Event & News

『銀座・画廊香月個展PART②』

ずいぶん昔、まだ20代の頃に、犬山市にある「明治村」を訪れた事があった。広大な敷地の中に、移築した実際の漱石の家や帝国ホテルなどの貴重な遺構が数多く点在し、まさにタイムスリップの醍醐味があって、一日中、嬉々としながら過ごしたのであった。夕刻、明治村の閉門の時が来て出る時に、「もし、この広大な敷地の中の貴重な建物の中に、そっと人が潜んでしまったらどうなるか!」……その点の警備の事に興味が湧いて、係員に訊ねた事があった。係員の答は素晴らしかった。「閉門30分後になるといっせいに犬を放して潜伏者を見つけ出します」。

 

刑務所から逃走して向島の中に10日以上潜んでいるという男の話は、辞職に追い込まれた財務省の男や新潟県知事の弛んだ話よりもよほど面白く、私は興味を持って注視している。逃走者1名VS警官2000名。……品川区ほどの広さがあるという向島。その中で今もなお(尾道に泳ぎ渡ってしまった可能性もあるが)逃走劇は続いているのである。……未だ捕まらないという今回の報道を見て、私が思い出したのは、先ほど記した明治村の犬を放つという話であった。島民を向島の一ヶ所に集めて、性格の荒いド―ベルマンをいっせいに八方から放つと、さてどうなるか!?……それを私はいま想像しているのである。この向島には20年ばかり前に訪れた事があるから、この想像は1種のリアルさを帯びて浮かんでくる。

 

この向島には1000軒以上の空き家があり、その家々をチェックしている警官は、家のチェックが終わるとその家の目立つ場所に〈チェック済み〉の緑のシ―ルを貼って次の捜査に向かうという。……しかし、その緑のシ―ルを貼ってある家(既に捜査済み)に、そのチェック法を知ってか知らずか、逃走者が夜陰に乗じて密かに入ってしまったら、事は厄介である。……この逃走している孤独な男の、追い詰められた「眼差し」に、光眩しい西海道、春ことほぎの向島の空や海や緑陰は、はたしてどのように映っているのであろうか。……この男の脅える視線がそのままにカメラのレンズとなって風景を撮したら、その写真は犯意を映した陰りのマチエ―ルを帯びて、なかなかに面白い写真が出来そうな気もする。あぁ、そのような犯意を帯びた視線のままに、また撮影の旅に出たいと思う、春四月末の私なのである。

 

―さて、24日まで開催中の銀座・画廊香月での個展も後半に入った。連日、遠方からも個展を観にはるばる来られる方が多く、私の現在の表現世界をゆっくりと時間をかけて鑑賞されている。私が造り出すオブジェの表現世界。個々がこの世に一点しかないオリジナル故に、各々の作品をどなたがコレクションされていくのかを見届ける事は、私の表現行為における、ある意味での最終行為である。私は、その作品をこの世に立ち上げた。……そして、コレクションされた方は、これから後、その作品と長い時をかけて対話を交わし、様々なイメ―ジを紡いでいく、もう一人の紛れもない作者なのである。その意味で、個展の最終日まで、私の表現活動は続いているのである。……この個展の後は、6月から開催される郡山のCCGA現代グラフィックセンタ―での、版画を主とした大規模な個展。……また求龍堂から刊行される、私のオブジェ(近作を主とした)の作品集の打ち合わせ……と、多忙な日々が待っているのである。

 

 

 

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『銀座・奥野ビル・画廊香月 PART①』

銀座一丁目通りの喧騒を抜けるようにして、東銀座寄りの二つ目の通りに入ると、一転して静かな空間となる。その静かな中に、時間の澱を孕んだ無国籍な気配の怪しいビルが建っている。昭和初年頃の築というから87年以上も前の建物。銀座で戦火を免れた、云わば時代の移りを呼吸している重厚な建物で、その趣を例えるならば、日本というよりも、昔日の上海、或いはプラハにそれは近いか。

 

