西郷隆盛

『実は、…私はよく知らないんですと、その男は言った!』

先日、知り合いの女性から(横浜の催場で、函館から来た画商という人が閉店セ-ルで3日間だけ西洋版画を商っていて、レンブラントの風景版画が45万円で売っているので、その版画を買おうかと思っているのですが、すみませんが、もし出来たら見に行ってもらえますか?催日は明後日迄です…)という連絡が入った。…打てば響くを信条としている私は、興味もあって直ぐ見に行った。…催場で一目見て思った。「こりゃあいけない、贋作だ!」と。…一見、誰もが知るレンブラントである。インクも強弱があるし、古色も帯びている。…しかし間違いなく贋作である、そう確信して見ていると、店の中から紳士然とした風格のある男が微笑を浮かべながら近づいて来て、こう言った。(このレンブラント、なかなかの掘り出し物だと思いますよ、如何ですか?)と。

 

…私は男に問うてみた。…(版画の左下にエディション(限定)番号48/100と書いてありますが、これは誰が書いたのですか?)と訊くと、男は平然と(レンブラントの当時の画商です)と答え、意味不明なまばたきを2回した。(……その時の心理を映すこの男の癖なのか?)………確かに画商の始まりはレンブラントが亡くなった頃のオランダを祖とする17世紀後半からであるが、しかし私はこう言った。(あれですよね。このエディションという制度は、確かピカソの画商だったヴォラ-ルあたりが始めた制度で、間違いなく20世紀初頭が始まりですよね)と。…一瞬、男の目が泳いだ。私は続けて(昔、オランダのレンブラントの家を美術館にした所で、本物の版画から撮影してカ-ボンティッシュというドイツの写真製版技法で完全に再現した版画を、確か1枚5000円くらいで売店で売っていて、私も数点買って持っていますよ!)と言うと、男は静かに(……実は私は、よく知らないんですよ)と言って、静かに店の奥へと消えていった。

 

………版画に古い年月を感じさせる古色であるが、以前に澁澤龍彦のエッセイを読んでいて感心した事があった。…それは浮世絵の贋作に古色をつけるテクニックであるが、何と、昔の汲み取り式トイレ、通称「ぼっとんトイレ」の真上の天井に吊るしておくと、自然な古色を次第に帯びてくるのだという。…しかも、年中湿気の多い北陸地方(おぉ私の故郷!)が、実にリアルな古色を出してくるのだという。…ここまで追究して贋作を作っている連中は、ある意味たいしたものだと、思ってしまう。

 

昔、ロンドンに住んでいた時に、テムズ川に架かるタワ-ブリッジ傍で朝早くから開催している骨董市(通称、泥棒市)に出掛けた事があった。…そして朝未だ来の薄暗い中で、手紙の束と一緒に在ったレンブラントの風景を画いた銅版画を4000円で入手した事があった。店主はレンブラントの事など知らないらしく(兄さん、これ昔のペン画だよ!)と言う。…後でサザビ-ズの知人に無料で鑑定してもらったら、初刷りの掘り出し物であり、今もアトリエの中に大切に仕舞ってある。

 

…日本の骨董市も玉石混交の現場である。…以前に三島由紀夫の直筆原稿という触れ込みで店頭にそれが堂々と出してあった。一目見て三島のあの流麗な筆致から遠い贋作であるが、先のレンブラントの時と同じくリアルさを出す為に、この時は編集者が書き直しで入れた朱の文字が何ヵ所かに入っていた。これで贋作者は墓穴を掘っているのであるが、知らない人は、その朱色に興奮してしまうのであろう。…断言するが、完璧な三島由紀夫の文章に、朱の文字で編集者が文字を入れる事などあり得ない。…その贋の原稿は確か28万円(考えぬかれた数字!)だったが、その次に来たら無かったので、どなたかが買ってしまったのであろう。(…合掌)  昨日画いたばかりの、色が綺麗な、しかし高価なアニメ-ションフィルムも要注意である。…店頭に出る事は稀であるが、フィルムの裏を見て、彩色された絵に亀裂が入っていないのはかなり怪しい。

