Event & News

『あの夏が来る前に、いっそ、……』

…用事を済ませてアトリエに戻ったら、郵便受けに大きな封筒が。…差出人を見ると筑摩書房の大山さんからである。…!?と思って開けたら、美学者の谷川渥さんの新刊書『美学講義』が入っていた。…早速谷川さんに刊行のお祝いと御礼のメールを送る。…本の表紙には、〈バロックとの微妙な関係性のうちに展開する美学的言説をめぐる思考の軌跡…〉の文字が。

 

東大文学部の美学を出られた谷川さんの先輩になる、演出家で作家の久世光彦さんに生前〈美学って、つまるところ何ですか?〉と訊いたことがあった。久世さんの答えははっきりしていた。…〈結局わからない!〉であった。…そのわからないという所から谷川さんのこの本は出発しているので、かなり厄介だが、それ故に面白いと思う。………谷川さんの著作はこれで何冊になったのか?……これから書く四方田犬彦さんは既に300冊の著作をものにしているというが、突出した論客である、このお二人とは、どういうご縁があるのか、お付き合いが長い。

 

 

その四方田さんの著書『人形を畏れる』の冒頭は、私が持っていた不気味で土着的な人形に対する記述から始まり、次に私が登場する。

 

……(美術家の北川健次がいう。富山の方を廻っていて見つけたのだけれど、どうしたものだろう。北川は作品の素材を探しに行った先の古物商で、店の片隅に放置されている人形を見つけた。人目見て、何か因縁のあるものではないかと思い、あるかなきかの程度の金を払って引き取ってみたものの、はたして作業場に、他のオブジェや版画の間に並べておいていいものか迷っているという。彼はそれをなぜか「弥助人形」と呼んでいた。…以下続く)

…その人形がこれである。↓

 

 

 

自分とは違う作家が私の事を書いて、それが活字になると妙な感じがする。…自分であって、自分ではないような……。先に登場した久世光彦さんも私の事を何かの文章で書いているが、これはもう耽美な久世ワ-ルド一色で、危険な艶を帯びた姿で私の事が書かれており、あたかもルキノビスコンティ『地獄に墜ちた勇者ども』に登場する鋭くも怪しいナチスの将校のそれである。…しかし、いずれも、本になる前に自分が登場する事は知らされているのである程度予測はついている。

 

 

 

しかし、こんな事があった。……先だって、横浜の図書館で10冊ばかり本を借りて来て読んでいたことがあった。何冊かを読んで、次に森まゆみさんの著書『路上のポルトレ-憶い出す人々』を読んでいた。森さんが生前にお付き合いした人達の事を綴った点鬼簿のような本である。…私も生前に親しくして頂いた名書評家で作家の倉本史郎さんの章に来た。網野善彦別役実…の名前が出て来たと思った次に、突然私の名前が出て来た時は驚いた。…亡くなった方ばかり登場するので、一瞬自分も死んでいるのかと慌てたのであった。

 

…あらためて読むと、葉山の倉本さんのお宅に招かれた時に、翻訳家の河野万里子さん、森まゆみさん達とお会いした時の事が書かれていたのであった。…その時に過ごした時間は本当に愉しい時間であったが、文中で森さんはその時の事が至福の時間であったと書いていて、(そうか、森さんもそう思っておられたのか)と嬉しかった。

 

…文章は移って倉本さんのお通夜の場面が出て来て、森さんともう一度お会いして、夜半に一緒に横須賀線で帰った事も思い出したのであった。

 

…その時に私は『モナリザミステリ-』という本を新潮社から刊行していたので、森さんにお送りすると(美術家にこんな上手い文章を書かれたら困る!)という嬉しいご感想のお返事を頂いたことがあった。

 

……後日、私が森さんの著作の熱心な読者になる事など、その時は知るよしもなかったのである …… 書く人によって、私の姿が各々違うのは当然であるが、結局人は、自分なりの独自なレンズで相手を視ているのである。…それを拡げて考えると、或る作品も決して一様に見えておらず、各人によって、その受け取りかたも全く違うのである。…ふとそんな当たり前の事を何故かぼんやりと思ってしまった。

 

 

…前回のブログでお伝えしたが、今月の25日まで名古屋画廊でヴェネツィアを主題にした、私のオブジェ、コラ-ジュ、写真と共に、馬場駿吉さんの俳句を展示した展覧会を開催中である。

 

 

そして、今月の22日(木)から6月9日(月)まで、西千葉の山口画廊で、30点のオブジェから成る個展『謎/モンテギュ-の閉じられた箱の中で』展が開催される。…今までにない新しい試みによる作品も初めて本展で発表をしているので、ぜひのご高覧をお願いしたい次第である。

 

…画廊のオ-ナ-の山口雄一郎さんは、今回の個展開催に際して、『画廊通信』という画廊が刊行しているカタログで、『迷宮の詩学』と題して、実に緻密な論考を拙作への深い思索に充ちた文章で展開されていて、私はそのカタログがアトリエに届いて早々にあまりの面白さに読み耽ってしまった。…山口さんは寡黙で実に謙虚な方であるが、その内に実に鋭い直感を秘めていて、今回が4回目の個展になるが、未だに山口さんは私にとって尽きない〈謎〉なのである。

 

 

… 今回のカタログで山口さんは、北原白秋『邪宗門秘曲』の詩と、私の詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』を対比させ、その角度から私の文章に於ける方法論を絞り込んでいき、エルンスト澁澤龍彦も登場して、稀にみる硬質な分析になっていて実に読み応えがある。…私が無意識と思っている部分にも鋭いメスを入れて、そこから必然的な意味をも引き出して来て、なおも作品の謎が深化していくという、それは実にトリッキ-とさえ想わせてしまう文章なのである。…画廊に来られたらぜひ、カタログの方の山口さんの書かれたテクストも味読していただければと願っている次第である。

 

 

 

 

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『ヴェネツィアの春雷in名古屋』

先日の5日、銀座の永井画廊で開催中の、松崎覚さんという方が制作した蝋人形の展覧会を観た。夏目漱石ジョン・レノンサルトル太宰芥川チェ・ゲバラピカソ…他、等身大9体の極めて精巧な蝋人形が画廊に整然と展示された様は、実に異様な気配を発していて眩暈すら覚えた。