その建物の中は、事務所、古美術店、画廊、個人の隠れ部屋……などと様々であるが、私がこのビルの存在を知ったのは20年ばかり前の事である。……『日曜美術館』というテレビ番組があるが、たまたま観ていた特集が、ドイツ文学者の種村季弘さんの特集であった。……初めに、石の床を這うようにして、低い視線のカメラのアングルが、あたかもプラハの古いビルの中をさすらうようにして薄暗い空間を映していく。やがて階段を昇り始めたと思うやその途上に立ちはだかるようにして立つ、金の細い額に入った銅版画にカメラの視点が定まり、作品の細部が拡大されて映った。……若き日のフランツ・カフカの立像と、象徴的なアンモナイトを暗示的に配した画面。……私は自分の作品『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』が突然映りだされた画面を観て驚いた。……何故、私の作品が!?……しかし、その後に登場した種村季弘さんを観て、すぐに了解した。種村さんがコレクションしている拙作のこの版画は、種村さんが気にいって画廊で買い求め、今回の自分の番組のイントロにと閃いて、拙作が登場したのである。(ちなみにカフカの翻訳でも知られるドイツ文学者の池内紀さんも、この版画を書斎に掛けて愛蔵されている由。)……そういう経緯があって、私はそのプラハの古い室内を想わせる建物が銀座にある事を、この番組の後日にお会いした種村さんから教えて頂いて知ったのであった。

 

かくして、私はその奥野ビルの存在を知りさっそく見に行った。……重いガラス扉を押し開けて中に入ると、そこは正に昭和初期へのタイムスリップの回転扉。拙作『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』の重層的なマチエ―ルとピタリと重なって来て、種村さんが番組の冒頭に拙作を登場させたセンスの冴えが伝わってきて面白い。私は一目見て、この建物が気にいってしまった。

 

……佐谷画廊の佐谷和彦さんは、美術館クラスの名企画展を次々に開催して、日本の80・90年代の美術界をギャラリストの側から牽引した、今では伝説的に語られる人物である。その佐谷さんからある日、電話が入った。事務所を銀座に探しているのだが一度相談に乗ってほしいという内容である。銀座の画廊を閉じて荻窪のご自宅を事務所にして、ライフワ―クである『オマ―ジュ瀧口修造展』という、これも今では伝説的な企画展を継続して毎年開催しておられたのであるが、荻窪では諸事の打ち合わせが不便なので、銀座に店舗を探しておられ、私にも情報を求められたのである。。私は佐谷さんに食事をご馳走になりながら、「奥野ビル」の事を提案した。そしてその足で二人で見に行くと佐谷さんはすぐに気にいり、また私達はカフェでお茶をした。……私は「実は、私もあの奥野ビルの一室を借りようと思っているのですよ」と告げると、佐谷さんは「ほう、それは面白い!君と一緒に借りれば、こんな愉快な事はない!……ところで、君は部屋を借りて何に使うのかね!?」と当然の質問を話されたのであるが、その時私は、「えっ、いや、ちょっと…………」と、私にしては珍しく返答を濁したのであった。佐谷さんとは、その直前まで、瀧口修造の事、日本の美術界の現状の奇妙さ、そしてクレーの事についてバンバン話していたのであるが、……私が実は奥野ビルを借りれたら実現しようと思っていた「探偵事務所」開設の構想は、さすがに話の流れからいって、ちょっと話しにくかったのである。しかし私はその時に想像した。……佐谷さんが夜の7時頃に奥野ビルの事務所を出て帰られたその後、私のシルエットが7時半すぎ頃に現れて「佐谷画廊・事務所」の看板を静かに裏返す。すると一転して、芸術とはかけ離れた「北川健次探偵事務所」が現れる。……そして私は事務所の中に入って、いつかかって来るかわからない、難事件の解決依頼の電話を待ちながら、例えばベンヤミンの本を読み耽っているその姿を……。しかし、この後で佐谷さんはご病気になられ、惜しまれながら逝去されたので、事務所の構想は夢のままに潰えたのであった。

 