 

 

ワンランク上になると高価な書画骨董の類である。人気のある西郷隆盛の書は、特に贋作が多い。…見分け方の一つであるが、西郷の癖でチョンと跳ねる箇所を、西郷は決まってボトンと野太く書く。しかし、そこが危ない。

…贋作者は、西郷のファンがそこを注視するのを熟知しているので、あえて目立つようにボットンと太い点を黒々と置く。こうなると、生半可な知識と悪知恵の化かし合いである。

 

 

……30年ばかり前の話であるが、パリで一番大きな骨董市で知られる「クリニャンク-ルの蚤の市」を歩いていた時の事。20世紀後半の代表的な美術家で、妖しい球体関節の人形の作者でも知られるハンス・ベルメ-ルの版画の明らかな贋作が、その日はやたらと随所の店で目立ち、不審に思った事があった。…しかも何より不可解なのは、そのサインが明らかに本物だったからである。…私のアトリエにもベルメ-ルの代表的な銅版画が何点か在るので、その特徴的なサインの筆跡は記憶に入っており、間違いのない本物のサインだと私は断定出来る確信があるのである。…贋の版画に記された、しかしサインだけは本物とは…?その正体や如何にである。

 

 

……こういう時には、パリの裏も表も熟知している友人の到津伸子女史に訊くにしくはない。彼女は30年以上パリに住み、様々な人物との交流が深い。…その日の夕刻にサンミッシェルのカフェに呼び出して、真相を知っているか?と訊いてみた。…彼女は即答で知っている!と答えた。…それかあらぬか、生前(晩年)のベルメ-ルの家も彼女は訪れていたのであった。

 

(まるで彼は逃亡者のように荒んでいたわ。麻薬の中毒で廃人に近くなっていた彼につけこんで、悪い画商がベルメ-ルの贋作を量産し、金と引き換えに、ベルメ-ルに本物のサインを書かせていたわけよ)。…なるほど、それで昼見た謎がたちまち解けたのであった。……その真相を知った後に感じたのは、しかし苦い感慨であった。…ベルメ-ルは好きな作家だっただけに、やりきれないものが残ったのであった。……………次回は、『人魂に魂を入れてしまった男の話』を書く予定です。乞うご期待。

 

 

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にっぽんが揺れている

……最近、かなり大きな地震が日本列島の各地で不気味に発生している。輪島にいる友人のHY君にお見舞いと、くれぐれも注意されたしの電話をしようと思っていたら、こっち(関東)も揺れた。先日の地震で横浜に住む知人は、揺れた瞬間「今日が自分の死ぬ日なのか!」と真っ青なまま大急ぎで覚悟を決めたという。

 

 

……その話を聞いた時に、20世紀美術の後半に「観念の美」を提唱したマルセル・デュシャンの墓碑銘に刻まれた言葉を思い出した。デュシャンいわく「さりながら死ぬのはいつも他人なり」と。

……誠にそうである。たとえどんな断末魔の状況が眼前に迫っても他人は死ぬが、自分だけは何とか生きているだろう。
……日々根拠が無いままにそう誰しもが思っている、この思いは何処から来るのであろうか
……とまれ、この不穏な揺れは今までと違う感じがしてならない。


先日のゼレンスキ―氏電撃来日の報を聞いた時に、その政治戦略方法の巧みさから、坂本龍馬の事が浮かんだ。……薩長連合が締結された夜、寺田屋に戻った龍馬は、龍馬の護衛をしていた長府藩士の槍の名手・三吉慎藏と祝盃をあげていた。そこに幕府・伏見奉行の捕り方約100名に襲撃された。その脱出の際に龍馬は極秘書類である薩長締結の密約書を、懐に仕舞うのでなく、あえて寺田屋の室内に残して脱出したのであった。当然、密約書は捕り方が没収し、その密約は天下公然なものとなり、幕府側は青ざめた。秘密裡に作成された最重要な密書をあえて何故、敵方の手に!?……と考えるのが普通であるが、龍馬の素早い脳の回転は、この突然の難事を最大の政治的好機と捉え、書類を残して脱出した。……結果どうなったか?……薩摩はそれまで対長州の立場であったのが、これで倒幕側に完全にまわってしまった事を知り、薩摩を以後は敵と見なすように方針が定まった。つまり薩摩の変心の可能性とその退路を絶ったのである。……また薩摩の保守層もこれによって封じられ、西郷達の倒幕路線も腹が座り方向が定まったのである。……この機知が成功した事を、後に船上で龍馬と西郷が笑いあった事はよく知られた話である。

