ゴヤ

『占星術vs実証主義的人間』

…横浜山手の根岸の坂を上がった所に、相模湾を眺望できるレストランがある。荒井由美(松任谷)の初期の代表曲『海を見ていた午後』の舞台となったレストラン『ドルフィン』である。その眺めのいい坂を少し下がった所に山下清澄さんという銅版画家の友人が住んでいたことがあった。ロマネスク趣味のその作品は三島由紀夫マンディアルグ寺山修司らが評価していた。

 

…ある日、彼の自宅で話をしていると山下さんがこう言った。(僕の知人で女性の占星術師がいてね、実によく当たる。なかなかの美人で確かミス慶応だったと思うけど、裕次郎から映画界入りなどの話があっても彼女は全く関心がなく、ひたすら占星術の技を究める事だけに生きているような女性でね。この世の万象に起きる事や人間各人の運命が、その人間が産まれた時の星の配列と何らかの因果関係があると確信するようになり、ひたすらその技の研鑽のみに専心して生きている不思議な女性だよ。彼女は最近、元町(横浜)の裏通りに店を出しているけど、どう?…よかったら紹介するけど、今から行かないかい?)……私は2つの日本語で返事をした。…ぜひ…と。

 

…その当時、私は横浜山下町の海岸通に住んでいたので、歩いて中華街を越えれば元町はすぐである。…(こんな近くにこんな店があったのか)…そう思って薄暗い店内に入ると件の女性(仮にSさんにする)はいた。確かにSさんは美しい人だと思ったが、それよりは一見して直感力の鋭さを内に秘めたものを私は強く感じた。その時に未だ小学生だったお嬢さんも一緒だった。Sさんはゴヤが好きだというので話が盛り上がり、やがて山下さんと私は店を出た。…後でSさんから聞いた話であるが、お嬢さんは勘が鋭いらしく私達が帰っていった後でこう言ったという。(さっき来た二人で、ママとずっとお付き合いしていくのは、あの北川さんの方よ)と。…そして事実そうなった。またSさんも、私が店内に入って来た瞬間に、普通と明らかに違う鋭い気を放っているのを感じとったという。

 

…その頃は版画をあまり作っておらず、またオブジェの妙に目覚める前だったのでかなり暇な時であった。だから日々の散歩がてらに元町のその店に度々行き、私の中学生時代に体験した(著名な俳優夫妻の幼児が、住み込みの家政婦に浴室で絞殺された事件があった時に、私は夢の中で正にその殺されていく瞬間を生々しくリアルタイムでカメラを回すように透かし視てしまった)話や、その後も思った事が現実になる予知夢を頻繁に視てしまう話などをたくさん語った。…Sさんいわく、占星術の店といっても実際に来る客は、浮気の話や相手を代わりに呪い殺してほしいという俗な依頼ばかりで全く面白くない。…だから、私が話す体験談は、本当の占星術の深みに絡んで来るので実際に面白く、具体的に勉強になるのだと話してくれた。誤解がないように云うが、占星術師といっても、皆がみな万能的に当たるのではない。医者と同じで、ほとんどの者は素人に毛が生えた程度と見て間違いないだろう。

 

…元来、直感力の鋭い人間が古代から伝えられて来た、例えば占星術の場合、カ-ドを介した透視術を更に研鑽する事で漸くその内の何人かだけが本物になっていくのである。…だから依存性の強い人間が客になった場合、占星術を商いにしている似非占星術師にとっては待ってました!の大事な客であるが、Sさんのような人はそういう客は煩わしいので殆ど避けている。……Sさんの場合、資産は潤沢にあるので、食べていく為にやっているのではなく、あくまでも稀人のような手応えのある人物の出現を期して店を開いているようである。

 

