Event & News

『on Kawara(河原温)の作り方』

先月、池田満寿夫美術館で講演をした翌日に、私は長野駅から電車で上田駅に行き、私の作品のコレクタ―であり旧知の友人でもある真田町に住むK氏宅を訪れた。K氏ご夫妻は、500坪の土地と古民家付きの物件を3年前に田園風景の広い真ん中に入手して以来、自給自足・晴耕雨読の実に羨ましい人生の時間を過ごされている。庭園では数多くの野菜や果実を、また近くの川ではヤマメや鮎を釣ったりという、……都会の喧騒からみると、この土地では実にゆったりとした時間が流れていると想った。築100年は経つという古民家をモダンに改装したという趣のある家内に入って、すぐに私は驚かされる光景に出会った。……小暗い壁面に、グレーに彩色したキャンバスに、制作した日付をレタリングした「日付け絵画」で知られる河原温の作品が二点、さりげなく掛かっているのである。これは大変な購入金額になるであろう。……そして机上には、以前に川村美術館や原美術館の個展で見た事のあるトゥオンブリ(Cy Twombly)の、組み立てた細木に石膏地で白く彩色したオブジェが1点静かに置いてあり、……そして、もう一方の壁面には、私のオブジェらしき作品が掛かっているのである。しかし、一見して私は理解した。……自分で言うのもなんであるが、構成力、空間の間の取り方、詩情……つまりは総じての緊張感が全く伝わって来ないこのオブジェは、私の表現世界にK氏自身が入り込みたいという一心の強い想いで作った、一種のコピ―なのであった。私はその動機の純なるを知って笑いだしてしまったのであるが、……しかし、トゥオンブリは実に上手く出来ていて私は感心してしまった。トゥオンブリの個展会場に悪戯でそっと紛れ込ませても、おそらく観客も学芸員もそれと気付かないであろう、……それほどにこの作品は、トゥオンブリのエッセンスを掴んでいる。……そういえば氏は知る人ぞ知る、大のトゥオンブリのファンであり、その関連書籍を数多く持っている。果たしてK氏はトゥオンブリ研究の1つの試みとしてオブジェを作られた由。しかし私は言った。「君とトゥオンブリの決定的な違い、……それは君の方が綺麗に上手く造り過ぎている事だよ」と。……さて、もう一方の河原温、しかし、ここに両者(作者とK氏)の差は全くなく、完全にオリジナルに見えてくるから不気味である。……私は以前から河原温の「日付け絵画」を、関係画廊や美術館の学芸員が、沈黙に徹した河原温になり代わって、代弁者のごとくその意味性を熱く語る程には評価していない。ただ、その概念なり、ミニマルなり、……まぁそんな事はどっちでもよいのであるが、その概念なり、ミニマルなり……を意味付けるに足る、あの日付け日記の画面に配されたグレーの彩度の有り様の上手さだけは、意匠として、また修辞的な点から見て、秘かに、なるほど確かに役者だな!……と思っていた。スペインのベラスケスやゴヤの「黒」に影響を受けながらも、あの独自でエレガントな独自の黒に達した、マネのあの「黒」は、実に24色もの色彩を絶妙にブレンドして作られている事を知る人は少ないであろう。それを知る私としては、河原温について知りたい関心事は、唯その一点であった。……お茶を頂きながら、私はその事をK氏に話した。

 

 

河原温のコピ―の出来映えのあまりの上手さに疑問を発する私の問いに、K氏は次第に含み笑いをしながら「……実は1冊のネタ本があるのですよ!」と言いながら席を立ち、書庫の中から1冊の薄い冊子を取り出してきて見せてくれた。私はそれを開いて呆気に囚われてしまった。……かつて60年代~70年代中期までを席巻した「概念芸術」なるものは、例えば神社の構造的仕掛けと似ているところがあるように思われる。奥の聖なる神威気に意味を持たせる為に、その拝殿に到る迄の、鳥居からの静静と続く長い距離と玉砂利の感触と音、そして鬱蒼とした杉の木立は必須アイテムなのと同じく、作者と観者には既にして共有化された約束事、共有感覚、集合無意識的なと云っていい課せられた意味付け……といったものがいつからかある。そしてそこに疑問を挟む事は村に棲む者同士の無言の掟のように排されている。概念が、ただ概念だけがそこでは必死で震えながらつま先立ちで立っている。……故にその傾向の作品の作り手達は、作品の横にいて意味付けに饒舌になるか、或いは河原温のようにストイックなまでに沈黙に徹するかの二者択一の選択をとる事となる。しかし、この〈沈黙〉は明らかにデュシャンの姿勢を借景としている事は明白であるが……。そして教祖の沈黙故に信者は代わって多弁になる。……しかし、私が手にした薄い冊子には、「それを言っちゃお仕舞いよ!」とばかりに、私が知りたかった日付け絵画のセピア色の下地の塗りから、次なる色の重ね、そして下地の透かしと相乗して映える仕上げのグレーの塗りの生々しい行為を写した連続写真。そして最後の日付けのレタリングの様。まるで夏休みの工作本のように、さあ、君にも明日から出来る「河原温の作り方」といった内容が写真満載で載っている本を私は手にしてしまったのである。プロセスを撮した写真の存在は聞いていたが、出版となると、そこに具体的な別なる意味が加わって来よう。……歌舞伎役者が舞台裏まであからさまに見せては中心の何かが割れる。概念とは、巨大な時間や世界までも孕んでいるようであるが、その実は「表こそ全ての、つまりは一種の知的遊戯」のようなものかと思われる。……その表象の意味付けは、行為の生々しさを隠す事によってかろうじて成り立っているのであるが、この本は禁裏を破るようにして今ここに在る。奥付けを見ると河原温がまだ存命中の時の出版とは如何にも不可解。出版したのは作者の身内らしき女性の名前……。想像力の動きすぎる私が先ず考えたのは、余人の計り知れない何事かあっての本人もまさかの出版という推理……。この着想を笑うなかれ、かつてダリと近親相姦の仲であったとされる妹が、ガラに走った兄への復讐に書いた暴露本の主題は「如何に兄(ダリ)が普通の人間であったか!」という内容。謎めいた自己演出に必死のダリが最も嫌がる弱点の角度を妹は知っていたのである。……故に私の推理は先ずは俗からはじまり、次に至ったのは河原温自身によるパンドラの函明け、……つまり40年以上コツコツと作り続けた日付け絵画からの脱出宣言、自己放棄によるカタルシスの獲得ではなかったか……という推理である。数年前に私は河原温と親しかったというニュ―ヨ―ク在住の女性の画家とたまたま会って話をした折りに、河原温の本音は、絵を思いっきり描きたかったという事を本人はいつも云っていたと言うが、あくまでも他者からの伝聞なので、さぁ本当かどうかはわからない。もし本音であったとしても、契約画廊はそれを望まず、ストイックな生き様と、スタイルが変わらないという牢獄のような徹底を持って作者のアピ―ルを続けるであろう。……この点、たとえそのスタイルが評判が良くても、賽子の目のように表現が次々と変わり続けたピカソとは対照的である。ピカソが資本主義にひれ伏すのではなく、経済も含めた世界がピカソに平伏したのである。

