坂本龍馬

『日暮里に流れている不思議な時間…』

…今年は展覧会が5ヵ所で予定されている。…5月は金沢のアート幻羅(5月9日~6月2日)と千葉の山口画廊(5月22日~6月10日)での個展。金沢は初めてなので、私の今迄の全仕事総覧。千葉の山口画廊は全く新しい試みと挑戦による鉄の新作オブジェを中心とした展示。10月9日~14日は横浜の高島屋で、これは個展でなく、宮沢賢治の世界を主題としたグル-プ展。…10月2日~21日は日本橋高島屋ギャラリーXでの大きな個展。11月29日~12月14日は名古屋画廊で、ヴェネツィアを主題とした、俳人の馬場駿吉さんとの二人展である…。今はアトリエで制作の日々であるが、それでも忙中閑ありで、時間を見つけては度々の外出の日々であり、数多くの人と会っている。

 

…その中でも一番多くお会いしているのは、このブログでも度々登場して頂いている、真鍮細工などの超絶技巧の持ち主である富蔵さん(本名、田代冨夫さん)である。富蔵さんは、パリで昔建っていて今は無い建物とその一郭をアジェの古写真を元に精密に真鍮で再現し、その時に流れていた時間や気配までもそこに立ち上げるという、不思議なオブジェを最近は集中的に作っていて、作品のファンが多い。…富蔵さんとは初めてお会いした時から波長が合い、前世からのお付き合いが現世でもなお続いているような、懐かしの人である。昨年からは特に制作の具体的な話から、文芸の話、幼年時代の記憶までも含めて幅広い内容でお会いする事があり、私には気分転換と充電を兼ねた密にして大切な時間がそこに流れているのである。…待ち合わせ場所は決まって日暮里の御殿坂の上、谷中墓地の前にある老舗の蕎麦屋『川むら』であり、その前にあるカフェでさまざまな事を語り合っているのである。

 

3月のある日、その日も富蔵さんとの約束の日で、私は日暮里駅を降りて、御殿坂を上がっていったが、未だ約束の時間には早すぎたので、坂の途中にある古刹・本行寺の境内に入った。…この寺は江戸時代からの風光明媚な寺として知られ、小林一茶種田山頭火も俳句を詠んでいる。また寺の奥には徳川幕府きっての切れ者、永井尚志の墓があるので、それを見に行った。…坂本龍馬が暗殺の危機にあり、周りから土佐藩邸に入るように勧められた時に、龍馬が「自分は永井と会津に面会して、命の保障をされているんだ」と言った、その永井である。結局、龍馬は中岡慎太郎と共に見廻り組によって斬殺されてしまったのは周知の通り。……ちなみに文豪の永井荷風三島由紀夫の先祖である。

 

…墓参して引き返す時に、面白い光景が目に入った。…寺の塀に沿って夥しい数の卒塔婆がズラリと立ち並んでいるのである。その向かい側にはすぐに家々が建っていて、明らかに、その部屋から見える朝からの光景は、障子や窓越しに並んで立っている、卒塔婆、卒塔婆…のシルエットなのである。私はそれを見て思った。「…こういう眺めが平気で住んでいる人というのは、一体どういう人たちなのだろうか?」と。映画『眺めのいい部屋』の裏ヴァ-ジョンである。

 

 

…私は卒塔婆の傍に立って、様々な人物像や、その生活の様を、オムニバスの短編小説を書くようにして想像(妄想)した。…すると、何よりも好奇を好む私のセンサ-が強く反応して「いや、きっと面白い人物が住んでいるに違いない」、そう思い、私は待ち合わせ場所の『川むら』の横にある露地へと入っていった。

 

…昭和然とした家々がひっそりと建っている、その先に、はたして一軒の家が目に入った。

 

 

『湿板冩眞館』と書かれた白い看板。そして見ると、この家を訪れて撮影したとおぼしき、女優の杏さんや北野武、草彅剛の写真がその下にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…そして、坂本龍馬を撮影した幕末期の写真機を使って、現在も活動中である由が書かれた看板も目に入った。…入ってみたい衝動に駈られたが富蔵さんとの約束の時間である。いったん戻り、再び私達はその家の前に立って、呼び鈴を押した。

 

 

 