私の知人・友人は各々に独自の道を究めている個性的な人が多いので何人かを連れて行きSさんに紹介した事があった。…例えば、この国を代表する詩人の一人であるTさんを連れていった時は特に面白かった。…生年月日をTさんが言うとSさんが机上にカ-ドを並べてこう言った。(ごく最近、とても親しい人を亡くされましたね)と。…Tさんは私に小さく耳打ちし(…吉岡実さんの事だね)と言った。…西脇順三郎以後のこの国を代表する詩人の一人、吉岡実さんはつい数日前に逝去したばかりなのである。……Sさんは続けてカ-ドを読み解きながら、Tさんにこう断言した。(近いうちに大きな賞を取りますね)と。…果たして、二週間ばかりして、Tさんは賞としては一番評価の高い読売文学賞を、故・澁澤龍彦さんと共に同時受賞したのであった。

 

…私はいつも無料で視てもらうのであるが、海外に留学する文化庁の在外研修員の試験の前に開催した個展の時には、このような事があった。…個展が始まる1週間前にSさんは私に次のように助言してくれた。(作品をプリントした紙やきの写真を二枚と、作家としての詳しい履歴書を一枚用意しておいた方がいい)と。…何故なのかは訊かなかったが、ともかく私は用意して個展初日を迎えた。…初日の午後に築地の朝日新聞本社の学芸部長で美術評論家の小川正隆さん(後の富山県立近代美術館館長)が画廊にふらりと来られた。…小川さんは池田満寿夫さんを介して面識はあったが、個展の案内状は出しておらず、また画廊側も出していなかった。…何かに引かれるようにして個展に来られた小川さんはこう言った。(とてもいい個展なので文化欄で紹介したいのですが、作品を撮した紙やきはありますか?)と。私は用意していた作品の紙やきの写真を渡すと、(あぁ助かります。これがあれば直ぐに載せられます)と。…会期の後半直ぐに新聞に写真入りで大きく紹介されたので、人がたくさん来てくれて個展は盛況であった。

 

…小川さんが画廊に来られた時に(そうだ!)と思い、私はこう言った。(実は文化庁の試験に応募したいのですが、小川さんに推薦状を書いて頂く事は可能ですか?)と。…私は群れるのが嫌なので団体展の組織に入っておらず、もう一つの美術評論家連盟は、面識のあった土方定一さんや坂崎乙郎さんは既に故人の為、知己は無かったので、他に推薦状を書いてくれる人が浮かばず困っていた時に、小川さんが現れたのであった。(推薦状、もちろん書きますよ。そうだ、北川さんの経歴を書いた書類のようなものはありますか?)と。…小川さんに履歴書を渡して、間もなく推薦状が送られて来た。…画廊から去っていく小川さんを見送りながら(…そうか、Sさんが用意しておくようにと言ったのは、この事だったのか…と私は思った。

 

……そして、文化庁の留学試験日がやって来た。…版画部門のその年の倍率は確か800倍くらいであったと記憶する。…もちろん自信はあるが、受かる為に事前に裏工作とか必死で仕掛けて来る者がいるらしい。…一次、二次の書類選考を突破して最終選考は面接である。…残った40名ばかりの作家が控え室で自分の名前が順に呼ばれるのを待っている。…私は官庁内の古くて薄暗い天井をぼんやりと見ながら(まるで処刑前の赤穂浪士みたいだなぁ…)と思った。……面接員は左右に役人20名づつ。正面に審査委員長、美術評論家ほか数名の書記官がいた。…この時の美術評論家はよりによって私が最も評価していない人物であった。…よほど私はこの相手が嫌いなのであろうか、喋っている途中から怒りに似た妙な感情が沸いて来て、私は止せばいいのに、この評論家にグイグイと逆に迫った。

 

審査が終わった後で、(あぁ、やり過ぎてしまったなぁ、)と思ったが後の祭。………2週間ばかりして元町のお店に行くとSさんが含み笑いをしながら、面白そうにこう言った。(この前の面接の時、もの凄く強気で攻めていたでしょ)と。…(確かにバンバン攻めましたが、どうしてわかるのですか!?)と訊くと、その面接の時間に私の事が気になってカ-ドで視ていたのだという。……そして、Sさんは笑いながらこう言った。(来年は、北川君は日本にいないと出ているから、大丈夫、受かっているわよ)と。…半信半疑の妙に浮わついた気分のまま家に帰ると、留守電がチカチカと点いていた。…受話器を取ると、録音の声で文化庁からであった。…在外研修員に内定した事を知らせる電話であった。

