Event & News

『狂える夏の調べ』

①「夏日烈々」という言葉が正に相応しい猛暑の中、最近の私は本郷の坂道をよく歩いている。谷中と共にここ本郷一帯は、風情、情緒…といったものが、東京の地で最後に残っている場所である。そして、一葉、啄木、宮沢賢治…が、その天才を燃焼させるがごとく、あまりにも短い生を駆け抜けた舞台でもある。

 

その本郷にある画廊「ア―トギャラリ―884」で、今月の31日まで「北川健次展―鏡面のロマネスク」が開催中である。この画廊での個展は三回目になるが、昨年の秋・12月に予定されていたのがコロナ禍で延期され、満を持しての7月10日からの開催となったもの。コロナ禍とはいえ、私の個展は何故かいつもぶれずに強く、今まで未発表だった珍しい作品も展示してある事もあり、連日観に来られる方が多く、好評の中、会期はいよいよ最終章へと入った。画廊の中は心地好い冷気が充ち、たいそう居心地が良いのか、来られた方はのんびりと時を過ごされている。……ご興味のある方の為に、場所や日時を以下に記しておこう。

 

 

 

『ア―トギャラリ―884』

○東京都文京区本郷3―4―3 ヒルズ884 お茶の水ビル1F

○TEL/FAX .03―5615―8843

11時~18時 月曜休み

(最終日は16時まで)

 

JRお茶の水駅・丸の内線お茶の水駅・千代田線新お茶の水駅下車

➡順天堂医院本館➡サッカ―通り手前角寄り。(駅から徒歩7分くらい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②日活のロマンポルノ全盛期にその異才を発揮し、その後に『櫻の園』『遠雷』『海を感じる時』『ヌ―ドの夜』……など、数々のヒット作を企画・製作し、この国の映画史にその名を刻んだ成田尚哉氏が、享年69才で昨年の9月11日に逝去してから早くも一年が経とうとしている。……本当に早いものである。その成田氏は度々このブログでも登場したが、三年前の晩秋に、私は彼に樋口一葉の裏日誌(いわゆる、文藝とミステリ―の融合)のような、妖しくも奇想に充ちた映画を作ってもらおうと思い立ち、彼を誘って本郷菊坂を中心にロケハンのように二人で歩き、老舗の鰻屋『鮒兼』で、…明治26年、霧の中の浅草十二階の暗い内部の描写から始まる場面構想を熱く語ったものである。……あぁ、あの時、二人でこの道を、あの階段を歩いたなぁ……と想いだしながら、先日も西片町、真砂町、菊坂、初音町……を歩いた。

 

……その成田尚哉氏の一周忌に合わせた追悼展の企画が現在進行中である。……彼は映画の分野でその異才を存分に発揮しながらも表現欲は留まる事を知らず、その才能をオブジェやコラ―ジュにも加速的に発揮し、私は彼の表現者としての深度が年々深まっていくのを間近で目撃していたのであった。その集中の様は凄まじく、後から思うと、自分の生の時間が残り少ないという事を、どこかで予感していたようにも思われる。

 

……追悼展の事は昨年の秋に企画が早々と決まり、彼が作品を発表していた下北沢の画廊『スマ―トシップ』の三王康成氏と私、そして奥様の成田可子さんとの打ち合わせが、平井のご自宅で五月と先日の二回、行われた。……私は六月末に個展案内状に載せるテクスト文を書き上げ、三王氏がデザイン構成他を担当し、順調に仕上げの段階に入った。成田尚哉氏の追悼展は今年の9月10日から18日までであるが、会期が近づいたら、またこのブログで詳しくご紹介する予定である。

 

 

③……異常な長雨の梅雨がようやく去ったと思ったら、入れ替わるように、明らかに昨年の夏を越える感の異常な猛暑の夏の到来である。……そして、強力な感染力を持つデルタ株がいよいよその凄みを増すという8月に向かい、最悪のタイミングで、拝金主義にまみれたオリンピックが蓋を開けようとしている。BBCなどの主要な海外メディアは揃って「今回の東京オリンピックは史上最悪のオリンピックになる!」と至極当然の論調である。……先日、イギリスのジョンソン首相は「コロナウィルスとの共生の道を選ぶ」という指針を示し、その流れが今、注視されている。この共生への道は、最初はその早急さ故につまずくと思われるが、やがて定着していくであろう。…….. さて、私はこのジョンソン首相がけっこう好きである。世界に感染が拡がり始めた当初に、私の考えと同じく、ウィルスのどしゃ降りの中に突っ込んで潜り抜ける姿勢(農耕ではなく遊牧、騎馬民族的な、この期に及んで是非も無し、強い者のみが抗体を獲て残ろうぞ!という中央突破的な考え)を提案し国民の顰蹙をかい、結果、本人もコロナに感染し、一時は生死の境をさ迷った。……しかし、いつも何かに追われているように必死な、さすがにシェ―クスピアの国を想わせる演劇的表情過多のこの人は、度々様々な着想を提案し、けっこう闘っているのが伝わって来て、何処かの国のボ~っとした覇気の無い、眼力の無い人物の無策、詭弁、信念の無さに比べると遥かに良い。いや面白い!!。

 

……彼が提案した「ウィルスとの共生」という考えは、完全な収束を願うよりも一番理に叶っている。地球が誕生したのは今から46億年前。ウィルスは30億年前に出現。人類は未だ20万年の歴史しかない。地球全史を1年に圧縮すれば、ウィルスは5月に生まれ、人類が生まれたのは大晦日の夜の11時頃にすぎないという。つまり圧倒的にウィルスの方が大先輩なのである。しかもウィルスは不気味なまでに賢く、人類の進化にも寄与している部分が大であるという。スペイン風邪の猛威は何億という人間を死に至らしめたが、何故か自然収束して、その姿を消した(正確には隠した!……それはシベリアの凍土の下に姿を隠し、また出現の時期を計っているという説もある)。そのウィルスは人類がいないと自分達も繁殖しないので、自らの意志があるかのように、人類をギリギリまで追い詰めて、最後は生かしておいて、後日の変異した我が身の温存をそこに計るのである。……この辺り、新宿の盛り場で、ボコボコに相手を殴ったチンピラが「今日はこれくらいにしてやるから感謝しろよ!!」と、毒のある捨て台詞を言いながら厳つく去っていく姿と少しだぶる。