現在、練馬区立美術館で「戦後美術の現在形」と題した個展を開催中の池田龍雄さん(1928~ )は、まさに戦後美術の最古参の方であるが、その池田さんから「奥野ビルの画廊香月という画廊のオ―ナ―・香月人美さんという人は、実に手応えのある人物なので、一度ここで個展をやってみませんか!?」と言われたのは、銀座一丁目の画廊・中長小西で、私がダンテの『神曲』を主題にした個展を開催中の時であった。……私は池田さんを先達の美術家として密かに尊敬しているので、池田さんから申し出のあった画廊香月で、翌年の春に個展を開き、以来毎年の春に個展を開催して、現在、個展『Prelude―記憶の庭へ』を今月の24日まで開催中である。……かくして、種村季弘さん、佐谷和彦さん、池田龍雄さんという三人の優れた先達によって私はいま、その奥野ビルの中で、導きのように、時の移りを経た厚い壁面に、オブジェやコラ―ジュ、そして銅版画を展示している。これも何かの縁なのであろう。……私は、日曜・水曜の画廊の休み以外は毎日画廊香月に出掛け、また折りを見ては、この時間迷宮のようなビルの中を陶然とした気分で歩き廻っている。……今は亡き種村季弘さん、佐谷和彦さんという不世出の骨太の才人達の事を偲びながら。

 

 

北川健次展『Prelude―記憶の庭へ』

画廊香月にて4月5日―24日まで開催中。

13時―18時30分 日・水曜日休廊

東京都中央区銀座1―9―8 奥野ビル605 TEL03―5579―9617

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『狂い月』

……イタリアでは、3月の事を〈狂い月〉というのをご存知であろうか。春めいた気配が、イタリア半島を縦断するアベニン山脈の冷気によって狂わされ、こと3月のイタリアは、気象が荒れて天気が読めないのである。私がその言葉を知ったのは、3月の後半にイタリアへと向かう機上においてであった。(……面白い言葉だなぁ、これは何かに使えるな)……そう思いながら過ごした10日間ばかりの短い旅。しかし、日本に帰る私の頭の中には次なる版画集の構想が生まれていた。2003年に刊行した私の三作目の版画集『ロ―マにおける僅か七ミリの受難』のタイトルの伏線には、この〈狂い月〉という言葉の存在があったのである。

 

しかし、狂い月はイタリアだけではない。3月に入り、例年より早い桜の開花が訪れたと思うや、一転しての冷たい春の雪。10度以上も異なる日々の寒暖の差で、私達の体は悲鳴をあげているに違いない。悲鳴……、私達の体は内実の意識下で体調に関する悲鳴をあげているが、桜が散る頃には悲鳴もやがて消える。…………しかし、怯えたトンボの目玉、或いは体型が陸に上がった小柄な河童を連想させる佐川なにがしは、いま自らが発した霞が関ロジック、官僚レトリックに破れが生じ、……内心、ここまで晒し者になって詰められるとは……、更には、ここまで身代わりの人柱にされてしまうとは!!の悲鳴をあげているに違いない。地検も動き始めたというが、さてどうなるかの、ここは妙なる夜桜見物である。論理的に緻密なシンタックス(統語論・整語法)から成る英語と違い、日本語は曖昧さを持って成り立っているので、国会の言語は不気味なまでに主語がなく、語尾も曖昧で、ロジックというよりは、もはや真逆の詭弁を労するだけの、汚ない日本語が乱れとぶ不毛な場にすぎない。曖昧さも極めれば、泉鏡花の美に到達するが、自称エリ―トを自負する官僚連中にその意味での艶ある文才は無い。ある筈がない。その点、三島由紀夫は東大法学部を出て大蔵省に入ったが、たちまち任されたのは大蔵大臣の答弁の原稿書きであったというから、言葉の正しい意味での突出したエリ―トだったのであるが、才能自らが運命を欲したように、その不毛な現場から離れて向かったのは、美しいレトリックが絢爛と咲き乱れる初期の名作『金閣寺』の執筆であった。彼が得意とする刑事訴訟法の明晰な論理の展開術は、日本語のひとつの結晶美へと転じていったのである。

 

 

 

 