 

…占星術を信じる人、信じない人、各々にいて当然である。…信じない人、そこに確とした論拠は実は無い。何故なら体験していないから(だけ)である。また依存するように過信、盲信するのも気持ちが悪い。…というより他力本願になり、その実人生に拠って立つ足場が弱くなってしまう。…ただ私のように度々不可思議な事を実体験すると、占星術、またその他にある占い云々といった概念的なものを超えて、何か不可思議な交感の法則めいた絶対律のようなものが、私達の人智や想像力を越えて存在する事は否定できないように思われるのであるが、読者諸兄はどう思われるであろうか?…想えば、無から美という有を引き出す営みとしての芸術も然り、また詩の発生する瞬間に立ち上がる瞬発力もまた何物かとの交感する発火行為に他ならない。…不可思議。…ただそれだけが残るのである。

 

…さて次回は、この占星術に真っ向から挑んだ二人の人物、織田信長とレオナルド・ダ・ヴィンチの知られざる逸話を紹介する予定。引き続きの乞うご期待である。

 

 

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『個展、最終週に入る』

10月19日から始まった今回の個展も、11月7日(月曜)迄の、いよいよ最終の週に入った。……毎日、個展会場である日本橋高島屋の美術画廊Xに出ているが、私の作品を愛してくれる熱心なコレクタ―の人達、親しい友人、……そして新しく出逢えた縁ある人達が次々と来られ、貴重な日々が続いている。

 

昨日は夕方から俳人の馬場駿吉さん(元・名古屋ボストン美術館館長)が名古屋から来られ、ヴェネツィアのお話しなどがたくさん話題に上った。馬場さんは瀧口修造さん、加納光於さんをはじめとして50年代後半からの美術界を知る最も重要な目撃者、証人でもあり、ヴェネツィアを主題にした馬場さんの句集『海馬の夢』などで、私はヴィジュアルで加わったりもして、最も永いお付き合いをさせて頂いている先達の方である。……私の交流は美術よりもむしろ文藝や他の分野の方が多いので、今回もその方面の方が特に目立つ。今回の個展は、今までで最も完成度の高い作品が一堂に揃っているという評価を多くの方がされており、作品をコレクションされる方は、どの作品に決めるかの自問自答を永い時間をかけて考えておられ、正に個展会場が真剣勝負の場所になっている。

 

画廊を一周して即断で決める方、2時間くらいじっくり熟考される方、数日考えて決める方、……「コレクションという行為もまた創造行為である」という言葉があるが、その現場の真剣勝負を私は毎日、作者として視ているのであり、作り手として最も手応えを覚える場面でもある。(……先日、30代の男性の方であるが、画廊に午前早くに来られて作品と出逢い、昼食でいったん画廊を離れてからまた戻って来られ、実に6時間という熟考の後で作品を2点購入された方がいるが、この方が最長記録かと思う。昔、私はスペインのプラド美術館でゴヤを、そしてオランダでフェルメ―ルを長時間観続けた事があったが、この男性の方には脱帽する。) ただ、作品は版画と違いオリジナルが一点しかこの世に存在しないので、迷って決まらず、いったん帰られた方と入れ違いに、その作品と本当に縁のあった方が来られて決める場面が度々あり、数日考えてからコレクションを決めた方が再び画廊に来られた時に、作品が既に他の方のコレクションになっているのを知って落胆されるという場面が、今回も数回あるが、それは仕方がない事かと思う。作品もまた、真に作品を永く愛してくれる「その人」の到来を待っているのである。

 