中から出て来られたのは、写真家(写真術師の方が相応しい)の和田高広さん。…玄関壁には今まで撮影された人達の硝子湿板写真(その誰もが現代と昔日のあわいの不思議な時間の中で生きているようだ)。

そして、和田さんに案内されてスタジオの中に入るや、そこは、現代の喧騒とは無縁の、まるで時間を自在に操る光の錬金術師の秘密の部屋に入ったような感慨を覚えた。

 

 

…それから、和田さん、富蔵さん、そして私の、表現創造の世界に人生の生き甲斐を見いだしてしまった、云わば尽きない物狂いに突き動かされている私達三人の熱い話が、堰を切ったように、およそ二時間始まった。…話を伺うほど、和田さんが独学で究めてきた、写真術が未だ魔法の領域に属していた頃の世界に私達は引き込まれていった。

 

 

…私は以前のブログで書いた或る疑問を和田さんに問うてみた。…幕末の頃は写真機の前でポ-ズする時間がおよそ30分位は必要と言われているが、私には1つの疑問がある、それは龍馬と一緒に暗殺された中岡慎太郎が笑って写っている写真があるが、…30分くらい、人は可笑しくもないのに笑っていられるのか?…という疑問であった。…長年懐いていたこの疑問を和田さんは一言で解決してくれた。…(30分くらい必要というのは間違いで、実際は20秒あれば写ります!と。

 

 

…また樋口一葉が手を袖の中に入れて写っているが、その訳は何故か?…その答えは樋口一葉研究者達を一蹴するような、古写真撮影の現場を実際に知っている人にしかわからない話で、私は長年の疑問の幾つかが、忽ち氷解して勉強になったのであった。

 

…富蔵さんの話も面白かった。話が進んでいくと、富蔵さんと和田さんに共通の知人がいる事がわかってくる。私達はアンテナが何処かで間違いなくつながっている、そう思った。…二時間ばかりがすぎて私たちは写真館を出てカフェに行き、余韻の中で更なる会話がなおも続いたのであった。

 

 

2日後の22日に、東京国立近代美術館で4月7日まで開催中の写真展-『中平卓馬 火/氾濫』展を観る前に、私は今少し和田さんにお訊きしたい事があったので、事前に連絡を入れて、再び日暮里の写真館を訪れた。…すると嬉しい事が待っていた。午後から写真を撮られに来る人がいるので、その撮影の為に感光液を新たに作ったので、(その液の試験に)と、私を撮影する準備が出来ていたのであった。いつか私も生きた証しとなるような記念写真を和田さんに撮影してもらいたいと考えていたのであるが、まさか今日!とは嬉しい限りである。…しかも坂本龍馬を撮したのと同じ写真機で。

 

 

 

……思えばつい先日、本行寺に寄って龍馬と関わりがあった永井尚志の墓を見た帰りに、ふと見た卒塔婆に導かれて、細い露地へと入っていったその先に、このような出会いが待っていようとは、だから人生は面白い。…和田さんの二階から見えた本行寺の墓地は実に明るい眺めで、彼岸の陽射しを浴びて墓参に来られた人達もまた穏やかな会話を交わしている。…最初に予想していた逆で、この部屋こそ正に『眺めのいい部屋』なのであった。…ちなみに、私が撮ってもらった写真の仕上がりは、龍馬というよりは、高杉晋作、或いは石川啄木の姿に近いものであった。

 

 

 

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にっぽんが揺れている

……最近、かなり大きな地震が日本列島の各地で不気味に発生している。輪島にいる友人のHY君にお見舞いと、くれぐれも注意されたしの電話をしようと思っていたら、こっち(関東)も揺れた。先日の地震で横浜に住む知人は、揺れた瞬間「今日が自分の死ぬ日なのか!」と真っ青なまま大急ぎで覚悟を決めたという。

 

 

……その話を聞いた時に、20世紀美術の後半に「観念の美」を提唱したマルセル・デュシャンの墓碑銘に刻まれた言葉を思い出した。デュシャンいわく「さりながら死ぬのはいつも他人なり」と。

……誠にそうである。たとえどんな断末魔の状況が眼前に迫っても他人は死ぬが、自分だけは何とか生きているだろう。
……日々根拠が無いままにそう誰しもが思っている、この思いは何処から来るのであろうか
……とまれ、この不穏な揺れは今までと違う感じがしてならない。