 

…ロンドンのマダムタッソ-パリの蝋人形館でも観てきたが、それらの人形に比べて、技術の冴えは松崎さんの方が格段に優れている。体臭や息遣いまで伝わってくるほどに生々しいのである。

…かつての明治期の生き人形も凄味があるが、例えば乱歩の『人でなしの恋』や『白昼夢』に見る如く、この人形という世界の行き着く先にはあやかしの倒錯性が潜んでいて、一種幻葬的な世界へと引き込んでいくものがある。

 

 

画廊の永井龍之介さんと久しぶりに少し話をした。以前に開催された私の個展の後に、新橋の永井さん行きつけの店で話し合った時も、なかなか面白かった。…周りの客の喋りがうるさい中で、店の隅の席で私達が熱く話しあったのは、『水中花』の詩で知られる詩人の伊東静雄高村光太郎についてであった。以前にこのブログでも書いたが、光太郎が書いた智恵子抄に秘められた贖罪について、永井さんの返答がどう来るのか興味があったのである。…永井さんは美術の域を越えて実に博識で、突然話題を変えても、全方位的に更に話が膨らんでいく人である。………永井さんは松崎さんの蝋人形を他と差別化する為に、「蝋彫刻」として今後、展開していくようである。

 

 

銀座の永井画廊を出て、荻窪へと向かった。…ダンスの勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんが海外の公演が長かったための、久しぶりの日本での公演『骨と空気』の初演を観るのである。公演時間はおよそ一時間、……「圧巻」という言葉しか出て来ない見事なその舞台に、しばし失語症になってしまった。……勅使川原さんの突出した才能は、演出、照明にまでも深く及んでいるが、何をおいても身体の動きの速さはまた別格である。

 

…1つの例として、複数のダンサ-と激しい動きをしている時に、高速度カメラで撮影した人がいた。どのような速い動きをしていても高速度カメラでは当然、被写体は停まって写ってしまう筈である。…プリントした時のその画像では、ダンサ-達の姿は確かに停まっているが、唯一人、勅使川原さんだけは、なおもぶれて写っていたという。高速度カメラでもなおぶれて写ってしまうという事は、もはや異常な速さと見ていいだろう。…彼にとっては、その速度もまた美であり、そして詩なのだと私は思っている。そして、その異常な速さが紡ぎだす特異な残像の重なりが、私たち観者の脳内でポエジ-として結晶化し出した頃に、彼の見事な作劇法は大団円としての夢幻へと移ろいを転じて、舞台は暗転するのである。

 

…私は観ている途中でふと、彼の見事な身体表現に最も相応しい観客は誰か…と考え、すぐに世阿弥の事が頭をよぎった。…すると、公演が終わった後で観客に向けて話をする勅使川原さんから、その時、世阿弥の名前が出たのであった。……………猿楽を芸術の高みへと昇華した世阿弥の『風姿花伝』を読むと、その随所の言葉に、勅使川原さんのメソッドと重なるものを私は覚えてしまうのである。

 

………次回の公演は、5月24日から6月5日まで。佐東利穂子さんのソロで『悲しみのハリ-』(映画「惑星ソラリス」より)である。…7月中旬まで展覧会が3つ入っていて制作や準備で慌ただしいが、次回の公演も、私はまた予定を入れているのである。強い刺激と、確かな充電を得る為に………。

 

 

 

先日の9日に、名古屋画廊で開催する、俳人の馬場駿吉さんと私の二人展『春雷疾駆/ストラヴィンスキ-の墓上』展(5月9日〜24日)の初日なので名古屋に行って来た。…展覧会の舞台はヴェネツィアである。私はヴェネツィアには撮影もはさんで5回行っているが、馬場さんは実に10回以上もヴェネツィアを訪れて、それは100作以上の俳句作品になっている。

 

 

 

 

 

 

…夜半に見た真っ暗なアドリア海と真っ暗な空が合わさって巨大な舞台となり、春のある夜にそこに観たのは荒ぶる銀の走りと化したヴェネツィアの春雷であった。その凄まじい荒ぶる様は、ちょうど蕪村が詠んだこの俳句と重なるものがあるだろう。……「稲づまや/浪もてゆへる/秋津しま」。……秋津しまとは日本の事。極東の島国に俯瞰的に走る雷光の様をまるで宇宙から視たような想像力を持って詠んだ蕪村の秀句。………斜めに、或いは横に、そして突き刺さるように垂直に落ちる雷の荒ぶる様を視た私は、その時の強い印象が忘れ難く『ヴェネツィアの春雷』という連作となって10数点の作品を作った事があった。

 

…その体験談をある日、馬場さんにお話をすると、何と馬場さんもその凄まじい春雷を深夜のヴェネツィアで目撃されたという。…今回の二人展の肺種はその時に立ち上がったのである。…この展覧会で、私は20点のオブジェやコラ-ジュ、そして20点のヴェネツィアで撮影した写真を出品し、馬場さんもヴェネツィアを詠んだ俳句を出品されている。……廃市幻想の水の島  - ヴェネツィア。俳句と美術という珍しい形でのイメージの競演をぜひご高覧ください。

 

 

 

 

 

 

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「個展開催中のお知らせ」

今月21日まで、東京・日本橋高島屋本店6F美術画廊Xにて、新作オブジェ65点を一堂に展示した個展『狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ』を開催しています。…多くの方々のご来場、ご高覧をお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

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「10月21日迄、日本橋高島屋で個展開催中」

……私が24才の時に、東京国立近代美術館で開催される「東京国際版画ビエンナ-レ展」の日本の代表作家の一人として選出された時に、当時ニュ-ヨ-クに住んでおられた池田満寿夫さんから祝電のお手紙が届いた事があった。その手紙の末尾に、(私はアメリカを代表する作家の一人として出品します。共に頑張りましょう。)と書いてあり、私は燃えるような気持ちで熱くなった事がある。

 