……さて、先日の17日、私は豪雪が去ったばかりの富山へと向かった。ぎゃらり―図南で、4月1日まで私の個展『記憶の刻印』が開催されているのである。そしてオ―ナ―の川端秀明さんご夫妻、また初日から熱心に観に来られる懐かしいコレクタ―の人達に久しぶりにお会いするために、私はこの日の富山行を何日も前から楽しみにしていたのである。早いもので、隔年毎に開かれる、ぎゃらり―図南での個展開催は7回以上になる。川端さんと最初にお会いしたのは東京であった。私の展覧会を開きたいと熱心に云われる、その熱意が直に伝わってきて有り難かったのであるが、何より最初にお会いした時の川端さんの第一印象が何故か「既に知っている懐かしい人」という温かい感じが伝わってきて、私は無性に嬉しかったのを今もありありと覚えている。「懐かしい人」……初対面でこういう印象が伝わってくる人との出会いは、短い人生の中でそうあるものではない。そして事実、川端さんご夫妻とのご縁はますます深みを増し、版画からオブジェへと作品の主体は変わっても、その本質にある私の表現世界の特質への理解を、慧眼なその眼力で見守って頂いている事の手応えを、私は強く感じているのである。断言するが、この人の真贋を見抜く眼は間違いなく本物である。……初日の17日に私が画廊に着いたのは、2時を過ぎた頃であったが、懐かしいコレクタ―の人達が続々と来られて、私と話を交わしながらも、各々の人が持っている感性の周波数に最も響く作品を、実に的確に選んでコレクションに選ばれていく。この世に1点しか存在しないオブジェが、その人達に選ばれていく現場こそ、私にとってドラマチックな瞬間はない。……川端さんご夫妻から富山の旬のご馳走のもてなしを、河畔の静かな料理屋で頂きながら、本音で語り合える事の尽きない至上の嬉しさ。……1泊して翌日も4時頃まで在廊したのであるが、また新たなコレクタ―の人や、懐かしい方々で画廊が埋まる中、一人で2点選ぶ方もおられて、個展というものの手応えが強く伝わってくる。……ぎゃらり―図南の展覧会の最たる特質は、作品展示のセンスの上手さに先ずは指を折る。……展示の形がそのままに作品への鋭い批評であり、分析であり、また観る人への最良な配慮が充ちている。だから私は毎回訪れるのが楽しみであり、また学ぶところも毎回あるのである。〈個展は4月1日まで。〉……吾が個展ながら、或いは故に、この機会に、ぜひのご高覧をお薦めする次第である。

 

ぎゃらり―図南

北川健次展『記憶の刻印』

2018年3月17日(土)〜 4月1日(日)

AM10:00〜PM6:00

富山市西大泉17―20・第二浜忠ビルB1

TEL076―492―5850(月曜休廊)

 

 

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『新たなる表現の地平へ』

日本橋高島屋・美術画廊Xでの個展が盛況のうちに終了した。そして、多くの作品が縁という出会いを経て様々な人のコレクションに入っていった。これからは、その人達が作品との長い対話を交わしていく、もう一人の作者になっていくのである。…長かった個展が終わり、私はアトリエへと戻って来た。そして数ヵ月間にわたった制作の日々を思い出してみた。85点の新作を、およそ2日に一点の速度で次々と立ち上げてきたわけであるが、やはり私の制作速度はかなり早い方かと思う。だからであろうか、私は他の表現者でも、早い人の方を好む傾向が強い。わけても佐伯祐三は、今もなおその筆頭である。また27年前にロンドンの大英博物館で見た、モ―ツァルトの楽譜、そしてその横に並んで展示されていた、ジョンとポ―ルの『Help』の、凄まじい速さで書かれた楽譜を見た時の興奮は忘れ難い。また、詩人のランボ―をモチ―フとした私の二点の版画(今回の画像にその内の一点掲載。掲載本の左からジム・ダイン、ジャコメッティ、私、パブロ・ピカソ)が展示されている、フランス・シャルルヴィルのランボ―ミュ―ジアムで見た、象徴主義の天才詩人アルチュ―ル・ランボ―の詩『イルミナシオン』の直筆原稿を見た時の興奮は忘れがたい。まさしく天啓のごときインスピレ―ション、稲妻捕りの速度がそこからありありと伝わって来るのである。

 

