勝海舟

『老婆に生々しさを覚えた夜』

……今から数年前の或る夜の事。私はアトリエの近くにある図書館で『豊田佐吉』の伝記本を読んでいた。20時を過ぎていたので人の姿もまばらであった。…………豊田佐吉の挫けない、豊田式木製人力織機開発へのめげない努力。この根性、私も学ばねば……と胸に誓ったその時、いつから私の背後の席にいたのか、まるでゴヤの黒い絵の『妄』のシリ―ズにでも出て来そうな3人の老婆達の会話が突然聞こえて来た。いずれもダミ声の、何かが喉の奧に詰まったような低い声である。「気候が年々おかしくなり、人間同士の関係も何だか殺伐だよ~」「昔が良かった、ホント昔が良かったよ!!」……と会話が続いたその後であった。「こうなったら、あれだね。いっそ早く逝った方が逃げ得かもよ~」と1人の老婆が喋ったのと同時に、別の2人の老婆が「確かにね~!」と強く賛同し、その直後に弾けたようなダミ声の高笑いとなり、それが図書館の床を伝い這って、私の足下から背中に廻り、一気に首筋に回って、ぞぞ~っとした生々しい寒気を覚えたのであった。私が驚いたのは、老婆というものに抱いていたイメ―ジが、その時に崩れたからであった。老いの為に、この世を視る眼ももっとぼんやりと霞んでおり、世時の事も何もかも関心が薄くなり、ひたすら昔の懐古の事にばかり行っているものと思っていたのが、さにあらず、当然と言えば当然なまでに、老婆達もまた「今」を生々しく直視していたのであった。「逃げ得かぁ、まぁ確かにそういう見方もあり得るな」。……その時から数年が更に経ち、老婆達が語っていた気象は更に狂いを呈し、もはや愛でる四季の風情も私達の前から消え去ってしまった。恐らく、その時の老婆達も、あれから願い通りに逝ってしまったかと思われる。……「逃げ得」、……私の頭の中にその言葉だけが今もしっかりと残っているのである。

 

 

 

 

……少し遅きに失した感があるが、最近、スマホの危険性が漸く指摘されるようになって来た。確かに、電車に乗るとほとんどの乗客が、まるで位牌を手に持つようにスマホに眼がくぎ付けである。そのスマホへの異常とも映る画一的な熱中の様は明らかに異常な姿であり、それは脳の病める依存症の不気味な映しであるが、次々に飛び込んでくる情報(その殆んどが実は全く知る価値の無い)に遅れまいと、若者達は総じて、自分に似た、ボンヤリとした幻想の友をそこに求めて、切実なまでに繋がっていたいのであろう。ONを押せば、便利で、すぐに現れる内実の虚しい幻を求めて。更にはゲ―ムに没頭し、肩や眉間を歪ませてカチカチと指先を突き刺すその様は明らかに歪んだ神経症のそれである。……しかし若者の世代はもはや処置無しであり、パチンコや喫煙の底無しの沼と同じく、また環境破壊による自然界の容赦なき猛威が呼び起こす終末感とリンクして、ますますパラレルに重症化していくのは必至であるが、問題は、情けなくも若者達と同じようにスマホに集中している、頭が白くなり加齢臭さえ漂っているオヤジ達である。その姿は情けなさの窮まりであるが、私はこのオヤジ達が繋がろうと必死に指を突っついている、その先が何であるのかを、……ふと想う。……若者達が追うのは、合わせ鏡の所詮は覇気なき自分のコピ―のような映しであるが、問題はオヤジ達の繋がろうとしている、その先である。彼等が繋がろうとしているその先は、……ひょっとして、………………あの世か!????

 

 

晩秋になると、薄墨色で刷られた「喪中につき……」の葉書が届くこの頃は、夕暮れに閉ざされた哀しみの季節である。今年もまた私の大切な友が逝き、肉親も逝った。しかし、彼の世とこの世は一本の地続きと考えている私は、住所録や携帯電話に在る、彼ら逝った人達の名前も電話番号も消さないでいる。ふと何かの間違いでかかって来るのではないか、或いは試しに電話をすると、何かの弾みで彼らと声が繋がるのではないか……そういう想いが私にはあるのである。……だからその内、私の携帯電話の記録は、生者の数を越えて、死者達の名前でいっぱいになるであろう。

 

 