先日のゼレンスキ―氏電撃来日の報を聞いた時に、その政治戦略方法の巧みさから、坂本龍馬の事が浮かんだ。……薩長連合が締結された夜、寺田屋に戻った龍馬は、龍馬の護衛をしていた長府藩士の槍の名手・三吉慎藏と祝盃をあげていた。そこに幕府・伏見奉行の捕り方約100名に襲撃された。その脱出の際に龍馬は極秘書類である薩長締結の密約書を、懐に仕舞うのでなく、あえて寺田屋の室内に残して脱出したのであった。当然、密約書は捕り方が没収し、その密約は天下公然なものとなり、幕府側は青ざめた。秘密裡に作成された最重要な密書をあえて何故、敵方の手に!?……と考えるのが普通であるが、龍馬の素早い脳の回転は、この突然の難事を最大の政治的好機と捉え、書類を残して脱出した。……結果どうなったか?……薩摩はそれまで対長州の立場であったのが、これで倒幕側に完全にまわってしまった事を知り、薩摩を以後は敵と見なすように方針が定まった。つまり薩摩の変心の可能性とその退路を絶ったのである。……また薩摩の保守層もこれによって封じられ、西郷達の倒幕路線も腹が座り方向が定まったのである。……この機知が成功した事を、後に船上で龍馬と西郷が笑いあった事はよく知られた話である。

 

 

G7会場に招待出席していたインド(ロシア、中国に対してもバランス外交を計り、玉虫色の曖昧な立ち位置にいる)のモディ首相の心中は、この電撃来日の報を知って何を思ったであろうか。……到着早々、ゼレンスキ―氏が先ず対談を行った相手がこのインドの首相である事からその戦略意図が見えて来る。また被爆地広島での開催というイメ―ジの利を活かして、F-16戦闘機他、反転攻勢に向けての武器の交渉も各国の首脳と交渉して畳み込むように成功した。そのゼレンスキ―氏の機を見るに敏の政治センスの冴えと速度の見事さを、私はかつての龍馬に重ね見たのであった。

 

……さて、5月24日(水)から6月12日(月)まで、西千葉にある山口画廊で個展『Genovaに直線が引かれる前に』が開催される。昨年に続き2回目である。今回の個展では新しい挑戦として鉄のオブジェが加わっている。……鉄という硬質な素材の中に孕まれた時間の織りが静かに語りだす物語を、その硬い皮膚の表に開示する試み、その初めての展示なのである。画廊主の山口雄一郎さんの感性は素晴らしく、今回の個展で、昨年に続き極めてハイセンスな案内状を作られたので、それを掲載しよう。また、画廊通信として刊行している冊子に『秘められた系譜』と題して長文の北川健次解読の論考も執筆されている。圧巻の労作である。かなりの長文であるが、ご興味のある方のために一挙掲載しておこう。

 

 

画廊通信 Vol.242 『秘められた系譜』を読む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『桜が咲いたその夜に、橘夫人が……』

……作品の制作中はアトリエの中は全くの無音であるが、寛いでいる時はレコ―ドを聴く事が多い。脳のリセットに丁度良い。……最近は専らジュリエット・グレコを聴いている。曲で特に気に入っているのは『あとには何もない』という曲。低音の艶を帯びたグレコが歌い紡ぐ、過ぎ去りしサンジェルマン・デ・プレのノスタルジックな情景は、留学時にそこに住んでいた時を彷彿とさせ、風景や街の匂いまでがありありと浮かんで来て懐かしい。

 

聴きながらアトリエの外の桜の樹に目をやると、満開を過ぎて散りゆく桜花が美しい。…時おり、通行人がそれを撮影しているのが目に映る。

 

 

 

……桜と言えば、幕末に坂本龍馬が好んで唄った都々逸に「咲いた桜になぜ駒つなぐ/駒が勇めば花が散る」というのがある。元々は伊勢の民謡で男女の事を謳った卑俗な唄らしいが、龍馬は薩摩の島津久光の命令で起きてしまった「寺田屋事件」の悲惨な同士討ちへの憤りを嘆いて度々三味線を弾きながら唄ったという。…曲本来の意味を変える、引用と見立てのセンスが龍馬は抜群である。……龍馬自作の都々逸は「何をくよくよ川端柳/川の流れを見て暮らす」というのがある。実に粋であるが、粋と云えば、長州の暴れ馬、高杉晋作の作った都々逸「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」もなかなか秀逸である。

