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『横浜の支那人町に降る雪は、…幻のようでありました』

…思えば大学を出てから10回ばかり、山手町本牧…など転々と引っ越しを繰り返して来たが、いずれも横浜である。今の綺麗な無菌化した横浜と違い、不穏な怪しい気配がまだ横浜には充ちていて、幾つもの物語が交差していた感がある。

 

今や観光で賑わう〈みなとみらい21〉界隈は、綺麗になる前の赤レンガ倉庫が廃墟のように不気味に建っていて、引き込み線の線路にはペンペン草が生え、廃墟の裏には刺殺体が転がっていそうな危うい雰囲気が漂っていた。……私が本牧にいた頃は未だ米軍基地があって、日本人は立ち入り禁止なのだが、アトリエ裏の崖を登ってこっそりと基地内に入り、相模湾を航行する船を、柔らかな芝生の上に寝転びながら、のんびりと眺めていたものである。…つまりそうとう暇だったのである。…美術の作家と並行して私立探偵を職業にしようかと本気で考えていたのも、この頃であった。

 

一番長く住んでいたのは、山下公園そばの海岸通りの山下町で、30才から45才までの15年間。家を出れば目の前にすぐ横浜港が見え、背後には中華街があり、船の汽笛を遠くに聞きながら、自転車や徒歩でフラフラとしていたものである。当然何回か職務質問をされた事がある。国家も政治も権力なるものも、全て虚ろな幻に過ぎないと思っている私の事、警官の職業的勘から、この男は…何か怪しい!…と、思われたのかもしれないと、今は思う。

 

昼食は殆ど中華街であった。中華街の裏道りには暴力団の事務所があり、見ると、正面に巨大な額に入った一万円札が鉛筆で描かれていて、福沢諭吉の顔の場所には、明らかにその組の組長の顔が稚拙に描かれていた。

 

…また5階建ての怪しい古道具屋があって、商っている品は優れ物だが、廊下の壁の不自然な場所に固定されたマジックミラーが幾つも在って、来た客の多くが不審がっていた。…特に変なのは、いつも落ち着かない初老の店長の男以外は、店員はみな若い女性だけで、何故か顔ぶれがよく変わる。…そして戸口にはいつも貼り紙があってこう書かれていた。…〈求む女店員‼〉と。

 

 

 

「……この遠眼鏡にしろ、やっぱりそれで、兄が外国船の船長の持ち物だったという奴を、横浜の支那人町の、へんてこな道具屋の店先で、めっけて来ましてね。当時にしちゃあ、随分高いお金を払ったと申して居りましたっけ」

 

…この一文は江戸川乱歩の最高傑作『押絵と旅する男』の一節である。…横浜の支那人町(今の中華街)の古道具屋で兄が見つけた不思議な遠眼鏡(…自然の法則を超越した、我々の世界とどこかで喰違っている処の、別な世界を透き視してしまう望遠鏡)を兄が入手した処から始まる幻夢譚である。

 

 

 

 

 

兄はその望遠鏡を持って明治二十六年時の浅草十二階の高塔に上がり、浅草寺裏の観音堂裏手に在った一軒の覗きからくり屋に在った、押絵になった覗き絵の女性(八百屋お七)に恋慕してしまう処から始まる幻想文学の頂点に位置する小説である。

 

 

 

…私はこの小説が好きで、文中に出てくる横浜支那人町に、昔、乱歩がモデルとして着想したような古道具屋がないか探し回ったものである。

 

 

 

…さて、それから数十年が経ち、……過去の沢山の思い出が詰まった中華街に在る画廊で、縁あって12月1日から21日までの3週間、『記憶の十字路に射すヴィクトリアの光』と題したオブジェ中心の個展を開催する事になった。

 

…画廊の名前は1010美術。…オ-ナ-の方は倉科敬子さん。10年以上、この場所で企画展を運営されているというから正にプロである。

 

…ご縁ともいうべき不思議な導きによって開催する事になった今回の初の個展。…東京を中心に、名古屋、札幌、熊本、鹿児島、香川、京都、冨山、福井、千葉、金沢、…と今まで沢山の画廊で個展を開催して来たが、不思議な事に地元横浜での初の個展というのは、思えば不思議ではあるが、やはりご縁という〈導き〉なのであろう。…オ-ナ-の倉科さんとは波長が合うのか、お互いの話の展開が実に面白く、私は今回の個展が実に楽しみなのである。…アトリエからも近く、ほぼ30分で行けるので、出来るだけ在廊していたいと考えている。

 

30代の頃、…まさか後にこの中華街の中で個展を開催するとは知る由もなく歩いていたのだから、…人生とは本当に面白い。…私も度々画廊に行く事にしている今回の個展。……乱歩の小説に登場する謎の古道具屋を探し求めてさすらっている当時の私自身とすれ違うような…………、横浜中華街とは、そんな不思議感の漂う迷宮の町なのである。

 

 

 

 

 

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『日本橋・高島屋美術画廊Xで個展開催中‼』

……11月3日(月)まで、日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xにて開催している個展『逆さ文字/吊り下げられたブレヒトの七月の感情』の会期の半分が過ぎて、いよいよ後半に突入である。今回の個展は、新作オブジェ62点から成るが、密なる強度さと、各々の作品がいずれも高い完成度を孕んでおり、今まで開催して来た個展の中でも最も充実した内容になっているという確信がある。

 

