関東大震災

『ある程度、覚悟した方がいい!!と、…彼は言った』

……個展が終わり、ホッとしたのも束の間、次はオミクロン株なる新参者が急に登場し、世界が混乱を呈している。自称かどうか知らないが、ウィルス感染症の専門家という人達が様々な自説を語っているが、昨今の日本における感染者数激減の原因についてすら、誰一人理詰めで得心しうる意見を語れないのだから、まぁいずれも、話半分に聴いておいた方が心身のバランスの為にいいように思われる。

 

……周知のように、梅毒をヨ―ロッパに持ち込んだのは、1493年にコロンブスの探険隊の隊員と、西インド諸島の原住民との性交渉による感染が発端であったが、その時の感染拡大の速さは「辻馬車」のそれであったという。しかし今はその比でなく遥かに速く、故にオミクロン株なるものは当然、既に日本に入り込んでいると考えた方がよいだろう。

 

しかし今、コロナよりもっと具体的に間近の問題なのは、2ヶ月前から日本各地で頻繁に発生している地震の方であろう。かつて無い程のかなり活発な活動を見せているが、これも地震の専門家と称する人達がまだ穏やかな発言に留まっている中、今朝のテレビで京都大学の教授で地震の専門家なる人(名前失念)がズバリ一言「今回は、もはやある程度、覚悟した方がいい!!」と、重くヒンヤリと語ったのが、こちらの想いと重なってリアルであった。この覚悟という響きの中には、大被害から、私達の死までもが現実的に含まれている。かつて関東大震災の折りに、芥川龍之介川端康成(後に二人とも自殺)が連れだって、視覚のフェティシズム故に被災地を視て回った事があった。その際に彼らが目撃したのと同じ光景、本所の陸軍被服厰跡の四万人という人達の死体の山と化した写真八枚を、偶然に骨董市で見つけて持っているが、それは作家の吉村昭氏が著書『関東大震災』の中で「私が知る限り最も恐ろしい写真」と書いた写真である。さすがにそれはお見せ出来ないが、参考までに、彼ら四万人の都民が火災を逃れて、一斉にここ被服厰跡の広い空き地に逃れて来て、やっと生き延びたと安堵している群集の画像(これはネットでも見れる画像である)を掲載しておこう。悲劇はこの後直ぐに起きて、この写真に写っている人全員が、空から降って来た凄まじい猛火の中に消え、関東大震災の最大の惨事(死者総数八万人の内の半数がここで亡くなった)と化したのであった。………私達の脳は実に怠惰かつ楽天的に出来ているらしく、「自分が生きている間は、関東大震災のような凄いのは来ない!」或いは「よしんば他人は地震で死んだとしても、自分だけは死ぬ筈はない!」と根拠なく思ってしまうのであるが、さぁどうであろう。

 

 

……しかし、いずれにしてもかつて無い不穏な年の暮れではある。……先日、写真家の遠藤桂さんと神田明神近くでお会いする約束があり、何処か落ち着いて話せる喫茶店はないかと先に来て店を探していたら、老舗の甘酒店で知られる天野屋のショーウィンドゥの中に巨大な機関車の模型を見つけた。私の作品のコレクタ―であるTさんが鉄道マニアなのを思いだし、携帯電話のカメラで撮影して送ったら、その夜にTさんから、「画面右側に妙なのが映っているので視て下さい!!」という返信が来た。「!?」と思ってあらためて視たら、確かに、突きだした断末魔の手らしきものが映っていた。視た瞬間、背筋を走るものがあったが、……たぶん、偶然に映った何かの反射かとも思われる。……そう云えば正面の神田明神はかの首塚伝説で知られる平将門を祭った神社……と、まぁ関連して狭く意味付けしては凡庸すぎて面白くない。……むしろ、感染症パンデミック、地震……と不穏な気配が蔓延している今は、世界はパンドラの箱開き、この世とかの世が道続きである様を呈していて、世界の全てが逢魔が時、……この時期だからこそ、このような写真も頻繁に写ってしまうのであろう、……そう考えた方が面白い。

 

 

 

 

 

12月某日。……空気は冷たいが、たいそう陽射しが眩しいので珍しく庭に出て、道沿いの先にある薔薇園に行った。……次回は、そこで考えた、次の詩集の為の詩法について書く予定。……但し、その前に何かが起こらなければ良い……のであるが。とりあえず、乞うご期待。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『彼方に光る物—— あれは!?』