…また、その手紙には(…あなたは、これからはコレクタ-の人達と一緒に人生を生きていく事になるでしょう)と書いてあり、当時の私はその箇所だけは、些か疑問を抱いた事を覚えている。…作品は本質的に匿名である故に、具体的な人達と接点を持つべきではないと思ったのである。…しかし、個性ある作品を遺した人達の生涯の記録を読んでいくと、その人達が具体的なコレクタ-の人達と実に深い生きた物語を交わしながら、作品の質を高めていったかを知るにつれ、私の考えは変わっていった。…コレクタ-の人達もまた作品収集をするという行為を通して、その人自身の人生を豊かに紡いでいるのであり、それもまたその人達における表現行為なのだと次第に気づいていったのである。

 

…想えば、私の版画はそのほとんどが、その人達によって評価され、収集されていき、完売による絶版という形で、私のアトリエに版画作品はほとんど残っていない。…そしてそこに、私を支え続けてくれた人達との不思議な「ご縁」としか言いようのない豊穣な物語が実にたくさん残っている事を、私は時に思い出すのである。…そして、作品を収集するという行為もまた深い創造行為なのだと、私は実感を持って想うのである。

 

版画の次に、私は精力的にオブジェを作り続けて来た。その作品数は既に1200点以上であるが、アトリエに残っているのは僅かに40点くらいである。…考えてみるとこれは驚異的な事であり、表現者としてこれほど幸せな事はないとつくづく思うのである。…その1000点以上の作品は今、各々の作品との出逢いを通じてコレクタ-の人達の身近でまた新たな尽きる事のない豊かな物語を紡いでいるのである。

 

…最近つくづく思うのであるが、人生という限りある時間の中で一番大事な事は、人と人とを結んでいる「ご縁」というものではないかと思う。…ご縁という不思議な運命の筋書き。振り返ってみると、本当にその不思議な縁によって、実にたくさんの面白い出逢いがあった事を思い出し、私は豊かな気持ちになるのである。…昨今のように相手の顔も知らずにネットで不毛な刹那的触れ合いをして、次に消去を繰り返している時代にはもはや、豊かな物語を作る土壌は無いと私は見ている。…時代は寒い方へと傾斜を墜ちていっているが、私はその「ご縁」という不思議なとしか言いようのない現象のドラマにこだわり、それを大切に考えていたいと思っている。

 

…さて、日本橋高島屋での個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」が2日から始まった。…それに関して、「月刊美術」10月号の新刊で、この個展に関する展覧会評が出たので、以下にご紹介しようと思う。…個展は21日迄、休み無しで開催されている。…そして私は毎日、画廊にいて、私の作品と、その作品と出逢った人との不思議な、しかし何かに結ばれているとしか思えない、その出逢いの瞬間に立ち会うのである。…そして、その作品の次なる作者は、私からその人へとなっていくのである。

 

 

 

 

 

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個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」開催のお知らせ

 

先日、ギャルリ-東京ユマニテで開催中の故・中川幸夫ガラス作品展に行って來た。個展の制作に忙殺される日々であったが、この展覧会だけは必見と思い、美と毒と妖しさを多分に吸収するつもりで行ったのである。

 

 

 

……作品はガラス作家の高橋禎彦氏との共同制作であるが、ガラスを強度に加熱して歪ませ、或いは全方位的に垂らし、その瞬間々々の神経の集中によって、ガラスは強度な狂気性を帯びて、遂には狂女にも似た結晶へと変容する。しかしこの結晶には強度なるものと共に、あえかなともいうべき儚げな一面も併せ持っていて、いっそう謎めいている。……作品を観てあらためて、正しく中川幸夫は天才と断ずるに足る人であったと痛感した。…生前その中川さんには一度だけであるがお会いしてお話を交わした事がある。…場所は銀座のザ・ギンザアートスペースでの佐谷画廊企画のオマージュ滝口修造展:中川幸夫「献花」オリーブ展での中川さんの個展の時であったか、確かドイツ文学者の種村季弘さんの紹介であったと記憶するが、それは今としては貴重な体験であった。刹那ではあるが、先達の内に狂おしいまでの才を帯びた人との魂の交感は得難い財産となっている。

 

 

………………さてともあれガラス、そして新たなるガラスの表現。………私は自作のオブジェの中に、ここ数年来、割れたガラスの断片、或いは螺旋状にねじれたガラスなどを取り入れて、それもまた私の作品中の、限りなく正面性を帯びた劇場の中で、一つの詩の言葉、或いは活人劇の役者として機能している。…まことにガラスとは両義牲を持った不思議な素材で、脆いと思えば強かに硬く、透けているのに閉ざした一面もあり、エレガントかと思えば凶器的でもあり、何処かしらノスタルジアを喚起する不思議な表情をその内に秘めている。私の内なるオブセッションとフェティシズムが揺れて、ますますガラスは私の作品の中で重要な存在となっていくであろう。

 

 

…………さて、10月2日から21日まで、東京日本橋・高島屋本館6階の美術画廊Xで、個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」を開催するが、その出品作の中にはガラスが様々な表情をして、劇中に配されているので、各々の変容した様と、その演技を観て頂けれはと思っている。…またこの展覧会では、タイトルにも登場する「螺旋」が様々な表情や役割をしているので、それもご覧頂きたいと思っている。出品数65点の新作が一堂に展示されています。ぜひご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」

場所:日本橋高島屋・美術画廊X(本館6階)

会期:10月2日(水)~ 21日(月)

時間:10時30分 ~ 19時30分

 

 

 

 

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『梅雨が来る前にお知らせすべき、大事な展覧会について書こう』

⭕…沖積舎の社主・沖山隆久さんの企画出版による私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』が刊行されたのは2020年の12月。詩集の大半は関係筋にお送りしたが、若干数が手元に未だ残っていた。私はあまねく、まだ存じ上げていない未知の人へも詩集の存在を発信しようと思い、このサイトに告知欄を作り購入される希望者を募った。…反響は大きく沢山の方から毎日のように購入希望の手紙を頂いた。…そして私はその方々のお名前とサインを詩集に書いて各々の方にお送りした。………

 

 