 

……とまれ「お・も・て・な・し」が、正しくは「コロナで貴方をお・も・て・な・し」となった今日。選手村は予想された事だが陽性者の巣窟と化し、デルタ株はねずみ講のように拡がり、今年の8月は正に『八月の狂詩曲』ならぬ『八月の狂死曲』となるであろう。…………今年の夏は至るところで、死影のような今まで見たことがない陽炎が立つように思われる。

 

 

 

 

 

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『銀座・永井画廊での展覧会が終了』

先日の7月3日、永井画廊での展覧会『北川健次展―彼らは各々に、何をそこに視たのか』が、連日盛況の内に無事終了した。このコロナ禍で来場される方の入りがさすがに気になっていたが、始まってみると、連日たくさんの方が観に来られて、本当に有り難がった。棟方志功さん、駒井哲郎さん、池田満寿夫さんの三人の版画史の先達と、自選した私の代表作とのぶつかり合いという展覧会の切り口の妙、そして、永井画廊と画廊主の永井龍之介さんの知名度の高さ、また、現代の版画の状況への懐疑と問題提示、などが展覧会の開催意義と重なり、多くの目利きの方を刺激する展覧会となった。

 

 

 

 

会期中に来られた棟方志功さんのお孫さんの石井頼子さんからは、棟方志功さんについて詳しく書かれた著書『棟方志功の眼』がアトリエに届き、私は面白く、また懐かしく読み耽った。そして実に鋭くこの鬼才の本質に触れられていて、棟方志功解釈に於いて多くの得るところがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また最終日には、駒井哲郎さんのご長男の駒井亜里さんが、画廊に来られて実に45年ぶりの嬉しい再会が叶った。私が美大の学生時、亜里さんには一度だけ駒井さんのお宅でお会いした事がある。痩せて貧乏学生だった私に、駒井さんから、奥様が作られたカツ丼をご馳走して頂き、そのテ―ブルに亜里さんもおられて私達は一緒に食べたのであった。金もなく毎日ろくな物を食っていなかったので、本当にその時のカツ丼の美味しかった事が懐かしく思い出される。(……駒井さんは、懐が深く実に優しく、そして厳しかった。……確かその日の私は、かなり過激な事を駒井さんに喋りまくり、食ってかかったというのに……)

 

画廊で、私と永井さんは、亜里さんから、駒井さんの制作時の貴重な逸話を伺い、その作品に秘めた駒井さんの意図が見えて来て興味深いものがあった。……私は亜里さんに、全く誰も気にかけていない駒井さんの作品で、孤高の民俗学者にして国文学者であった、折口信夫(釋迢空)を描いた肖像(一点だけのモノタイプ作品)の行方について伺った。……以前に『文芸読本』の折口信夫特集の表紙を飾っていた作品で、駒井さんの中では異質な作品であるが、駒井さんの精神の闇が如実に出ている逸品である。しかし、駒井哲郎展では全く展示された事のない作品で、私はずっとこの作品の事が気になっていたのである。亜里さんは、たぶん自宅に在る筈と言われ、探して頂けるという事なので、私はそのオリジナル作品をぜひ拝見したく、その日が今から待ち遠しい。ちなみに、この折口信夫特集の執筆者は、西脇順三郎、小林秀雄、柳田国男と揃っており、三島由紀夫の小説『三熊野詣』の老いた国文学者のモデルであり、何とも奇怪でグロテスクな感さえある三島の鋭い描写であるが、駒井さんが描いた折口信夫のそれとピタリと重なるものがあり、実は駒井芸術における重要な作品のひとつと私はかねがね睨んでいたのであるが、例えば学芸員達には、全くその作品の事が頭から抜け落ちているらしい。

 

 

 

 

最終日に、池田満寿夫さんのパ―トナ―であったヴァイオリニストの佐藤陽子さんも来られる予定であったが、線状降水帯の激しい豪雨で熱海の山頂から凄まじい量の土石流が流れ落ちて来て、新幹線が運行停止の可能性が出て来た為に上京が不可能になり、久しぶりの再会(山の上ホテルでの澁澤龍彦さんの三十回忌以来)は叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

私が池田満寿夫さんと出会った時、池田さんは芥川賞を受賞する前の最も多忙にして、最も感性が鋭い時であった。駒井さん、棟方さんは私にぶれない表現者としての矜持と自信を与えてくれたが、実質的にプロの作家への道を作って頂いたのは、その後の学生時に出会った、まことにこの池田さんの導きが大きかった。……棟方志功さんと同じくヴェネツィアビエンナ―レ展の版画部門国際大賞を受賞したこの人は、版画に留まらず、作家、陶芸、彫刻、映画監督、写真家……と実に多才であったが、この国の実に偏狭な価値観は、その実の芯を視ずに、表面的な器用さと誤解し、それが池田さんにとってはかなり抵抗感があったと思われる。今、私は版画に終止符を打ち、オブジェ、美術に関する著作執筆、写真、詩と様々に自由に展開し、存分に手応えを覚えているが、僅か40年前のこの国の狭い偏見は、当時この人に対して不当なものがあった。またその華やかさに対して、世の人々が抱いた羨望や嫉妬もそこに動いていた感は確かにあった。……今、時代的に見て、淘汰か否かの渦中にあるが、池田さんの優れた作品に対して、眼力のある人が数人出て来たならば、この人の正しい評価は間違いなく確かなものになっていくという確信が私にはある。ただ、この人の多才な才能の幅に渡ってあまねく語れる論者、識者が未だいないだけの話である。専門だけに留まらず、分野を越境して語れる側の人材があまりにいないだけの話なのである。池田満寿夫再考、再評価が実に待たれるのである。

