オミクロン株

『年明けに「恩地孝四郎」を読む』

……オミクロン感染症の拡がりは、先日のブログで書いた通りの展開を見せている。昨年の8月頃に猛威を奮っていたデルタ株は僅か残り1割へとあっという間に減少し、主たる残は、オミクロン株へと置き替わった模様。BBCなどのニュ―スで知った限りを書けば、感染者の9割は軽症で感染後の後遺症もオミクロンの場合はほとんど無いという。後は1月後半から2月の終わりにかけて拡がっていくに違いない感染爆発者数と中等症の患者数をなんとか凌いで乗り越えていけば、あぁ野麦峠も近いのではあるまいか。……年末から年明けに急増したイギリスの感染者爆発も、ここに至って急変し、減少傾向を見せはじめている模様。過度に怖れず、されど油断せず!である。

 

……とはいえ、先日の夕方、暗がりを歩いていたら、彼方からサイレンを鳴らした救急車がやって来て、私の目の前で静かに停まった。!?と思ったその時、すぐ側の暗がりの家から年配の女性がさぁ~っと現れ、ぐったりした老人の男性を支えながら、すぐに救急車の中へと消えていった。一瞬の虚を突かれたようであったが、すぐにコロナの感染者の生の姿だと察した。瞬間、巨大な鎌を持ち、白衣に身を包んだ骸骨姿の死神が「メメント・モリ―汝、死を思え!」と冷やかな笑みを浮かべながら、オミクロン楽観説者の私に「次はお前だぞ!」と予告しているように思い、さすがに一瞬ゾッとした。まっ、そういった事があった。

 

…………………それはさておき、眼前の問題はむしろ地震の方である。地震の方が、今はリアルに潜んで、暗い真下の〈其処〉にいる。おそらくは誰もがうっすら感じている事だと思うが、マグマと化した真っ赤な地霊が、さて本番は何処にしようかと、今は全国の太平洋沿岸の各所で(あたかも試すように)散発的に地震を起こしている感がある。……以前のブログでも書いたが、山田新一という人の著書によれば、画家の佐伯祐三は、大正12年の関東大震災の前日の夜に、翌日の昼前に起きる大震災の光景を夢の中でありありと見て、その様を翌朝(つまり大震災の起きる直前―9月1日の早朝に)、親友の山田新一に生々しく、かつ予見したかのようにリアルに話している。私も度々そのような先取りの予知とも云える夢を見るので、この逸話、さもありなんと思われる。……思うに、佐伯のあの神経が突き刺さったような鋭すぎる絵は、そのような異常とも云える直感力から起因しているのであろう。

 

………さて、その地震、昨年秋から太平洋沖側に頻発しているが、先日ふと考えた事がある。……では具体的にどの県が、地震は確率的に最も安全なのか?と。……皆さんは何処だと思われるであろうか?私はたぶん山口県辺りかと思っていたが、タブレットで検索してみると、地震から最も安全な県は実は「富山県」なのであった。意外であったが、すぐになるほどと思い、あの屹立する立山連峰の屏風のような堅牢さを思い出し、すぐに富山県在住の親しい人達の顔が浮かんだ。ぎゃらりー図南で長年にわたり個展を開催して頂いている川端秀明さんご夫妻、お世話になっているコレクタ―の今村雅江さんはじめ沢山の人達の顔が浮かび、ふと、あぁ富山の人達はいいなぁ……と、そう素直に思った。出来れば難を逃れるように、半年ばかりは富山に疎開したいと思うのであるが、東京に戻ったその直後に「すわ!……地震だ!!」という事もあり得る。

 

実際、森鴎外の長女の森茉莉は、夫の山田珠樹(仏文学者)と1年間パリで贅沢三昧に暮らしていたが、ようやく帰国して船を降り、横浜港から車に乗って走り出したすぐ直後に、凄まじい関東大震災の直撃洗礼を受けたのである。だから、こればかりは神のみぞ知る、なのである。もっとも、1階にある私のアトリエは分厚い鉄筋コンクリ―トで作られており、地下が広い作陶室になっているので、掘削はかなり深く、ために地震の揺れは少ない。……もっとも、地震発生時に運よくアトリエに居ればの話なので、案外私のような者に限って、外出時にアクシデントに見舞われるのがオチなのであろう……。私が度々行く、上野の山続きの高台にある日暮里や谷中の墓地辺りは、関東大震災の時には地盤の層が堅かったのであろうか、揺れが少なく被害も少なかった。だから、地震が起きたら先ずは竹藪や墓地辺りに逃げろ!!という言葉があるが、昔の人は、今よりももっと賢く知恵があり、物がよく視えていたのだと思われる。