しばらく経った或る日、一通の封書がアトリエに届いた。封を開けると、5枚の便箋にびっしりと詩集の感想が書かれていて、その緻密な論考と熱く伝わってくる何物かに惹かれて私は一気に読み終えた。…そして好奇心の強い私は、この手紙を書かれた人に興味を持ち、直ぐに電話をかけたのであった。…一度しか無い人生。この人に会って、直に話がしたいと強く思ったのである。…そして、当時まだ在った東京・八重洲ブックセンタ-のカフェでお会いする事になった。

 

 

…話は主に文芸の話であったと記憶するが、話していて(この人とは波長が合うな)と思うようになり様々な話へと発展していき話がどんどん面白くなっていった。…話も後半に入った頃に、その人はご自身が画廊をやっていて、私の版画から現在までの作品が好きなのだという事を静かに語られたのであった。…表現者という仕事をやっていて、私が本当に幸運だと思う事は、人との出会い、有り体に言えば、このブログでも書いて来たが、各分野で本物と云える人との出会いに恵まれている事である。…画商では、70~80年代の美術界を牽引して、もはや伝説的な存在として語られる佐谷画廊佐谷和彦さん。…また多くの画商からその確かな眼識を評価されていたギャラリ-池田美術の池田一朗さんをはじめとして、この画廊という仕事に矜持と自信を強く持っていた人々との出会いに恵まれていた事である。

 

 

…そして、今、私の目の前におられる人を見て、内に強烈な自信を秘めた人だとも私の直感が感じたのであった。…話はその後もだいぶ語り合い、別れる時には、その方の画廊で開催する個展の話も具体的に決まっていたのであった。…それが、千葉(総武線・西千葉駅から徒歩5分)で山口画廊を運営されている山口雄一郎さんとの出逢いであった。そして毎年の春5月頃に個展を開催するようになり、今回で早くも3回目になる。

 

…展示のセンスも群を抜いて抜群であり、また毎回、山口さんが執筆されて作っている「画廊通信」という冊子も、そこに書かれた内容は、極めてスリリングであり、鋭い眼識の高さを示しながらも難解に堕ちず、極めて平易な言い回しの内に、私達は知の螺旋構造の妙に堪能を覚えるのである。(画廊にて配布)

 

 

 

…今年の1月から鉄のオブジェを作り出してそれも発表しているが、なかなかに好評であり、初日に画廊を訪れた私は、今回の個展『直線で描かれたブレヒトの犬』に強い手応えを覚えたのであった。

 

 

 

 

 

…今回の千葉・山口画廊での個展画像を掲載するので、ぜひのご高覧をお願いする次第である。

 

 

 

 

 

 

── 直線で描かれたブレヒトの犬 ──

 

第3回 北川健次展

2024年 05月22日 (水) 〜 06月10日 (月)

 

 

 

宙空を鋭利に貫く直線、架空を豊潤に歪める曲線、不穏な浪漫を湛える座標空間に、異形の図像学が生起する。謎めいたボックス・オブジェに加えて鋼板と鉄線による新たな金属オブジェも交え、具象と抽象の絢爛と交錯する第3回展、秘めやかな官能に満ちた異次元の境域を。

 

 

【DM】 Sarah Bernhardt の硝子の肖像 (部分)

 

 

 

 

 

山口画廊

10:00 ~ 20:00 / 火曜定休

〒260-0033

千葉市中央区春日 2-6-7 春日マンション102

☎ 043-248-1560

 

 

 

 

 

 

 

 

⭕さて、次にご紹介するのは、半蔵門駅から直ぐの『執行草舟コレクション/戸嶋靖昌記念館』で開催中(4月30日~8月31日まで)の「砂の時間」展である。この美術館では精力的に、かつ密度の濃い問題提示から企画された展覧会が開催され、訪れた人々を美の酩酊と観照する事の深い意味へと導き、自問の思索の場となっていて、訪れる人は多い。また毎回、展覧会に沿って「ARTIS」という冊子が作られているのであるが、この美術館を立ち上げた著述家・実業家である館長の執行草舟さんに美術館学芸主任の安倍三﨑さんがインタビュ-した話(この話が毎回深く、かつ面白く、知の力業と直観で読み解く事を要求され、自ずと鍛練されていく)が主体となり、また画家の戸嶋靖昌氏のグラナダ滞在時の手紙や、執行草舟コレクションで所蔵する膨大な数の作品と作者に対する論考などがコラムの形で連載されていて、私は毎回、この「ARTIS」が届くのを楽しみにしているのである。

 

 

…前述した山口さんとの出逢いは私の詩集であったが、執行さんとの出逢いもまた一冊の本からであった。…NHKエデュケ-ショナルの方が拙著『美の侵犯-蕪村x西洋美術』(求龍堂刊)を執行さんに薦められ、それを読まれた執行さんが直ぐに私が個展を開催中の高島屋・美術画廊Xの会場に来られ、その場で作品15点ばかりを即決で購入を決めらた事が出逢いとなったのである。

 

…執行さんが会場で作品を選ばれるその速さは凄まじく、広い会場内を一巡しながら、およそ2分くらいで15点を決められたのであった。(…銀の稲妻が精神と肉体に宿ったような人だな!)…これが私が初めて執行さんにお会いした時の印象であった。…数千点は下らないという数多のコレクションを所有されていて、展覧会の企画の度に作品が比較文化論的に変容していく様は、実に面白く勉強にもなっている。…今回の「砂の時間」展では、執行さん所有の私の数多ある作品の中から7点の版画とオブジェが選ばれて展示されているので、ぜひご覧頂きたく、お勧めする次第である。

 

 

 

 

 

「執行草舟コレクション/戸嶋靖昌記念館」

《砂の時間展》

開期:4月30日~8月31日まで

開館・火~土 11時-18時
休館 日祝・月曜定休

〒102-0083 東京都千代田区麹町1-10 バイオテックビル内

TEL03-3511-8162

 

 

*来館ご希望の方は、事前にご一報ください。

 

 

 

 