 

……今回の展覧会場―永井画廊で、池田満寿夫さんと棟方志功さんの作品が隣どうしに並んだのであるが、おそらくこの組み合わせは今までに無かった、永井龍之介さんの着眼力と創意性の確かさから出たものである。比較文化論的に言えば、強度で意外な物がぶつかり合う事で、今まで見えなかった新たな意味がそこに鮮やかに立ち上がる。……棟方志功さんの作品も動くし、また池田満寿夫さんの作品も動いて、今までに無かった新たな妙味がそこに立ち上がるのである。……初日前日、私が展示の為に画廊に来た時、既に全作品が床に並べて立て掛けてあったが、私は一目観て、永井さんの構成のセンスに唸った。そして、そこに今までに無かった新たな可能性の揺らぎをも直感したのであった。

 

会期中に永井さんに「日本美術史の名作の中で、永井さんがこれ一点は何かと問われたら、何と答えますか?」と伺ったら、即座に長谷川等伯の『松林図屏風』という答えが返って来た。私ならば今は宗達の『舞楽図屏風』であるが、……問題はその思考の速度である。芭蕉の「考えるは常住の事、席に及びて間髪を入れず」ではないが、私は時々この質問を相手にする事がある。その返しの速度と何を返して来るか!?を知りたいのである。会期中、度々私と永井さんは、古今東西の美術史を越境した様々な話をして実に愉しい時間を過ごせたのであった。こういう体験は最近実に珍しい事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『7月3日まで永井画廊にて個展開催中・Part②』

……前々回のブログ『洗濯女のいる池―ブルタ―ニュ最終篇』をアップした後で、けっこう沢山の方から、(洗濯女の事をもっと知りたい!)、(パサ―ジュのゴ―ギャンさんのその後の事を知りたい!)……といったメールを頂いたので、今回は先ずはそれから書いてみよう。

洗濯女の事は『ブルタ―ニュ・死の伝承』(アナト―ル・ル・ブラ―ス著)という著書に和訳で詳しく書かれているので、ご興味のある方はぜひ御一読をお薦めします。洗濯女の内の一人の女性の名前はジャンヌ、池の名はメルボワ池。「夜の洗濯女」「夜の鴨」…という異名を持っている。とまれ、幾つかの画像を掲載しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……ゴ―ギャンさんの友人の女流小説家が忽然とその池のある場所で姿を消した。はたして事件か事故か?それとも真相は他に……。ブルタ―ニュの風景を描いたルドンの初期の油彩画が持つ不気味な不穏さに、私はかねがね引かれていたが、このコロナ禍が去った後には、パリから足を延ばしてぜひとも行ってみたい場所である。

 

……さて、その後のゴ―ギャンさんであるが、『翼の王国』に私が長文の紀行文、パサ―ジュ・ヴェロ・ドダでの8時間に渡るインタビュ―を基にした『鏡の行列』を執筆した後で、編集部からパリのゴ―ギャンさんにもその冊子が送られた。暫くしてから、私のアトリエにゴ―ギャンさんから手紙が届いた(よく私の所に無事に届いたなぁと感心する程に、読みにくい、癖のある繊細な文字である。今もその手紙は私の大切な宝物である)。数年してパリに行った折り、パサ―ジュのゴ―ギャンさんを突然訪ねたら歓迎され、暫し語り合った。私が撮影で、これからモンパルナスのブ―ルデルのアトリエ(美術館)に行くのだと言うと、ゴ―ギャンさんは(あすこはパリで一番好きな場所だから私も一緒に行く)という。しかし、電話が入り、来客が来る事になったので、その時は別れた。そして、その後も交流が続いたが、四年前に撮影で訪れた時は、すれ違いでパサ―ジュの13番のその古書店は閉まっていた。それからのコロナ禍により、パリに行く事が出来なくなってしまった。ゴ―ギャンさんの事が時おり思い出され、私は気になっていた。

 

…………そんな折、先日、書店で鹿島茂氏の新刊『パリのパサ―ジュ・過ぎ去った夢の痕跡』(中公文庫)を目にした。(鹿島茂氏とは以前にお会いして、当時、神保町にあった、膨大な書籍に埋もれた氏の書斎を訪れた事がある。)……パリの右岸には現在、パサ―ジュが19存在するが、ヴェロ・ドダはその第1章に詳しく書かれていた。そして、その章の最後の数行に目がいった。それを引用してみよう。

 

「……1965年にパリ市立歴史建造物リストの追加目録に(ヴェロ・ドダは)加えられ、破壊される危機は去ったが、それでも、ギャルリ・ヴィヴィエンヌやギャルリ・コルベ―ルのように完全に修復され、別の建造物になってしまう可能性もある。見学するならいまのうちである。/げんに、このパサ―ジュの売り物だったアンチックド―ル店「ロベ―ル・カピア」は廃業して、いまは現代ア―トの歩廊に代わっている。ところで「ロベ―ル・カピア」の斜め前の十三番地にある古書店「ゴ―ガン」の主人ゴ―ガン氏はロベ―ル・カピア氏と非常に親しい友人で、カピア氏が健在だったころは、いつも彼の店に入り浸って、自分の店を留守にしていた。私もこの頃には、何度か氏の姿をカピア氏の店で見かけたものである。/ところが、まことに不思議なことに、カピア氏が廃業して以来、ゴ―ガン氏は忽然と姿を消した。いつ行っても、店内に灯りは点っているのだが、ドアには鍵が掛けられたままで、だれもいる気配がない。店主は、移転したカピア氏のところにしゃべりに出掛けているのか?いや、そもそも実在しているのだろうか?ミステリ―のネタにでもなりそうな話である。」と書かれていた。