三島由紀夫は、〈表現者において最も必要なものは批評眼である〉と語っているが、私は常にそれを自分に課してきた。…作品が「完璧である事」「隙がない事」「尽きない豊かな詩情性を孕んでいる事」……。そしてその眼をもって今回の作品を分析し、そのように確信したのである。

 

……毎日、遠方も含めて沢山の方が来られ、懐かしい再会や、不思議なご縁とも云うべき新鮮な出逢いがあり、会場にいて貴重な時間を過ごしている。会場に入ると、どの方も真剣に作品に向かわれ、作品が放つ「気」との真剣勝負の交感がすぐに始まり、張りつめた空気が会場を包むのである。………しかし時に、来場される方の姿がふと絶えた静かな無音の時がある。…その時も私には大事な時で、作者である私は、観者の客観的な視点を持って展示している新作のオブジェを分析し、それが次なる展開へと繋がるという、貴重な生産的時間を過ごしている毎日である。

 

…前回のブログでは二点の新作オブジェの画像を載せたが、今回もまた新作オブジェの画像をいくつか掲載しよう。…画像だと、オブジェが持っている微妙なマチエ-ルの差異や凄み、また立体ゆえの迫力ある存在感をお伝え出来ないのが残念であるが、雰囲気のようなものはお伝え出来るかと思う。

 

前回のブログの予告で、今回は、(記憶は遺伝するのか否か?)について語ろうと思っていたが、さすがに大事な個展の開催中なので、それについては予定を変えて次回のブログで存分に書く事にした。また先日起きたル-ブル美術館の宝石盗難事件に絡めて、ル-ブル美術館が実はひた隠しにしている二つの事柄(『モナリザ』と監視カメラ)についても衝撃的な事実を語ろうと思っている。

 

……では、今回の個展で展示している新作オブジェ画像の数点をここに掲載しよう。会期は11月3日(月)迄。……私は自分の個展を、美と詩神が舞う期限付きの解体劇場のようなものであると考えている。出来る限り沢山の方々にそれを目撃して頂ければ有り難いのである。………

 

 

「…遠い、遥かに手の届かない所で、その物語が秘かに息づいていることの…不思議。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『近づいてきた個展開催を前に、ふと思う事』

10月15日(水)から11月3日(月・祝)まで、東京日本橋・高島屋本店の美術画廊Xで開催される個展『逆さ文字-吊り下げられたブレヒトの七月の感情』が間近に近づいて来た。既にオブジェの制作は終わり、今は各々の作品に大事なタイトルを考える段階に入っている。作品総数は63点。今回は特に完成度の高い作品が揃ったと自分では覚めた分析をしているが、人々の反応は果たしてどうであろうか、…まもなく会場でそれが実際に確認出来るので、今から楽しみである。

 

………版画からオブジェへと制作方法が変わってから、より強く想うようになった事がある。…それは人はみな本質的に詩人であり、人は誰もが優れた想像力を持っているという確信である。…そして私の作品はその確信を元にして、美術という概念を越境して、…人々の想像力やノスタルジア(遠い郷愁)を紡ぐ感性を発火させ、独自なイメ-ジを膨らませる詩的な装置(視覚化された詩)でありたいという強い想いである。しかしこの想いはあくまで私の内面的なものであり、人に問うて確認出来るものではない。…そう思っていた。…しかし、その想いが実際に裏付けられた事があった。今までに二十近い数の大学や美術館で講演や講義をして来たが、数年前の春に、多摩美術大学の演劇舞踊デザイン学科での体験は忘れ難いものがある。…それを少し書こう。

 

その年の春、学科の学生とは初めての顔合わせになるので、私は自己紹介を兼ねて、自作のオブジェを一点持って行き学生達の前に出した。…学生は二十歳前後のもちろん日本の学生が多いが、その時は、ウクライナと中国からの留学生も入っていた。…私が箱からオブジェを出してテ-ブルに置くと、学生達からざわめきが起き、皆、席を立って間近で観ようと近くに寄って来たのであった。…そして、今迄に観た事のない私の作品表現の有り様を観て(懐かしいけど、何故か不思議な感覚が湧いてくる)という言葉が各人から期せずして出たのである。

 

…その時に見せた私のオブジェは、パリのビクトルユゴ-通りを舞台にした作品であるが、面白いのはウクライナと中国から来たその二人の留学生であった。…共に(パリのその場所は行った事はないが、何故か懐かしく、昔の自分の記憶がフラッシュバックするみたいに鮮やかに甦ってくる)と興奮ぎみに話してくれたのであった。

 

… 私の作品を観て、国を違えても共に甦ってくる、この共通した感覚とは何なのか⁉……、そういえば、現代美術を画廊の側から牽引された佐谷和彦さんの佐谷画廊で企画した展覧会『現代人物肖像画展』で、私の作品五点をまとめて購入したイギリスの画商も全く同じような感想を語ってくれた事があった。

 

…ともあれ、記憶を揺さぶり想像力を煽る作品(詩的装置)を作りたいという私の想いが予期せぬ形で確認出来た事は、以後の自分にとっての確信的な体験となり、更に集中的に、より制作の速度を早めて作るようになって来ている。

 

……この体験は、法政大学出版局からの執筆依頼で書いた『記憶と芸術-ラビルントスの木霊』(谷川渥・海野弘・萩原朔美他との共著)に詳しく書いているので、ご興味のある方はお読み頂けたら幸甚です。

 

 