 

……K氏宅から見る田畑の拡がりは果てしなく続き、蛙の声が響いてきて懐かしい。晴耕雨読は誰もが懐く理想郷であるが、氏はその生活を獲得し、自然を愛でるように美の世界もまた変わらぬ強い関心を懐いている。帰りにK氏はトゥオンブリの画集をお土産にくれたばかりか、真田町のこの土地から出土したという、銃弾を製造する鉄製のやっとこのような道具をプレゼントしてくれた。江戸期には武器の無断の製造は禁じられていた為に、これは錆び具合から見て、真田一族の時代の物かと想われる。その錆びた感触からは明らかな、遠い時代の時間の澱が紡いだ確かな物語りの豊かさが伝わって来て、概念という実のないものとは明らかに違う、確かな手触りの生ある豊かさが、ありありと伝わって来るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◀展覧会のお知らせ▶

独自な切り口で知られるスパンア―トギャラリ―の企画で、6月25日まで六本木にある六本木ストライプスペ―スで、『永遠の幻想・美の幻影』と題した展覧会が開催されていますのでご覧頂けると有り難いです。出品作家は私の他に、金子國義・合田佐和子・野中ユリ・今道子・Hヤンセン・ベルメ―ル……etc

 

〈六本木ストライプスペ―ス〉

東京都港区六本木5―10―33・ストライプハウスビル 1F・B1

TEL:03―3405―8108

地下鉄大江戸線・日比谷線「六本木」駅3番出口。

アマンドを右に曲がり、芋洗い坂下る。徒歩4分。

 

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『人生の不思議』

……人生とは偶然の重なりの連続であるが、それでもあの日の出来事がなかったら、或いは今の自分はなかったと思われる「時」があるものである。それが私の場合、池上線の池上駅であり、今もその駅を通過する時に、その改札口を出て、運命の「時」に向かって歩いていく私の後ろ姿を思い出す時がある。……その時の私は23歳、美大の大学院の2年の時であった。そして、その手には版画を入れたカルトンが携えられていた。私が向かって行こうとしている先には南天子画廊が主宰している版画工房があり、その中では、ニュヨ―クから帰国中の池田満寿夫氏が新作の版画集の制作に取り組んでいる最中であった。

 

……話は、それより3年前に遡る。大学2年の春に、私は偶然に友人宅で不思議な作品(それは印刷物であったが)に出会い、その表現の斬新さとポエジ―の深さに瞬間で魅了されてしまったのであった。友人に訊くと、その作品は銅版画であり、作者は池田満寿夫であるという。勿論その高名な名前は知っていたが、私はなによりその作品(『スフィンクス 森の中』)に、自分の感性と繋がる何かを直感し、銅版画をやってみようと瞬間で決意した日であった。……それから僅かに3年後、『プリントア―ト』という版画の季刊誌の編集長をされていた魚津章夫さんから深夜に1本の電話が入った。「北川さん、池田満寿夫さんに会ってみる気はありませんか!?」。……美大、芸大の版画科の学生四人と、ニュ―ヨ―クから帰国中の池田満寿夫氏との座談会を魚津さんは企画して、そこに私を選んでくれたのである。……そして、その座談会(新宿中村屋)の終わった後で、新宿から渋谷方面に帰るのは私と池田氏だけであったのは、今思い返しても不思議であるが、私は渋谷までの数分間の間に「池田さん、一度私の作品を見ていただけますか?」と切り出したのであった。「勿論いいよ、では近々に僕から電話するから!」と言って、私たちはお互いの住所と電話番号を書きあい、私は渋谷で下車したのであった。そして数日後の深夜に池田氏から突然の電話が入り、私は指定された池上線の池上駅に降り立ったのであった。

 