 

 

 

 

 

 

思い返せば、私が無人のパサ―ジュ・ヴェロ・ドダに早朝訪れ、版画集『反対称/鏡/蝶番/夢の通路ヴェロ・ドダを通り抜ける試み』の構想を立ち上げたのは、正しくこの「ロベル・カピア」のショ―ウィンドウの前であり、二年後に不思議な導きとしか言えない力で、その斜め後ろのゴ―ギャンさんの店のショ―ウィンドウで、作品全作を展示する事が叶った。……そして今、ゴ―ギャンさんの姿が忽然とパサ―ジュから消えたのである。時の流れを少し戻せば、私が最初にパサ―ジュに立ち入った時の、あの不思議な暗がり、そしてゴ―ギャンさんとの語らいの日々、あの時間が……まるで夢見の幻のようである。……はたして、もう一度行くと言っていたブルタ―ニュの池に行ったのか!?それとも、時間迷宮のあのヴェロ・ドダの鏡の隊列のはざまから夜のヴェネツィアへと旅をしているのか? ……ともあれ、ゴ―ギャンさんの名刺にあるパサ―ジュの住所を、ここに記しておこう。

13 passage VERO―DODAT 75001 PARIS BERNARD GAUGAIN

 

……さて、話を現在に戻せば、7月3日まで、銀座の永井画廊で、私、棟方志功さん、駒井哲郎さん、池田満寿夫さんの代表作を展示した展覧会『―彼らは各々に、何をそこに視たのか―』を開催中である。池田満寿夫さんからの序文(私の最初の個展の際に書かれた)、私への書簡、処女作、そして、パサ―ジュ・ヴェロ・ドダで構想を得て作り上げた作品も含めて展示開催中である。版画にしか出来ない表現とは何か!?を鋭く問うたこの展覧会。……ぜひのご高覧を宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

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『銀座・永井画廊にて展覧会開催中・Part①』

6月10日から7月3日まで、東京銀座の永井画廊 (銀座8―6―25 河北新報ビル5F)で『……彼らは各々に、何をそこに視たのか。』と題して、私と駒井哲郎さん、棟方志功さん、池田満寿夫さんの四人の代表作による展覧会を開催中である。企画を立ち上げたのは永井画廊の社主、永井龍之介さん。永井さんといえばテレビの人気番組『開運!なんでも鑑定団』で、番組立ち上げから20年以上、美術作品の鑑定をされていた方として広く知られているが、『知識ゼロからの名画入門』(幻冬舎)などの著者としても知られている。以前から番組を観ていて、永井さんは日本美術史だけでなく古今の西洋美術史にも造詣が深く、その発言に確かな裏付けがあるのを知り、永井さんには興味を抱いていたが、まさか後日に展覧会開催のオファ―が突然来るとは思ってもいなかったので、誠に人生は面白い。最近つくづく思うのであるが、人生とは不思議な縁によって引き合い紡がれた物語りであり、それは偶然でなく、後に思い返せば、必然性の強い力がそこに不思議な作用をしているように思われる。運命とは、そういう事を云うのであろう。

 

……今回の展覧会は、永井さんが、その不思議な作用に焦点を絞り、棟方志功・駒井哲郎・池田満寿夫という三人の、現代の版画史を築き牽引して来た人達が、当時まだ20才くらいの私が作った銅版画作品に出会い、各々が称賛を送ったという事から切り返して、彼ら(棟方・駒井・池田)は、当時まだ美大の学生であった私の作品の画中に、果たして各々に何をそこに視たのか!!という切り口から立ち上げたのが、今回の展覧会のテ―マなのである。…… 会場には、池田さんが私の最初の個展(24才時)の為に書かれた序文の原稿や、ニュ―ヨ―クから届いた手紙など、今までの展覧会では展示した事のない珍しい物も展示してあり、来られた方の興味を引いている。

 

 

 

 

永井画廊で開催中のこの展覧会は、その切り口の斬新さもあって、美術館の学芸員や作家、また文藝の関係者までも含めて、毎日たくさんの人が画廊に来られている。昨日は、以前からお会いしたかった、棟方志功さんの孫である石井頼子さんが来られて、4時間ばかりの愉しく、また興味が尽きないお話をする事が出来た。(今回の展覧会は永井さんが直接、棟方志功さん、駒井哲郎さん、池田満寿夫さんの各々のご遺族からこの展覧会の主旨への賛同を得て、ご遺族がお持ちの貴重な作品を展示しているのである。だから保存の状態が実にいい。)

 

……石井さんは、棟方さんが逝去される日まで、棟方さんの傍で直接に接して来られた方なので、棟方さんの制作法、また生きる姿勢、知られざる逸話などを詳しく伺う事が出来て、実に有意義な時間であった。……また私が棟方さんと出会った時の経緯、審査会場に私の作品が運ばれて来た瞬間、棟方さんは審査員席から立ち上がり、私の作品『Diary1』に駆け寄って額の上から撫でまわし、賞賛の言葉を呪文のように無心に呟きながら、実に30分以上もその状態が続いた為に、審査が停まってしまった話、また授賞式の挨拶の場で、棟方さんから私の名前が何回も連呼された時に、20才を過ぎたばかりの私の身体に入り込んだ強烈な自信の話など、懐かしくも尽きない話が出来て、私は嬉しかった。

 