 

幕末の変革を起爆的かつ実質的に変えたのは、西郷隆盛、坂本龍馬、高杉晋作の三人の行動力であるが、その中の二人が共に風狂な諧謔精神を多分に持っていた事は興味深い。この二人に共通していたのは即興の力であり、機敏―即ち、機を視るに敏の能力が、長州の藩論を一気に倒幕へと動かした巧山寺挙兵の高杉晋作のク―デタ―、また坂本龍馬の薩長連合や大政奉還の仕掛けへと繋がっていった事は周知の通り。……桜について色っぽく書こうと思っていたら、また熱くなってしまったので、ここで少しく話題を変えよう。

 

 

先日、京都の観光名物の一つ、亀岡から嵐山へと流れる保津川を舟で行く「保津川下り」で船頭の棹(さお)の操作ミスにより舟が岩に激突し座礁して転覆、四人乗っていた船頭の内の一人が死亡、もう一人の船頭が今も行方不明という事故が起きた。乗客25名はライフジャケットを着けていたので無事であったという。

 

……私はこの事故の詳細を知ってゾッとした。今から30年前の春、桜の花見時に京都にいて、この保津川下りを体験していたからである。ゾッとしたのは他でもない。私が乗った時はライフジャケットなど無く、もしその時に転覆事故が起きていたら果たして……と思ったからである。

 

亀岡を出発して終点の嵐山・渡月橋まで舟で行く距離は16Km、およそ二時間の舟旅である。……私は数名の知人と一緒に乗っていた。桜が満開の時で風景が華やいでおり、乗客はみな浮かれ気分であった。……江戸時代から、嵐山遊山の名物の一つであった、この保津川下り。船頭の巧みな技で、川の巨大な岩々に棹を当てて漕いで行くのであるが、その棹を岩に当てるポイントが決まっている為に、長年の時を経て、その岩に棹の当たる所に穴が出来ている。それ程に永い歴史をこの観光名所は持っているのである。

 

…………最初は流れが緩やかなので、船頭が客に「誰か棹を操ってみませんか?」と楽しそうに言う。すると、私が乗っていた時は中年の主婦らしき人が勇んで手を挙げ「私、やります!」と言って立ち上がり、棹を操ってみせた。なかなか上手い。……すると船頭が「さすがお客さん、人妻だけに棹(竿)の扱いが実に上手い!」と下ネタのジョ―クを言って笑わせた。……鴨にされたその主婦はふくれるが回りは爆笑。おばさん達も笑っている。ある意味それも恐いが……。思うにこの船頭、毎日飽きもせず、このネタで楽しんでいるのだろうな、と思ってみたりもする。

 

……さらに舟が行く。……私は舟に乗りながら、昭和25年7月3日に、この保津川に、乗っていた山陰本線の列車から真っ逆さまに飛び降りて死んだ一人の女性・林志満子の事を想っていた。〈昭和25年〉、〈林〉……この2つの言葉でピンと来たら、その人の連想力は刑事級であるかと思う。……先を急ごう。……林志満子、……昭和25年の7月2日の深夜に金閣寺を焼いた林養賢の母親の名前である。……事件翌朝、舞鶴から駆けつけ、牢獄にいる息子に面会を求めたが息子に拒絶され、その帰途に母は列車から、……私達がいるこの保津川に投身して果てたのである。……『金閣寺』を刊行した直後に対談した三島由紀夫小林秀雄との会話の中で、この保津川の寂しい景色の事を(静まり返った不思議な所)と二人が共に語った箇所を読んでいて、いつかその場所に行ってみたいと思っていたのである。

 

……………………「さぁ、これからがスリル満点の荒々しい場所に入りますからね。皆さん覚悟はいいですかぁ!」と船頭が大声で言って、最大の難所―大高瀬という流れの激しい場所に舟が入って行く。……この度の転覆死亡事故はそこで起きたのであった。「事故はやはりあすこで起きたのか!」……当然だなと思う程に今もありありとその時の光景が浮かんで来る、そこは激しい急流なのである。だから、その難所を経て流れは次第に穏やかになり、終点の嵐山の渡月橋が正に大観の「生々流転」の縮図、劇のカタルシスのように効果的に見えて来るのである。……