……駅から工房に向かう途中、緊張の中にも、しかし私には秘めた自信というものがあった。カルトンの中には、銅版画の詩人と云われる駒井哲郎氏から高く評価されていた処女作からの作品と、棟方志功氏が絶賛してくれた版画『Diary』などが入っており、当時の美術界を牽引していた鎌倉近代美術館館長の土方定一氏からは、美術館がバックアップして、南天子画廊での個展開催が約束されていたからである。私は詩人アルチュ―ル・ランボ―に自らを重ね、パリにいる詩人ヴェルレ―ヌに書いた手紙の1節「ヴェルレ―ヌさん、私をちょっと貴方のいる所まで引っ張ってくれませんかね」という生意気な一文があった事などを思い出しながら、不安と不遜の入り雑じった気持ちを抱きつつ、池上本門寺の方角を歩き……やがて工房に着き、ベルを押した。……満面笑顔の池田満寿夫氏が現れ、挨拶もそこそこに私はカルトンを開けて、大きな作業机の上に10点ばかりの版画を並べた。それを観る池田氏の表情が一瞬にして鋭いものになり、長い沈黙の後に「君はもう既に完成している。すぐに個展をやるべきだ!……序文は僕が書くから!!」と熱く語ってくれたのであった。私は駒井氏、棟方氏から評価を得た事、そして土方定一氏が個展を既に決めてくれている事を話した。すると池田氏は「いや、最初は番町画廊の方がいいと思う。」と強引に決めたのであった。私は土方氏には申し訳ないと思ったが、自分の運命を池田氏の直感に賭けた。そして数日後に池田氏は多忙なスケジュ―ルを縫って番町画廊に行き、社長の青木宏氏に私の個展開催の企画を話したばかりか、私と画廊とのプロとしての専属契約の手続きも全て完了してくれたのであった。私は学生でありながら、その日からプロの作家としての人生が始まったのである。……偶然はまだあった。……私の運命を変えた池田満寿夫氏の作品『スフィンクス 森の中』は、私が個展をする事になった番町画廊で発表された作品なのであった。そしてその出会いを知った池田氏は、その版画を私にプレゼントしてくれたのであった。私は夢見の中の気分のままに家路へと着き、…………時は流れ、今の私がここにいる。……導きのような作品との出会い、新宿中村屋での座談会、そして電車の中で切り出した、私の言葉……。あの時がなかったら、その後どのようになっていたかと時々想い浮かべる時がある。誠に人生とは不思議なアミダくじのようなものであるかと思うのである。

 

―池田満寿夫氏が急逝されてから早くも20年近い時が経つ。その作品のほとんど全作が池田氏の出身地である長野の池田満寿夫美術館に収蔵展示されている。池田満寿夫という極めて優れた多面体の突出した才能を様々な切り口から分析し、魅力的な企画展として長年展開しているのは、学芸員の中尾美穂さんである。中尾さんのその切り口の鮮やかさとセンスの良さに私は注目しているのであるが、各々の美術館の存在感と存在意義は学芸員の力量をそのままに映すという視点から見ても、独自な個性豊かな展示を、この美術館は継続しているのである。……その池田満寿夫美術館で、先日私は『天才の創造の舞台裏』と題して講演をおこなってきた。予定されていた以上の多くの方が来られ、私は、私の考えている池田満寿夫という人の多面体の魅力について語り、天才と定義したその意味について語った。……天才の定義、それはその分野の概念を大きく切り開いた才能のみに冠せられる一つの批評分析言語なのだと私は思うのである。……池田満寿夫。……この懐かしくも不思議な不世出の才能について語っている間、私は珍しくも高揚してくるものを覚えていた。講演を機に私は久しぶりにまとめて氏の作品の多くに接したのであるが、今も鮮やかな現在形として映る作品が数多くあるのを観て、時代の淘汰を潜り抜けて息づく氏の表現世界の確たる「今」を改めて確認出来たことに、高揚を覚えたのであった。……長野の広大な自然に囲まれた中に建つ池田満寿夫美術館。ぜひご覧になる事をお薦めしたい、確かな存在感を放つ美術館である。

 

……さて、日本橋浜町のギャラリ―・サンカイビで開催中の写真展『暗箱の詩学―サン・ジャックに降り注ぐあの七月の光のように』(30日まで)も、いよいよ会期が残り1週間となった。……池田満寿夫氏は版画、小説、詩、陶芸、美術評論、映画などに挑んでその多彩な才能を示した生涯であったが、やはり写真にも挑戦している。他に版画に挑みつつ写真にも挑んだ人を探せば、版画のパイオニアと評されている恩地孝四郎氏の存在が浮かんでくる。恩地氏はやはり詩も書いている。……その意味では、版画から始まり、オブジェ、コラ―ジュ、詩、美術評論、そして写真に挑戦している私は、何らかの影響をこの二人の先達から受けているといえるのかもしれない。しかし僅かにこの3人だけであって、あまりに他の表現者達(特に日本に於て)は大人しい。自分の可能性の扉を次々と果敢に拓いて行こうとする姿勢が見当たらない。そこには守りの姿が見えてくる。……というよりも、表現者としての焦点の意識、特異性が、恩地、池田、そして私が掴まんとしているのは、つまりは〈ポエジ―の形象化〉にあるのだと私は思う。直感と論理的整合性、言い換えれば、語りえぬものと語りえるものとのあわいに息づく何物かを照射して、そこからイメ―ジの核たるポエジ―の正体に迫りたいのである。……今回の写真展では色彩の不思議に加えて、写真の被写体の対象が様々である事に来場者は驚かれているようである。写真を撮る行為は、外界の客体を通しての自己表現であるという特異性が、私には常に手強く、またそれ故に尽きない妙がある。……ともあれ、私が挑んで止まない写真への挑戦の様を、ご覧頂ければ有り難いのである。

 

《ギャラリ―サンカイビ》

東京都中央区日本橋浜町2―22―5 TEL: 03―5649―3710

営業時間11時~18時 (日曜休廊)

〈交通のご案内〉

都営新宿線浜町駅A2出口「徒歩3分」

半蔵門線水天宮駅7番出口「徒歩6分」

日比谷線人形町駅A1出口「徒歩6分」

都営浅草線人形町駅A3出口「徒歩7分」

 