…高島屋の個展では、毎回手の込んだ案内状(A4サイズ大の四つ折りリ-フレット・カラー版)を作っている。今回も作品を12点近く掲載した案内状を作っているが、私は一人ずつ宛名を手書きで書くので、さすがに400通書くのが限界である。…その案内状も先日発送したので、いよいよ、個展開催が迫っている事を実感しているところ。……今回はその案内状を開くと、私が書いた一枚の詩文が入っている。…その詩文をご紹介しよう。

 

「細い、きわめて細い垂直線が、物語の構造に深く関わって来るような詩的装置を作ること」/「作者と観者という主客関係が混在化してしまうような、強い揺さぶりのある装置を作ること」/……この二枚の紙片に書き連ねた文字から賽子がこぼれ落ち、非在の数字7が現れ、少年の顔をしたブレヒトが登場する。……ヴェネツィアの春雷がアドリアの夜を銀に染める前に天幕が上がり、絶対温度零度の静寂の中で、例えば『イプセンの〈切れた糸〉』がオブジェに変容し、一人称の呟きのように、今し物語が静かに始まる。

 

この詩文に登場する『イプセンの〈切れた糸〉』は、今回発表するオブジェの中の一点のタイトル。…イプセンという名前で先ず浮かぶのは「近代劇の父」と呼ばれる『人形の家』等の著者の名前。作品の中に操り人形があるので直感的に閃いたタイトルであるが、そのイプセンでも、匿名の人物がイメ-ジになってももちろん観る人の想像力の自由である。

 

 

…個展前であるが、その作品と、もう一点、『サン・ラザ-ルに流れる二つの時間-Paris』という作品の画像をここに掲載しよう。サン・ラザ-ルは私の好きなパリの知名で、私の写真集『サン・ラザ-ルの着色された夜のために』(沖積舎刊行)にも登場し、またモネの全12点の代表作『サン・ラザ-ル駅』にも登場する。

 

 

 

 

 

 

………次回のブログは、(はたして記憶は遺伝するのか否か?)…について、私の実体験の不思議な話を交えて書く予定。小泉八雲ユングニ-チェも登場します。乞うご期待。

 

 

 

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「涼風が吹き抜けていく箱根写真美術館に行く」

…昨年の夏よりも更に酷暑となった今夏の異常さはもはや尋常ではない。…北海道が40度に迫り、熱中症の患者も今年は実に多いという。…多いと云えば熊の被害も増えている。…テレビで、人家の庭から悠然と去っていく熊の後ろ姿を観たが、あたかも親戚の叔父さんが東京土産に亀屋万年堂のナボナを置いて帰っていくような……、そんな感じである。

 

……先日、東京恵比寿のLIBRAIRIE6で開催していた個展が盛況の内に終了した。…来廊された方がSNSで今回の個展情報を発信する回数が多いらしく、画廊に来廊者がいなかった時がない。…初めて私の作品を知った方もいて、美術に対する認識が広がったのか、長時間観入っている方がかなりいた。

 

 

 

…さて、一転して昭和の話を。……ずっと以前から気になっている事があった。…それは私が中学の時に福井から東京に修学旅行で来た時に泊まった旅館の事である。(それは日本学生会館という名前で、神田川沿いの中央線・御茶ノ水駅水道橋駅の間の坂道に在った)……生来不穏な怪しい気配に惹かれている私は、その旅館(と言っても、重厚な鉄筋コンクリートの建物)が放っている、何とも事件の匂いがするその入り組んだ造りや、隠し部屋さえありそうな、…そんな二重構造めいた気配の事が記憶に長く残っていた。…そしてひと頃、美術家と併せて私立探偵業をやろうと本気で考えていて、事務所の物件を探していた時に、イメ-ジの範として、その建物の事が頭にあった。

 

 

先日、古書店で川本三郎さんの『名作写真と歩く昭和の東京』という本を買ったら、その中に、その建物の来歴が載っていて驚いた。その本の中に一枚の写真が載っていた。陽炎の中に電車や車が浮かび上がったような幻想的な写真。…写真家・植田正治の初期の写真である。…川本三郎さんの説明によると、坂の左手の暗い固まりに、順天堂医院昭和第一工芸高校、…そしてモダンな鉄筋コンクリートの建物…お茶の水文化アパ-トがあった。…文化アパ-トは大正14年にアメリカの建築家ヴォ-リズの設計によって作られた高級アパ-ト。…それが戦後、進駐軍将校の家族宿舎になった後に旺文社が買い取り、修学旅行生の宿、日本学生会館となったが、老朽化のため取り壊されたとあった。

 

 

面白かったのは、その後の記述である。…このモダンな鉄筋コンクリートの建物、お茶の水文化アパ-ト(後の日本学生会館)は、江戸川乱歩が創造した名探偵、明智小五郎が昭和四年頃に住んでいた「開化アパ-ト」のモデルとされている。…という記述を読んだ時に、その建物への私の拘りが氷解したのであった。…私と同じく江戸川乱歩もまたあの建物に、不穏で怪しい気配を覚えていた事を知ったのであった。…そればかりか、島田荘司のミステリ-小説『網走発遥かなり』にも、乱歩ファンの女性が、まさに取り壊し中のこの建物を見るくだりがある事も知ったのであった。

 

 

