……美術の分野で、今では伝説的な人となった佐谷画廊の故.佐谷和彦さんは70年代の後半から90年代終わり迄、画商の立場から美術界を牽引した人である。その優れた企画力と実行力において他の追随を許さない突出した人物であった。企画したクレ―展は会期中に三万人以上が来廊し、ジャコメッティと矢内原伊作展、オマ―ジュ瀧口修造展など、その全ての展覧会が美術館クラスの質を誇り、本物を求める多くの人たちがそこに集まった。
……私がお付き合いをしたのは、80年代半ばからである。佐谷さんがコレクションされている私の巨大なオブジェ作品は、来日したクリストの眼に留まり賞賛を受けたが、またご自宅にも度々伺って様々な話をした思い出があり、それは私の大きな財産である。その佐谷さんが、他の画商と決定的に違うのは、毎回の展覧会で質の高いカタログを制作し、そこに佐谷さんの展覧会に寄せる意図が明瞭に書かれた文章が載っている事である。その文章も含めて幾冊もの著作があり、最期の本となった『佐谷画廊の三十年』(みすず書房)では、デュ―ラ―の『メレンコリアⅠ』の隠された謎をめぐって、佐谷さんと一緒に私も登場し、謎を推理する人物として書かれている。いろいろ思い出はあるが、…………思うに、この人は何よりも先ず矜持の人であった。画商という仕事にプライドを持ち、高い知的好奇心を持って、次々と挑むように企画を立ち上げ、その骨太の豊かな生涯を全うした。その生きざまは見事の一言に尽きる。……佐谷さんは画廊を閉じる際に私に「毎回の展覧会のカタログ作りは大変だったが、やっておいて本当に善かった。結局、画廊のやってきた仕事で生きた形で残るのは、そのカタログに書いた事だけだよ」と言われた事があった。確かにそうだと私は思った。そして、佐谷画廊の事を知りたい今の世代の人達が、その著作から多くを吸収しているという。…………佐谷さんの著作と、カタログを私は時々読みなおしてふと思うのだが、なぜ画商で、佐谷さんのように、自分が企画する展覧会について文章を書く人物がいないのか?それは自信であり、また一身に責任を負う事であり、ひいては画廊側からの具体的な発信の証しなのではないか?……これは最近特に思う素朴な疑問であった。
………………そんな折、昨年、一つの出逢いがあった。私が刊行した詩集を注文して来られた方の中に、その方がいた。……名前は山口雄一郎さん。……署名を書いてお送りした私の詩集に対し、なかなか鋭い感想が送られて来て、大いに興味がひかれるものがあった。「手応えのある面白い人」がいる!!……私は好奇心の強い人間なので、さっそく連絡を入れて、お会いする事にした。お会いして、その人が千葉で山口画廊というギャラリーを開いている事を知った。タイプは違うが、佐谷さんの事をふと思い出した。……「確かな言葉を持っている人」……私はそう思った。そして、2022年5月25日、つまり明日から私の個展『二十の謎―レディ・エリオットの20のオブジェ』が山口さんとの出逢いに端を発して開催される事になった。……. 誠に出逢いとは不思議なものである。
そして、展覧会の為に山口さんは長文(何と原稿用紙12枚!!)のテクストを書かれ、12頁から成るカタログ(冊子)、『画廊通信』が先日アトリエに届いた。……展覧会の案内状を掲載すると共に、このブログでは例外的であるが、山口さんが書かれたそのテクスト全文を以下に掲載する事にした。……私の無意識の部分をも鋭く書かれているので、ぜひお読み頂く事をお願いする次第である。
『画廊通信 Vol.229 コラージュ ── 異界への扉』
今回の案内状に載せた文中で、その極めてユニークな 作風を形容して「幻視のオブスクーラ」と記したが、これは字数の関係による無理な略語で、正確には「幻視の カメラ・オブスクーラ」と記すべきものである。邦語で は「暗箱」と訳されるカメラ・オブスクーラは、例のフェ ルメールが制作に用いたとされる事から、近年にわかに 人口に膾炙した感があるが、これに関連した作家自身の印象的な記述が有るので、ここにその一節を抜粋してみたい。以下は北川健次著「デルフトの暗い部屋」から。
あれはまだ私が小学校に入る前であったから、おそらく四、五歳の頃だったと思うが、今でも忘れられない 光景がある。それは雨戸の小さな節穴から午前の一条 の光が暗い室内にさしこみ、壁の一点に魔法のように 逆さまに映っていた庭の一隅の光景である。その小さ な楕円の形をした光の面には、濃緑色をした棕梠の葉 と薄黄色の小花、そして大小の淡い光の珠がぼんやりと映っていた。それを見た時、はじめは誰かが仕掛け た何やら遠い彼方の不可思議な映像を、透かし視てい るような気分であった。それが庭の光景であることに 気付いたのはしばらく経ってからのことである。しか しそれとわかっても、最初に覚えた不思議な感覚は消え去ることなく、むしろそれが既知のものであるがゆえに、虚と実のあわいを見るかのような捕えがたい謎 めいた印象となって、記憶の底に残っていった。その時の体験が、今日のカメラの原型となったカメラ・オ ブスクーラの原理であり、あのフェルメールが絵を描 く際に多用したといわれる装置の仕組みそのものであることを知ったのは、さらに時が経ってからである。