……作品を選ばれる方は、今回は大学生の方から八十代の方までとやはり幅が広い。世代を問わず、各々の作品の中から自在にイメ―ジを紡いでおられるのであろう。或る女性の詩人の方は『Cadaquesの眠る少年』というタイトルのオブジェ作品を選ばれたが、この一点で新しい詩の世界が一気に拡がり、数点の詩が書き下ろせると喜んでおられた。その詩が出来上がるのが私も楽しみである。…………かくして今回の個展でも、多くの作品がわがアトリエから旅立って行き、作品との永い対話を交わしていく人達が、各々の作品から様々なイメ―ジを紡いでいく、次なるもう一人の作者になっていくのであろう。(……話は少し変わるが、前回のブログで第二詩集刊行予定の事を書いた事で私の詩集の存在を知った方から、私の第一詩集について詳しく知りたいという問い合わせを画廊に来られて訊かれる事があるので、このサイトの別な所に詳しく書いてある事を申し添えておこう。……今も詩集購読の申し込みがアトリエに届き、第一詩集も根強い人気が続いているのは作者として嬉しい事である。)

 

 

……さて、今回の個展、いよいよ最終週に入った。天候に恵まれ、懸念していた台風も去った。……残る七日間、また不思議なご縁のある方との出逢いや、親しい人達との再会が待っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『馬鹿が戦車でやって来る―張りぼてのロシア』

ウクライナに続々と侵攻して来るロシア軍の戦車、またそこに搭乗しているロシア兵の赤ら顔を見ていると、昔、1964年に公開された、ハナ肇主演の松竹映画の或るタイトルを思い出した。その名もズバリ、『馬鹿が戦車でやって来る』。……この映画の場合、戦車は(タンク)と呼ぶが、ロシア軍の戦車もその響きの方が合っている。……すなわち『馬鹿が戦車(タンク)でやって来る』。

 

そのロシア兵達のある映像を観た。……暴行・強姦・殺戮後に戦車の横で、強いウォッカ臭を吐きながら勝利のダンスに興じる兵士達の不気味な姿である。

 

 

 

「汝が母は汝に人を殺せと教えしや」、「汝が母は汝に人を切り裂けと教えしや」、

「汝が母は汝に鬼畜になれと教えしや」。

 

 

……その映像から私は直にゴヤが『聾者の家』と呼んだ自らの家の壁に描いた、『黒い絵』の連作を思い出した。ナポレオン戦争やスペイン内乱の後、人類に対する悲観的なヴィジョンを諦観、絶望の内に描いた普遍の絵画である。ゴヤは実際に悲惨な戦禍の様を目撃し、それを版画集『戦争の惨禍』に生々しく刻み、また最後の版画集『妄』では、人類のもはや処置なしの様を突き放した寓意性を持って表している。そこに表されている様は、しかしスペインだけでなく、日本における「西南の役」でも同様な残酷非道さは記録に残されており、戦争時に顕になるこの狂気は、人類全ての内面が抱える闇の普遍かとも思われる。

 

 

 

 

 

 

また、今のロシアの狂気は、かつての日本が大陸で行った侵略の様と重なっている事を忘れてはならない。満州という張りぼての傀儡国家を演出し、北へ、また南方へと進軍した際に行った侵略の際の惨殺、強姦の様は想像を絶して余りある。……その結果、戦地中国で快楽殺人に目覚めた流浪の男達、……小平事件の小平善雄、また731部隊で人体実験に加わった後の戦後間もなくに帝銀事件を起こした真犯人……等を野に放した。また、旧海軍が京都帝大の荒勝文策研究室に原爆の研究開発を委託した「F研究」には湯川秀樹達、日本精鋭の頭脳も参加していたのである。……そう、日本もアメリカに競るようにして原爆開発を行っていたのである。……歴史は結果論のみ年表の表に記載され、その過程の事実を封印するが、その封印を少しでも覗いてみれば生々しい腐臭がそこからは漂って来るに違いない。

 

中国では国民一人一人を表すのに使う言葉は「単位」であるという。また忠誠を誓わされている国民や兵士達の、個人の尊厳を越えた一律的に似通った顔や表情をする北朝鮮の人々の不気味さ、そして哀れさ。また、国営テレビのプロパガンダ放送のみで髄まで洗脳されてしまったロシアの年寄り達の、画一的なコピ―と化した姿は、かつてのナチスドイツのゲルマン国家主義に染められた様と変わらない。……プロパガンダ、そう、かつての日本もそうであった。

 

 