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『五月、狂った季節に私は金沢を歩く…の巻』

…別に生き急いでいるわけではないが、この5月は、私の作品を展示する展覧会が4ヶ所で企画されて開催中、または開催予定である。順に挙げれば、①金沢の画廊『ア-ト玄羅』で個展が5月9日から6月2日まで開催中。②本郷の画廊・ア-トギャラリ-884で、5月11日から19日まで、コレクタ-の大湯祥蔵さんのコレクションの中から私の作品だけを選んだ展覧会を開催中。③半蔵門にある執行草舟コレクション/戸嶋靖昌記念館で4月30日から8月31日まで「砂の時間」展と題して執行草舟さんの膨大なコレクションの中から、本展のテ-マに沿って選ばれた作品を展示中。私の作品も7点ばかり展示されている。④千葉の山口画廊で今月の22日から6月10日まで個展「直線で描かれたブレヒトの犬」を開催予定。……以上、この全てについて書くと長い文章になってしまうので、③④は次回のブログで集中的に書く事にして、今回は①と②の展覧会に絡めて書くとしよう。

 

 

昨日の9日(個展初日)の昼過ぎに、金沢の画廊「ア-ト玄羅」に行き、オ-ナ-の黒谷誠仁さんに一年ぶりに再会する。また、私の個展を度々開催して頂いている富山の画廊「ぎゃらり-図南」の元代表の川端秀明さん・悦子さんご夫妻が黒部から、そして今回の個展開催に尽力して頂いた今村雅江さんが高岡から各々来られて、久しぶりの嬉しい再会が実現した。川端さんご夫妻、そして今村さんはもはや私にとって大事な親友のような人達である。…画廊の展示は黒谷さんのセンスが光り、作品が緊張感を放っていて見応えのある個展会場になっている。…会場には案内状をご覧になった方が早々と来られ、黒谷さんの話を聞きながら暫し選択に迷われた後で、一点のオブジェ作品を選ばれて行かれた。…その後で新聞社の方が取材に来られたので少しばかり自説を語った。…夜は黒谷さんが旧知の香林坊の東南アジア系のお店で、食事をしながら様々な話を交わした後で散会。……店を出ると5月にしては異様な寒さである。世界の狂いが、いよいよその顔を顕にし始めた観がある。

 

……私はホテルに一泊した後、翌日は短い時間であるが、風情ある浅野川河畔に焦点を絞って歩いた。先ずは「泉鏡花記念館」に行く。会場内のビデオで、独文学者の種村季弘さんの、水を主題とした泉鏡花論を聞く。見事な論でさすがである。

…種村さんが亡くなられてから久しいが、久しぶりに再会した気分がして懐かしかった。他に、川村二郎さん、坂東玉三郎さんの話も聴いた。各々の話に鮮やかな切り口があって実に面白い。……泉鏡花に関しては、以前から樋口一葉との関連で気になる点があるので、掲載されている年譜の明治28年の或る時(それは春)に絞ってそれを推察する。…私が秘かに抱いているこの或る設問は、数多の泉鏡花研究家が見落としている、心理の深奥に焦点をあてたミステリアスな件なので、いずれまとめて書く事になるであろう。

 

 

…記念館を出て、次は江戸時代からの男女の秘め事を演出した石段の隠れ道で、鏡花も幼少時に歩いたという昼なお暗い「暗がり坂」を下りて、光り降る浅野川河畔に出た。

 

 

 

 

 

 

 

…次に向かったのは、明治の末期から残る西洋レストラン『自由軒』である。…開店前に既に行列。…この店のお薦めはオムライスであるが、私は海老フライと焼き飯を注文した。実に美味でありお薦めである。

 

…夕方に横浜のアトリエに戻る用事があるので、浅野川の橋上でタクシーを拾って金沢駅へと向かった。…私はタクシーに乗ると、運転手の人によく話しかけるタイプである。…地方の美味しい店などは訊かない。…私が訊ねるのは決まって歴史の闇や不穏な話題である。…(金沢はどうして戦災にあわなかったのでしょうか?)から始まり、お決まりのタクシー強盗の話題になった。…こういう話は、意外と運転手さんはのって来る人が多い。身近でリアルだからであろう。…(犯人は実行するか否かを決める時に、運転手さんの首の太さで決めるようですよ)という、以前に向田邦子さんがエッセイに書いていた話をすると、真剣な反応が返って来る事が多い。

 

今回の運転手さんは当たりであった。…何と2年前にそのタクシー強盗に遭遇したと言う。…私は思わず身を乗り出して話の続きを訊いた。(いきなり、針金を首に巻かれましたよ‼)と運転手。…(犯人の共通した点は何だと思いますか?)という私の問いにその人は(先ずは、一人で乗る、かなり遠方の地に行ってくれ…という、そして、途中で不自然にコンビニに立ち寄る)らしい。…(なるほど、タイミングを謀っているわけですね)と私。(えぇ、そうです、そうです‼)と言っている間に、金沢駅に着いた。(有難う、勉強になりました。)と私。……一体それが何の勉強かは、誰も知らない。

 

 

 

【ア-ト玄羅】

北川健次展「ヴェネツィアの春雷」

5月9日(木)~6月2日(日)

13時~17時30分 (定休-月・火・水)

〒920-0853
金沢市本町2丁目15-1  ポルテ金沢3F

TEL076-255-0988

 

 

 

…さて次は、個展ではなく、コレクタ-の大湯祥蔵さんの『コレクタ-による北川健次展-まなざしの断片-「身体」「詩学」「記憶」』である。…大湯さんが収集したコレクション数は実に800点以上を越えるというから驚きであるが、その中でも私の作品数が一番多く、100点以上の作品がコレクションに入っているという。…2年ばかり前であったか、その大湯さんからコレクション展の構想を伺った時は非常な興味に駆られたのであった。…この寡黙にして間違いなく慧眼な感性を持った人の美の基準なるものを以前から具体的に知りたいという興味があったが、それが漸く垣間見れる事になるからである。…しかし、金沢から戻って来て、今このブログを書きながら、近々に訪れて観る事を予定している大湯さんの展覧会に意識が集中しているようで、どうも落ち着かないのは何故であろう?。…大湯さんのコレクションは私の初期から現在に到る迄の広範囲なものであるが、それは私が既に閉じたと思っている極めて私的な日記をゆっくりと開くようで、或いは開かれるようで何とも不思議な感覚なのである。……とまれ、今回の展覧会に寄せて素直な気持ちで文章を書いたので、それをこのブログの最後に掲載しておこう。…願わくば、コレクタ-によるコレクション展という、美術館の個展以外ではなかなか実現しないこの稀有な展覧会を、この機会に一人でも多くの方に御覧頂けたら幸甚である。