①先日、友人のTから電話があり、話の流れでTの伯父にあたる人が早朝に亡くなられたという事を知った。私はすかさず、「今日あたり、家の電気系統に何らかの異常が必ず起きる筈だから注意しておくように」と促した。しかしTは「伯父は現世に執着するような性格ではないから・・・」と笑って、本気にとりあおうとしなかった。

 

果たしてその翌日、Tからメールが入った。「居間のテレビが突然映らなくなってしまった。・・・原因は不明で、こんな事は初めてである」と。私はやはりと思った。というのは、このような現象は私の友人間で度々起きており、事実、父が亡くなった時も、家のブレーカーが突然切れて停電になった。ご存知のとおり、ブレーカーを切るには多少の人為的な力がなければ切れるものではない。それが無人の場所で起きたのである。察するに、私たちの意識の核にあるエクトプラズムと称される電気エネルギーを帯びた臨体が呈する何らかの交換作用と思われるが、私はこの現象を、死者が生者に見せる最後の感情 – 想いの変容だと分析している。だから私たちは身近に死者が出た場合には注視して、この現象を受容し、それをもって最後の決別とすべきだと思っている。この現象に対して、恐怖や嘲笑ではなく、静かなる意識と慈愛をもって、この「不思議」に応えることこそが、生者が死者に対して見せるやさしさではないかと思っている。

 

②中公文庫から刊行されている、地球物理学者の寺田寅彦著『地震雑感/津波と人間』と題する随筆選集の中に、「震災日記より」という章があり、そこに興味深い記述がある。「八月二十六日 雲、夕方雷雨。月蝕雨で見えず。夕方珍しい電光(Rocket lighting)が西から天頂へかけての空に見えた。丁度紙テープを投げるように西から東へ延びて行くのであった。一同で見物する。この歳になるまでこんなお光は見たことがないと母上が云う。」

 

それから六日後の九月一日、あの関東大震災が起きている。寺田氏は別章の「地震に伴う光の現象」と題する中で、徹底してこの予知的現象の実見録を古今東西の文献の中に求め、その多なるを詳細に記述している。資料の追求は日本だけにとどまらず、紀元前373年のギリシャの都市ヘリケで起きた大地震に、この現象の最も古い記述があった事、又、ドイツの哲学者のカント(1724〜1804)が執筆した「地震論」の中に、1755年に起きたリスボンの大地震(マグニチュード8,5)を実見したカントが、「大地の揺れ始める数時間前に空が赤く光った」と、大気の異変を表す徴候を記している事などを報告している。寺田氏は「地震の第一原因については、まだ少しも確かなことが言われないと言ってもいいかと思う。従って、原因の方から理論的に地震の予報の出来るようになるのは未だいつのことだか見込みが立たない」と記しているが、それは今日もなお同様かと思う。東大と京大が各々に発表した地震発生の確率の数字の全くの異なりを見るにつけ、私たちは、もはや学者たちに見切りをつけ、確たる予兆のひとつである、この発光現象に注視を向け、自衛を考えることの方がよほど現実的かと思う。今日ではツィッターなどがあり、(悪質な風聞には留意しつつも)一瞬にして、この情報の伝播は可能なのである。数日前から数時間前に現れる、この現象を重視する方が、直前に出るあの忌まわしい警告よりも、よほど生存の確率が高いかと思われる。

 

寺田氏の文は最後に、「地震がして空が光るという事が考えられるか、と云えば、それは考えられる事で、地上50メートルの辺りに真空放電のありやすい処があるし、これは空中の放電である、空が光るということである、と言う方が簡単に説明が出来るかとも思われる。どうも古今東西の記録を比較して見ると、その中には今度の実見者の云う事から推定される現象と、符節を合わせるようなものが多く、私はこの現象は、地震の研究上、かなり注目すべき現象で、これを研究してみたいと思っている。」と、結んでいる。これは80年以上前の記述であるが、日本人として初のノーベル賞候補にさえ挙った寺田寅彦氏の遺訓を継ぐような、開明的な真の知的な人材は果たして今日存在するのであろうか。残念ながら私は、寡聞にしてそれを知らない。

 

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