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『写真の個展いよいよ始まる。』 

日本橋浜町のギャラリ―サンカイビで、10日から写真の個展『暗箱の詩学―サン・ジャックに降り注ぐあの七月の光のように』(5月30日まで)が始まった。画廊のオ―ナ―の平田美智子さんは、9年前に私の写真家としての可能性を早々と見出されて、渡航の軍資金も用意して頂き、パリの硬質な光の中へと送り出してくれた慧眼の人であり、美の仕掛人であり、総じての私の恩人である。私はその期待に応えるべく厳寒のパリで集中して撮影を行い、帰国後にサンカイビで個展を開催した。その反響は直ぐに現れ、新聞の批評欄に好意的に書かれ、この国の写真分野のギャラリ―の草分け的存在であるツァイト・フォト・サロンの石原悦郎さんから絶賛され、熱い内容で書かれた分厚いお手紙までも頂いた。また出版社の沖積舎からは、企画で私の初の写真集『サン・ラザ―ルの着色された夜のために』が刊行されて、この国の代表的な写真家として知られる川田喜久治さんからは私の写真の特質に言及されたテクストを頂き、その文章が写真集に所収されている。そして写真評論家の飯沢耕太郎さんからもテクストを執筆して頂いたりするなど、幸運な恵まれたスタ―トを切ったのであった。しかし私は表現者として、オブジェ、コラ―ジュ、そして執筆の活動もする為に、まとまった写真の個展は今回の個展が実に久しぶりの発表となるのである。

 

撮影は昨年の9月に敢行された。パリとベルギ―・ブリュッセルの二ヶ所に赴き、約2000枚が撮られ、その中から厳選の篩を経た作品が、いま展示されているのである。……タイトル『暗箱の詩学―サン・ジャックに降り注ぐあの七月の光のように』に登場するサン・ジャックとは、パリ4区、シャトレ地区にある1522年築の54mの鐘楼―サン・ジャックの塔の事である。スペインまでのサンティアゴ巡礼路の起点で、アンドレ・ブルトンが「この孤独な、向日葵のような暗鬱さで華麗に立っている」という一文を遺しているが、なにより、パスカルが大気圧の観測実験(気圧は高度によって異なる)をした高楼として知られている。私のパリのイメ―ジの中では何故かいつも、この塔が中心に位置する不気味な存在として在り、その暗い魔的な存在に降り注ぐ光の放射をイメ―ジしながら、バリの随所においてシャッタ―を切ったのであった。私の背後に絶対の闇を配し、その波動を覚えながら、眼前の闇に棲まう光の魔性を刈る営みとして、撮影が連日行われたのである。……今回の展示では写真作品1点づつに書き下ろしの詩を配するという試みも行っているので、ぜひ併せて楽しんで頂ければなによりである。……会期中の5月21日は、長野の池田満寿夫美術館でゲストト―クで『池田満寿夫―天才の創造の舞台裏』と題して喋ることになっており、1泊して翌日に帰るので、22日は私はサンカイビの個展会場には不在であるが、30日までの会期中は、なるべく会場にいる予定である。……次回のメッセージは、その池田満寿夫さんの事と、長野の池田満寿夫美術館について書く予定。次回もご期待頂ければ嬉しい。

 

 

 

 

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『四月・新たなる次の個展へ』

東京銀座・画廊香月での個展が盛況のうちに終了した。昨年秋に開催した日本橋高島屋・美術画廊Xでの私の個展で、オブジェを16点まとめて購入された著名なコレクタ―の方が初日に来られて、今回の個展でも5点の作品を選ばれてコレクションされたのを筆頭に、作品が次々とコレクションされていき、最終日の昨日は、はじめてお会いした、小説を執筆されている若い女性の方がオブジェを一目観て気に入り二点買われたりするなど、昨年の画廊香月での個展を上回る数の作品が私の手元を離れて、眼識の高い美意識を持った人達との深い観照の場、……作品とその人とが長い対話を交わしていく形而上的な交感の旅へと旅立っていった。

 

 

昨日の個展の最終日は、しかし慌ただしかった。私との共著もある、わが国の代表的な詩人の一人・野村喜和夫氏と、奥さまのフラメンコ舞踊家の眞里子さんによって建てられた〈詩とダンスのミュ―ジアム〉の完成記念パ―ティが5時からあり、引き続きその足で、8時から荻窪のカラス・アパラタスでの勅使川原三郎氏と佐東利穂子さんによる新作のダンス公演「音楽の絵本」を観るために、画廊を4時に出て向かわなければならないのである。……野村氏宅に向かう途中で詩人の高橋睦郎氏と出会い、久しぶりに話を交わした。高橋氏も野村氏宅に向かう途中との由。……ミュ―ジアムに着くと既に多くの人(ほとんどが詩の分野か出版関係者)が来ており、入口から人であふれていた。渡されたパンフレットを読むと、コレクションの作家名に駒井哲郎、戸谷茂雄、吉増剛造、カバコフ、キ―ファ―、オノデラ・ユキ……柄澤斎などの名前があるが、圧倒的に私のオブジェ、版画などのコレクションが多数を占め、各展示室に私の作品が掛かっている。中でもひときわ目を引くのは、その数3000冊を越える膨大な蔵書のある野村氏の書斎であるが、主として天才詩人アルチュ―ル・ランボ―の研究書が多く、その壁面には、フランスのランボ―ミュ―ジアムにも収蔵されている私の版画「Face.of-Rimbaud」や、シェ―クスピアをモチ―フとした珍しい私のオブジェなどが多数あり、それらの作品の傍で野村氏は次々と詩を紡がれてきた事を想えば、熱い感慨が立ち上がる。……ともあれ、二十数点以上の私の作品が今後は常設でこのミュ―ジアムで観られるのである。詩とダンスの発信基地となることを目的として発足したこのミュ―ジアム、ご興味のある方は、エルス―ル財団記念館〈詩とダンスのミュ―ジアム〉を検索されて、お気軽にご覧になられる事をお薦めしたい魅力的な啓発の空間である。