 

 

 

今回のブログは、タイトルにあるように橘夫人が登場する予定であったが、桜にまつわるエトセトラにくわれてしまい、どうやら出番を見失って、小栗虫太郎の小説の行間の中に入っていってしまったようである。橘夫人には、またいつか登場して頂く事にしよう。

 

 

 

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『怪異談二話 京都・Venezia』

……制作が終わり、眠る前には本を読む習慣であるが、最近は座談集を読むことが多い。なんとも深い眠りに入っていけるのである。……先日読んで面白かったのは、哲学者の『和辻哲郎座談』(中公文庫)。役者が揃っていて実に内容が濃い。座談相手は谷崎潤一郎志賀直哉斎藤茂吉寺田寅彦幸田露伴柳田國男……他。

 

また江戸川乱歩の『乱歩怪異小品集』に所収されている座談「狐狗狸の夕べ」も面白かった。乱歩の相手は三島由紀夫芥川比呂志杉村春子……他。ちなみに三島由紀夫は狐狗狸やUFOの存在を信じており、自宅屋上にUFO観察の為の天体望遠鏡まで設置し、小説『美しい星』ではそれを主題に異色作も書いている。もっとも私ども表現に関わる者は、不可思議、視えない「気」との対話、此処ではない何処か彼方への希求、理屈や常識では捕らえられない物との交感をもって、表現、更には美が成り立っていくのであるから、この好奇心は表現者たるものの前提に在るべき資質ではあろう。

 

……また泉鏡花の『鏡花百物語集』中の座談「怪談会」は、相手が芥川龍之介菊池寛久保田万太郎……他。「幽霊と怪談の座談会」では鏡花と柳田國男、小村雪岱……達と、向島百花園や吉原の茶屋で、柳橋、赤坂、芳町の芸者や帝劇の女優、そして名だたる作家達を集めて徹夜での納涼怪談話が頻繁に行われた、その記録である。……昨今の虚しい程に明るい、無機質で不毛な時代と違い、闇が闇として豊かな気配を発していた時代の、何とも不気味で、しかし郷愁さえそそられる話が満載で、しつこいオミクロンの話など屁のように小さく思われて来て、メンタルに実に良い。…………さてこのように書いてくると、昔、私にもあった不思議な話が幾つか甦って来たので、今回のブログは少しそれを書いてみようと思う。

 

 

 

 

……昔、哲学者の梅原猛や先代の三代目市川猿之助などが贔屓にしていた京都・祇園で名花と謳われていた芸妓がいた。私は妙なご縁があって、その方の白川河畔のご自宅で深夜まで話し込んでいた事があった。祇園……と云っても残念ながら粋で艶めいた話ではない。私達が熱心に話していたのは「怪談話」なのである。祇園一力や甲部歌舞練場の秘話、四条南座の廻り舞台裏に現れる怨霊と化した歌舞伎役者の話、耳塚、一条戻橋……の話などなど。昔から京都の暗い夜に現れる百鬼夜行の尽きない話。……そして彼女が自分の体験として語ったのが次の話。

 

 

…………彼女がまだ舞妓の頃であったと記憶する。お座敷を終えて置屋に帰り、階段をとんとん……とんと上がって部屋に入ったその瞬間、「お疲れさんどしたなぁ」というくぐもった老婆の低い声がした。「姐さん、おおきにどす」……いつもの調子で返事を返したが、その瞬間ぞぞっとするものが背筋を走った。……その老婆は置屋で長年、身の回りの世話をする仕事をしていたが、半年前に体調を崩し、故郷の小浜に帰っていた筈で、その部屋は他に誰もいないのである。最初は習慣から聴こえた唯の空耳かと思ったが、見回した部屋が無人である事にあらためて気づいた瞬間、少し開いていた目の前の窓の向こうの暗闇で、何かが、ザザァ―とずり堕ちていく冷たい気配がしたという。……そして数分して階下の電話が鳴った。下りて受話器を取ると、はたして聴こえて来たのは、小浜からかかって来たその老婆の息子の聲であった。「…先ほど母が亡くなりました。今まで長い間、本当にお世話になりました。ずっと床についていましたが、母は………」と話す言葉が、ずいぶん遠くからひんやりと小さく聴こえたという。

 

 

 

 

 