昨日、漫画家の丸尾末広の『トミノの地獄①』を読んでいたら、面白い頁に出くわした。日清戦争で戦死した陸軍兵士・木口小平(死んでも突撃ラッパを口から放さなかった)の忠誠心を教える為に書かれた戦前の文部省が児童用に出した「尋常小学修身書」の事が描かれていたのである。

 

「キグチコヘイハ/ テキノタマニアタリマシタガ、/シンデモ/ラッパヲ/クチカラ/ハナシマセンデシタ」。子供も読めるカタカナ文字の下には勇敢な木口小平の戦死した姿。……間違いなく弾で射ぬかれ即死した木口小平。その後の死後硬直現象を、死してもなお!に転ずる、このあざといまでのプロパガンダによって、軍国少年達の血潮は、おぉ!とたぎったに違いない。昔の単純さに比べ、今はリアルなフェイク画像が氾濫し、観てばかりいると、こちらのアイデンティティも危険なまでに揺らいで来よう。

 

 

大国が見せる強権は忠誠を誓わせてやまないが、やがてはそれに代わってAI(人工知能)が席巻して、人類から個の尊厳を喪失した無気力な人々が多数を占める時代が来るに違いない。もっともその前にプ―チンの狂いがいや増して、人類は遂に!……の瞬間が来る可能性も多分にある昨今である。……ならば、もっと私達のずっと後に来ると思っていた人類死滅の瞬間に立ち会える好機に自分がいる!!と腹をくくって、最悪の絶望、不条理の極みをも、プラス思考で迎えるに如くはない…か。

 

 

人類最大の叡知の持ち主と評されるダ・ヴィンチは、数多の人体解剖を行った後に手稿にこう記した。「結局、人間は死ぬように出来ている」と。ならば、その有機的な視点を拡めて次のように書く事も出来るであろう。すなわち……「結局、人類は滅びるように出来ている」と。

 

 

 

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『かくもグロテスクなる二つの深淵 ― ゴヤ×川田喜久治』

ゴヤ

……ここ最近の私のブログは、イタリアやパリを舞台にした内容だったので、このコロナ禍で海外に行けないために、良い気分転換になって面白かった!というメールを何通か頂いた。とは言え私が書く旅の話は、善き人々にお薦め出来るような明るいガイドブックではなく、不思議な話や奇怪な話を扱った実体験、云わば『エウロ―ペの黒い地図』といったものであろうか (※エウロ―ペは「ヨ―ロッパ」の語源)。しかし、だからこそ面白いと人は言ってくれる。まぁ、それに気をよくした訳ではないが、今回はスペインからこのブログは始まる。

 

 

………………………………………………その時、私が乗った飛行機は南仏の上空を飛び、ピレネ―山脈を越え、一気にスペインへと入った。今まで緑の豊饒に充ちていた大地の色が、突然、荒涼とした赤へと一変する。「ピレネ―を越えたら、そこはもうヨ―ロッパではない」という言葉が頭を過る。眼下はもはやバルセロナである。

 

バルセロナ、……ここに来るには、1つの旅の主題というものを私は持っていた。この地に古くから伝わる呪文のような言葉「……バルセロナには今もなお、一匹の夢魔が逃れ潜んでいる。」という言葉の真意を掴む為に、ともかく現場を訪れなくては!という想いで、私はこの地に来たのであった。……ちなみに夢魔という特異な怪物は、深夜に女性の寝室に忍び入り関係を持つが、その女性が宿した子供は天才になる」という伝承がある。……参考までに『夢魔』という絵を描いた画家ヘンリー・フュ―スリ―の作品をあげておこう。

 

 

 

 

 

 