……それにしても、授賞式の帰りに一緒にエレベ―タ―に乗り合わせた時に、「棟方志功」という、不世出の、強度な作品の作り手が、満面に笑みを浮かべながら私の顔面すれすれに接近して来た時の、その顔から放たれた顔圧、眼力のあの異様な凄さは今も忘れ難い。…………棟方さんとお会いしたすぐ後に、東宝砧の撮影所で、今度は勝新太郎と出会ったのであるが(この場合は、棟方さんの時と違い、私の悪戯によって最大の被害者となった勝新から、やはり顔が接するギリギリまで怒り心頭に発したその顔が、あの眼力が、まさに怒髪天を衝く勢いで迫って来たのであるが、) この両者には何か共通した印象を私は今も抱いている。強烈な自己放棄の裸形さと、相反する強度な自己愛が産んだ我執への集中が矛盾して捻れうねりあい、放射されるそのアニマ、オ―ラといったものは、他に類が無いものである。そして、今想うのは、唯ひたすらの懐かしさである。駒井哲郎さん、池田満寿夫さんにも各々に忘れ難い思い出があるが、しかし、この版画史から突出した三人の先達に出会い、励まされ、プロの表現者へと導かれたという事実は、私における全くぶれない矜持となっている。

 

……閑話休題、永井画廊にいる時は、奥にある控え室で私は度々休んでいるのであるが、この控え室には実に興味深い作品が掛けてある。梅原龍三郎氏の絶筆となった、描き始めた直後のままに遺った大作が掛けてあるのである。私は、梅原氏の逝去により未完成になった、その薄塗りの、まさに彼が影響を強く受けたルノア―ルの筆触を想わせる画面を観ていて、ふと、詩を書いている最初時の、無垢な言葉の立ち上げに似ていると思った。言葉がアクロバティックに、積算的に、また連弾的にくねりながら、時に逡巡し、時にレトリックの羽を得て詩は漸く完成へと至るのであるが、梅原龍三郎氏の未完に終わったその大作を眺めながら、私は「この描きかけの作品を観て、最も強い興味を抱くのは、やはり小林秀雄であろう、」……そう思った。

 

……展覧会は7月3日迄である。棟方志功さんに続いて、駒井哲郎さんのご遺族、また池田満寿夫さんのご遺族が、この展覧会を観に画廊に来られる予定になっている。タイミングが合えば、私にとっては実に久しぶりの再会になるが、ぜひお会い出来ればと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『私の作品の行方―海外編』

日本橋高島屋本店6Fの美術画廊Xで、3週間に渡って開催されていた個展『直線で描かれたブレヒトの犬』が、先日の16日に盛況の内に終了した。コロナ禍で来場される方の数が懸念されたが、全くの杞憂に終わり、連日多くの方々が全国から来られて、会場はコロナ禍とは全くの無縁であった。また多くの作品がコレクタ―の人達の感性と響き合い、豊かな出逢いのドラマを生み、昨年の個展時を更に越える数の作品がコレクションされていく事となった。来場された沢山の方から、今までの個展で最も完成度の高い内容という評価を今回の個展で頂いたが、その事は結果が形となって表す事となったのである。自分に数多ある創造の引き出しを全開するようにして制作に挑み、個展に臨んだのであるが、今の私は達成感と、次第に湧いて来る次なる個展(美術画廊Xでの個展開催は、2021年10月中旬からの予定)への新たな構想に包まれている。……コレクションされていく作品の事を想うと、これからは、作者である私を離れて、そのコレクタ―の人達が各々の作品と向き合い、永い対話を重ね、想像を紡ぎ、もう一人の、本当の作者となっていくのである。「コレクションもまた創造行為である。」という言葉があるが、この言葉は真実を映しており、実に深い言葉だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

……版画、コラ―ジュ、写真作品を別にして、今まで、オブジェだけでも既に1000点近く作って来たが、今アトリエに在る作品数は僅かであり、その殆どがコレクタ―の人達や美術館に収まっている。これは表現者として実に幸福な事であり、表現活動をして来た者として手応えのある感慨を覚えている。そして、今まで制作して来た作品各々の様々な行方を想うと、私の半生の姿もそこに重なって来るのである。……日本の各地で収蔵されている作品の事は、それを所有されているコレクタ―の人達の事と併せて今まで機会をみて書いて来たが、今回は海外に少し眼を向けて書いてみようと思う。

 

 

私の作品が海外で収蔵される最初の機会となったのは、70年代後半から90年代後半迄の美術の現場を、画商としての立場から牽引し、今では伝説的な人物として語られる、故.佐谷和彦さんの画廊―佐谷画廊で1989年に企画された『現代人物肖像画展』の時であった。……佐谷さんからその展覧会の為にオブジェを四点出品してほしいという連絡があり、私は出品した。この展覧会の他の出品作家は、クレ―、デュシャン、シ―ガル……等と役者が揃っている。……私の作品は初日に全て売れたが、購入者はこの展覧会の為に来日したロンドンで現代美術を商っている画商であった。「君の作品は一括して彼がコレクションすると思っていたよ!」と豪快に笑った佐谷さんの顔を今も思い出す。その後に開催した別な個展では、やはりロンドンの美術商の人がオブジェを3点コレクションに入れている。

 

場所をパリに移すと、2008年にフランス(ベルギ―との国境に近いシャルルヴィル―詩人アルチュ―ル・ランボ―の生地)のランボ―ミュ―ジアムで開催された、詩人アルチュ―ル・ランボ―の肖像のアンソロジ―展に出品したランボ―をモチ―フとした拙作の版画が、ランボ―の自作の原稿と共にこのミュ―ジアムに収蔵されており、また個人ではランボ―研究の第一人者で知られるClaude Jeancolas氏の書斎にランボ―の版画が在り、パリ1区のパサ―ジュVero―Dodatで古書店を商い、ハンス・ベルメ―ルの世界的な収集家として知られるピエ―ル・ゴ―ギャン氏は拙作の版画集『夢の通路Vero―Dodatを通り抜ける試み』の版画全作を所有。……同じ1区にある画商が、パレロワイヤルをモチ―フとしたオブジェを所有している。パリは1991年に留学した際に1年間住んでいた思い出深い地であり、ロンドンよりも懐かしい場所である。

 

 