北川健次ーこの異能の美術家を知ったのはいつの事であったろう、今となっては最早定かではないのだが、一つ確かな事は知り得た当初から、既に北川さんは銅版画の急先鋒として、革新的な作品を次々と発表されていた事だ。フォトグラビュールを駆使したその斬新な腐蝕銅版は、比類なき独創性と高い完成度が相俟って、当時の版画界でも傑出したオリジナリティーを誇っていた。その卓越した銅版表現を起点として、コラージュへ、オブジェへ、写真制作へ、果ては詩作や美術評論へと、稀有の表現者は自らの領域を自在に広げつつ、八面六臂とも言える活動を展開されて現在に到る訳だが、そのボーダーを超えた幅広い表現の根底には、共通して或る特有の「匂い」が、まるで持続低音のように流れている。謎めいた不可解な幻妖とでも言おうか、見慣れた日常の裏 に潜むあの不条理の闇が、洗練された浪漫のあでやかな彩りの陰で、そこはかとない怪異を醸成する、それは言うなれば、不可思議な幻惑に満ちた「異界」の匂いなのだ。作家の体臭とも言えるそんな背理の匂いが、何処から来ているのかを推し量る時、考えるまでもなく上述の鮮烈な原体験が、ありありとその起端を語るだろう。或る朝に雨戸の節穴から、ゆくりなくも入り込んでいた小宇宙、それが薄闇に怪しく浮かぶ様を目撃した少年は、我知らず異界への扉を開いてしまったのだ。おそらくはそれから現在に到るまで、日常とは別次元としての異界は作家と共に在り、常に創作の源泉となって来たに違いない。それ故か、上に「怪異」と云う言葉を使いはしたけれど、それは決して邪悪な昏冥でもなければ、陰湿な妄念でもない、むしろ未知へのときめきに満ちた、めくるめくような魅惑を孕むものだ。
あの日少年の目覚めた「暗い部屋」は、そのまま「カメラ・オブスクーラ」の語源でもあるように、暗箱と云う魅惑の装置そのものであった。そして今、作家の手から作り出されたオブジェもまた、黒く塗られた箱の中の闇に、別次元の異界を映し出す。この鮮明に浮かび上がる沈黙の映像を見る時、私達はいつしか日常の裏側に広がる、見も知らぬ魔術の領域へと踏み入るだろう。言わば北川さんの仕掛けるオブジェとは、異界への扉を開く暗箱装置に他ならない。
北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』絶賛発売中──この文言を作家のサイト上に見つけたのが、北川さんと面識を得る端緒となった、ちょうど一年ほど前の事である。以前からブログ等を拝読して、美術家にあらざるような文才に、常々感銘を受けていた折りでもあり、遂に詩集が出たかと雀躍して、早速注文を入れたと云う訳だ。程なく届いたサイン入りの詩集(丁寧なお手紙も添えられていた)は、正に期待通り、昨今の詰まらない詩人など軽く凌駕する内容であったから、過分にも私はこんな感想をしたためて、作家宅へとお送りした。
「今回詩集を拝見して、言語表現においても、美術表現 と全く変わらない世界を展開されている事に、改めて目を瞠る思いでした。以前からブログのエッセイは時折読ませて頂いておりましたが、特有の謎めいた雰囲気と、確固とした論理の相俟った文章には、いつも魅せられております。絢爛たる語彙の響きと、不可解なアフォリズムの綾なす世界、そこから鮮やかに喚起される『謎』そのものの魅力に、北川さんの視覚表現と共通する美学を感じております。なお、遅ればせながら作品集も拝見致しました。解体された無数のエレメントを知的に(もち ろんその根底には鋭い詩的直観が有ると思いますが)再構成し、そこにタイトル=詩的言語をぶつける事によって生起する、濃厚な意味を帯びつつも決して解き得ない謎、ここにはコラージュの本質を成すデペイズマンの、磨き抜かれた究極の具現が在ると思いました。それが通常のコンセプチュアル・アートの陥りがちな、脆弱な知的遊戯に終わる事なく、常に豊潤な浪漫の香りを帯びて いる事に、美術表現としての尽きない魅力を感じます」