 

 

G7会場に招待出席していたインド(ロシア、中国に対してもバランス外交を計り、玉虫色の曖昧な立ち位置にいる)のモディ首相の心中は、この電撃来日の報を知って何を思ったであろうか。……到着早々、ゼレンスキ―氏が先ず対談を行った相手がこのインドの首相である事からその戦略意図が見えて来る。また被爆地広島での開催というイメ―ジの利を活かして、F-16戦闘機他、反転攻勢に向けての武器の交渉も各国の首脳と交渉して畳み込むように成功した。そのゼレンスキ―氏の機を見るに敏の政治センスの冴えと速度の見事さを、私はかつての龍馬に重ね見たのであった。

 

……さて、5月24日(水)から6月12日(月)まで、西千葉にある山口画廊で個展『Genovaに直線が引かれる前に』が開催される。昨年に続き2回目である。今回の個展では新しい挑戦として鉄のオブジェが加わっている。……鉄という硬質な素材の中に孕まれた時間の織りが静かに語りだす物語を、その硬い皮膚の表に開示する試み、その初めての展示なのである。画廊主の山口雄一郎さんの感性は素晴らしく、今回の個展で、昨年に続き極めてハイセンスな案内状を作られたので、それを掲載しよう。また、画廊通信として刊行している冊子に『秘められた系譜』と題して長文の北川健次解読の論考も執筆されている。圧巻の労作である。かなりの長文であるが、ご興味のある方のために一挙掲載しておこう。

 

 

画廊通信 Vol.242 『秘められた系譜』を読む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『谷中幻視行―part②』

蝉のかまびすしい鳴き声に、ようやく梅雨があけたかという感がある。しかし、七月の長雨にはもはや私達の知っている、あの梅雨の風情などはもはや無く、唯の異常な狂い雨である。テレビに映される最上川の凄まじい氾濫や、押し迫る濁流に退路を断たれて孤立する数軒の家の画像などを見ると、江戸期に詠まれた俳聖達の名作の句も、今読むと、緊迫した実況中継の一場面に見えて来るから恐ろしい。……「五月雨を/集めてはやし/最上川」(芭蕉) 「さみだれや/大河を前に/家二軒」(蕪村)。……蕪村にはまだある。 「春雨の/中を流るる/大河かな」  「さみだれや/名もなき川の/おそろしき」

 

……さて、前回の続きで墓地である。墓地はいい。生者と死者の魂の交感の場であり、やがて訪れる死への覚悟といったものが柔らかく固まってくる。……そして今日は前回の続きで、谷中の墓地に足を運んだ。この墓地は著名人の墓も多く、毒婦とよばれた高橋お伝、徳川慶喜、朝倉文夫、円地文子、鏑木清方、森繁久彌、立川談志、横山大観、長谷川一夫、渋沢栄一、色川武大…………と、きりがない。私の知っている人もこの墓地に四年前から眠っている。彫刻家朝倉文夫の次女で、舞台美術家の朝倉摂さんを姉に持つ、彫刻家の朝倉響子さんである。響子さんは、私が24才で開催した初めての個展に、関根伸夫さん達と共に来られ、その場で波長が合い、以来長いお付き合いをさせて頂いた年長の友であったが、今は朝倉文夫が夫妻で眠る大きな墓に姉の摂さんと一緒に眠っている。その一家を撮した趣のある写真があるので掲載しておこう。左が摂さん、真ん中が朝倉文夫、そして右が響子さんである。