今回掲載した画像の中に、舞踏会をモチ―フにした作品がある。画面下方の45度に開いたコンパスのような金属の断片を手にした瞬間に、たちまち舞踏会のイメ―ジが間髪を入れずに閃いて来て、一気に攻めるように作品が体を成して出来上がるのである。金具と舞踏会が何故、私の中で瞬時に結びつくのか、私自身にもわからない。ただ私の直感がインスピレ―ションを喚んで瞬時に二つを結び付け、『偏角45度から成る舞踏会の情景』という作品へと一気に形象化していくのである。そして、出来た作品を観た多くの人達が、この結び付きからインスパィア―して、一気にイメ―ジを拡げていくのを見ると、私のこの直感は独断にとどまらない普遍性を帯びて、人々の想像力を揺さぶる確かな装置と化しているのを、私は確かな実感を持って数多く見てきた。…この辺りの話を、個展会場に来られた、名古屋ボストン美術館の館長であり、また俳人でもある馬場駿吉さんにお話ししたところ、私の制作速度は、連句を作り上げていく集中した呼吸に重なるのではないか……という鋭い分析を頂いた。その時には、高崎市美術館・学芸員の堤淑恵さんも同席されていて、馬場さんの分析に興味をもって頷いておられたのが印象に深く残っている。……とまれ、個展は終わった。そして、私は毎日会場にいて、自分の現在形をまさぐり、次なる表現の地平を透かし求めていた。そして、次なる展開へと拡がる幾つかの確かなヒントを掌中に得た。来年は前半に既に幾つかの個展開催が決まっており、また10月からは日本橋高島屋での次なる個展も決まっている。更には、6月から9月までの長期に渡って、福島にある美術館での私の個展開催も決まり、またその前の2月にヴェネツィアでの写真撮影も入っている。……ただ、今は少しだけの休憩をとって、じっくりと読む事が出来ないでいた読書に浸りたいのである。読書、……これもまた豊かな充電とエッセンスの吸収になるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『作者は二人いる』 

日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xで開催中の個展が27日で終了するが、かつてない手応えの中で、私は毎日会場に通いつめている。遠くは北海道や鹿児島の個展で知り合ったコレクタ―の方々をはじめ、画廊や美術館の学芸員、そして旧知のコレクタ―の方々が遠方からも駆けつけてくれて、今までの個展の中で最もクオリティ―の高い今回の個展を堪能されている。

 

多くの方々が、作者である私が会場にいるのに気づいて感想を言われていくが、先日来られた、日本美術史に詳しい方は、「今年観た展覧会の中で、運慶展とこの個展が最も見ごたえがあった」と率直な感想を真顔で語ってくれたのは、さすがに嬉しかった。制作の合間を縫って私も運慶展は観ているが、昨今の薄っぺらく浅い美術の在りように比べ、この濃密で奥深い運慶の強度な作品を観る観客の眼差しは真剣であった。……当然な事であるが人は皆、本物の芸術に出会いたいのである。

 

作品が優れているか否かの最もわかりやすい見分け方は、その作品の前で、どれだけの時間、観者が観ているかである。……つまり作品それ自体が持っている牽引力が、それである。運慶展の時の観客が作品を観る時間は確かに長く、皆、その時間の中で自分との内なる対話(観照)を交わしているのである。……そして私の作品を観る人々もまた長く、かつて見た事のない「不思議」に立ち会うように諸々の作品の前で、自分の肖像を映すようにして内なる対話を交わしている。……そして揃って人々が私に話す作品の感想は、「不思議な懐かしさを持っているが、しかし今まで全く観た事のない世界」という感想である。人は皆、誰もが実は素晴らしい想像力を持っている。そして、人々の記憶の深層には共通した記憶の分母(イメ―ジの心器)があると私は確信を持って思っている。

 

……人々が共通して持っている、共通してある記憶の原郷、……それをこそノスタルジアというのだと私は思っている。そのノスタルジアの核を揺さぶり、その遠い感覚を突いて立ち上がってくる想像力を顕在化させる装置を私は作っているのである。だから人々が私に語ってくれた感想は、その想いと見事に照応していることを、個展の会期中に確認する事が具体的に出来るのである。……画廊にいて、この世に一点しか存在しない作品が、何方に所有されていくのかを確認する事は、私の創造行為における最終行程である。私は作品をこの世に立ち上げた。後は所有した方々が自室に飾り、その作品との長く尽きない対話を自在に紡いでいくのであり、その意味でも、その人がその作品の活きた作り手、すなわちもう一人の作者になっていくのである。私はマチスが自らの芸術観に課した言葉―豪奢・静謐・逸楽を自分の作品にも課している。眼の至福、眼の逸楽をもって艶を帯びた「視覚によるポエジ―の顕在化」を追っているのである。……とまれ、今回の個展をまだご覧になっていない方々は、ぜひのご来場をお待ちしております。

