『八月の夜に蛇の影を踏んではいけない』

……先日、青森や秋田を襲った線状降水帯の猛烈な雨は、各地に甚大な被害をもたらした。濁流が人家を呑み込んで無惨に流れていく様を観ていると、グリ―ンランドで毎日60億トンの氷が溶けて濁流となって流れ続けている現状と重なり、「人類は間違いなく水で滅びる」と、その手稿に断言的に書いたルネサンス期の巨人―レオナルド・ダ・ヴィンチをどうしても思い出してしまう。しかも彼はこの文章を書いている時に、人類への警鐘的なニュアンスでなく、あの『モナリザ』の不気味な微笑と同じく、醒めた冷笑的な眼差しで、人類の運命を突き放すように書いているのである。

 

……ダ・ヴィンチのその冷徹な屈折ともいうべき資質は、幼年の頃からの生来的なものであり、遺された記録に拠ると、殺した蜥蜴に蝙蝠の引きちぎった羽や別な動物の内蔵を張り合わせて奇怪な動物を作り、ヴィンチ村の大人達を驚かしていたという。…………死とは何なのか?何故鳥は飛べるのか?……生き物の中身の構造は一体どうなっているのか?etc.……尽きない好奇の眼は、その幼児期から早々と発芽していたのである。……もともと子供というものは少年も少女も残酷なものであるが、ダ・ヴィンチはその孤独癖と相まって、〈視たい〉というその視線の欲望は生涯徹底したものがあったようである。

 

 

さて話は変わって、……昨晩こんな夢を視た。……夢はどうやら私が小学生の頃らしい。光の眩しさからみるとどうやら夏休みの頃らしく、私は1人、木造の小学校の薄暗くて長い渡り廊下を歩いている。廊下からは花壇が見え、赤や黄の原色のカンナの花が実に眩しい。……しかし歩いても歩いても、広い校舎の中に全く人影は無く、ともかく私は自分の教室へと向かっていた。……どうやら私は夏休みの登校日を間違えて来たらしい。……教室が見えたその時、その一つ手前の教室に、じっと座っている少年らしき人影が見えた。……廊下から窓越しに見ると、正面の黒板を向いたまま、私に関心も見せず、まるで置人形のようであった。……その少年には見覚えがあった。しかし名前までは思い出せない。……私は他の少年達とは遊んだが、その少年は誰とも遊ばず、ずっと孤独なまま、たしか金沢の方に途中から引っ越していったらしい。……その少年はなおもじってしているままに、やがて夢は消えた。

 

……しかし夢とは不思議なもので、仲の良かった友達は全く夢に出て来ないのに、何故、付き合いのなかった、しかもとうに忘れている筈のその少年が、今時何故に夢に、まるで幽霊のように出て来たのであろうか。一体、そんな夢を視る私達の頭の中はどうなっているのであろうか。……そんな事を目覚めた後に思っていると、やはり小学生の時にいた、一人の、やはり孤独癖の強いもう一人の少年の事を思い出した。名前は、何故か出て来ないので、今からその少年の事を仮にTとしておこう……。

 

 

……Tは集団に馴染まず、いつも一人であったが、何故か私にだけは心を開いて話しかけて来る事があった。二人とも体が弱かったので、体育の時間は見学する事が多く、日蔭の涼しい藤棚の下で、時おり話し合うのであるが、ある時、Tは彼の下校後の密かな愉しみを私に打ち明け話のように話してくれた事があった。……その話とは、「自分の唯一の遊びは、蛇を殺す事なのだ」と言う。……僕は「蛙は面白半分で殺した事はあるが、蛇は怖くてとても近付けないよ」と言うと、Tは得意げに「そりゃあ、僕だって怖いさ。でもぞくぞくとした、あの恐怖感がいいのだよ。それにあの湿った場所の、何とも云えない気配、何だか葬式のような臭いがするんだよ。線香なんかないのに不思議なんだよ。傍に誰かが死んでいるようで……」。

 

……Tの話によると、蛇を殺す時の道具は、歪な角張った小石を10ケだけ持って、沼や小川にたった一人で行くのだと言う。私が「どうして、石が10ケなんだい?」と訊くと「そう決めているんだよ。僕はコントロ―ルだけは自信があるんだ。だから10ケの石を投げて蛇が死んだらぼくの勝ち、蛇が逃げきったら蛇の勝ち、そう決めているんだよ。しかも蛇は頭が良くて死んだふりをするけど、動きが止まったその時こそ狙い時、残っている石の連続放射だよ!」……Tは次第に興奮して来たらしく、目の前に蛇がいるような感じで話している。……更に訊くと、Tの愉しみは、その後にもあるのだという。……Tは蛇を殺した後で持参した針金で縛ってズルズルと引きずりながら家に帰るのだが、途中の道すがら、大人達が決まって青ざめた恐怖の顔をするのが面白いのだという。家に着くと家の前に収穫した蛇の死骸を置く為に、いつも母親からは「お前は狂っている」と叱られるのであるが、玩具より愉しいこの遊びに比べたら、そんな事はまったく平気なのだと言う。