…先日、箱根にある「箱根写真美術館」(館長は写真家の遠藤桂さん)から展覧会の美しいご案内状が届いた。…写真家・榎村綾子さんの個展『仮説から始まるロマネスクの幻視』である。…今年の1月に遠藤桂さんと日本記者クラブのカフェでお茶をした時に、榎村さんの個展を夏に開催するお話しは伺っていたが、それがいよいよ実現したのであった。…榎村さんの写真は、パリやロンドンなどに流れる硬質な時間や歴史の層に被写体を求め、巧みな表現力を駆使して、現実と幻のあわいに立ち上がる詩情を浮かび上がらせるという、写真の分野でも他に類が無い表現で知られる特異な存在である。……この国を代表する国際的な写真家で知られる川田喜久治さんは、榎村さんの写真集にテクストを書いて高く評価しているが、その写真を観た確かなプロの眼を持った遠藤さんが独自に評価して、今回の個展となったのであった。…………

 

 

遠藤さんとの出会いは、今から15年以上前になるであろうか。…銀座を歩いていた時に、ある画廊で開催されていた写真の個展を通りがかりに観た時に、一瞬でその写真から放たれている強い「気」を受けて、私は画廊の中に入った。…写真はパリの主に風景を撮した作品であったが、昨今ますます衰弱している写真の分野にあって、そこに展示されていた写真の数々からは、真逆ともいえる、パリの建物などの被写体を通した奥にある、何か言葉では名状し難い「光の魔力」といったものの潜みが感じられたのであった。…(私はあなたの作品、好きですよ!実にいいですね!!)…確かこのような言葉を、画廊にいた作者に話したのだと記憶している。…作者のその人は、その瞬間に実にいい笑顔を私に返してくれたのであった。…それが写真家・遠藤桂さんとの出逢いであり、以来親交が続いている。

 

…遠藤さんは海外からの仕事も含めて写真の様々な仕事をこなしておられるが、その中心には霊峰とよばれる富士山が存在し、その霊的ともいえる富士山の様々な相貌を捕らえる事を生涯の主題としている人である。…ここに遠藤さんの作品を一点、ご紹介しよう。タイトルは『楓月-KAZUKI』。昨年の12月にパリの個展で発表した作品である。

 


……(北川さん、箱根は別天地のように涼しいですよ。)…私のオブジェを数多くコレクションし、また広重の版画のコレクタ-としても知られるTさんは、箱根に別荘を持っていて夏は避暑で箱根に住んでおられるが、先日頂いたメールには、そう書いてあった。新幹線こだまで、新横浜から小田原駅までは僅かに15分で着き、箱根登山鉄道強羅駅で降りると箱根写真美術館はすぐであった。…楕円形の会場には榎村さんの写真作品がおよそ30点近く展示されていて、各々の作品から放たれている独自な気配が壮大な幻想の交響を産んでいて、素晴らしい個展だと実感する。

 

 

…何れも作品の完成度が高く、美的なものへの共振力が強い美学の谷川渥さんが、写真家の川田喜久治さんとはまた別な切り口で、テクストを執筆している理由も頷ける。…ここに榎村さんの写真作品を4点、ご紹介しよう。4点何れも表現の攻めるメソッドを変えながらも、しかし何れも美と毒と、深い詩情が作品の表象を領し、古典が放つ韻が今日性と絡み合って、強い引力を孕んだ表現世界を立ち上げているようである。

 

…………ここ箱根写真美術館は、猛暑とは無縁の、涼風が吹き抜けていく別天地のような美術館であった。遠藤さんご夫婦とも併設してあるカフェで久しぶりに愉しい時間を過ごす事が出来て日々の疲れが一掃され、充電も出来た。……会期は9月8日までだが、制作の合間を見つけて今一度訪れようと、私は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

榎村綾子写真展『仮説から始まるロマネスクの幻視』

 

 

2025年7月23日(水)~9月8日(月)。
AM10時~PM17時30分
〒250-0408 神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300-432
TEL.0460-82-2717

小田原駅から箱根登山鉄道「強羅駅」下車・徒歩5分。「公園下駅」から下車してすぐ。カフェ併設。(休館は火曜・第3月曜)

 

 

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『…健康のためなら死んでもいい!』

 

…2025年7月……酷暑である。

 

…命の危険を考えて男性も日傘をさすまでに今や時代はなっている。炎天下、日陰を探して人々は難しい顔をして歩いているが、ここに掲載した昭和初期頃の日傘をさして街を歩く女性たちの夏の風情はもはや絶えてしまった

 

 

 

 

…そして沖の何かに向かってやわらかく手を振る女性たちの余裕あるこの笑顔は、今日の女性たちからは消えてしまった、もはや文化遺産のようである。

 

 

 

さて話は、最近凄まじい頻度で地震が多発している悪石島に移る。…悪石島(あくせきじま)、…どう見ても不気味な名前の島であるが、私はこの名前の事が気になって仕方がない。まるで横溝正史の怪奇怨念因果応報を主題とした小説の題名のようではないか。…それと1500回以上も発生している地震とを関連して、私はこの悪石の石は、ひょっとすると島特有の地盤の脆さを指しているのでは…と考え、調べてみた。

 

島名の由来は2つあった。…この不気味な島名の由来は源平の時代に遡り、この島に逃れて来た平家の落人が、追っ手を遠ざける為にわざと悪い名前をつけたという説。…もう1つは、この島は岩が多く、崖上から頻繁に岩が落ちてくるから名付けたという説がある事を知った。

 