……そして今回の個展で興味深い嬉しい事が起きた。個展のリ―フレットに載せた新作のオブジェ『ヴィラ―ジュ・サン・ポ―ルの夜に―Angers』(画像掲載)は、ガラスの破片が妖しく煌めく自信作であり、すぐにコレクションされる方が現れると思っていた。私はその作品の横に詩を書いて画廊に掲示もした(文章掲載)。しかし、予想に反してそのオブジェを購入する方がなかなか現れず、少し疑問に思っていた。……だが、それは今までの個展でも何回か起きた事なので、私は途中で気がついた。……「そうか、この作品は、その人が現れる、その瞬間を待っているのだ!」と。……果たして、最後の週に入った或る日、旧知のコレクタ―である遠藤さんが会場に来られた。遠藤さんは私が30代からの親しき人であり、今まで主にコラ―ジュ作品を数多くコレクションされていて、福井県立美術館で開催された私の個展の際には、遠藤さんからも多くの作品をお借りした事がある。遠藤さんはデュシャンから美術の世界に入った人なので、眼識の切れ味がなかなかに鋭い。……そして会場を一巡するや、そのオブジェをコレクションとして即決した。……遠藤さんはそのオブジェを決めるや「この作品はパリの家に飾りますよ!」と言って、スマホを取り出し、所有されているパリの家の画像を見せてくれた。広い部屋が幾つか続いていてなかなかに瀟洒な家である。場所はRue de Lille(リ―ル通り)。オルセー美術館と国立美術学校(ボザ―ル)の間に在る高層の家で、窓からセ―ヌ河の水面が反射して室内に映り、正にそのオブジェに妖しく配されたガラスの破片と相乗して実に美しい表情を醸し出して来る絶好の場所に、これから永く掛けられていくのである。……私が何より嬉しかったのは、私がかつて住んだ6区のサン・ジェルマン・デ・プレから近く、そのリ―ル通りは、殆ど毎日のように通っていた実に想い出深い場所なのである。……かつて冬ざれの厳寒の中を、表現の脱皮を考えながら歩いたその通りに、そのオブジェがこれから在るという想いは、私の個人史における一つの節のようなものと映って、何か運命的な導きのようなものを私は感じるのである。…………とまれ、かくして、個展は終わった。しかし、次なる展開が私を待っている。今は少し休むが、また新たな構想を切り開いていくのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『大規模な個展、16日まで開催中』

前回のブログでもお知らせしたが、東京日本橋高島屋本店6F・美術画廊Xで、今月の16日(月)まで個展『直線で描かれたブレヒトの犬』を開催している。日本では最大級の画廊空間なので、80点近い新作が一堂に展示されている光景は確かに圧巻である。…今年はコロナ禍の影響もあり、銀座などの画廊は人が来ないという話を聞いていたので少し案じてはいたが、それは杞憂にすぎなかった。こと私の個展に限っては初日から来客が多く、遠方からも遙々来られ、じっくりと個展を楽しんで行かれる方が多い。また会場が広く換気は完璧にされているのできわめて安心である。ために画廊に人が耐えた事がなく、実に盛況である。……7月に高島屋美術部の福田朋秋さんがアトリエに来られ、未だ制作中の作品を観て、「更に深化している」という感想を話されたが、その予見通り、個展に来られたコレクタ―の人達、美術館の学芸員諸氏の意見も同じく、今までの私の個展で、今回の個展が完成度の高い作品が一番揃っているという意見が圧倒的に多い。その事を映してか、今までコレクションされる作品を直感、速決で決めていた人達も、今回の個展では会場を何回も廻られ、真剣勝負で作品を選ばれていく姿は、作者として、今までの個展以上の手応えを覚える光景である。そして、作品を一点選ぶのではなく、複数の作品を購入されて行かれる方が今回は実に多い。また初めて私の個展に来られた方も多く、会場内に作品各々が放っている強度なアニマに押されて直の反応を見せ、作品を購入し、新しいコレクタ―になる人が増えているのが、今回の個展の特徴である。……自分の中に在る様々なイメ―ジの引き出しを全開するようにして制作に専心して来たのが、今回の作品の評価に繋がったと思っている。……表現とは、全てが表に出て顕になるという意味だと私は解している。それは隠しだてや嘘が通じない実に恐い事であり、故に真剣勝負でやれば、打てば響いて形に成るという、実に遣り甲斐のある事なのでもある。……そしてその厳しい世界に私は生きているのである。

 

……個展の会場で、来られた方々の拙作を観る様子を見ていると、「美術はこうだ!」と限定して考えている人達は、もはや美術の域を越境した私の作品の極めて独自な表現構造に戸惑いを覚えるようであるが、足を永く停めてじっくりと観ている人達は、ただ眺めて鑑賞するという域を越えて、作品を通して自身と向き合い自問するという「観照」の域に入り、真剣勝負で作品と対峙しているように思われる。……昔、池田満寿夫さんは「自分の作品の前で、人々がどれだけ時間をかけてその作品を観ているか、その長さが最高の批評だよ」と私に言ったが、時折、その言葉を実感を持って思い出す事がある。作品とは、言葉の正しい意味において本質的に匿名である。しかし、情報化が進んだ今日、多くの人々は、作者の名前に縛られて、作品の本質(芯)に自在に入り込んで来る人は案外に少ないかと思われる。……その意味でも、私の作品の前で長い時間をかけてじっくりと観ている人達の姿は、何よりの手応えある光景なのである。

 

 

 

 

 

 

 

個展は16日(月)までなので、残り一週間になった。遠方からも旧知の方々が来られて嬉しい再会を果たしているが、新しいコレクタ―の方が増えたのも、また今回の個展の嬉しい成果である。……ともあれ、残り一週間、意味深い貴重な時間が流れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『大規模な個展、16日まで開催中』

前回のブログでもお知らせしたが、東京日本橋高島屋本店6F・美術画廊Xで、今月の16日(月)まで個展『直線で描かれたブレヒトの犬』を開催している。日本では最大級の画廊空間なので、80点近い新作が一堂に展示されている光景は確かに圧巻である。