 

 

 

 

 

 

……語り合いたい人が何人かいたがまたの機会にして、荻窪の会場―カラス・アパラタスB2ホ―ルへと向かった。1月の後半から2月に渡って勅使川原三郎氏と佐東利穂子さんは、招聘されてパリのシャイヨ―宮で武満徹の音楽と共に踊る長期の旅に出ていたので、お会いするのは久しぶりである。さて今回の公演「音楽の絵本」はまたしても圧巻であった。タイトルにある平明な装いとは裏腹に、絵本のように捲る1枚1枚の頁が、まるで川端康成の作品「狂った一頁」を想わせて更に華麗豪奢にして美しい狂気がそこに妖しく立ち上がる。美とは〈形而上的な毒杯であらねばならない〉と考える私の髄を突いてくる危うさを極めた、身体によって紡ぎ出されるポエジアの見事な顕現である。今回は佐東利穂子さんが更なる深みと鋼のような鋭さを見せて勅使川原氏と対峙し、正に両者の感性の刃がその切っ先を向け合うような緊張の内に、様々な音楽による聴覚からの侵犯と、視覚による身体表現の可能性が全開して私は久しぶりに酩酊の韻に酔った。……公演後にスタジオの別室で勅使川原氏と暫し話を交わしたが、それは自分が考えている〈美とは何か〉への自問を鏡に映して確認するような手応えのあるものであった。休みなく新作の公演が次々と控えているが、わけても今回の公演「音楽の絵本」(4月1日迄)、ぜひご覧になられる事を強くお薦めしたい、優れた作品である。

 

 

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『立体犯罪学』

今月の6日から25日(土)まで、東京の画廊香月(銀座1―9―8 奥野ビル6F・1時~6時半・日・水は休み・TEL03―5579―9617)で、オブジェを中心とする個展「立体犯罪学―Victoriaの黒い地図」を開催中である。朝日新聞の美術欄に作品の写真入りで記事が載ったこともあり、連日たくさんの人が観に来られ人の絶え間がない。それは作者として嬉しい手応えであるが、いろいろな人との応対で話題を様々に変えるのがたいへんであり、またそれが面白くもある。……そして、なかなかお会い出来ない遠方の九州や北海道からもコレクタ―の方が来られるので、個展は嬉しい再会の場でもあるのである。……ところで、話は遡るが、私は1月の引っ越しで大変な失敗を犯してしまった事に、個展の案内状を出す段になって気がついた。友人や知人の住所と電話番号を記した大切なノ―トを何冊か紛失してしまった事に気がついたのである。……だから、このメッセージを読まれている方で案内状が毎回届くのに、今回は届かなかった人がおられたら、その名簿の中に記録されていたのだと思って、ご容赦いただきたいのである。……基本的にアナログな考え方なので、時折このような失敗をしてしまう事がたまにキズなのである。東京の個展が終わると、すぐに福井での個展があり、5月10日からは、明治座から近い日本橋濱町のギャラリ―・サンカイビで新作写真展を開催する事になっており、昨日の午前中、銀座の個展会場に行く前に打ち合わせをおこなった。画廊のオ―ナ―の平田さんは、個展案内状を四つ折りにし、チラシもかなり凝った内容にする考えである事を知り、私もその気持ちに応えるべく熱くなってくる。しかし、写真の内容に幅があるので、それらを絡めたタイトルがまだ浮かばないでいる。私には珍しく難産なのである。……しかし、間もなくそれは神の啓示のようにして突然舞い降りてくるかと思われる。私は、その瞬間に網を張り、それを瞬間的に捕まえる狩人とならねばならない。……「稲妻捕り」……そう、その時、この言葉が私には相応しい。次回は、この「稲妻捕り」という言葉についての知られざる秘話を書こうと思う。

 

 

 

 

「立体犯罪学―Victoriaの黒い地図」

日時:3月6日(月)〜25日(土) 午後1時~6時30分(定休日:日・水)

場所:「画廊香月」 中央区銀座1―9―8 奥野ビル6F・TEL03―5579―9617)

 

 

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『オブジェとしての写真集』

9月初旬の10日間ばかり、撮影を兼ねてパリに滞在していた折りに、パリの画廊で友人の写真家が個展を開催するタイミングと重なったので、そのオ―プニングに行った事があった。その時にいろいろな人と話す機会があり気づいた事であるが、最近の写真の分野では、写真と併せてその作者のコンセプトなるものが重視されており、差別化されたそのコンセプトの独自性(?)なるものを持って販売アピ―ルの具としているという傾向がある事を知った。ちなみにその友人の写真家の作品は〈寡黙〉を持って十分に主張している作品なので、殊更な言葉を必要とするほど軟弱ではない強さがあったが、その会場で私は、パリの写真界に限らず、それがこの分野における現在の主たる傾向である事を痛感したのであった。……当然な事であるが、表現された作品は元来が〈匿名〉であり、そこに取って付けたような作者の言葉は必要ない筈である。優れた作品ならば、それ自体が十分に饒舌な筈である。……売らんかなの為に、この作者の世界観、この作者の視点の在所はこんなに独自的云々…………といったコンセプトなるものの販促めいたものがセットで必要とされているところに、この分野の今日の苦戦と立ち位置の覚束無さを私は覚えたのであった。この傾向の行き先は、つまりは、作者とその作品を細いものにしていき、観る事のアニマから随分と程遠いものにしていくに相違ない。

 