 

 

 

 

……谷中の墓地は実に広い。私はずっと気になっていた、一警察官の過去に纏わる或る事を確認したい事があったので、高橋お伝の墓の側にある派出所を先ずは目指して行った。しかし、中に警察官がいなかったので、その前に、この墓地に眠っているという「島田一郎」という人物の墓を探したが、これがなかなかにわからない。墓の番号は事前に調べてわかっていたが、区域が甲乙丙各々に分かれている為に、これがなかなか見つからない。先ほど挙げた著名人と違い特殊な人物なので、もはやお手上げか……と思ったその時に、目の前に、墓の案内人とおぼしき年配の男性が、まるで待っていたかのように、すっと現れた。「おじさん、島田一郎の墓は知ってますか?」と問うと「あぁ、知ってるよ。じゃ案内するからついて来るかい?」と、私の先を歩き出した。……私が言う島田一郎とは、明治11年5月14日に大久保利通を紀尾井坂近くで暗殺した刺客六人の内の主犯で、西郷隆盛の心酔者である。……「俺もここで、墓を訪ねてくるいろんな人をずいぶん案内したが、島田一郎を訊いて来たのは、あんたが初めてだよ」と言い、「島田一郎は確か鳥取の藩士だったかな?……」と間違った事を言うので「いえ、彼は加賀藩士です」……と私。まだ墓は先らしく、「おたく、あれかい?……訳ありの人かい?」といささか伝法な口調で訊くので「いえいえ、ごく普通の一般人です!」と私。……目指す墓は、横山大観の墓の裏側の葉陰に、他の5人の実行犯と共にひっそりとあった。案内の人に礼を言って、私は暫し、ずらりと並ぶその六基の墓を見回し、紀尾井坂の変当時の光景を想像した。……以前に宮内庁内で、大久保利通が災難時に乗っていた実際の馬車が展示された時があったので見に行った事がある。島田達の暗殺計画は実に巧みで、先ず馬の脚を切り、次に馬車の馭者を刺殺してから、六人で大久保利通に斬りかかった。大久保の最期の言葉は「無礼者!!」であったという。……大久保が敷いたあまりに急速な欧化路線でなく、西郷が考えていた農本主義で、もしこの国が歩んでいたならば、全く別な、少なくとも精神的にはかなり豊かな日本があったかと私は思っているが、如何であろうか!?ともあれ、西郷と大久保という、この二人の巨人の相討ちによって、この国の歩みは歪みを呈していった事は間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