 

 

 

冷静なる熱狂ー大湯祥蔵氏のコレクション展に寄せて

北川 健次(美術家)

 

 

私のアトリエの壁には所狭しと多くの作品が掛かっている。それらは縁あって入手した不思議な漂流物のようである。例をあげれば、ルドンジャコメッティヤンセンホックニーゴヤレンブラントヴォルス・・・等の西洋版画の類、更には川田喜久冶榎村綾子の写真作品、或いは駒井哲郎月岡芳年広重などの日本の版画などである。時に作品を掛け変えるが、全く飽きる事はなく、それらの美の結晶は制作者としての私を励まし、より高みへと誘なうように鼓舞してもくれる貴重な存在なのである。

 

私は美術家という作り手の側からの、それらはコレクションであるが、一方で、生涯を賭けて照準を絞るように集中的にコレクション収集を行っている人達がいる事を私は知っている。その人達は作品を作るのではなく、収集するという行為を貫ぬいて、その総体をもって自らの独自な肖像を立ち上げるという、強度にして冷静な熱狂に生きる人達である。「収集するという行為もまた創造行為である」という言葉があるが、それを身を持って実践している高い純度を持って生きている人達である。その代表的な一人に大湯祥蔵氏がいる。氏の存在を知るようになったのは、はたしていつ頃からであろうか。それが不思議と思い出せないでいる。既に初めからこの人を知っていたようにも思われる、寡黙にして内に熱狂を秘めた大湯氏は実に不思議な存在感を持った人である。

 

先日、機会があって氏のコレクションについて詳しく伺った事があった。荒川修作フォートリエタピエスメリヨン池田満寿夫ベルメール他・・・そのコレクションは既に800点以上を超えているというから、コレクターとしても稀な驚異的な数字である。そのコレクションの中では私の作品が最も多く、ゆうに100点以上は超えているという。

 

その大湯氏がこの度、私の作品のみを選んでコレクション展を開催するという。私の手元にはもはや残っていない初期の版画からオブジェの近作まで厳選されたおよそ30数点になるというが、どういう展示になるのか私には全く想像がつかないでいる。何故ならそれらは間違いなく私の作品でありながら、大湯氏独自の感性や美意識によって、時を経ての重なりを帯びたもう一つの何ものかに変容してもいるからである。私は作品を立ち上げた作者であるが、作品は、それをコレクションしている人が日々の観照を通して交感を交わして来た結果、云はばもう一人の作者が存在するという二重の相を奏でてもいるからである。個人的に云えば、失われた秘めた日記との私的な再会のようなものでもあるが、大湯氏、そして来場された人々にとっては、新たな発見がそこに息づいているに相違ない。このコレクション展は、その意味でも特別に希有な展覧会なのである。

 

 

 

【ア-トギャラリ-884】

『コレクタ-による北川健次展-まなざしの断片-「身体」「詩学」「記憶」』

5月11日(土)~5月19日(日) 〈定休-月〉

11時~6時 〈最終日は4時に閉廊〉

〒113-0033東京都文京区本郷3-4-3

ヒルズ884お茶の水ビル1F

TEL-03-5615-8843

 

 

 

 

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『断章・二つの展覧会を観て』

 

先ずは写真展から。…先日、東京国立近代美術館で開催中の『中平卓馬 火-氾濫』展(4月7日まで開催)を観に行った。会場の展示が、中平卓馬の作品世界の固有な鋭さを映すように工夫がされていて、その知的配慮とセンスの良さに先ず感心する。

 

 

 

…中平の写真作品は、我が国を代表する写真家の一人川田喜久治の写真が持つ作品世界と共に、不穏な気配、凶事の予感に充ちていて特に惹かれるものがある。しかし川田の作品が個々に時代性を孕みながらも、普遍性という先の時間にもその効力を十分に併せ持っているのに対し、中平のそれはあくまでも60年代のオブセッションの闇に、そのレンズの切っ先が、あたかも同士討ちのように突き刺さっている、そう私には見えたのであった。

 

中平の言葉「…写真は本来、無名な眼が世界からひきちぎった断片であるべきだ」と語っているが、この世界という言葉はこの場合、彼が生きた60年代のそれに錐を揉むような鋭い集中を見せている。…中平の写真には、まるで殺人犯が逃げる時に視えているような風景の映しといった感の脅えがあるという意味の事を、以前に写真評論家の飯沢耕太郎さんに雑談の折りに話した事があったが、その特異なものが何から由来したものなのかを見つけ出す事が、今回、展覧会を訪れた主たる目的であった。…………広い会場の中で寺山修司と組んだ連載の雑誌が幾つか展示されていたのを見た瞬間、「これだ!」と閃くものがあった。…寺山の特異な言語空間(文体)を視覚化すれば、それはそのまま中平のそれと重なって来る。…もう一度、私は「これだ!」と思うものがあった。…寺山の文章が持っている固有な犯意性(犯人は本能的に北へと逃げる-北帰行の心理)とそれが重なったのである。……もう1つ思った事は、川田喜久治の作品各々が一点自立性を持っているのに対し、中平のそれは、引きちぎったメモの切れ端のように見えた事であった。…正に先に書いた中平の言葉そのものを映すように。……

 

 

先日の29日に、ア-ティゾン美術館で開催する展覧会『ブランク-シ/本質を象る』展の内覧会に行く。会の開始は3時からであるが、夕方に用事があるので午後の早い内に美術館に入った。取材中のプレス関係の人が沢山いたが、会場が広いので作品に集中して観る事が出来た。…先の近代美術館の展示と同じく、実に展示に配慮が行き届いていて感心する。展覧会への気合が伝わって来るというものである。…作品の高さ、そして最も大事な照明の具合。その配置。その何れもが作品各々に与えているのは、美というものが放つ超然とした品格である。