また別な傾向としては、50、60年代に写真家として盛りを過ごした人達がいるが、昨今の「あの熱かった時代を回顧して意味を照射する」という流れに乗って価値付けされているものの、つまりは表現者として現在形の活動、新たな表現領域の開拓といった活動からは遠い安穏の人達である事に、私は表現者の生き方として、些かの疑問符を持って見ているのであるが、先述した、いたずらなコンセプトを一切必要とせず、またこの国における写真集の金字塔ともいえる作品を60年代に早々と発表しながらも、その事に安住する事なく、自らの突き上げるデ―モンに煽られるようにして、果敢に次なる可能性に挑み続けている写真家(写真術師)が、この国に唯一人存在する。……川田喜久治氏である。

 

9・10月に日本橋高島屋で開催した私の個展に川田喜久治氏が来られた折りに、最近刊行されたという写真集の事を話されたのであるが、その写真集が先日、我がアトリエに送られて来た。……写真集のタイトルは『遠い場所の記憶: 1951 ―1966』。1951年、高校卒業の時に川田氏が撮った写真をカメラ雑誌のコンテストに応募して、たちまちその写真が特選となるが、その際の審査は木村伊兵衛と土門拳であったという話には、1つの真実が潜んでいる。……時代の常として、どの分野においても後に突出した人物となっていく逸材は、初めから或る種の完成度の高さと、潜んでいる胚種の多層さを持っているのであり、木村伊兵衛、土門拳といった強度な慧眼の持ち主は、そこに次代の新たな才能をたちまち見抜いた事は間違いない。……この写真集は川田氏の初期から1966年までに撮った数多の写真から厳選して構成されたアンソロジーであり、その存在感と、内容の濃密さからは、「オブジェとしての写真集」という形容が相応しい。

 

写真集の最初(序章)は、戦後の世相をひんやりと切り開く描写から始まっているが、次第に多層的な表現の放射へと拡がり、この世の内実が魔的なものに満ち充ちていることを、まるで千の暗い仏壇の闔を開いていくように、この写真集は次々と展開していく。そのいずれもが象徴性と多弁性を持って此方に挑みかかってくるのであるが、……わけても私の興味を引いたのは、「Mのトルソ」と題された、身に付いた筋肉を誇示している男の顔無しの写真であった。……顎から上の顔面が撮されていない〈三島由紀夫〉の腕組む胸部を写した何とも不穏なトルソであるが、後の自刃を暗示しているようでもあり、ある意味で、三島の魔的な肖像を欠落故により饒舌に表してもおり、私は禁裏を垣間見るような一種の戦慄を持って、この特異な写真に見入ったのであった。三島は若き日の細江英公を指名して写真集『薔薇刑』なる美の伽藍を築いたのであるが、川田氏のこの写真を前にすると、『薔薇刑』が装いの表象、いとも脆い表側の顔にさえ見えてくるのであるから、真に川田喜久治氏は恐ろしい。……私はこの写真集に接して漸く気づいたのであるが、光とは、闇を照らす陽的な存在ではなく、闇に蠢く万象の不気味なる実相を覆い隠す為の嘘のフィルタ―のごとき存在として在るのだと思い知らされたのであった。以前に私は川田喜久治氏を評して、ゴヤの魔的なる遺伝子を継ぐ正統と断じた事があるが、私は更に上田秋成の名前を借りて、この写真集を現代版『雨月物語』とでも言い表したい衝動に駆られているのである。

 

 

 

 

川田喜久治写真集『遠い場所の記憶: 1951 ―1966』に関するお問い合わせは、PGIにて受け付けております。―是非のご高覧をお薦めしたい、写真による暗黒奇譚を紡いだアンソロジー、後世に間違いなく残る、オブジェとしての写真集です。

 

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『突如、前原伊助が!』

鹿児島の個展開催中の六日間、私の頭の中には139年前にこの地で起きた西南戦争と、はたして西郷隆盛とは何者であったのか……という問いがあり、その最終舞台となった城山の現場を歩く日々が続いた。……そして個展が終わり、東京に戻って来たと思いきや、その二日後の夜には、314年前に両国橋近く、本所松坂町で起きた赤穂浪士による吉良邸の討ち入り現場跡にいた。日はくしくも同じ12月14日。……この日は昔日の夜に吉良の首を求めて吉良邸の中で47人の浪士が血眼で乱闘を演じた、まさにその同じ空間にあるシアタ―Xで、314年後のこの日に、勅使川原三郎氏のダンス公演「白痴」が演じられるのである。両国に早く来た私は北斎美術館、関東大震災最大の悲劇の現場となった4万人が焼死した現場跡に建つ震災記念館と死者が眠る納骨堂を訪れてから、会場に来たのであるが、少し早かったので、吉良邸跡に行き、その後で、既に夜の帳がおりて闇が支配する付近を散策したのであった。

 

……この付近は、勝海舟、芥川龍之介、小林一茶、葛飾北斎たちの生誕や住居跡が多く、江戸の空間にタイムスリップしたような不思議な時間感覚を覚えるゾ―ンであるが、人気の絶えた暗い通りを歩いていて、彼方の暗闇に何かの碑が朧気に見えたので近づいて見て驚いた。……赤穂浪士の一人で、大胆にも吉良邸の近くで米屋に成りすまして吉良邸にも浸入し内偵していたという、前原伊助のその米屋跡を示す碑が、それなのであった。

 

 

最近の研究で、この「赤穂事件」に関する実際の史実がよりわかって来ており、先日のTVでもそこに言及していたが、この前原伊助宅で大石内蔵助はじめ47士は、隠してあった討ち入りの衣装に変え、武器を手にして、僅かに100メ―トルもない吉良邸に速攻で討ち入ったのであった。(……話しには聞いていたが、こんな間近から出発したのか!)……私たちのイメ―ジに刷り込まれている忠臣蔵の服装、雪、炭倉などの話しは、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵(1748年初演)や、それを模した、後の映画やTVに拠るものがあるが、……では、本当は、真実はどうであったか!?を徹底的に知りたい私にとって、この私の〈知りたい願望〉に答えてくれる、遠い彼方からの恩寵のように、闇夜に見る前原伊助の碑は私を高ぶらせてくれたのであった。