……次に派出所前に戻ると、やはり中に警察官はいなかった。……仕方がない。まぁ、詳しく訊くのはまたの後日として、私は広い墓地をひたすらに眺めた。………………話は変わって、今から30年ばかり前に鎌倉の海岸近くで交わされた、或る二人の人物たちの会話に話が移っていく。一人は絵画の修復の名人Tと、今一人は画家のKである。KがTの作業場を夕刻に訪れると、未だ弟子達が残っていた。先生!……とTはKの事をよぶ。Kはそう言われるのはあまり好きではなかったが弟子達への立場を知っているので、そう呼ばせていた。……弟子が帰っていくや、TはKの目を見詰め、一転して「Kちゃん!!」と親しく呼んだ。二人は古くからの友人だったのである。Tは他に誰もいないのにKに向かってひそひそ声で「Kちゃん、いい物を見せてあげる!」と言うや、二階から2冊のアルバムらしき物を抱えて持って来て、おもむろに開いた。「どうせ家族の成長記録だろう」……Kがそう思って見ると、それは全頁が、墓地の至る所で展開する、昔の男女カップルの隠し撮りの写真、写真……であった。「どうしてこれが!?」と問うと、Tはその訳を話し始めた。…………ある日、Tが銀座を歩いていると前方からヤクザらしき男が歩いて来た。Tはその男に古い見覚えがあって、「まずい!」と思った。Tは中学時代に番長で、眼前から来るそのヤクザの男は、今と違い病弱ないじめられっ子であった。男もまたTの事を覚えていて、「ようTじゃないかぁ、久しぶりだなぁ」と言い「昔はずいぶん世話になったから、今度、御礼を送るよ!」と言って、住所を訊いて来たので、Tはそのままに教えた。……別れた後から「しまった」と後悔した。いわゆる御礼参りという仕返しを内実怖れたのであった。……しかしそれはただの杞憂で、後日送られて来たのは2冊のアルバムであった。「それがこれ!!」と言い、話すTは嬉しそうにKの顔を見た。そして、アルバムと一緒に入っていたヤクザの男が記した、アルバム入手前の或る男(つまり、その写真の撮影者)について書いてあった手紙の内容を詳しくKに話した。……話に拠ると、その撮影者は、谷中の墓地を巡察して不審者を取り締まる警察官であったが、その警察官自身があろう事か、カップルの秘事を隠し撮りする人物であった由。つまり絶対に捕まらない構図なのである。派出所を移って出世の話が来ても、その警察官は「いやぁ、私はここで……いいですからぁ」と言い、出世の話も拒んで、平の一警察官として生涯を終えたらしく、その退官記念に自身の生きた証し(?)として、写真を焼き増しして何冊かのアルバムにして遺したのだという。……「それが、これ!!!」と言い、回りに誰もいないのにKの耳許に近付いて小声で「Kちゃんにあげるから、気に入ったのがあったら5枚だけ選んで!!」と言ったので、Kもまた折角の話と思い、厳選してアルバムから5枚だけ選んだ。……この少年同士の悪巧みのような会話、ちなみに言えば、この話に登場するKとは、私の事である。……かくして私のアトリエの中にその写真5枚が今もあるのである。

 

 

 

 

 

 

……北原白秋に「墓地」という詩がある。「墓地は嗟嘆(なげき)の、愛の園、また、思ひ出の樫の森。/墓地は現(うつつ)の露の原、また幽世(かくりょ)の苔の土。/ 墓地は童の草の庭、また、あひびきの青葉垣。/墓地はそよ風しめじめと、また、透き明る日のこぼれ。」

 

……「また、あひびきの青葉垣」の垣根越しに、この警察官は生涯、シャッタ―を切りまくった訳である。……では、この詩に登場する墓地とは何処なのか!?……実は北原白秋は前述した、谷中墓地間近にある朝倉文夫の家(現在の朝倉彫塑館)の隣に家があり、その朝倉文夫の家の向かい隣に幸田露伴が住んでいた。……つまり、この詩に登場する墓地は谷中墓地の事であり、撮された男女の服装から察して時代的、時系列的に見ると、この警察官と北原白秋はほぼ同時期に、この谷中墓地で同じ空気を吸っていた観があるのである。……そしていつしか、もちろん名も知らぬ、この警察官の一生に私は強い興味を懐いている。……「窃視症」なる者は、勿論この男に限らずたくさんいて、それは文学にも深い陰を落としている。……川端康成、永井荷風、江戸川乱歩、寺山修司……。特に荷風の場合はそれが高じて、自分で男女の待ち合いの建物を作り、また川端康成の場合は、更に高じて、視線のエロティシズムは『みずうみ』などの作品に見る、危ういネクロフィリアにまで達している事は周知の通りである。また海外ではデュシャンやコ―ネルにもその例はあり、詳しくは拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)を読んで頂けると有り難い。……とまれ、私はまた折りを見て谷中墓地に行き、派出所で警察官に幾つか問う事があるので、このコロナ禍の中ではあるが、出掛けてみようと思っている次第なのである。

 

 

 