 

…………坂本龍馬も京都・河原町の近江屋で斬殺された正にその直後、長州にいた妻のお龍、そして越前藩の三岡八郎(後の由利公正)の遠く離れた二人の前に、お龍の場合は血まみれになった龍馬が血刀を下げてうっすらと立ち、三岡の場合は足羽川という川の橋を渡っている途中で突然の物凄い突風が吹き荒れ、三岡の懐に入れてあった、5日前に京都に戻る際に、渡された龍馬の写真が一瞬で何処かに消え、直後に何事も無かったかのように突風が消えた……というのは、史実に遺っているあまりにも有名な話である。……自分がいなければ勝ち気なお龍は生きていくのが難しい。また、維新後の政府には金が全く無いが、それを作れる才は三岡八郎にしか無い。……愛する女性と、新政府樹立後の屋台骨である経済の舵取り。……この場合は同時に2ヶ所に現れた何とも忙しい話であるが、一番気になっている所に霊魂が翔ぶ、これ等はその実例である。……これに似た体験談は私にもあるが、それはまたいつか語ろうと思う。

 

 

…………さてここに至ってふと気がついた。今回のブログを一生懸命に書いた為に、前々回と同じくまたしても紙面が尽きてしまったのである。なので、タイトルにも書いたVeneziaに今も実在するダリオ館(館の主人が次々に自殺するので有名な館)の詳しい話は、残念ながら次回になってしまった。(伏してお詫びいたします。) ……次回は一転して、コロナ収束後に貴方にも体験ツア―が可能な怪奇譚の話を冒頭から書きます。……乞うご期待。

 

 

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『龍馬が・・・いない』

坂本龍馬がブームであるが、実像はどうであったか。

それを知るには当時の関係者たちの日記などが最も具体的であろう。例えば三条実美の日記には「奇説家より、偉人なり」とあり、薩長連合成立直後に勝海舟が記した日記には、「聞く、薩と長の結びたるを」と記し、その仕掛人が龍馬であるらしいという風聞を伝え「それをやってのけられるのは、あの男しかいないであろう」と書いている。

又、アーネスト・サトウの日記には「鬼のような形相で私を睨みつけた・・・」とある。さらに睦奥宗光の評では「度量の大きさは西郷と並び、また西郷をすばしこく(頭の回転が早い)したような機敏さを持っていた」とある。

 

 

 

幕末の三傑は「木戸大久保西郷」となっているが、考えてみたところ、この説はおそらく伊藤博文あたりが、自分を高く見せる為に流布させたように思われる。幕末に少し興味がある人ならば、上記の三人には?をつけるであろう。正しく幕末の三傑を挙げろと聞かれれば、私は迷わず「坂本高杉西郷」の名を挙げる。この三人の存在こそ、回転の絶妙時に奇跡的に出現し,具体的な維新の核的エネルギーとなった。この三人の後に、大久保小松木戸岩倉中岡、等が続くと私は解釈している。思うに彼等は自分が歴史に果たすべき役割を知っていたようなところがある。革命の語源は易経の「天に従い、人に応ず」の志であるが、それにあるように、天命を知る詩人肌の、自らの生に執着しない人物こそ革命家と呼ばれるに相応しい。この後に政治家という存在が来るが、それはつまるところ事務処理家でしかない。

 

さて、つまらない話を書く。数ヶ月前、TVで「今一度日本を洗濯する」と熱く語り、白いワイシャツを干しまくって、龍馬ブームにあやかろうとした菅は、今や我が手から離れつつある権力の妄執と化している。その菅や、かつての父親の存在と金のみを背景として理念無き鳩山や、幹事長という実質黒幕職大好きの小沢・・・といった詭弁だけがその能力の連中を幕末に配せばどうなるか? 彼等に相応しい役は、まあ、せいぜい黒船の出現で慌てふためいた下田の海岸警備の幕府の小役人あたりが相応しいだろう。残念ながら、今の日本にはその程度の人間(人材ではなく)しかいないのが実情である。しかし,龍馬や高杉といった人物も考えてみれば、時代の外圧によって化けた事を思えば「危機の時代」が人を造るともいえるであろう。秀でた人材が全くいないという事は、世の現実として、世界が生ぬるい事の映しであるのかもしれない。まことに世の中とは、一勝一敗の原理である。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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