落人の話もリアリティがあるが、私は落石説の方が面白い。…つまり崖上からの異常に落石が多いという事は、島が度々激しく揺れて次第に崖に亀裂が多数生じ、結果、割けた岩が落ちてくるように思われる。…つまり最初に私が思った、悪石島の「石」はやはり、この島の地盤の悪さを意味しているように思われるのである。…島の歴史を記した古文書のような物があれば面白いのだが…、調べてみようという学者はいないのだろうか。

 

 

 

…さて、前回のブログでご紹介した、今月の20日迄、東京恵比寿のLIBRAIRIE6で開催中の個展「七つに分割されたマルグリットの肖像」展であるが、初日から来廊される方の多さに驚いている。

 

…画廊は12時から18時までの6時間であるが、初日だけで来廊された方は60人を超えていた。…つまり1時間で10人は来られた事になる。美術館でなく、画廊としては異例の来廊される方の多さである。

 

……今や伝説的な画廊になっている佐谷画廊の故.佐谷和彦さんから直接伺った話であるが、1980年代のある年に佐谷画廊で「パウル・クレ-」展を開催した時は、来廊者数が凄まじく、会期中の来廊者は実に三万人を超えて、佐谷さんは酸欠の為に何回も画廊の外に出たと、笑いながら豪快に話されていた事を想い出す。…佐谷さんの展覧会にかける熱意と、またクレ-財団と直接交渉したりして、厳選して展示する作品の質の高さを美術を愛する人々は知っていて、それを時の新聞の文化欄が取り上げたこの展覧会は、今や伝説になっている。

 

今回の個展でも、再度来られる方がいて、私も手応えを覚える展覧会になっている。…今回は、画廊の空間の一部で、砕いたガラスによるインスタレ-ションのような試みもしており、この試みは今後の制作に繋がっていくように思われる。…今回の出品作では、、ロンドンの1930年代の巨大な時計の文字盤を真っ二つに切り裂いた作品も展示しているので、ご高覧頂きたいと思っている。

 

…最後に画廊の展示風景を掲載しておこう。20日の最終日まで未だ9日間(月曜・火曜のみ休み)残っているので、アトリエで進行中の制作と合わせ見ながら、私もなるべく在廊している予定である。

 

 

 

 

 

 

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『東京.恵比寿の画廊LIBRAIRIE6にて個展始まる。7月5日-20日まで』

昨年夏のブログで、来年の夏は更に酷暑(火炎地獄)になる!と断言的に書いたが、果たして6月末で既にこの暑さ。…梅雨は忽ち消え去り、大地は乾き、グロテスクに歪んだ酷暑の夏の顔が、出番を待ちきれないという風に、もう舞台の袖から早々と顔を出している。

 

……(熱中症予防の為に水分を小まめに、せめて1㍑は呑んだ方がいい)…とアドバイス的に云われているが、実はそこに落とし穴がある。……先日、福井の養鶏場で沢山の鶏が猛暑の為に水ばかり呑んだ結果、産まれ出た玉子の殻はブヨブヨに軟らかく、中身もドロドロだったというニュ-スは記憶に新しい。人間も同じである。…水ばかりの過剰摂取は次第に血液を薄くして体調を逆に狂わせてしまうのである。……夏は麦茶が良いという先祖からの伝承の知恵はやはり正しく、麦茶はミネラル、特にカリウム、マグネシウム、カルシウム、リン等が豊富に含まれていて、体内のバランスを整え、血液をサラサラにする効果もあって、ここは強くお薦めである。

 

 

さて、次は大事な個展のお話しを。…今から25年以上前の事。ある時、平凡社月刊誌『太陽』の編集長の清水壽明さんが(高輪台の画廊で、なかなか才能のある女性が個展を開催しているので観にいった方がいいですよ。)と強く薦めるので観に行った事があった。…確かに、繊細さと刺すような感性の鋭さを持った作品が数多く展示されていて、作者のその若い女性に才能を感じた事を覚えている。…話も打てば響く手応えがあり、私は暫くの間、その作家との会話を楽しんだ。……間違いなく才能がある次世代の作家に彼女はなるな!…そう確信するものがあった。…それが佐々木聖さんとの出逢いであった。

 

 

…数年経ったある日、再び私の前に現れた佐々木さんは、しかし一変して作家になるのをやめて、ギャラリ-を開くというので、驚いてしまった。そして何故に画廊のオ-ナ-にという私の疑問をよそに、佐々木聖さんは、シュルレアリスムを中心に置いた実に独創的なギャラリ-を立ち上げ、忽ち独自な顔を持った、センスの良さが光る展示空間を作り上げたのであった。

 

その画廊の名前を『LIBRAIRIE6』という。…librairie(リブラリエ)はフランス語で書店の意味。6はSixで発音はシス。繋げるとリブラリエ・シスで第6書店となるが、この画廊名、パリ的なセンスの冴えがある。…取り上げる作家も野中ユリさん、金子國義さん、四谷シモンさん、合田佐和子さん…など、私も知己がある曲者の強烈な作家ばかりで、何年目かに私も個展を開催した事があった。…黒曜石の光のような稀な光輝を帯びた佐々木さんの個性に惹かれるように、来廊する方は年々増えていき、知名度も増して、画廊にいつ行っても、決まって来廊して熱心に作品を観る人が絶えた事が無いのは、やはり彼女の人柄であり魅力なのであろう。

 

 

…LIBRAIRIE6での個展は13年ぶりくらいである。…お互い独自な路線を走っていたのが、2025年のここに至って、佐々木さんと私の方向性に何らかの一致するものが見えて来たようにも思われるのである。