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『紀尾井坂の変』

前回のメッセ―ジは、もはや凶器と化した水の脅威について書いたが、加えて夏は酷暑がそこに追い討ちをかけている。一昨年より去年、去年より今年の夏が明らかに異常な猛暑が過酷化し、遂に気象庁が「今日は命にかかわる危険な暑さ」という表現を普通に使い始めた。来年の夏からは、猛暑が「酷暑」「炎暑」という表現に変わるらしい。太平洋高気圧とチベット高気圧。この二つが日本の上に居座るというかつて無い異常な事態。2年後の夏のオリンピック、特にマラソンは猛烈な炎暑の中での凄惨な光景がデスゲ―ムのように魔口を開けて待っているに違いない。…………ところで、あの女性は何という名前だったか?……ミランダ・カ―?……いや違う。ケイト・ブルンネン!?……いやかなり違う。あぁ、そうであった、滝川クリステルであった。そのクリステルがしたり顔で言った「お・も・て・な・し」とは、祇園や柳橋の料亭、御茶屋の女将の手慣れた接遇や気配りをイメ―ジするのは間違いで、来るべき更なる炎暑のアスリ―ト達への洗礼こそが、すなわち「お・も・て・な・し」の秘めた真意だったように、今となっては思われてくる。おもてなしとは、表無し。……つまりは、もう一つの裏の意味の響きがあったように思われて来るのである。 ……さて、このあたりで話題を変えて、少しひんやりとした話に移ろう。

 

地下鉄の赤坂見附駅を下りて弁慶橋という橋を渡り、紀尾井町方面を目指して行くと、左手にホテルニューオータニが見えてくる。そこに至って真向かいに目を遣ると、鬱蒼と木々が繁り、何やらひんやりとした冷気さえ漂う公園がある。今は「清水谷公園」と呼ばれるそこは、明治11年5月14日の早朝に馬車に乗って赤坂仮皇居へと向かう、時の内務卿・大久保利道が不平士族六名によって暗殺された現場で、今はそこに巨大な石碑が建っている。……前年の9月に西南の役で自刃した西郷隆盛。その半年後に暗殺された大久保利通の事実上の相討ちであった観がある。この二人は正に薩摩を代表する両頭として語られるが、実際の人物の格は少し違う。或る人物が両者を評してこう言った。すなわち「大久保は完璧な銀の玉である。一方の西郷はキズのある金の玉である」と。けだし名言、至言であるが、この言葉の意味は、大久保は目的遂行の為には容赦のない鉄の心を持った完璧な人物であるが、しかし、どうあがいても、金の玉の西郷には及ばない、という事である。二人は誰よりも固い友情で結ばれていたと多くの歴史小説はドラマチックに書くが、友情という概念は明治以降に入ったもので、もっとリアルな心情を探ってその時代を凝視していくと、自尊心が異常に高かった大久保の内面から見えてくるのは、西郷に対する秘めた嫉妬、更には大久保自身の凄まじい野心を実現する為には如何に西郷の求心力が〈今は〉必要であるかという、強かな計算が見えてくる。……この辺りの二人の微妙にして特異な関係は、日本ではなく、むしろキュ―バ革命を成功させたチェ・ゲバラとフィデル・カストロの関係が、或いは類として近いかと思われる。勿論、高潔にして革命に理想の詩を見たゲバラが西郷であり、根っからの政治家であり、八方の心を掴む事に長けていたカストロが、大久保のそれと重なる。また、倒幕への目的遂行の為に実質的にタッグを組んだ相手は、西郷は家老の小松帯刀であり、大久保は公家の岩倉具視が最も近い。……明治9年に西郷が最も心を許した桂久武という人物に宛てた、大久保政権を激しく批判した書簡(近年に公にされた)で、西郷は「自分の志が伸びないのは大久保一蔵〈利通〉あるを以て也。大久保は人のする処を拒み自ら功を貪り、……陰に私意を逞しくしている」と記し、最後に「彼の肉を食うも飽かざるなり」と激烈な批判を浴びせている。……一方、大久保は暗殺される直前に馬車の中で読んでいたのは、自分宛ての西郷からの古い手紙であったという。……西郷を死へ追いやった事への悔恨であろうが、この辺りもゲバラを結局は死へ追いやったカストロの心情と、私にはだぶって見えてくるのであるが、如何であろうか。

 