……美術史を俯瞰して観ると、スペインは特異な立ち位置にある。ルネサンスの影響やそれ以後の繋がりを絶って、謂わば単性生殖的にこの国からは、特異な美の表現者が輩出しているのである。ピカソダリミロガウディ ……。私は特異なその現象と、この呪文めいた言葉に何らかの関連を覚え、地勢学、地霊との絡みも合わせて、この現場の地で考えてみたかったのである。そして、その中心にガウディを配し、夢魔の潜み息づいている場所を暗いサグラダ・ファミリア贖罪聖堂に見立て、1ヶ月ばかりの時をバルセロナで過ごした。……結論はそれなりに出し、幾つかの文藝誌や自著の中にそれを書いた。しかし、私はあまりに近代から現代に焦点を絞り過ぎていた観があったようである。……アンドレ・マルロ―の秀逸な『ゴヤ論―サチュルヌ』の最終行「……かくして近代はここから始まる。」という暗示に充ちた一文を加えるべきであった。……それをマドリッドのプラド美術館に行き、ゴヤの『黒い絵』…画家が晩年に描いた14点からなる怪異と不条理と謎に充ちた連作を目の当たりにして、それを痛感したのであった。1つの極論を書くならば、ピカソ、ダリ、ミロ、ガウディ……といった画家のイマジネ―ションの原質は、ゴヤのそれから放射された様々な種子に過ぎなかったと、今にして私は思うのである。一例を挙げればピカソの『ゲルニカ』をゴヤの『黒い絵』の横に配せば、私の言わんとする事が瞭然とするであろう。その深度において『ゲルニカ』は、『黒い絵』に遠く及ばない。ダリ然り、ミロ然り、ガウディ然り……である。極論に響くかも知れないが、しかしゴヤの『黒い絵』の前に実際に立った人ならば、私の言わんとする事に首肯されるであろう。ゴヤを評して「……かくして、近代はここから始まる。」と書いたマルロ―の視座がプラドに到ってようやく実感出来たのである。ことほどさようにゴヤは重く、何より強度であり、そのメッセ―ジに込めた、この世の万象を「グロテスク」「妄」「不条理」とするその冷徹な眼差しは、近・現代を越えて遥か先、つまりこの世の終末までも透かし視ているのである。……私は、このプラドでの体験を経て、ゴヤが晩年の『黒い絵』と同時期に描いた、その主題が最も謎とされている銅版画集『妄―ロス・ディスパラ―ティス』のシリ―ズを欲しいと思った。しかし、他の版画はスペインにあっても、『妄』のシリ―ズは無かった。……そして先のブログで書いたパリのサンジェルマン・デ・プレに移って間もなく、私は近くにある版画商の店で、まるで導きのようにして『妄』の連作版画の内の七点を購入したのであった。私はゴヤの凄さと、その深度を知ってからは、数年間は熱に浮かされたようなものであった。……しかし、現代の表現者の中に、しかもこの日本で、その遺伝子と言おうか、ゴヤに通じる存在を知ったのは、これもまた導きであろうか。……その存在こそが、写真術師―川田喜久治氏なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川田喜久治

……写真術師・川田喜久治氏の事を知ったのは、北鎌倉にある澁澤龍彦氏の書斎であった。私は氏の写真集『聖なる世界』に初めて接し、その深い黒のマチエ―ルに驚嘆し、かつて私も訪れた事のある、ボマルツォの怪異な庭園や、このブログでも書いたイゾラ・ベッラの奇想なバロックの世界の危うさと妖しさ、それらが深部に精神の歪んだグロテスクの相を帯びて、写真集の中に見事に封印されているその様に、言葉を失った。そして、写真という妖かしの術が持つ可能性の一つの極をそこに視たと直観した。

 

それ以前には、暗黒舞踏の創始者―土方巽を被写体にした細江英公氏の写真集『鎌鼬』を第一に推していた私であったが、川田氏の『聖なる世界』は、それを揺るがすに十分な強度と艶を持って現れたのである。……写真集『鎌鼬』は、種村季弘氏の紹介で面識のあった土方巽夫人の元藤燁子さんから初版本を頂いており、私は帰宅してから『鎌鼬』を開き、その日に目撃した川田喜久治氏の作品との異なる黒について想い、幾つかの考えが去来した。

 

……川田喜久治氏の写真作品を強引ではあるが一言で言えば、ポジ(陽画)にして、その内実に孕んでいるのはネガ(陰画)で立ち上がる世界であると言えようか。誰しも経験があるかと思うが、白黒が反転したネガフィルムに映っている世界は何故あのように不気味なのであろうか。見知っている親しい筈の家族も不気味、風景も、群像もみな不気味である。ある日、私は川田氏にその話をした事があった。……想うに、世界の実相とはあの不気味さに充ちた世界(まさに異界)であり、光は、世界のその実相を隠す為に実は在るのではないか?……という話である。

