『あの坂を下りてくる影、あれは……』

友人の中村恵一さん達が主宰している季刊の文芸冊子『がいこつ亭』がアトリエに届いた。いつも切り口が面白いので毎回愉しみにしているのであるが、今回の号は特に私の気を惹いた。……三神さんという方が書いた『眼球が最後に映すもの』(元総理銃撃事件と高橋和己「わが解体」)というタイトルを見て、7月10日付けで書いた私のブログ『魂の行方―明治26年の時空間の方へ』と重なる視点で、銃撃され倒れこんだ元総理の最期の視覚に何が映っているかに言及しているのであるが、この三神さんの文章の特に面白い点は、高橋和己の『わが解体』所収の「死者の視野にあるもの」からの引用部分であった。高橋和己のその一文を少しく引用してみよう。

 

「……かつてイタリアの法医学者が殺人事件の被害者の眼球の水晶体から、その人が惨殺される寸前、この世で最後に見た恐怖の映像を復元するのに成功したという記事を読んだことがある。……(中略)…私はその紙面の一部に紹介されていた写真を奇妙な鮮明さで覚えている。全体が魚眼レンズのように同心円的にひずんだ面に、鼻が奇妙に大きく、眼鏡の奥に邪悪な目を光らせた男の顔がおぼろげに映っていた。(中略)……被害者が、無念の思いを込めて相手を見、そこで一切の時間が停止し、最後の映像がそのまま残存する―それは充分ありそうなことに思われた。」

 

……あの銃撃事件の時の映像を思い出してみよう。集まった眼前の聴衆を前にして喋っている元総理の顔。……その直後、ボンという第1発目の乾いた発射音に2.7秒遅れて振り返った後ろ向きの姿が一瞬映るが、次に地に崩れていく瞬間の姿は人影に隠れて見えなかった。……しかし、映像は確かに捕らえていた。その直前、確かに彼が振り返って射撃犯の顔を直視した事を。三神さんの文章は、そこからどんどん鋭くなっていくのであるが、……私は読みながら、30年以上前に体験した或る事を思い出したのであった。私は高橋和己の良き読者ではないので『わが解体』のこの文章は知らなかったが、ずいぶん前に読んだイギリスのミステリ―雑誌で、死ぬ直前の眼球の水晶体には最後に映った光景がそのまま残存する、という興味深い説がある事は知っていた。……そしてそれを私が実際に試みる時がやって来たのであった。

 

 

 

……30代の10年間ばかり、横浜・中区山下町の海岸通りに面したマンションに住んでいた時があった。…ある日の昼過ぎ、中華街でランチを食べた私は自宅に戻るべく歩いていた。……するとマンション側にたくさんの人だかりがして、明らかに異様な気配であった。大量の血が地面に筋を引いて流れているのが目に入った。……私はひょっとしてと思い、人だかりを掻き分けて一番前に出た。……すると地面には果たして、今マンションから飛び降りたばかりの青年の姿があった。顔は蒼白というよりは既に土気色。目は乾いた感じであったが僅かに艶の名残が見てとれた。……それを見た瞬間、私は件の事を思い出し、死にいくその人の目に己が姿を映そうとしたのであった。……私は真っ赤な血は苦手だが、凶事への視覚的な好奇心がそれを上回っているらしい。遠くから響いて来る救急車のサイレンの音。それが着く前に、マンション向かいの警察病院から数名の看護婦が一目散に走って来た。そして先頭の看護婦が青年の脈を計り、後ろの看護婦達に両手でバツの合図を送った。(……ずいぶん事務的で寒いものを見たと、私は思った。)後で知ったのだが、マンション前にある病院で末期の癌を宣告されたその青年はパニックになり、病院から走り出て、私の住んでいるマンション3階から投身したのであった。

 

 

……それからずいぶんの時が流れたある日、私は自分の個展会場にいた。夕方、和服姿の60代くらいの上品そうな女性が画廊に来られた。(初めてお会いする方である。)そして、展示してあるオブジェと版画が気にいって購入を決められた。先ほどまで来客で賑わっていた会場であったが、人の流れが落ち着いたので、その方との寛いだ談話になった。話を伺うと、その方は今は和服を作って販売しているが、その前の職業は全くの畑違いで20年ばかり病院で看護婦をしていたという。そして、私は「病院は不思議な話が多いと思いますが、何か面白い話はありませんか?」と訊くと、「今、病室で危篤状態になっている老婆が、あろう事か、その同じ時に、正装した姿で宿直中の看護婦たちがいる部屋に御礼を言いに静かに入って来た事があり、その時が最も怖かったという。」……そういう事が特に夜の病院内では度々あり、それがやがて普通になってしまうのだという。そういえば、患者を死へと連れ去っていく、病院内をさすらう黒い影の話(実際に日本画家の鏑木清方夫人が体験した話)を、夫人から聴いた泉鏡花が怪談『浅茅生』に書いているのを思い出した。「では、病院に勤めている間で一番怖かった体験はどんな話ですか?」と更に話を向けると、その人は徐に話始めたのであった。

 

 

「私が看護婦で働いていたのは、横浜の山下町にある警察病院でした」という。……そして「一番怖かったのは、今話した幽霊でなく現実の話で、末期癌を宣告され、病院から飛び出した若い男性が通りの向かいにあったマンションから飛び降りた、その時の男性の姿が一番怖かった」という。」私はまさかの偶然に唖然とした。そして訊いた。……「実は、私もあの時の現場にいたのですが、血相を変えて病院から走って来た看護婦が三人いたのをありありと覚えています。ひょっとして貴女は、その先頭にいて、男性の脈を計りませんでしたか!?」と訊くと、「……そうです。」と云う。

 

 

「事実は小説よりも奇なり」というが、年月を経て、何かの捻れのように再会した、その人と私。……話はこれで終わるのだろうか? それとも不思議な宿縁のように、これは何かのプロロ―グなのだろうか。……そういえば、帰られる時に、この方が渡してくれた名刺の住所を見て驚いた。……私のアトリエから僅かに15分の近い距離。その間には小高い坂がある。……坂は怖い。永井荷風は坂について「坂は即ち地上に生じた波瀾である」と書いているが、岸田劉生の坂のある風景『道路と土手と塀〈切通之写生〉』は凶事の予感を孕んであくまでも暗い。……残暑のある日、その方は逆光の影となって、果たして現れるのであろうか。そして私は「あの坂を下りてくる影、あれは……」と小さく呟くのであろうか。

 

 

 

 

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