……私は、4月辺りから度々この大久保利通暗殺現場の前を通り、紀尾井町に至る近道がある清水谷公園内の石段を登っていく日々が続いている。紀尾井町の文藝春秋ビル内にある、美術と文芸に関わる老舗の出版社「求龍堂」から8月初旬に刊行予定の私の作品集『危うさの角度』の為の打ち合わせや色校正のチェックが厳しく続いているのである。オブジェ、コラ―ジュ、版画、写真、そして詩を収めた、美術書としては類例のない作品集にすべく、質的に高い内容にするために妥協のないチェックが続き、普通の作家ならせいぜい2回で終わる色校正のチェックが、先日5回目の校正で、私はようやくOKを出した。来週はいよいよ印刷の本番が埼玉の印刷所で行われるのであるが、私は担当の編集者の人と一緒に印刷所に行き、2日間の通しで立ち会う事になっている。……9月9日まで、福島のCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で開催中の個展。8月22日~9月8日まで東京の不忍画廊で開催予定の『現代日本銅版画史展』。……10月10日から日本橋高島屋・美術画廊Xで開催予定の個展と、予定はびっしりと詰まっているが、拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』に続いて求龍堂から刊行される作品集は、また別な神経が使われるので、完成の日までは気持ちが休まらない、この夏である。……ともあれ考えている事は、妥協のない制作であり、また新たなる領域への挑戦である。外も暑いが、私の内面もまだまだ熱い夏が、今しばらく続くのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『個展 – 私の現在』

三週間続いた日本橋高島屋本店の美術画廊Xでの個展がようやく終了した。世の不況にも関わらず、出品点数82点の内、50点以上の作品がコレクターの方々のコレクションとなっていった。昨今の美術表現の傾向は、薄く脆く、ぼんやりしたイメージの芯のない傾向へと向かっているが、私は芸術とは強度で美と毒とポエジーこそ必須であると考えている。そしてマチスが美の理念とした言葉「豪奢・静謐・逸楽」ー つまりは、眼の至福たる事を範とし、その実践をしているという意識は強烈にある。しかし、そうは言ってもやはり実際にコレクションを決断されるというその行為に対しては本当に感謝したいと思っている。かつて池田満寿夫氏が語ってくれたように、「コレクションされるという事が、作品に対する最高の批評」なのである。

 

さて、今回も様々な方と会場でお話する機会があった。この国の最大のコレクターといっていい東京オペラシティの寺田小太郎氏は、毎回の個展でコレクションして頂いているが、今回は三点のコラージュを求められた。その後、私と寺田氏は一時間ばかり会話を交わした。この国の現在の混迷の元凶は、明治新政府において西郷隆盛の農本主義が廃された事に拠るという自説を語ると、実は寺田氏もまた同じ考えを持っておられた事に驚いた。そして日清・日露で勝ってしまった事がこの国の軌道を狂わせたという話になり・・・・寺田氏の豊富な体験談を伺って、私はずいぶんと教わる事となった。

 

有田焼十四代の今泉今右衛門氏とは、芸術作品の表象にある肌(メチエ)が如何に決定的に重要なものであるかについて、分野の垣根を超えて共通な眼差しをみられた事は意義深いものであった。メチエが持つエロティシズム・魔性・暗示されたイメージの豊饒、・・・・そして気品。ちなみに、この当然なメチエへのこだわりに眼を注いでいる美術家は、私の知る限り皆無であるといっていい。

 

さて掲載した作品写真は今回の出品作『ベルニーニの飛翔する官能』である。この作品をコレクションしたのは、短歌の第一人者、水原紫苑さんである。水原さんは、あの白州正子さんが「稀に見る本物の歌人」と高く評価した才人。このコラージュは危うく妖しいエロティシズムに充ちた難物であるが、さすがに天才の眼は、一瞬でこの作品に意味を見た。水原さんの購入が決まった後に売約済を示す赤いシールがタイトルの横に貼られた。その後、この作品を購入したかったという人が8人続いたが、その全員が女性であった事に私は作者として驚いた。男性は作品に理論的な意味付けを試みるが、女性は直感で作品の本質を見抜く。女性の感性たるや恐るべしである。