と云う具合で、顧みれば未だ作品の一つも持たざる身で、誠に僭越な物言いであったが、それから3 週間ほどを経た或る午後、一本の電話が入った。「北川健次です」と云う不意の一言を耳にした驚きは、きっとお分かり頂ける事と思うが、今度ぜひ話をしたい、と云う更なる一言は、私にとっては最早、事件とも言えた。但し、その時は折しも銀座の永井画廊における個展の最中で、直後にはお茶の水のギャラリーにおける個展、更 には日本橋高島屋・美術画廊Xの個展も控えられて、作家自身多忙を極めておられたので、実際にお会い出来たのは秋口に入った頃である。雨の中を軽装で現れた先鋭の美術家は、あの謎めいた作風からは意外とも思えるような、至って快活で飾らないお人柄であった。たぶん私と会って、買い被りを後悔された事と思うのだが、何せ私にとっては千載一遇のチャンス、是非ともお願いしたいと展示会を申し込んで、目出たく今回に到ると云うのが概ねの経緯である。以降も幾度かお会いする機会があり、当店までお越し頂いた事もあって、その度にお話をさせて頂きつつ驚嘆した事は、その広範に及ぶ比類なき博覧強記と、そこから導出される鋭利な推論の面白さである。言うまでもなくそれは「絵画の迷宮」や「美の侵犯」と云った著作に結晶されているのだが、その謦咳に直に触れ得た経験は、正に至福の感興に満ちたものであった。そしてそんな豊饒の土壌が有ってこそ、あの絢爛たるイメージの交錯を生み出す、コラージュの鮮やかな策略が可能になるのだと、密かに首肯したのであった。
初期の銅版画から近年のオブジェに到るまで、多岐に亘る表現を展開しつつも、一貫して作家が自らの手法として来たのが、即ち「コラージュ」である。換言すれば北川さんの創作とは、コラージュの多彩なヴァリエーシ ョンであると言っても過言ではない。現在は、画面に何かを貼り付ければ何でもコラージュと称しているが、これはむしろパピエ・コレに近いもので、本来のコラージュとは似て非なるものだ。その歴史を遡れば、90数年前に刊行された一冊の奇書に辿り着くのだが、これが当時としては実に奇妙な絵本で、古い挿絵本や博物図鑑から切り取った図版を、何の脈絡も無しに貼り合わせて作られたものであった。タイトルは「百頭女」、作者は気鋭のシュルレアリストとして名を馳せていたマックス・ エルンストである。この面妖な書物に付けられた「コラージュ・ロマン」と云う副題から、その魅惑に満ちた歴史が始まった訳だが、同様に前掲の手紙に記した「デペイズマン」と云う言葉も、アンドレ・ブルトン(『シュルレアリスム宣言』の著者)が同書に寄せた緒言で用いたことから、美術用語として定着したものだ。この発端から見ても、コラージュとデペイズマンは切り離せない概念である事が分かるのだが、試みにデペイズマンを定義すれば、このようになるだろうか──無関係な要素を自由に組み合わせる事によって、思いも寄らない意外性を生み出し、受け手に混乱・困惑を齎す方法。即ちコラージュとは、デペイズマンの実践に他ならない。
以降コラージュは「アッサンブラージュ」や「フォトモンタージュ」、更には「ボックスアート」へと派生してゆく事 になるのだが、北川さんは長年に亘る創作過程の中で、それら全てを自家薬籠中の物とされているので、ここでは「コラージュ」と云う言葉のみで統一したい。思えばこの「本来の」コラージュを、北川健次と云う作家ほど純粋に追求し、徹底してその可能性を拓き続けた人は居ないだろう。今一度繰り返せば、先の手紙に「ここにはコラージュの本質を成すデペイズマンの、磨き抜かれた究極の具現が在る」と記したのだけれど、これは決して大仰な物言いではなく、むしろ「磨き抜かれた」の前に「生涯を懸けて」と入れるべきだったと、今はそう考え ている。かつて偶然に作られた暗箱の闇で異界に遭遇した少年は、後年「コラージュ」と云う幻惑の魔術を駆使して、日常に慣れ親しんだイメージを大胆に錯乱し、あたかも金属を自在に変成させるあの錬金術のように、世界の要素をことごとく組み換えて、新たな奇想に満ちた異界を現出させる、類例なきカメラ・オブスクーラの製作者となった、この正に「生涯を懸けた」一人の美術家の足跡こそが、そのままコラージュの行き着いた究極の地を提示するのである。以下は北川さんのブログから。
それにしてもコラ―ジュという技法は、尽きない不思議に充ちた技法であると、あらためて実感している。ピカソやエルンスト達が多用したこのコラ―ジュは、20世紀美術が生んだ、エスプリと謎を孕んだミステリアスな技法である。異なったイメ―ジの断片を、同一空間に配置転換する事で立ち上がる、イメ―ジの化学反応。それは夜に視る夢のように、何処か懐かしいノスタルジアをも秘めている。(中略)……コラージュこそが私の紛れもない原点であり、これこそが表現における最深の秘法、イメ―ジの錬金術なのである。
まだまだ語りたい事はある。北川さんの詩や評論について、ボックスアートについて、錬金術について等々。しかし、もう紙面も尽きるようである。それに、意味の撹乱を第一義とするコラージュを前に、これ以上の長広舌も不用であろう。後は暗箱の中に仕掛けられた、絢爛たる魅惑の魔術に、存分に身を委ねて頂くのみである。
(22.05.08) 山口雄一郎