 

 

 

 

 

……今年はコロナ禍の影響もあり、銀座などの画廊は人が来ないという話を聞いていたので少し案じてはいたが、それは杞憂にすぎなかった。こと私の個展に限っては初日から来客が多く、遠方からも遙々来られ、じっくりと個展を楽しんで行かれる方が多い。また会場が広く換気は完璧にされているのできわめて安心である。ために画廊に人が耐えた事がなく、実に盛況である。

 

 

……7月に高島屋美術部の福田朋秋さんがアトリエに来られ、未だ制作中の作品を観て、「更に深化している」という感想を話されたが、その予見通り、個展に来られたコレクタ―の人達、美術館の学芸員諸氏の意見も同じく、今までの私の個展で、今回の個展が完成度の高い作品が一番揃っているという意見が圧倒的に多い。 その事を映してか、今までコレクションされる作品を直感、速決で決めていた人達も、今回の個展では会場を何回も廻られ、真剣勝負で作品を選ばれていく姿は、作者として、今までの個展以上の手応えを覚える光景である。そして、作品を一点選ぶのではなく、複数の作品を購入されて行かれる方が今回は実に多い。また初めて私の個展に来られた方も多く、会場内に作品各々が放っている強度なアニマに押されて直の反応を見せ、作品を購入し、新しいコレクタ―になる人が増えているのが、今回の個展の特徴である。……自分の中に在る様々なイメ―ジの引き出しを全開するようにして制作に専心して来たのが、今回の作品の評価に繋がったと思っている。……表現とは、全てが表に出て顕になるという意味だと私は解している。それは隠しだてや嘘が通じない実に恐い事であり、故に真剣勝負でやれば、打てば響いて形に成るという、実に遣り甲斐のある事なのでもある。……そしてその厳しい世界に私は生きているのである。

 

 

 

 

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『大規模な個展―日本橋高島屋にて始まる』

 

 

先月の28日から11月16日(月)まで、日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xにて、大規模な個展『直線で描かれたブレヒトの犬』が始まった。展示作業は27日の午後から始まったが、早くも問い合わせや事前の作品購入の申し込みがあり、嬉しい手応えを覚えた。今回の個展は全作品がオブジェ作品の展示という、今までになかった形なので作者としても実に壮観である。長年私の作品を担当して来られた高島屋の美術部の人達、また来廊されたコレクタ―の人達が揃って、今回の個展の出品作品が全作クォリティ―が実に高いという意見や感想を言われるので、1月からこの個展制作に打ち込んで来た事が報われる想いである。先ずは作品の一部や会場風景を掲載するが、出品総数は80点近くあるので、ここに掲載した作品は、そのほんの一部にすぎない。またガラス面の反射が映っている画像もあるので、作品の内奥に孕まれているイメ―ジの核がブログではしっかりお伝え出来ないのが残念であるが、個展期間中に度々お伝え出来ればと思っている。

 

……直線と曲線という相対するものが、同義語と化す瞬間ははたしてあるのか!?もしあるとすれば、その刹那に立ち上がる物語りの発生があるとして、はたしてそれは如何なるイメ―ジの原器としての様相を見せて来るのか!?……そのような仮定から、今回のタイトル『直線で描かれたブレヒトの犬』は立ち上がった。直線という、私の資質の源泉に棲まうオブセッションと偏愛が、今回の出品作品の殆どを領しているのである。(次回に続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『個展開催のお知らせ―日本橋高島屋.美術画廊X』

いよいよ秋がその深まりを見せて来ているが、今月末の10月28日から11月16日までの3週間、日本橋高島屋本館の6階美術画廊Xで、私の個展が開催される予定である。個展のタイトルは『直線で描かれたブレヒトの犬』。……このタイトルは、今年の1月に、正にインスピレ―ションのように突然閃いたものである。正に降りてきたようにして閃いたこの謎かけのような言葉の連なりの中に、現在の私と、新しい切り口としての表現の新たなる展開が、かなり濃密に秘められていると見ていいだろう。タイトルが持つ象徴性と暗示の孕みの中に、未生のイメ―ジが逆巻いているのである。………そうか、今の私は、このタイトルの中にいるのか!!……私は自分を分析し、そしてこのタイトルに決まった時点から、新たなる制作が堰を切ったように始まった。

 

今回の展示では、80点近い新作の全てがオブジェである。1月から9月までの9ヶ月間(約270日)で約80点。今までこのブログで書いて来た向島、本郷、谷中…他を巡る記述以外の日々は、アトリエに籠っての制作の日々が続いた。そして、新作の全容がようやく見えて来た7月の末に、高島屋の個展で10年以上前から、私の確かなるアドバイザーとして全幅の信頼を寄せている高島屋美術部の福田朋秋さんがアトリエに来られ、「今回の新作は、更に深化を増している」という率直な感想を頂いた。のめり込んで制作に没頭していると、次第に闇の中に入り込んでしまい、時として意識が凪のような状態に入ってしまう時がある。10年以上前からのお付き合いをして頂いている福田さんは、毎回の個展でいつも絶妙なタイミングでアトリエに来られ、凪に清冽な風を入れてくれるのである。

 

……この時点で先ずは一つの区切りがつき、個展案内状の為に掲載する作品の撮影が先ず行われ、求龍堂の深谷路子さん、デザイナ―の近藤正之さんが構成に加わり、現在の制作に関しての福田さんの執筆が加わって、案内状の形が漸く見えて来るのである。私はかなりこだわるので、今回は色の校正だけで3回の確認と変更が行われた後に校了となり、間もなくそれは完成する。……個展が近づいた今月20日過ぎ頃のブログでは、出来上がったこの案内状を全面的に掲載したいと思っているので、愉しみにして頂けると有り難い。

 