 

先日、東京が土砂降りであった日に、画廊に私も行って展示作業をおこなった。…私は作品展示の高さを決めるのが仕事で、作品配置その他は佐々木さんが決めていく。…その作業ぶりを見ていた私は、佐々木さんのセンスの良さに驚いた。…かつて覚えたあの作品センスの冴えは、ここに見事に活きている。…そう思ったのであった。

 

……私が在廊する日時は、7月の5日・12日・19日の各土曜日と、13日(日)の2時から6時の閉廊時間まで。…横浜のアトリエから恵比寿の画廊までは電車で近いので、他の日も急に思い立ったら行く事になるであろう。……今回はかなり大きなロンドン製の古い壁掛け時計を真っ二つに切断したオブジェほか、30数点を展示している。…ぜひのご来廊、ご高覧をお願いする次第である。

 

 

 

 

Galerie LIBRAIRIE6

 

北川健次「七つに分割されたマルグリットの肖像」展

会期:2025年7月5日(土)〜7月20日(日) 12:00-18:00

住所:東京都渋谷区恵比寿南1-12-2 南ビル3F

電話:03-6452-3345

月曜日・火曜日は休廊)*展覧会最終日は17:00閉廊

作家在廊日:7月5日(土) 、12日(土)、13日(日)、19日(土)  14:00~

 

 

 

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『あの夏が来る前に、いっそ、……』

…用事を済ませてアトリエに戻ったら、郵便受けに大きな封筒が。…差出人を見ると筑摩書房の大山さんからである。…!?と思って開けたら、美学者の谷川渥さんの新刊書『美学講義』が入っていた。…早速谷川さんに刊行のお祝いと御礼のメールを送る。…本の表紙には、〈バロックとの微妙な関係性のうちに展開する美学的言説をめぐる思考の軌跡…〉の文字が。

 

東大文学部の美学を出られた谷川さんの先輩になる、演出家で作家の久世光彦さんに生前〈美学って、つまるところ何ですか?〉と訊いたことがあった。久世さんの答えははっきりしていた。…〈結局わからない!〉であった。…そのわからないという所から谷川さんのこの本は出発しているので、かなり厄介だが、それ故に面白いと思う。………谷川さんの著作はこれで何冊になったのか?……これから書く四方田犬彦さんは既に300冊の著作をものにしているというが、突出した論客である、このお二人とは、どういうご縁があるのか、お付き合いが長い。

 

 

その四方田さんの著書『人形を畏れる』の冒頭は、私が持っていた不気味で土着的な人形に対する記述から始まり、次に私が登場する。

 

……(美術家の北川健次がいう。富山の方を廻っていて見つけたのだけれど、どうしたものだろう。北川は作品の素材を探しに行った先の古物商で、店の片隅に放置されている人形を見つけた。人目見て、何か因縁のあるものではないかと思い、あるかなきかの程度の金を払って引き取ってみたものの、はたして作業場に、他のオブジェや版画の間に並べておいていいものか迷っているという。彼はそれをなぜか「弥助人形」と呼んでいた。…以下続く)

…その人形がこれである。↓

 

 

 

自分とは違う作家が私の事を書いて、それが活字になると妙な感じがする。…自分であって、自分ではないような……。先に登場した久世光彦さんも私の事を何かの文章で書いているが、これはもう耽美な久世ワ-ルド一色で、危険な艶を帯びた姿で私の事が書かれており、あたかもルキノビスコンティ『地獄に墜ちた勇者ども』に登場する鋭くも怪しいナチスの将校のそれである。…しかし、いずれも、本になる前に自分が登場する事は知らされているのである程度予測はついている。

 

 

 

しかし、こんな事があった。……先だって、横浜の図書館で10冊ばかり本を借りて来て読んでいたことがあった。何冊かを読んで、次に森まゆみさんの著書『路上のポルトレ-憶い出す人々』を読んでいた。森さんが生前にお付き合いした人達の事を綴った点鬼簿のような本である。…私も生前に親しくして頂いた名書評家で作家の倉本史郎さんの章に来た。網野善彦別役実…の名前が出て来たと思った次に、突然私の名前が出て来た時は驚いた。…亡くなった方ばかり登場するので、一瞬自分も死んでいるのかと慌てたのであった。

 

…あらためて読むと、葉山の倉本さんのお宅に招かれた時に、翻訳家の河野万里子さん、森まゆみさん達とお会いした時の事が書かれていたのであった。…その時に過ごした時間は本当に愉しい時間であったが、文中で森さんはその時の事が至福の時間であったと書いていて、(そうか、森さんもそう思っておられたのか)と嬉しかった。

 

…文章は移って倉本さんのお通夜の場面が出て来て、森さんともう一度お会いして、夜半に一緒に横須賀線で帰った事も思い出したのであった。

 

…その時に私は『モナリザミステリ-』という本を新潮社から刊行していたので、森さんにお送りすると(美術家にこんな上手い文章を書かれたら困る!)という嬉しいご感想のお返事を頂いたことがあった。

 

……後日、私が森さんの著作の熱心な読者になる事など、その時は知るよしもなかったのである …… 書く人によって、私の姿が各々違うのは当然であるが、結局人は、自分なりの独自なレンズで相手を視ているのである。…それを拡げて考えると、或る作品も決して一様に見えておらず、各人によって、その受け取りかたも全く違うのである。…ふとそんな当たり前の事を何故かぼんやりと思ってしまった。

 

 