 

 

(作品部分)

 

(作品部分)

 

(作品部分)

 

(作品部分)

 

 

 

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『大規模な個展始まる―PART②』 

今月の27日まで日本橋高島屋で開催中の個展が、ようやく半ばに入った。しかしまだ会期が半分以上あるので、これからどのような方々が来られるのか楽しみである。今回の個展では、会場の中にパルテノン神殿にあったギリシャ彫刻『セレネの馬』がインスタレ―ション的に、大きな三角定規、ダ・ヴィンチの布の素描、暗示的な14の数字……などと共に構成されて展示してあり、来廊者の目を驚かせている。私はこの、大英博物館所蔵の『セレネの馬』がたいそう気にいっており、版画やミクストメディアで作品化しているが、その見事な石膏像が7月にロンドンから届いたので、個展の為に展示したのである。巨大なのでかなりインパクトがあるが、今回の展示している数々の作品が放つ強い磁場と合わさって、会場に硬質な緊張感を醸し出している。…………個展の一日が終わり、夜にアトリエに戻ると、つい先月までアトリエを埋めていた作品が全て個展会場に運ばれてしまった為にたいそう静かである。……個性ある様々な役者逹が劇を演ずる為に舞台に行った後の、まるで静まりかえった楽屋のようである。その役者逹のほとんどがコレクタ―の人逹との幸福な出会いを経て、その人逹の元へと行き、私のアトリエにもはや戻ってくる事はない。……私はそのアトリエの中にいて、つい先月まで没頭していた制作の日々のことを思い出していた。

 

……制作は、今年の6月から始まった。6月から10月まで、およそ150日で85点。芸術を紡いでいくこの速度は相対的に計れないので、速いのかどうかはわからないが、美の先人逹の速度に想いを馳せると、私のこの速度に近いのはゴッホである。奇跡の二年と言われた最晩年の二年間、二日に一点の速度でゴッホは描いていたのである。……しかし、ゴッホより速いのが佐伯祐三で、一日に一点。フラゴナ―ルは三時間で一点の肖像画を仕上げていたという。……しかし、最も速いのはやはりミケランジェロが描いた、ロ―マ、システィ―ナ聖堂の天井画に指を折る。早く仕上げなくてはならないフレスコ画という事もあるが、畳3枚分の面積を彼は三時間で、最高度の表現世界を描いていたのである。昔読んだ宮城音弥氏の『天才』(岩波新書)によると、レンブラントの名作銅板画『三本の樹』は、女中が街に買い物に行って帰ってくる間に仕上げていたという。……ただ、速さと同時に大事なのは、いうまでもなく完成度の高さである。この2つは両刃の難しさがあるが、その2つを作品に孕ませていくところに作り手である事の、創る醍醐味がある。……池田満寿夫氏はかつて私を評して「異常なまでの集中力の持ち主」と書いてくれたが、池田氏自身も、版画集の最高傑作『スフィンクスシリ―ズ』を僅かに3週間で完成させている。……三島由紀夫が、その眼力を澁澤龍彦氏と共に最も評価していたドイツ文学者の種村季弘氏は、「美術の分野で、作品の完成度の高さでは北川健次を越える者はいない」と断言してくれたが、私はその言葉を自分に向ける常なる刃の切っ先として自らを追い込み、この「完成度の高さ」というものに自分を強いて制作している。……そして、その意識の緊張は、今回の個展でも、観者の人逹の感性に直に伝わっているように思われる。……とまれ、まだ個展は27日まで、暫く続いていくのである。

 

 

 

 

 