 

 

……と、ここまで書いて、私はふと気付いてしまった。今回のブログのタイトル『年明けに「恩地孝四郎」を読む』を書くには、あまりに前振りが長すぎて、もはや紙面(?)が足りないという事を。…………先日、平行して2冊の本を読んだ。1冊は池内紀『恩地孝四郎 一つの伝記』、もう1冊は長尾大という人が書いた『ジョルジョ・デ・キリコ 〈神の死・形而上絵画・シュルレアリスム〉』であるが、特に、近代から現代に至る創作版画の黎明期に、パイオニアとして革新的な表現を確立した恩地孝四郎について書くには、あまりに紙数が少なく、ここは断念して余力を貯め、次回に集中して書きたいと頭を切り替えた次第である。その分、次回は、読者諸兄の納得と満足を得るような名文を書かねばいけないのである。続く、……乞うご期待。

 

 

 

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『……去年(こぞ)今年……』

個展が始まった10月半ば頃から急に減り始めた感染者数が、12月の半ば辺りから次第に反転増大を見せはじめ、新顔のオミクロン株なる招かれざる客が欧米を席巻し、今や日本も面的に、その拡がりを見せている。しかし、内実、ジワジワと迫っている眼前の危機は、むしろ地震の方であろう。

 

 

 

 

 

……実は、今年最後のブログは、都市型犯罪として昨今問題になっている自殺願望の犯人からの「巻き添え被害」から身を護る方法について書こうと思っていたのであるが、何故かふと気が変わり、そうだ、地震について書こうと考え直して書き始めたら、正にその数分後の11時33分頃関東地方に震度3の地震が起きた。……私が度々書いている、いつもの予知体験ともまた違う、この直感力。……私は鯰なのであろうか!?

 

……実は昨日、アトリエの奥で、天井の高みまで夥しく積み重なっている作品を入れる硝子の函(約80個くらい)を見て、さすがに地震が来ると崩れて危ないと思い、低く平積みにする作業を終えたばかりであったが、やっておいて良かったと思う、この予感力。……私はやはり、正体は鯰なのであろうか!?

 

……閑話休題、地震についてあれこれ考えていたら、ふと、文芸では地震という主題をどう扱って来たのかが気にかかり、俳句で地震を詠んだのがないかと調べたら、それが続々とある事を知り驚いた。実に数千以上もの俳句があるのである。中でも目立ったのは正岡子規

 

 

・年の夜や/地震ゆり出す/あすの春

 

・只一人/花見の留守の/地震かな

 

・地震て/大地のさける/暑さかな

 

・地震して/恋猫屋根を/ころげけり

 

 

……と.まだ視線は客観的で優しい。他には、幸田露伴の「天鳴れど/地震ふれど/牛のあゆみ哉」。北原白秋の「日は閑に/震後の芙蓉/なほ紅し」……内田百閒の「蝙蝠や途次の地震を云ふ女」……寺田寅彦の「穂芒や地震に裂けたる山の腹」……。例外は、高澤良一という人の句「冷奴/地震のおこる/メカニズム」、……固いマントル、それを深部から激しく揺らす熔けた岩漿(1000度近いマグマ)の関係から地震は起きるので、この冷奴の喩えは、風狂の気取りを装って、一読面白いがいささか俳句の本領からは遠いかと思う。

 

……私の関心を引いたのは京極杞陽の「わが知れる/阿鼻叫喚や/震災忌」・「電線の/からみし足や/震災忌」。……そして圧巻は、1995年兵庫県南部地震で被災した、禅的思想と幻視を併せ詠んだ俳人・永田耕衣の「白梅や/天没地没/虚空没」。……一輪の白梅と、絶体の阿鼻叫喚との対峙、この白梅の非情なる美の壮絶さ。……また詠み人はわからないが、大地震後に襲ってくる、あの背高い津波の是非も無しの魔を詠んだ俳句「大津波/死ぬも生くるも/朧かな」を最後に挙げておこう。

 

 

……思うのであるが、来年の1月中旬から3月末の間にかけて、何やら不穏であったものの極まりが、何らかの爆発の形を呈して露になりそうな、そんな予感がしてならないのは、何も私だけではないだろう。……北川健次、遂に陰陽師として動くのか!?……それとも只の鯰の過剰な妄想だけで、事は収まるのか。…………とまれ、ここは静かに高浜虚子の、去年今年(こぞことし)から始まる名句を挙げて、今年最後のブログを閉じようと思う。

 

……ちなみにこの俳句は、地震ではなく新年が開けた時の虚子の心境を詠んだ句であるが、虚子が住んでいた鎌倉の駅前にこの俳句が貼られた時、それをたまたま通りかかった鎌倉長谷在住の川端康成が一読して、その言葉の凝縮のアニマに打たれ、背筋を電流が走ったという。……昭和25年正月時の逸話である。