 

……話してみると、Tは自分だけの王国があるらしく、人間は産まれた時から大人族と子供族がいて、だから自分は死ぬまで子供なので、子供としてずっと生きて行くのだと言う。…………………………………………昨晩視た夢から、私はTの事を思い出したのであるが、家の地区が違っていたので、私達は別々な中学に入り、いつしかTの事も忘れていった。……しかし昨晩視た夢のお陰でTの事を思い出したのは、奇妙と言えば奇妙ではある。……Tはあれからどういう人生を歩いていったのだろうか。……そう言えば数年前に小学校のクラスの同窓会があった。もちろんTは来る筈がない。……誰かが口火を切って話題が、あのTの話になった。……Tのその後の事を断片的に知る者がいて話をしてくれた事を思い出した。……その話によると、Tは高校を出た後に東京に行き、今は何だか奇妙なオブジェとかいう、得体の知れない物を作っているらしい。……オブジェが何なのか、私はとんとわからないが、今も王国の唯一の住人として、……彼は子供のままに生きているのであろうか?

 

 

 

……今アトリエにいて、壁に掛けた二点の蛇の作品を先ほどから眺めている。駒井哲郎の銅版画『蛇』と、ルドンの石版画『ヨハネの黙示録』」所収の「……これを千年の間繋ぎおき」である。……眺めながら森永チョコレ―トを食べている。……何故、そんな事をしているかと言うと、泉鏡花が「チョコレ―トは蛇の味がするから嫌いだ」と辰野隆に語った話を思い出したので、先ほどチョコレ―トを買って来て、鏡花が言ったその言葉を確かめているのである。……しかし、鏡花が言ったチョコレ―トとは果たしてどんな会社の味であったのか?今では明治、ロッテ、森永、グリコ……等々会社が沢山あってみな味が違う。しかし答えは簡単で、わが国で一番古いのが明治42年に板チョコを、そして大正7年(1918年)に国産ミルクチョコレ―トを出したのが森永であり、泉鏡花(1873~1939)の年代と符合し、しかもこの言葉を言ったのが晩年(1939年)だから、森永ミルクチョコレ―ト(1918)にほぼ絞られる。……しかし、泉鏡花の言った蛇の味が、今一つピンと来ない。鏡花は蛇は嫌いだと話しているが、その実、彼の小説の中で最も多く登場するのが「蛇」である。

 

「……アレ揺れる、女の指が細く長く、軽そうに尾を取って、柔らかにつまんで、しかも肩よりして脇、胴のまわり、腰、ふくら脛にずっしりと蛇体の冷たい重量が掛る、と、やや腰を捻って、斜めに庭に向いたと思うと、投げたか棄てたか、蛇が消えると斉しく、…………」(『紫障子』)

 

「胴は縄に縺れながら、草履穿いた足許へ這った影、うねうねと蠢いて、逆さにそのぽたりとする黒い鎌首をもたげた蝮……」(『尼ケ紅』)

 

 

先ほどのチョコレ―トの話であるが、蛇の味とチョコレ―トの味との乖離(離れている様)は、常人には量りがたい隔たりであるが、その距離を持って私は、泉鏡花の想像力の飛躍する、或いは振幅する距離と考えている。それを支えている基盤が、彼の豊富な語彙力なのである。……鏡花の事を「日本語のもっとも奔放な、もっとも高い可能性を開拓し、講談や人情話などの民衆の話法を採用しながら、海のように豊富な語彙で金石の文を成し、高度な神秘主義と象徴主義の密林へほとんど素手で分け入った」と評したのは三島由紀夫であるが、この僅か数行で三島は泉鏡花について言い切っていると私は思うのである。

 

 

……さて今回の蛇の話であるが、最後にもう1つだけ書こう。……明治期の文豪を代表するのは森鴎外夏目漱石であるが、この双璧、いずれがより文才があるのか、私は以前から気になっていた。そしてふと、この二人が『蛇』という題名で短編を書いている事に気づき、ある日、読み比べてみた事があった。……どちらがより蛇のあの掴みがたいぬるりとした本質に迫り得ているか!?

 

……結果からみて私は漱石の方に高い軍配を上げた。それは勿論、私の主観的な判断であるが、私が漱石の方をより評価したのには理由があった。それは私が度々、蛇の至近まで行って蛇の生理と不気味さをよく知っていたからである。……子供の頃に度々行った、あの沼や小川が、漱石の文章からありありと甦って来たのであった。

 

 

 

 

 

 

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