 

…………たかが碑を見つけたくらいで、かくも高ぶる私のこの文章を読みながら、読者は或いは何がそんなに面白いのかと、疑問に思われているかもしれない。かくいう私自身も我が身をかえりみて時々自分でも可笑しく映る時があるのだから当然であろう。………………私は、美術評論めいた本(『モナリザミステリ―』も書いているが、その執筆の際に自分に課した事があった。それは、学者のような机上の空論はやめて現場主義に徹する事であった。刑事が信条としている現場百回を範としたリアリティ―のある文章を書く事に徹したのである。結果、拙著を読まれた方々から頂いた感想で最も多かったものが、私がモナリザの多面的な謎に迫る為に、フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィアに飛び、また京都大学大学院の発達心理学の教授に、哲学者の木田元氏を介してお会いし、私の持論と推論の裏付けを確認したり、光明寺に赴いて、秘仏の法然像を見せてもらい、モナリザとの類似、そしてダヴィンチと法然の内面にある母子合体の願望の共通点に迫るなど……およそかつての美術論になかった現場主義の徹底とその醍醐味に共鳴されたという方々が多かった。私の中に蓄積している様々な知識の点の散らばりが、現場に行く事で点と点が繋がり、それが瞬時にして一本の線になり、結果、絡み合っていた紐がほどけて、そこに好奇心と知のカタルシスがどっと流れる瞬間の恍惚が、書く事のアニマとなって伝わってくるのである。それは、制作の悦びとも繋がっていて、強度な美を立ち上げる為に私は徹底的に虚構性を詰めていく。そしてその果てに立ち上がるリアリティ―の顕在化に、表現者としての創る事のアニマを覚えるのである。……要するに私はしつこいのであろう。そして思うのだが、私は消え去った時間と、それが孕んでいる物語に、あまりに遅く生まれてしまった者としての悔恨と羨望を覚えているのであろう。

 

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『鹿児島にて想う事』

鹿児島の画廊「レトロフト」での個展初日は、朝日新聞、南日本新聞の取材があり、またテレビ局からも取材と撮影があったりして、喋ることに追われた1日から始まった。……しかし、画廊の始まりが11時からなので、二日目からは、画廊のオ―ナ―の永井明弘さんにご案内いただいて、西南の役の最期の激戦の地となった、西郷たち60名が籠った洞窟、そして西郷が2発の弾を被弾した場所、……最期に自刃した場所や、砲弾の痕が生々しく残る私学校の石垣、……また、歴代の島津家の墓所、西郷、大久保利通らの生誕地などを連日見て廻っている。……今から7年ばかり前に、私は津山30人殺し〈昭和13年勃発〉の現場に行った事があるが、その時と同じく、例えば司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読んでも見えてこない、城山の規模、被弾した場所から自刃までの距離(実際に歩くと180メ―トルくらいであった。)が、現場に行ってみると、その規模や距離感がわかって、当事の激戦の様(政府軍4万対、西郷軍は最期の時は僅かに60数名!)がありありと見えてくるのである。

 

……連日ご案内いただいている永井さんは、幕末史に関しても実に詳しく、同行していただくのに、これ以上の人はいない。しかも永井さんのかつてのご実家は、何と西郷が被弾した場所の、まさにその場所に在って、かつては大きな旅館を経営されていて、画家の梅原龍三郎や海老原喜之助をはじめとして多くの画家や文人が訪れて桜島などを描いたという逸話が残っている。……自刃の後に西郷の首はいったんは河原の地中に埋めて隠されたが、折からの激しい雨に流されて頭部が出てきた為に、政府軍によって発見されたという、その場所について私たちは推理しながら、当事の面影を僅かにとどめている、その城山のエリアを廻った。……西郷を中心に2400名以上が整然と眠る南州墓地に行き、その側に建つ顕彰館を訪れた時は、以前から見たかった物が展示してあって、私は興奮した。……それは、西南の役最大の激戦地だった熊本の田原坂〈たばるざか〉で見つかった物であるが、政府軍と西郷軍が撃ち合った銃撃戦で、お互いの弾が空中でぶつかって1つの塊に変形したその現物が展示されていたのである。この事からも激戦の凄さが生々しくリアルに伝わってくるというものである。

 

西郷隆盛がもし西南の役を起こさずに生きていたならば〈事実は政府の仕掛けた挑発にはまってしまったのであるが……〉、或いは日本は大久保利通によって牽引された欧化主義の稚拙な模倣、そしてその後の資本主義による今日的な疲弊はなく、或いは農本主義を中心に置いた別なこの国の姿があったかもしれない……と考える事には、取り返しのつかない苦い感慨が付きまとう。海軍卿であった勝海舟、そして後の夏目漱石といった真の知識人のみが、この国が辿っていく末路を冷静に見透していたように思われる。…………さて、その想像を信長に広げれば、或いはこの国は合理主義的な海洋国家として、私たち日本人の想像を遥かに越えた可能性の姿があったわけであるが、その意味でも、信長と西郷隆盛の悲劇は、一個人の死を越えた、この国のタ―ニングポイントであったように思われるのであるが、果たして皆さんはどのように思われるであろうか!?

