっと作品に適した画廊をと思い、下北沢の画廊『スマ―トシップ・ギャラリ―』を紹介した。この画廊の山王康成さんと成田さんは波長が合い、画廊企画での個展が始動した。作品が映える空間を得た成田さんは水を得た魚のように集中して制作するようになり、作品世界は加速的に深化して、もはや美術の分野においても一級のレベルと言っていい高みに達していった。……映画という虚構の世界で構築して来た裏付けが、彼が作り出すコラ―ジュやオブジェの作品に鮮やかに投影され、作品は過剰なバロックの鈍い光と、ロマネスクな透かし視る奇譚の妙味が合わさった独自な世界を立ち上げていった。……しかし、その達成の速度は異常なまでに早く、迫り来る何かを予感していたかのようであった。………………そして、2020年、9月11日、肝臓癌で成田さんは逝った。

 

成田さんの死は、朝日新聞の死去した人を報ずる一面でも写真入りで載り、右側に成田さん、左側にジュリエット・グレコの死去の記事が同じ文量で大きく扱われ、その喪失の重みが新たに浮かび上がった。また『映画芸術』では彼の死を惜しんで特集号「成田尚哉を送る」が組まれた。……「晋書」に「人は棺を蓋うて事定まる」という言葉があるが、それが本当である事をあらためて実感した。…………アトリエで制作をしている時、ふと「あぁ、いま成田さんが来てくれているなぁ」と感じる時がある。このアトリエの中で、私の作品に使う夥しい数の様々な断片や道具、また制作途中の作品を見ながら、「まるでプラハの錬金術師の工房ですね」と笑いながら語り、興味深く見ていた時の姿を今もありありと思い出す。

 

 

今日、私は下北沢で13日から開催される成田さんの遺作展の展示作業に行き、久しぶりに成田さんの作品の数々と再会した。……机の上に並べられた展示前の作品画像。追悼展の案内状に書いた私の成田さんへの思いを、このブログの最後に掲載しよう。……願わくば、このブログを読まれた方が、会期中に一人でも多く画廊に行かれて、作品をご覧になられる事を乞い願うばかりである。

 

 

 

 

永遠に消えない幻を求めて −成田尚哉のために

 

「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」と云ったのは江戸川乱歩であるが、一昨年の九月に逝去した成田尚哉ならば何と云うであろうか。あの含羞と憂いを含んだ優しい微笑を浮かべながら、さしずめ「うつし世も、夜の夢も共に幻・・・・」とでも云いそうな感じがする。しかし、この問いへの答は遂に返っては来ない。

 

映画の分野で数々のヒット作を企画・製作して確かな足跡を残した成田が、人生の後半に至って映画と共に没頭したのはオブジェとコラージュの制作であった。その集中の様は凄まじく、短期間のうちに完成度と深みは高みへと昇華していった。尽きない表現への衝動とイメージの蓄積は既にして濃密に仕込まれており、作品の数々はそのひたすらなる放射と結晶であった。その成田が最後に主題としたのが「天使」であった。天使とは神の使者を指すが、クレーが晩年に挑んだ天使像と同じく、成田にあっては、更なる飛翔への願望、或いは死の予感がそこに在ったかとも思われる。そして彼の天使は、無垢の装いの内にエロティックな煩悩、悪徳の埋み火の残余を残し、クレーがそうであったように堕天使の相を宿して、あたかもそれは成田自身の肖像のようにも想われる。

 

成田がオブジェと並行して挑んだのは、乳色の薄い皮膜に封印したイメージの重なりであった。それは美術の分野に於いて類の無いコラージュの技法で、彼が情熱を注いだ映画のスクリーンにむしろ通じている。リュミエール兄弟以来、映画の作り手は総じて夢想家であると私は思っている。世界が、物語が、目の前の闇にありありと見え、手を伸ばせば掴めそうな万象の映りがそこに在る。しかしそれに触れる事は出来ない。灯りを点ければ万象の映しは全て霧散し、残るのは薄く透けた乳白色の幕だけである。故にその幻は永遠に美しい。成田が生涯を賭して追い求めたのは、その幻の刻印ではなかっただろうか。

 

「うつし世も、夜の夢も共に幻・・・・」。含羞と憂いを含んだ成田尚哉の確かな声が一瞬立ち上がり、やがて幻のように・・・・静かに消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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