……つい先日くらいまで猛暑の日々であったというのに、台風が秋を運んで来るのか、気がつくと、既に晩秋の気配である。……個展まで残り20日間くらいとなった。しかし、作品の完成への詰めが未だ残っている。最後まで気は弛められないのである。……画廊としては、おそらく日本最大の空間である美術画廊X。この緊張感の漂う硬質な空間は、私にとっての謂わばフィクショナルな〈劇場〉である。『直線で描かれたブレヒトの犬』、果たして如何なる展開になるのか、……乞うご期待である。

 

 

 

『直線で描かれたブレヒトの犬』

日時:10月28日( 水)〜11月16日(月) 10:30~19:30

場所:日本橋高島屋.美術画廊X(本館6階)

お問い合わせ:美術画廊 直通TEL (03)3246-4310

 

 

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『二つのコレクション展開催中』

現在、私の作品を含むコレクション展が、福島と東京で開催中である。1つは福島県立美術館で開催されている『もうひとつの日本美術史―近現代版画の名作2020』展(8月30日まで)。明治から平成にかけての版画の名作約300点を網羅した大規模な展示であるが、版画を文脈として、近現代日本美術史を編み直そうという試みの由。作品は複数の美術館のコレクションから成っている。……山本鼎、青木繁、岸田劉生、竹久夢二、田中恭吉、恩地孝四郎、長谷川潔、川瀬巴水、…そして、1月からブログでも連載した藤牧義夫、……谷中安規、棟方志功、浜口陽三、駒井哲郎、池田満寿夫、加納光於、……そして私ども現代に至る、正に俯瞰的な内容である。私の版画は『午後』が展示されている。この作品は22才の学生時に制作した作品で、制作時の事が思い出されて懐かしい。三島由紀夫の短編小説『真夏の死』の冒頭のエピグラフにあったボ―ドレ―ルの『人工楽園』の一節、「夏の豪華な真盛の間には、われらはより深く死に動かされる」という文章に触発され、ならば、自分なりの絶対の静寂の時間―停止した永遠の午後を立ち上げてみようと挑んだ作である。この作品は、現代日本美術展でブリヂストン美術館賞を受賞し、幾つかの美術館が収蔵しているが、今回は、和歌山県立近代美術館が収蔵している『午後』が展示されている。送られて来た図録を見ると、版画史に於ける自分の立ち位置が客観的に見れて面白い。本展は福島の後は、9月19日から11月23日まで、和歌山県立近代美術館で巡回展が開催される予定。

 

 

 

東京でのコレクション展は、千代田区麹町にある戸嶋靖昌記念館で2021年1月16日まで開催中の執行草舟コレクションによる『青き沙漠へ―新たなる出帆展』である。この館の館長でもある執行さんの膨大なコレクションは主に安田靫彦戸嶋靖昌の二軸から成っている観があるが、多方に渡るコレクションの全容は私も未だ掴みきれていない。……この展覧会では、私の版画『study of skin Rimbaud』と『バジリカの走る雨』以外に、執行さん所有の数多あるオブジェ収蔵作品の中から、本展の主題に合わせて選ばれた5点とコラ―ジュが展示されていて、他の作家の作品と共に、静謐な空間の中で、美しい調和を見せている。執行さんは、若冠10代の半ばにして三島由紀夫と出会い、その才を認められ、三島の死まで深い交流を交わした早熟の人であり、その直感力の鋭さは他に類が無い。私の個展時には、一陣の風のように突然現れて、忽ちの内に共振する作品を選別してコレクションしていかれるのであるが、「蒐集もまた創造行為である」という言葉を体現するかのように、私の作品を選別していく時の早さは実に速く、その時は会場内が張り詰めた緊張感に包まれる。その鋭さの感、春雷の如しである。川崎にある執行さんの事業の製造・研究部門の(株)日本菌学研究所には私のオブジェ作品が多数、常設展示されているが、本展と同じく事前の予約で見学可能。……詳しくは戸嶋靖昌記念館までお問い合わせ下さい。

 

 

 

 

 

 

 

戸嶋靖昌記念館

東京都千代田区麹町1丁目10番 バイオテックビル内

日・祝休み、平日11.00―18.00開館・ 要電話予約 TEL03―3511―8162(直)

 

 

 

……先日、人々が熱中症でバタバタと倒れていった猛暑の真昼時に、10代の時から強い影響を受けた二人の画家、佐伯祐三中村彜のアトリエを見に目白の下落合に行った。佐伯の突出した才については最早言わずもがなであるが、同じく結核で夭折した中村彜の恐ろしき天才性についてはあまり気づいた人は少ないか、或いは皆無かと思う。彼は、その初期にレンブラント、次にモネ、ルノワ―ル、セザンヌ……と、その画風の影響を直に受けて様々に変貌しているのであるが、その恐るべき点は、彼らの画風の影響をもろに受けながらも、彼らに近づきその模倣の域に淫するのではなく、忽ちの内に中村彜自身の内にそのエッセンスを取り込み、消化して完成度の高い中村の作品にしてしまっている点にあり、その消化力の見事さは日本の近代美術史上に殆ど類が無いと言っていいだろう。これに比べればシュルレアリズムの影響を受けたと意味付けされている福沢一郎、北脇昇達の未消化の様はあまりに表象のみに止まり、問題の多くを残している。……中村彜は、前前回のブログで書いた、私が或いは入っていたかもしれない太平洋洋画研究所で学んだ事もあり、アトリエ内にその頃に撮った写真も展示されていて面白かった。佐伯と中村のアトリエは近く、この下落合には当時多くの画家が住んでいて交流があったが、その点は忘却と化して既に久しい。佐伯、中村共に夭折はしたが、しかし作品は遺っている。私は久しぶりに佐伯、中村に近づいた事で、10代のひたすら描く事に集中して、その原初的な悦びの中にいた自分を思い出していた。……そして暫くいた後に横浜のアトリエに戻っていったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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