 

今一つの画像作品は、詩人の野村喜和夫氏がコレクションを決められた。野村氏は現代詩の第一人者として、昨今最もその評価が高い。先日は歴程賞を受賞し、この春は萩原朔太郎賞を受賞するなど、刊行する詩集や評論集のことごとくが注目の的となっている。野村氏は個展の度に私の作品をコレクションされているが、その選択眼は確かであり、私の作品の中でも代表作となるような重要な作品ばかりを必ず選ばれている。来年の一月には詩人のランボーを主題に絡ませた、野村氏と私の詩画集が思潮社から刊行予定となっており、作品は既に作り上げている。さて先述した水原紫苑さんや野村氏といった表現者の人にコレクションされる事には今一つの更なる楽しみがある。それは御二人に見るように、短歌や詩の中で私の作品が変容して再び立ち現れる事である。既に野村氏は今年の「現代詩手帖」の巻頭で、それを実行し、水原さんも近々の作品の中に詠まれる由。ともあれ、今年の個展は全て終了し、私は束の間ではあるが休息となる。しかし、このメッセージはしばらく休んでいた分、書きたい事が多くある。乞うご期待である。

 

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『龍馬が・・・いない』

坂本龍馬がブームであるが、実像はどうであったか。

それを知るには当時の関係者たちの日記などが最も具体的であろう。例えば三条実美の日記には「奇説家より、偉人なり」とあり、薩長連合成立直後に勝海舟が記した日記には、「聞く、薩と長の結びたるを」と記し、その仕掛人が龍馬であるらしいという風聞を伝え「それをやってのけられるのは、あの男しかいないであろう」と書いている。

又、アーネスト・サトウの日記には「鬼のような形相で私を睨みつけた・・・」とある。さらに睦奥宗光の評では「度量の大きさは西郷と並び、また西郷をすばしこく(頭の回転が早い)したような機敏さを持っていた」とある。

 

 

 

幕末の三傑は「木戸大久保西郷」となっているが、考えてみたところ、この説はおそらく伊藤博文あたりが、自分を高く見せる為に流布させたように思われる。幕末に少し興味がある人ならば、上記の三人には?をつけるであろう。正しく幕末の三傑を挙げろと聞かれれば、私は迷わず「坂本高杉西郷」の名を挙げる。この三人の存在こそ、回転の絶妙時に奇跡的に出現し,具体的な維新の核的エネルギーとなった。この三人の後に、大久保小松木戸岩倉中岡、等が続くと私は解釈している。思うに彼等は自分が歴史に果たすべき役割を知っていたようなところがある。革命の語源は易経の「天に従い、人に応ず」の志であるが、それにあるように、天命を知る詩人肌の、自らの生に執着しない人物こそ革命家と呼ばれるに相応しい。この後に政治家という存在が来るが、それはつまるところ事務処理家でしかない。

 

さて、つまらない話を書く。数ヶ月前、TVで「今一度日本を洗濯する」と熱く語り、白いワイシャツを干しまくって、龍馬ブームにあやかろうとした菅は、今や我が手から離れつつある権力の妄執と化している。その菅や、かつての父親の存在と金のみを背景として理念無き鳩山や、幹事長という実質黒幕職大好きの小沢・・・といった詭弁だけがその能力の連中を幕末に配せばどうなるか? 彼等に相応しい役は、まあ、せいぜい黒船の出現で慌てふためいた下田の海岸警備の幕府の小役人あたりが相応しいだろう。残念ながら、今の日本にはその程度の人間(人材ではなく)しかいないのが実情である。しかし,龍馬や高杉といった人物も考えてみれば、時代の外圧によって化けた事を思えば「危機の時代」が人を造るともいえるであろう。秀でた人材が全くいないという事は、世の現実として、世界が生ぬるい事の映しであるのかもしれない。まことに世の中とは、一勝一敗の原理である。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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