浜口陽三

『晩秋はF・カフカの季節』

①…個展が終わって数日が経ったある日、私は銀座で友人と会う約束があり、日比谷線の銀座駅を降りて、銀座三越から松屋方面へと続く長い地下鉄の通路を歩いていた。…すると通路の壁面に1点が2メ-トル近くある巨大なポスタ-が10点近く並んで掲示してあるのが目に入って来た。かなり気合の入った宣伝だな、…そう思った。…見るとポスタ-には、銀座松屋で開催中の美術展のイベントらしく、『GINZA ART FESTA』(10/30-11/04)と書いてあり、その巨大なポスタ-1点づつに、藤田嗣治ビュフェアンディ・ウォ-ホル浜口陽三…等の作品が印刷されて人目を引いている。

 

 

…なかなかポスタ-のセンスがいいな!と思いながら行くと、突然……!⁉と思う物に出会ってしまった。…何と、そのポスタ-の1つに私の銅版画『F・カフカ高等学校初学年時代』が大きく印刷されて掲示してあったのである。…全く予期せぬ所で自分の過去の作品と突然出会うというのは不思議な感覚であるが、この作品を作ったのは1985年頃なので、(あぁ、自分を離れて作品がもはや一人立ちして歩いているなぁ…)とも思ったのであった。…ポスタ-の顔ぶれを見ると、なかなかこの展覧会は面白そうだなと思ったが、しかし友人と会う約束の時間が迫っていたので、私は観ないで通り過ぎていった。

 

 

…その夜にアトリエに帰って来たら、1通の封書が届いていた。…差出人を見ると、旧知の画商の時津さんからであった。…何だろうと開けて見ると、昼に見た松屋の美術展の図録とお手紙が入っていた。…付箋が貼ってある頁を開くと、私の銅版画『F・カフカ高等学校初学年時代』が、左にジョルジュ・ルオ-、右に藤田嗣治と並んで載っていて、その価格がルオ-と同じく660.000円となっていたのには驚いた。この作品は版画なので、限定部数が50部あり、既に完売となり絶版になって久しい。ちなみにこの作品を愛蔵されている人には、慧眼で知られるドイツ文学者の種村季弘さんや、カフカの翻訳でも知られる文芸評論家の池内紀さんなどもおられる。私の作品が緩やかに評価額が上がって来ている事は知っていたが、現在は、この作品がその中でも最も高いかと思われる。…価格で云えば、銅版画の詩人と評されている駒井哲郎さんの『小さな幻影』にそれは近いか。…確か最初の発表価格は15万円くらいであったと記憶する。

 

 

 

 

 

 

…作品は時間の篩(ふるい)にかけられ、淘汰され、約35年あたりを経過すると後の時代に残っていく作品と消えていく作品に二分されていく。歴史が証しているそれは作者も同じ事で、もはや手が届かない「淘汰」というものの恐ろしさであり、面白さでもあろう。………その図録に偶然とはいえ、ルオ-と私の版画が並んでいるのを見て、ある感慨が立ち上がって来た。…20才を過ぎた頃の未だ学生時に駒井哲郎さんの世田谷のご自宅で話をしていると、駒井さんが(北川君は、銅版画の原版がもし見れるとしたら誰の原版が見たいですか?)と問われた事があった。…私はすかさず(ルオ-の原版が見たいです!)と即答した。すると駒井さんはニヤリと笑って(僕もルオ-ですね!)と答えたのであった。

 

 

レンブラントでもピカソでもなく、マチエ-ルの凄みという視点で云えば、絶対にルオ-なのである。……ルオ-の銅版画に於けるマチエ-ルへのこだわりと執念の凄みはつとに有名で、その原版の重厚なインクの厚みを産み出す仕掛けは、実は版画を志向する者にとっての謎と言えよう。(契約画商のヴォラ-ルがルオ-の版画の原版を封印して誰もそれを見た者がいないのである。)……また私のカフカの版画も、マチエ-ルへのこだわりは強いものがあり、この版画一点が完成するのに実に一年以上を要したのであった。この作品の主題は、少年のカフカを介在とした、時間という層の厚い重なりなのである。……それら二点が奇しくも並んでいる事に、何か面白い縁のようなものを覚えたのであった。

 

 

図録を見ると、この展覧会は幾つかの画商が自分が所有している油彩画や版画を持ち寄って開催したようで、出品数は200点以上あったようである。…そして私の作品や、ルオ-、藤田嗣治、浜口陽三等の版画は時津さんが出品した旨が同封してあった手紙からわかった。…時津さんは画商の中でも最も経験と知識が深く、また昨今流行りの軽薄な美術作品の傾向と、その作家達への批判精神も高く、私が最も評価し、その眼識に信頼を置いている、思えば40年近くお付き合いをしている旧知の人である。…私のアトリエに掛かっているデイヴィッド・ホックニ-の銅版画も、時津さんからの提案で、私の版画との交換トレ-ドで入手したもので、今や私のコレクションの中でも、ルドン、レンブラント、ジャコメッティ…と並んで、いつもアトリエに掛かって私を鼓舞してくれているのである。