 

……さて、その川田喜久治氏の個展が今、東麻布の写真ギャラリー『PGI』で、まさに開催中(4月10日迄)である。タイトルは『エンドレスマップ』。……先日、私は拝見したのであるが、このコロナ禍の時期を背景にして観る氏の作品は、正に光によって刻まれた黙示録、しかも、様々なプリント法を試みた実験の現場としても画廊は化している。個展のパンフに記された川田氏の文章「………それぞれのプリントから表情や話法のちがいを感じながら、魂の震えに立ち止まることがあった。寓話になろうとする光も時も、共鳴する心と増殖を始めていたのだ。いま、寓話の中の幻影は、顔のない謎へと移ってゆく。」

 

……この自作への鋭い認識を直に映した、今、唯一お薦めしたい貴重な展覧会である。

 

 

 

川田喜久治作品展『エンドレスマップ』

会期2021年1月20日(木)―4月10日(土)

日・祝休館 入場無料

11時~18時

会場・『PGI』東京都港区東麻布2―3―4 TKBビル3F

TEL 03―5114―7935

 

日比谷線・神谷町駅2番出口から徒歩10分

大江戸線・赤羽橋駅から徒歩5分

南北線・麻布十番駅からも可能。

 

 

 

 

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『展覧会日記』

先日、火災報知器の点検のためにアトリエ内で脚立に乗っていた業者が、頭上から私に問うてきた。「あのう、お客さんって、ご職業は・・・何ですか?」と。「職業・・・、まぁ自由業みたいなもんですよ」と私。業者は更に「いやぁ、自由業でもだいたいは何なのか、こういう仕事をしているとわかるもんですが、お客さんみたいな人は初めてですよ」と語った。確かに・・・そうかもしれない。山積みの本(美術・文学・雑学・・・)、ルドンゴヤベルメールデュシャン他の版画・・・、オブジェに使う奇妙な断片の数々・・・、頭部の欠けたマヌカン人形、カメラ、壁にはりつけた、まるで犯人のようにされた、詩人ランボーの大小の写真の数々(・・・これは現在制作中の作品の為に、脳を刺激するため)etc・・・。

 

自分の職業は、まぁ大きく分けると〈美術家〉が一番近いのだろうが、自分の作品を〈見る人の想像力を揺さぶる装置〉と考えている点で見ると、美術家からは少し逸脱している。時に写真、時に詩を、そして時には文筆もやる。そして時に、奇妙な事件が発生した時は、個展が間近でも、その犯人の動機に興味を持ってしまい、関連資料を集めることに熱中してしまう。ダ・ヴィンチも、自らを画家と定義せずに好奇のままに生涯を終えた。先達のごとく、自分も好奇のベクトルを追って、未完のままに終えようか。

 

昨日は、個展開催中の森岡書店の社主 – 森岡氏が用事のために留守となり、私は会場に一人で(留守番を兼ねて)いた。しかし、私の目は輝いていた。この場所を知った時点から、画廊空間よりも、自分が探偵事務所を開くならばこの場所!!と思っていた空間に一人でいられる事の幸福を味わっていたからである。今回の個展を見るために来られた方々との応対をしながら、時間帯によっては静寂に充ちた時となる、この何とも名状し難い魅力ある空間の中で、私は様々な作品の構想が湧いてくるのに驚いた。よほど空間と相性が良いのかもしれない。探偵映画などの撮影によく使われるのも当然で、限りなくミステリアスなのである。

 

 

リラダン研究家の早川教授をはじめ、自分の眼を確かに持った感性の豊かな方々が訪れて来られ反響も良く、エディションが遂に完売の作品も出た。寒い中を会場に来て頂き本当に感謝したい。しかし会場の中は実に温かい。個展も後半に入った。更に面白い出逢いが待っているであろう。

 

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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