死を目前に迎えた時、殆んどの人が恐怖や絶望感、或いは不条理感を覚えるのは致し方のない事かと思われる。そして死には、晩秋の風が落葉を吹き散らしていくような哀しみが付きまとう。……さて、では、死を目前に迎えて、そこに凛と飛び込んで哀しみの欠片もなく、堂々と逝った人物はいなかったかと、歴史の中に追ってみると何人かの名前が浮かんで来た。……その筆頭に先ず浮かんだのは、光秀の謀叛にあって本能寺で死んだ織田信長である。予期しなかった光秀の謀叛に遭い、天下統一を目前にしてさぞや無念……と想うのは凡人のひ弱な想像であり、この非凡にして、中世の扉を押し開いた稀人は、「是非も無し!!」の言葉を残して燃え盛る炎の中に鮮やかに消えた。この信長は、来世や輪廻など無く、生は一回限りであると断じ、無神論そのままに激烈に生きた男である。……そして今一人は、ご存じ大石内蔵助である。「あら楽(たのし)や/思いは果つる/身は捨つる/浮世の月に/かかる雲なし」……吉良の首を討って本懐を遂げ、真の目的である幕府に刃の切っ先を突き付けて判断の窮地に追い込んだ大石が詠んだ辞世の句は、後世への意地もあるかと思うが、その表に於いて実に清々しいものがある。……そして幕末から明治にかけて大業を果たした勝麟太郎。この鋭い慧眼の男が、死の床において語った人生最後の言葉をご存知であろうか?……驚くなかれ、「これで、おしまい!」がそれであり、最後まで人をくっていて面白い。勝は十代の若年時から向島の寺で禅の修行に入り、自分という存在に対する執着を脱け出し、来るべき死に対して超然とする腹が座っていた。……織田信長、大石内蔵助、そして勝麟太郎(海舟)。……この三人に共通するのは、自分が運命として与えられた、苛烈にして非凡な人生に於いて果たし得た達成感が、それであるかと思う。達成感、……人生の最期に於いて、その心境に入れる者はまさに稀人である。

 

 

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『龍馬が・・・いない』

坂本龍馬がブームであるが、実像はどうであったか。

それを知るには当時の関係者たちの日記などが最も具体的であろう。例えば三条実美の日記には「奇説家より、偉人なり」とあり、薩長連合成立直後に勝海舟が記した日記には、「聞く、薩と長の結びたるを」と記し、その仕掛人が龍馬であるらしいという風聞を伝え「それをやってのけられるのは、あの男しかいないであろう」と書いている。

又、アーネスト・サトウの日記には「鬼のような形相で私を睨みつけた・・・」とある。さらに睦奥宗光の評では「度量の大きさは西郷と並び、また西郷をすばしこく(頭の回転が早い)したような機敏さを持っていた」とある。

 

 

 

幕末の三傑は「木戸大久保西郷」となっているが、考えてみたところ、この説はおそらく伊藤博文あたりが、自分を高く見せる為に流布させたように思われる。幕末に少し興味がある人ならば、上記の三人には?をつけるであろう。正しく幕末の三傑を挙げろと聞かれれば、私は迷わず「坂本高杉西郷」の名を挙げる。この三人の存在こそ、回転の絶妙時に奇跡的に出現し,具体的な維新の核的エネルギーとなった。この三人の後に、大久保小松木戸岩倉中岡、等が続くと私は解釈している。思うに彼等は自分が歴史に果たすべき役割を知っていたようなところがある。革命の語源は易経の「天に従い、人に応ず」の志であるが、それにあるように、天命を知る詩人肌の、自らの生に執着しない人物こそ革命家と呼ばれるに相応しい。この後に政治家という存在が来るが、それはつまるところ事務処理家でしかない。

 

さて、つまらない話を書く。数ヶ月前、TVで「今一度日本を洗濯する」と熱く語り、白いワイシャツを干しまくって、龍馬ブームにあやかろうとした菅は、今や我が手から離れつつある権力の妄執と化している。その菅や、かつての父親の存在と金のみを背景として理念無き鳩山や、幹事長という実質黒幕職大好きの小沢・・・といった詭弁だけがその能力の連中を幕末に配せばどうなるか? 彼等に相応しい役は、まあ、せいぜい黒船の出現で慌てふためいた下田の海岸警備の幕府の小役人あたりが相応しいだろう。残念ながら、今の日本にはその程度の人間(人材ではなく)しかいないのが実情である。しかし,龍馬や高杉といった人物も考えてみれば、時代の外圧によって化けた事を思えば「危機の時代」が人を造るともいえるであろう。秀でた人材が全くいないという事は、世の現実として、世界が生ぬるい事の映しであるのかもしれない。まことに世の中とは、一勝一敗の原理である。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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