…前回のブログでお伝えしたが、今月の25日まで名古屋画廊でヴェネツィアを主題にした、私のオブジェ、コラ-ジュ、写真と共に、馬場駿吉さんの俳句を展示した展覧会を開催中である。

 

 

そして、今月の22日(木)から6月9日(月)まで、西千葉の山口画廊で、30点のオブジェから成る個展『謎/モンテギュ-の閉じられた箱の中で』展が開催される。…今までにない新しい試みによる作品も初めて本展で発表をしているので、ぜひのご高覧をお願いしたい次第である。

 

…画廊のオ-ナ-の山口雄一郎さんは、今回の個展開催に際して、『画廊通信』という画廊が刊行しているカタログで、『迷宮の詩学』と題して、実に緻密な論考を拙作への深い思索に充ちた文章で展開されていて、私はそのカタログがアトリエに届いて早々にあまりの面白さに読み耽ってしまった。…山口さんは寡黙で実に謙虚な方であるが、その内に実に鋭い直感を秘めていて、今回が4回目の個展になるが、未だに山口さんは私にとって尽きない〈謎〉なのである。

 

 

… 今回のカタログで山口さんは、北原白秋『邪宗門秘曲』の詩と、私の詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』を対比させ、その角度から私の文章に於ける方法論を絞り込んでいき、エルンスト澁澤龍彦も登場して、稀にみる硬質な分析になっていて実に読み応えがある。…私が無意識と思っている部分にも鋭いメスを入れて、そこから必然的な意味をも引き出して来て、なおも作品の謎が深化していくという、それは実にトリッキ-とさえ想わせてしまう文章なのである。…画廊に来られたらぜひ、カタログの方の山口さんの書かれたテクストも味読していただければと願っている次第である。

 

 

 

 

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『ヴェネツィアの春雷in名古屋』

先日の5日、銀座の永井画廊で開催中の、松崎覚さんという方が制作した蝋人形の展覧会を観た。夏目漱石ジョン・レノンサルトル太宰芥川チェ・ゲバラピカソ…他、等身大9体の極めて精巧な蝋人形が画廊に整然と展示された様は、実に異様な気配を発していて眩暈すら覚えた。

 

…ロンドンのマダムタッソ-パリの蝋人形館でも観てきたが、それらの人形に比べて、技術の冴えは松崎さんの方が格段に優れている。体臭や息遣いまで伝わってくるほどに生々しいのである。

…かつての明治期の生き人形も凄味があるが、例えば乱歩の『人でなしの恋』や『白昼夢』に見る如く、この人形という世界の行き着く先にはあやかしの倒錯性が潜んでいて、一種幻葬的な世界へと引き込んでいくものがある。

 

 

画廊の永井龍之介さんと久しぶりに少し話をした。以前に開催された私の個展の後に、新橋の永井さん行きつけの店で話し合った時も、なかなか面白かった。…周りの客の喋りがうるさい中で、店の隅の席で私達が熱く話しあったのは、『水中花』の詩で知られる詩人の伊東静雄高村光太郎についてであった。以前にこのブログでも書いたが、光太郎が書いた智恵子抄に秘められた贖罪について、永井さんの返答がどう来るのか興味があったのである。…永井さんは美術の域を越えて実に博識で、突然話題を変えても、全方位的に更に話が膨らんでいく人である。………永井さんは松崎さんの蝋人形を他と差別化する為に、「蝋彫刻」として今後、展開していくようである。

 

 

銀座の永井画廊を出て、荻窪へと向かった。…ダンスの勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんが海外の公演が長かったための、久しぶりの日本での公演『骨と空気』の初演を観るのである。公演時間はおよそ一時間、……「圧巻」という言葉しか出て来ない見事なその舞台に、しばし失語症になってしまった。……勅使川原さんの突出した才能は、演出、照明にまでも深く及んでいるが、何をおいても身体の動きの速さはまた別格である。

 

…1つの例として、複数のダンサ-と激しい動きをしている時に、高速度カメラで撮影した人がいた。どのような速い動きをしていても高速度カメラでは当然、被写体は停まって写ってしまう筈である。…プリントした時のその画像では、ダンサ-達の姿は確かに停まっているが、唯一人、勅使川原さんだけは、なおもぶれて写っていたという。高速度カメラでもなおぶれて写ってしまうという事は、もはや異常な速さと見ていいだろう。…彼にとっては、その速度もまた美であり、そして詩なのだと私は思っている。そして、その異常な速さが紡ぎだす特異な残像の重なりが、私たち観者の脳内でポエジ-として結晶化し出した頃に、彼の見事な作劇法は大団円としての夢幻へと移ろいを転じて、舞台は暗転するのである。

 

…私は観ている途中でふと、彼の見事な身体表現に最も相応しい観客は誰か…と考え、すぐに世阿弥の事が頭をよぎった。…すると、公演が終わった後で観客に向けて話をする勅使川原さんから、その時、世阿弥の名前が出たのであった。……………猿楽を芸術の高みへと昇華した世阿弥の『風姿花伝』を読むと、その随所の言葉に、勅使川原さんのメソッドと重なるものを私は覚えてしまうのである。

 

………次回の公演は、5月24日から6月5日まで。佐東利穂子さんのソロで『悲しみのハリ-』(映画「惑星ソラリス」より)である。…7月中旬まで展覧会が3つ入っていて制作や準備で慌ただしいが、次回の公演も、私はまた予定を入れているのである。強い刺激と、確かな充電を得る為に………。