 

……周知のようにブランク-シは、ロダンから弟子になる事を求められたが拒絶した。ここに近代とそれ以前との明らかな分断がある事を彼の表現者としての本能が直観したのである。その独歩への意志と矜持と自己分析力が、彼をして時代を画するモダニズムの高みへと押し上げた。…そして、彼の作品の本質が意味するものを見極めていたのはマルセル・デュシャンである。その関係の豊かな物語りが、或る一角の展示の妙に現れていて、いろいろと再確認する機会ともなったのであった。

 

…内覧会の特典は展覧会の図録が付いて来る事であるが、今回の図録は読み応えのある内容で実に面白く、私は帰宅してから一気に読み終えてしまった。この図録はブランク-シについて考える時に今後の一級の資料ともなるに違いない。………中平卓馬の展示では、表現者として写真にも挑んでいる私にいろいろと考える機会を与えてくれ、またこのブランク-シ展では、今、正に制作中の鉄の作品、そして今、構想中の石の作品への善き刺激となる揺さぶりを与えてくれたのであった。…質の高い展覧会を折に触れて観る事は大事な事である。…中平卓馬展は今月の7日迄開催。…そして、このブランク-シ展は始まったばかりで7月7日迄の開催である。

 

 

…最近は制作に入り込んでいるので、なかなか出掛ける事は叶わないが、今、板橋区立美術館で4月14日迄開催している『シュルレアリスムと日本』展と半蔵門にある執行草舟コレクション/戸嶋靖昌記念館で4月30日から開催する予定の『砂の時間』展だけは、ぜひ観ておきたいと思っている。…………実は今回のブログでは、『一から三へと拡がっていく話』と題して昨今の事件騒動について書く予定であり、この展覧会の事はその序章のつもりで書き始めたのであるが、体力と字数がここで燃え尽きてしまったようである。…次回は、その事件の話から、優れた芸人だけが持っている性(さが)と、その狂気について具体的に書く予定。……その頃はさすがに桜も散っている頃か。ともかくも、…乞うご期待である。

 

 

 

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『日本橋高島屋にて個展開催中』

……今月11日から、日本橋高島屋本店6F・美術画廊Xで個展が始まった(30日まで開催)。東京で最も広い会場空間の中に新作オブジェ75点が一堂に展示され、連日たくさんの方が観に来られている。特に今回の出品作品は、作者の実感として、完成度の高い作品が揃ったように思われるが、私の作品を知る人達からも同じような感想が返って来ているので、今回の個展に強い手応えを覚えている。

……かねがね、私の作り出すオブジェ作品は、観る人の深い記憶を呼び起こし、想像力を揺さぶる〈装置〉だと考えているが、その想いを裏付けるような体験をこの春にしたので、ここにそれを書こう。

 

……このブログでも度々登場する、ダンスの勅使川原三郎氏から四年前に話があり、多摩美術大学の演劇舞踊デザイン学科の学生相手に特別講義なるものを時々している。私の講義は毎年『二次元における身体論』という題で、主に絵画、文学における修辞学(レトリック)とその動体性における関係を話している。今年の四月、三年生の学生とは初顔合わせなので、新作のオブジェを持って大学に行った。学生の中にはウクライナや中国からの留学生もいて、興味津々に私がオブジェを箱の中から出すのを待っている。……そして学生達に見せた瞬間、面白い反応が広がった。

 

……その時に見せた作品はパリのサンミッシェル通りの古写真に古い懐中時計の前と背面を構成したもの(画像掲載)であったが、ウクライナ、中国、……そして日本人の学生達から一斉に驚きの声が上がり、「自分の幼い頃の記憶が甦って来た!!」という感想が、学生達の間から沸き上がったのである。……自分の作品でありながら、この反応はやはり不思議なものである。……作品のイメ―ジを領しているのは正にパリのサンミッシェル通りなのであって、ウクライナや中国とはまるで違う。しかし、その作品の発する「気」から直感的に、各人がみな各々の自国での幼い頃の記憶が甦って来たというのである。私は以前から言っていた〈装置〉としての自作が、単なる想いではなく、実際に記憶を呼び起こす現象として、今、目の前で起きている事を目撃し、強い手応えと自信を実証的に持ったのであった。

 

……そして、この反応は、今、開催中の個展でも観に来られた人達から返って来ているのである。私はもはや美術の分野を越境して、自分が作り出すオブジェが、オブジェクトポエム、すなわち視覚を通して体感する詩の領域に在る事を、強い自信を持って実感しているのである。今月11日から30日まで開催される個展会期は、ようやく半周を少し過ぎた所に在り、未だ11日間が残っている。……来られた方と作品との不思議な出逢いのドラマが、まだまだ続くのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「哀しくて、やがて嬉しき神保町の巻」

……JRお茶の水駅から明治大学のある坂を下って行くと、世界最大の古書の街、神保町古本屋街である。その最初に在る古書店の名を「三茶書房」という。今もこの店の前に立つと来し方を思い出す。……昔、未だ美大の学生だった20才の頃、この店の二階にあるガラスケ―スの中に、版画家の池田満寿夫さんと、わが国を代表する詩人・西脇順三郎氏による詩と銅版画のオリジナル作品14点が入った詩画集『トラベラ―ズ・ジョイ』(特装本)を見つけたのである。〈その頃で定価は確か40万円前後であったか。〉興奮した私は「これを見せてくれませんか?」と言うと、年老いた店主が一言「駄目です、だってあなたには買えないでしょ!」との冷たい突き放し。……悔しかった、しかし「買えなくても、見せるくらいどうなんだ、次代の若者を育むのも、本屋の勤め、それが文化じゃないのか」と言いたかったが、言えなかった。……どうみても、長髪の着たきり雀の貧乏学生、口をつぐんで、私は店を出た。震える程に悔しかった。

 