 

 

……さて、次回のブログは一転して、先日、(その奥暗い薮に入ったら二度と出てくることが出来ない)という不気味な言い伝えで知られる千葉に現存する魔所、〈八幡の藪知らず〉の現場に行って来た話。……そして、川端康成の名作『雪国』に知られざる論争があるという事などを、健筆を振るってちかじか書く予定。…重ねて乞うご期待である。

 

 

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『まるで・・・ミステリーの現場』

 

東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで6月10日まで開催中の、『レオナルド・ダ・ヴィンチ – 美の理想』展を見に行った。目玉作品は日本初公開の《ほつれ髪の女》である。会場に入ると、先ずデューラーの木版画による「レオナルド・アカデミア」の幾何学紋章があり、私をふるわせた。デューラーはイタリア訪問でミケランジェロラファエロには会った事を記しているが、ダ・ヴィンチの名前だけは全く記していない。しかし日記の中で「私はイタリアに行き、遠近法を巧みに操って描く人に会いに行くのだ」と記している。この文は(自然・人工)の二つの遠近法を駆使出来た唯一の人物ダ・ヴィンチを指す。そしてデューラーの素描帖には、ダ・ヴィンチに直接会わなければ出来ない素描の写しが存在する。しかし、デューラーは意図的にそれを伏せている。何故か・・・!? 高階秀爾氏は、二人は会っていないとし、坂崎乙郎氏は間違いなく二人は密かに会っていたと推理している。私は坂崎氏と同じ考えである。

 

会場には《レダと白鳥》の写しや、《岩窟の聖母》、そしてダ・ヴィンチの《衣紋の素描》など数多くの作品が展示されているが、やはり圧巻は《ほつれ髪の女》である。霊妙深遠、まさに円熟期の至高点と云えよう。これは私見であるが、この作品は《モナ・リザ》を描いた次にダ・ヴィンチが着手した作品であると推察している。この作品は《レダと白鳥》の下絵である。《レダと白鳥》のオリジナル作品は行方不明であるが、弟子が描いたコピーの写し(本展に展示)が存在する。そこから推察するに、その表現世界は、官能を越えて妖しいまでに淫蕩的であり、ダ・ヴィンチの精神の暗部を映していて興味が尽きない。会場内には想像以上に貴重な作品が多く展示されており、美術史を越えて人類史上最大の謎めいた人物といえるダ・ヴィンチの創造の舞台裏に踏み入った感興があり、まるで上質なミステリーの現場として私には映った。会場出口のショップでは、拙著『絵画の迷宮』も多くのレオナルド本に混じって平積みで販売されている。係の方から拙著が好評で売れ行きがかなり良く、追加の注文をしているという話を伺った。作者としては嬉しい話である。

 

・・・会場を出て、一階のカフェに行く。待ち合わせをしていた毎日新聞学芸部のK氏と会う。この展覧会は毎日新聞社も主催に関わっていて、K氏は私の話を聞いて、それを新聞に掲載するのである。これは連載のため、何人かが登場する企画との由。私はK氏に一時間ばかり感想を話した。私の思いつくままの意見をK氏が素早く速記していく。そのK氏の指先を見ていて、・・・ふと、私の中で、今まで誰も気付いていない、故に誰も書いていない、ダ・ヴィンチの最後のパトロンであったフランソワ一世、そして彼が仕掛けて誕生した〈フォンテーヌブロー派〉という、短期で消えた危うい表現世界について、たちまち幾つかの推論と仮説が立ち上がってくるのであった。これは今考えている書き下ろしの本の最終章に使える。その為には、フランソワ一世という人物の仮面を剥ぐために、彼についての文献を漁る必要があるであろう。ダ・ヴィンチとフランソワ一世。その結び付きには、今一つの知られざる面があったに相違ない。ともあれ、本展はダ・ヴィンチの内面が透かし見える、ミステリアスな展覧会である。未だ御覧になっておられない方にはぜひお勧めしたい内容である。

 

 

追記:

6月2日(土)まで東京都中央区・八重洲にあるSHINOBAZU  GALLERYて『モノクロームの夢〜駒井哲郎を中心に』展を開催中。作家は駒井哲郎池田満寿夫加納光於・北川健次・浜口陽三ヴォルス他。黒の版画に拘った作家たちのなかなか見られない珍しい作品を数多く展示。又、東京・恵比寿にあるLIBRAIRIE6(シス書店)は、《動物》を主題にした不思議な切り口の展覧会を開催中。野中ユリ・合田佐和子他。私の作品は、《ヘレネの馬》の頭部彫像をミクストメディアで表現した作品が展示されています。詳しくは各ギャラリーのサイトを御覧ください。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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