 

 

 

先日の9日に、名古屋画廊で開催する、俳人の馬場駿吉さんと私の二人展『春雷疾駆/ストラヴィンスキ-の墓上』展(5月9日〜24日)の初日なので名古屋に行って来た。…展覧会の舞台はヴェネツィアである。私はヴェネツィアには撮影もはさんで5回行っているが、馬場さんは実に10回以上もヴェネツィアを訪れて、それは100作以上の俳句作品になっている。

 

 

 

 

 

 

…夜半に見た真っ暗なアドリア海と真っ暗な空が合わさって巨大な舞台となり、春のある夜にそこに観たのは荒ぶる銀の走りと化したヴェネツィアの春雷であった。その凄まじい荒ぶる様は、ちょうど蕪村が詠んだこの俳句と重なるものがあるだろう。……「稲づまや/浪もてゆへる/秋津しま」。……秋津しまとは日本の事。極東の島国に俯瞰的に走る雷光の様をまるで宇宙から視たような想像力を持って詠んだ蕪村の秀句。………斜めに、或いは横に、そして突き刺さるように垂直に落ちる雷の荒ぶる様を視た私は、その時の強い印象が忘れ難く『ヴェネツィアの春雷』という連作となって10数点の作品を作った事があった。

 

…その体験談をある日、馬場さんにお話をすると、何と馬場さんもその凄まじい春雷を深夜のヴェネツィアで目撃されたという。…今回の二人展の肺種はその時に立ち上がったのである。…この展覧会で、私は20点のオブジェやコラ-ジュ、そして20点のヴェネツィアで撮影した写真を出品し、馬場さんもヴェネツィアを詠んだ俳句を出品されている。……廃市幻想の水の島  - ヴェネツィア。俳句と美術という珍しい形でのイメージの競演をぜひご高覧ください。

 

 

 

 

 

 

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「個展開催中のお知らせ」

今月21日まで、東京・日本橋高島屋本店6F美術画廊Xにて、新作オブジェ65点を一堂に展示した個展『狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ』を開催しています。…多くの方々のご来場、ご高覧をお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

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「10月21日迄、日本橋高島屋で個展開催中」

……私が24才の時に、東京国立近代美術館で開催される「東京国際版画ビエンナ-レ展」の日本の代表作家の一人として選出された時に、当時ニュ-ヨ-クに住んでおられた池田満寿夫さんから祝電のお手紙が届いた事があった。その手紙の末尾に、(私はアメリカを代表する作家の一人として出品します。共に頑張りましょう。)と書いてあり、私は燃えるような気持ちで熱くなった事がある。

 

…また、その手紙には(…あなたは、これからはコレクタ-の人達と一緒に人生を生きていく事になるでしょう)と書いてあり、当時の私はその箇所だけは、些か疑問を抱いた事を覚えている。…作品は本質的に匿名である故に、具体的な人達と接点を持つべきではないと思ったのである。…しかし、個性ある作品を遺した人達の生涯の記録を読んでいくと、その人達が具体的なコレクタ-の人達と実に深い生きた物語を交わしながら、作品の質を高めていったかを知るにつれ、私の考えは変わっていった。…コレクタ-の人達もまた作品収集をするという行為を通して、その人自身の人生を豊かに紡いでいるのであり、それもまたその人達における表現行為なのだと次第に気づいていったのである。

 

…想えば、私の版画はそのほとんどが、その人達によって評価され、収集されていき、完売による絶版という形で、私のアトリエに版画作品はほとんど残っていない。…そしてそこに、私を支え続けてくれた人達との不思議な「ご縁」としか言いようのない豊穣な物語が実にたくさん残っている事を、私は時に思い出すのである。…そして、作品を収集するという行為もまた深い創造行為なのだと、私は実感を持って想うのである。

 

版画の次に、私は精力的にオブジェを作り続けて来た。その作品数は既に1200点以上であるが、アトリエに残っているのは僅かに40点くらいである。…考えてみるとこれは驚異的な事であり、表現者としてこれほど幸せな事はないとつくづく思うのである。…その1000点以上の作品は今、各々の作品との出逢いを通じてコレクタ-の人達の身近でまた新たな尽きる事のない豊かな物語を紡いでいるのである。

 

…最近つくづく思うのであるが、人生という限りある時間の中で一番大事な事は、人と人とを結んでいる「ご縁」というものではないかと思う。…ご縁という不思議な運命の筋書き。振り返ってみると、本当にその不思議な縁によって、実にたくさんの面白い出逢いがあった事を思い出し、私は豊かな気持ちになるのである。…昨今のように相手の顔も知らずにネットで不毛な刹那的触れ合いをして、次に消去を繰り返している時代にはもはや、豊かな物語を作る土壌は無いと私は見ている。…時代は寒い方へと傾斜を墜ちていっているが、私はその「ご縁」という不思議なとしか言いようのない現象のドラマにこだわり、それを大切に考えていたいと思っている。

 

…さて、日本橋高島屋での個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」が2日から始まった。…それに関して、「月刊美術」10月号の新刊で、この個展に関する展覧会評が出たので、以下にご紹介しようと思う。…個展は21日迄、休み無しで開催されている。…そして私は毎日、画廊にいて、私の作品と、その作品と出逢った人との不思議な、しかし何かに結ばれているとしか思えない、その出逢いの瞬間に立ち会うのである。…そして、その作品の次なる作者は、私からその人へとなっていくのである。

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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