 

……さて、鹿児島での個展は、いよいよ11日で終了する。今回の個展は11時から19時まで毎日ずっと会場に詰めていたので、初めての様々な方とお会いする事が出来、予想していた以上に充実した日々であった。作品を通して多くの人達と巡り会う事の多い、表現者としての私の人生。……ふと想うのであるが、それはあたかも定宿のない旅人の人生と重なって見えてくる時がある。圧倒的に出逢いの多い人生であるかと思うが、この大切な出逢いを、人生は一度限りの思いを強くして、いよいよ形あるものにしていきたいと考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『いざ鹿児島へ……』  

先日、名古屋のSHUMOKU GALLERYで開催されていた個展「危うさの角度」が盛況のうちに終了した。オ―ナ―の居松篤彦さんとは初めての個展の試みであったが、実際に数日間滞在した事で、予想以上の閃きがあり、次の個展に向けての様々な手掛かりを覚える事が出来た。私は、個展の会場となる各々の画廊の空間の特質を重要視しているが、居松さんの画廊は1階と2階で構成されるという特異な構造から出来ている。この特質性を生かした個展のテ―マを創造的に立ち上げる事が、今の私の緊急の課題なのである。ただ単に作品を分けて展示するのでなく、何かそこに艶やかな着想に基づいた、意表を突くような驚きを孕ませたいのである。………………さて、今年もあと1ヶ月で2016年が終わろうとしている。今年は、3月のぎゃらり―図南(富山)での個展から始まり、次に慌ただしい中での撮影の旅があり、4月にギャラリ―香月(東京)、そして9月に今度は長期のブリュッセルとパリの撮影の旅を断行し、帰国してすぐの9月末から10月中旬までは高島屋の美術画廊Xでの個展、そして休む間もなく11月初旬から名古屋、SHUMOKU GALLERYでの個展と続いたが、今年の最後に、今月の6日から11日まで、鹿児島での初の個展が開催されるのである。

 

会場となる画廊の名は「レトロフトMuseo」。築70年以上の文化遺産的なビルで、まさしくレトロにしてモダンな趣のある鉄筋建ての建物の2階にある画廊。……空間がかなり広く、オブジェ、版画、コラ―ジュ、写真をゆったりと展示する事が出来た。オ―ナ―の永井明弘さん・友美恵さんご夫妻は、不思議なご縁でミラノで出会われたという経緯があり、ご主人はそのミラノで造園デザインを学ばれているので、今回の個展のタイトル『狂った方位―エステ荘の南の庭で』は実に相応しい。しかもご夫妻は実際にロ―マにあるエステ荘を訪れられているので今回の個展は虚構と現実が錯綜している。……今年の2月にはヴェネツィアへの旅に行かれたが、宿に選んだペンショ―ネ・アカデミア(19世紀の旧ロシア領事館の遺構)は、25年前に私も長期で泊まった思い出の宿であったが、展示作業の間に話された、そこで体験された興味深い話は、私の次なる作品のイメ―ジに直結してくるものがあった。…………私の作品の背後にある画廊の窓からは、昭和初期に建てられた銀行の趣のある姿が重なって、まるで1930年代の上海か大連にいるような観があり、作品が呼吸をしているような生気を帯びて見えてくる。……私の作品は九州では、熊本市現代美術館大分県立美術館に収蔵されているが、この鹿児島のレトロフトMuseoでの個展を契機にして、もっと多くの九州の方々に私の作品を観て頂ける事を願っている。

 

 

 

 

 

レトロフトMuseo

鹿児島市名山町2―1 レトロフト千歳ビル2F

TEL099―223―5066

 

 

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『名古屋・SHUMOKU GALLERY・居松篤彦さん』

高島屋の個展が終わって3週間ばかりが過ぎたが、最近嬉しいお便りが次々と届き、作者である私は幸福な気分に充ちている。高島屋の美術画廊から作品を購入された各々の方に作品が届き、それが部屋に掛けられる事になるのであるが、その部屋の光景を撮った方々から私に、その写真と共に、とても喜んでおられる事を記したお便りが届いているからである。私は作り手として、本当に理想的な関係を、多くのコレクタ―の方たちと築いているという事をあらためて実感しているのである。……私の手元に届いた写真を見ると、確かにコレクタ―の人達もまた、なかなかにハイセンスな人達である事が伝わってくる。いずれの方々も、その作品が活性化して見えるように工夫され、写真からイメ―ジの躍動感が伝わってくるのである。そして、私の作品と、それをコレクションされている方との間において、日々の豊かな対話が、これから何年後も紡がれていくのである。私の持論である「コレクションするという行為もまた創造行為である」という事が、豊かにその人の生の中で展開していくのである。……そう、その作品において、作者は二人いるのである。

 

……今月の3日から名古屋のSHUMOKU GALLERYで始まった個展「危うさの角度」であるが、遠方からも沢山の方が来られて盛況を呈している。画廊の空間は広く、1階と2階に作品が実に考えて展示されており、私はその構成力と展示のセンスの見事さに驚嘆したのであった。制作したばかりの最新作が手応えを持って来廊者に伝わっており、画廊のオ―ナ―の居松篤彦さんからも、反響がリアルタイムで伝わってきている。居松さんはまだ40才を過ぎたばかりであるが、美的感性の直感力は極めて鋭く、今後のこの国の美術分野をギャラリストの面から牽引していく一人になっていく事は間違いのない人物であると私は見ている。今、この国の美術分野で最も失われて久しいのは、高い理念と独自のヴィジョンを持ったギャラリスト、すなわち本物の美を見極める眼識を持った人物の存在である。その才能を持ったギャラリストの存在があまりに少な過ぎるのである。……私と居松さんは縁あって出会ったわけであるが、その意味は、今後豊かな形として、ますます必然性の様を帯びて明らかになっていくように思われる。……会期は、今月の26日(土)まで続く。ぜひこの機会に私の新作展における〈挑戦〉をご覧いただければと、願っている次第である。

 

 

 

 

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