……… しかし人生はわからない。それから僅か4年後に、私は池田満寿夫さんと出逢い、大学院を出てそのままプロの版画家としてスタ―トしていた。そんなある日、池田さんに人生初めてのエスカルゴを食べる体験とワインのご馳走をしてもらっていた時に、学生時代の三茶書房での悔しかった話をした。池田さんは笑って聞いていたが、数日後にニュ―ヨ―クへと戻って行った。……その数日後に私の当時の契約画廊であった番町画廊の青木宏さんから「画廊に来るように」との連絡が入り、私は銀座の画廊に行った。……そこで私が青木さんから渡されたのは、池田満寿夫さんから私への置き土産だという厚い紙包みであった。……開けてみるとあろう事か、件の『トラベラ―ズ・ジョイ』(特装本・しかも私への献呈署名入り)であった。……私は震えた。しかし今度は感謝の気持ちとしての嬉しい震えであった。

 

 

…………学生時代、店主に嫌な事を言われながらも、三茶書房はしかしめげずに度々行っていた。そのガラスケ―スの中に、今度は江戸川乱歩直筆の書、有名な言葉「うつし世はゆめ夜の夢こそまこと」(現世は夢、夜の夢こそ真実の意)が展示されていたからである。……乱歩の熱心な読者であった私は、またしても欲しくなった。しかし、その書はあまりにも高価であって、店主に訊けば、またあの言葉が返ってくるのは必至であった。

……そう、私は乱歩の熱心な読者であった。……そればかりか、ここに掲載した一時代を作った平凡社の月刊誌『太陽』の江戸川乱歩特集では、乱歩の代表作『押絵と旅する男』に絡めたエッセイも、編集部からの依頼を受けて執筆しているのである。……この企画では、久世光彦種村季弘谷川渥団鬼六荒俣宏石内都鹿島茂、更には俳優の佐野史郎など分野を超えて、執筆者各人を探偵に見立て、様々な視点から乱歩の多面体の謎に斬り込んでいてなかなか面白い企画であった。ちなみに私が書いたテ―マは「蜃気楼」であった。

 

……時が流れていった。……前々回(9月8日付け)のブログで、私は神保町の出版社.沖積舎の沖山隆久さんが李朝の掛軸展を開催中に会社に行き、沖山さんから李朝の掛軸を一点プレゼントされた話を書いた。その際にその展示の場所で、30年以上欲しくて探し続けていた月岡芳年の最高傑作と評される残酷絵『美男水滸傳』(今回、画像掲載)を偶然見つけ、沖山さんに私の旧作の版画一点との交換トレ―ドを申し出て快諾して頂き、念願が叶った話は書いた。(芳年は代表作の英名二十八衆句の内二点も持っている。)……以前にも書いたが、江戸川乱歩、三島由紀夫芥川龍之介谷崎潤一郎諸氏も芳年の作品の熱心な収集家であった。

 

……その沖山さんの出版社・沖積舎で、李朝の掛軸展の次に開催されたのは文人画の展覧会であった。泉鏡花.谷崎潤一郎.永井荷風.西脇順三郎.……等の書が展示されているというので、個展の出品作品の制作の合間を見て、神保町へと赴いた。……沖積舎の中に入ると、西脇順三郎のというより、西脇以後の詩人達がいまだに超える事が出来ない美しい詩「天気」の「(覆された宝石)のような朝 何人か戸口にて誰かとささやく それは神の生誕の日」の直筆の原稿が表装されていて私の眼をとらえた。

 

 

……しかし、その奥に入って私は我が目を疑った。……あの学生時代以来、ずっと意識し続けていた江戸川乱歩の件の書「うつし世はゆめ……」が奥の方で泉鏡花、谷崎潤一郎の書と並んで静かに展示されていたのであった。

「沖山さん、沖山さん、……!!」と言ってから、私は前回に芳年を入手して直ぐにというのに、またしても旧作の版画との交換トレ―ドを申し出てしまったのであった。……しかし、さすがに今回は沖山さんも難色を示され、私は冷静になり、自分が無理を言っている事を自覚した。……しかも、その乱歩の書はあまりにも高価であり、もうなかなか出ない貴重な書なのである。「さすがに私は無理を言っていますね」と言って、しばらく話をしてアトリエへと戻った。……その日の夕方、作品の仕上げをしていると突然、電話が鳴った。出ると沖山さんからであった。「北川さん、先ほどの乱歩の書の話、OKですよ!」。……私は声高く御礼を伝え、翌日の昼すぎには、長年熱望していた江戸川乱歩の書「うつし世は夢 夜の夢こそまこと」がしっかりとアトリエの壁面に掛かっているのであった。

 

……月岡芳年の絵もさりながら、思い返せば、あの学生時代に、三茶書房のガラスケ―スの中で展示されていて熱い眼差しを注いでいた、池田満寿夫さん、西脇順三郎氏の詩画集『トラベラ―ズ・ジョイ』と、江戸川乱歩の書のいずれもが私のもとに在る事の不思議。……そして私は今にしてふと想うのである。これはまるで芝居のラストの大団円のようではないかと……。つまり、人生の終章に今、……いやいやまさか……と、私は揺れているのである。

 

……さて、今月11日から30日まで、東京日本橋・高島屋6Fの美術画廊Xで個展『幻の廻廊 Saint-Michelの幾何学の夜に』がいよいよ始まる。作品が完成してリストを見ていてつくづく思うのだが、不思議と作って来たという実感がないのである。私は作品を作るというよりも、閃きが先ずあり、啓示のようにしてなにものかの力が私と平行して共に作品が次第に立ち上がって来るのである。……この傾向は年々強くなり、次々とイメ―ジが前方あるいは背後から押し寄せて来て、作品が形を成していくのである。……豪奢、静謐、逸樂、……そして豊かな詩情とノスタルジア。更には実験性と完成度の高さとのスリリングな共存。

 

……今回の個展案内状を受け取った何人かの方から、今回の個展の今までにも増して質の高い予感を指摘された。それは個展を前にしての嬉しい手応えである。……10日は展示、そして11日が個展の初日。……次第に緊張が高まって来ているのである。

 

 

個展『幻の廻廊 Saint-Michelの幾何学の夜に』

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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