 

 

 

「去年今年/貫く棒の/如きもの」

 

 

 

陰陽師・安倍晴明

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『ある程度、覚悟した方がいい!!と、…彼は言った』

……個展が終わり、ホッとしたのも束の間、次はオミクロン株なる新参者が急に登場し、世界が混乱を呈している。自称かどうか知らないが、ウィルス感染症の専門家という人達が様々な自説を語っているが、昨今の日本における感染者数激減の原因についてすら、誰一人理詰めで得心しうる意見を語れないのだから、まぁいずれも、話半分に聴いておいた方が心身のバランスの為にいいように思われる。

 

……周知のように、梅毒をヨ―ロッパに持ち込んだのは、1493年にコロンブスの探険隊の隊員と、西インド諸島の原住民との性交渉による感染が発端であったが、その時の感染拡大の速さは「辻馬車」のそれであったという。しかし今はその比でなく遥かに速く、故にオミクロン株なるものは当然、既に日本に入り込んでいると考えた方がよいだろう。

 

しかし今、コロナよりもっと具体的に間近の問題なのは、2ヶ月前から日本各地で頻繁に発生している地震の方であろう。かつて無い程のかなり活発な活動を見せているが、これも地震の専門家と称する人達がまだ穏やかな発言に留まっている中、今朝のテレビで京都大学の教授で地震の専門家なる人(名前失念)がズバリ一言「今回は、もはやある程度、覚悟した方がいい!!」と、重くヒンヤリと語ったのが、こちらの想いと重なってリアルであった。この覚悟という響きの中には、大被害から、私達の死までもが現実的に含まれている。かつて関東大震災の折りに、芥川龍之介川端康成(後に二人とも自殺)が連れだって、視覚のフェティシズム故に被災地を視て回った事があった。その際に彼らが目撃したのと同じ光景、本所の陸軍被服厰跡の四万人という人達の死体の山と化した写真八枚を、偶然に骨董市で見つけて持っているが、それは作家の吉村昭氏が著書『関東大震災』の中で「私が知る限り最も恐ろしい写真」と書いた写真である。さすがにそれはお見せ出来ないが、参考までに、彼ら四万人の都民が火災を逃れて、一斉にここ被服厰跡の広い空き地に逃れて来て、やっと生き延びたと安堵している群集の画像(これはネットでも見れる画像である)を掲載しておこう。悲劇はこの後直ぐに起きて、この写真に写っている人全員が、空から降って来た凄まじい猛火の中に消え、関東大震災の最大の惨事(死者総数八万人の内の半数がここで亡くなった)と化したのであった。………私達の脳は実に怠惰かつ楽天的に出来ているらしく、「自分が生きている間は、関東大震災のような凄いのは来ない!」或いは「よしんば他人は地震で死んだとしても、自分だけは死ぬ筈はない!」と根拠なく思ってしまうのであるが、さぁどうであろう。

 

 

……しかし、いずれにしてもかつて無い不穏な年の暮れではある。……先日、写真家の遠藤桂さんと神田明神近くでお会いする約束があり、何処か落ち着いて話せる喫茶店はないかと先に来て店を探していたら、老舗の甘酒店で知られる天野屋のショーウィンドゥの中に巨大な機関車の模型を見つけた。私の作品のコレクタ―であるTさんが鉄道マニアなのを思いだし、携帯電話のカメラで撮影して送ったら、その夜にTさんから、「画面右側に妙なのが映っているので視て下さい!!」という返信が来た。「!?」と思ってあらためて視たら、確かに、突きだした断末魔の手らしきものが映っていた。視た瞬間、背筋を走るものがあったが、……たぶん、偶然に映った何かの反射かとも思われる。……そう云えば正面の神田明神はかの首塚伝説で知られる平将門を祭った神社……と、まぁ関連して狭く意味付けしては凡庸すぎて面白くない。……むしろ、感染症パンデミック、地震……と不穏な気配が蔓延している今は、世界はパンドラの箱開き、この世とかの世が道続きである様を呈していて、世界の全てが逢魔が時、……この時期だからこそ、このような写真も頻繁に写ってしまうのであろう、……そう考えた方が面白い。

 

 

 

 

 

12月某日。……空気は冷たいが、たいそう陽射しが眩しいので珍しく庭に出て、道沿いの先にある薔薇園に行った。……次回は、そこで考えた、次の詩集の為の詩法について書く予定。……但し、その前に何かが起こらなければ良い……のであるが。とりあえず、乞うご期待。

 

 

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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