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『大規模な個展始まる』 

先日の8日から日本橋高島屋6階の美術画廊Xで、個展『鏡の皮膚―サラ・ベルナ―ルの捕らわれた七月の感情』が始まった(27日まで)。……この美術画廊Xの会場の規模は広く、平均した画廊のスペ―スのゆうに三倍以上の広さがある。……私は個展を開催する際には、その画廊空間を劇場に見立て、各々の空間に合った個展の主題を立ち上げるのであるが、この美術画廊Xはその意味で、例えるならば叙情詩ではなく叙事詩的な拡がりを持った主題が自ずと必要となってくる。この主題の切り替えは、プロとしての醍醐味であり、結果として今回の個展はオブジェ、ミクストメディア、コラ―ジュ他を含めて新作86点という、今までで最大の個展となったのである。また今回の個展は制作中から手応えを覚えていたが、私の作品の変遷をよく知っておられる来場者の方々から、今まで観た個展の中で、今回の新作の質が最も高く、また一点一点の作品が持つ完成度が最も高いという確かな感想を数多く頂き、個展会場にいて私は、大いなる手応えを覚えているのである。また普段なかなかお会い出来ない九州や北海道といった遠方のコレクタ―の方々も各々に遥々来られて、旧知を暖めあっているのであるが、私はこの事を毎回の個展における大事な楽しみにしているのである。……作品は、また新たな実験性と、完成度の高さを併せ持たねば、というなかなかに難しいハ―ドルをいつも自らに課しているが、とまれ今回の個展は、その視点からも自信作が多く、来場された時に、じっくりと愉しんで頂ければと願っている。……会期は27日までと長く、個展はまさに始まったばかりである。……作品はまたその多くがコレクタ―の人たちのコレクションとなって、その方々がもう一人の作者として長い対話を交わしていくのであるが、その意味でも、私は会場に在って、「作品」という私の直なる肖像の映しと暫しの対話を交わしてもいるのである。……この機会にぜひのご来場をお待ちしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『on Kawara(河原温)の作り方』

先月、池田満寿夫美術館で講演をした翌日に、私は長野駅から電車で上田駅に行き、私の作品のコレクタ―であり旧知の友人でもある真田町に住むK氏宅を訪れた。K氏ご夫妻は、500坪の土地と古民家付きの物件を3年前に田園風景の広い真ん中に入手して以来、自給自足・晴耕雨読の実に羨ましい人生の時間を過ごされている。庭園では数多くの野菜や果実を、また近くの川ではヤマメや鮎を釣ったりという、……都会の喧騒からみると、この土地では実にゆったりとした時間が流れていると想った。築100年は経つという古民家をモダンに改装したという趣のある家内に入って、すぐに私は驚かされる光景に出会った。……小暗い壁面に、グレーに彩色したキャンバスに、制作した日付をレタリングした「日付け絵画」で知られる河原温の作品が二点、さりげなく掛かっているのである。これは大変な購入金額になるであろう。……そして机上には、以前に川村美術館や原美術館の個展で見た事のあるトゥオンブリ(Cy Twombly)の、組み立てた細木に石膏地で白く彩色したオブジェが1点静かに置いてあり、……そして、もう一方の壁面には、私のオブジェらしき作品が掛かっているのである。しかし、一見して私は理解した。……自分で言うのもなんであるが、構成力、空間の間の取り方、詩情……つまりは総じての緊張感が全く伝わって来ないこのオブジェは、私の表現世界にK氏自身が入り込みたいという一心の強い想いで作った、一種のコピ―なのであった。私はその動機の純なるを知って笑いだしてしまったのであるが、……しかし、トゥオンブリは実に上手く出来ていて私は感心してしまった。トゥオンブリの個展会場に悪戯でそっと紛れ込ませても、おそらく観客も学芸員もそれと気付かないであろう、……それほどにこの作品は、トゥオンブリのエッセンスを掴んでいる。……そういえば氏は知る人ぞ知る、大のトゥオンブリのファンであり、その関連書籍を数多く持っている。果たしてK氏はトゥオンブリ研究の1つの試みとしてオブジェを作られた由。しかし私は言った。「君とトゥオンブリの決定的な違い、……それは君の方が綺麗に上手く造り過ぎている事だよ」と。……さて、もう一方の河原温、しかし、ここに両者(作者とK氏)の差は全くなく、完全にオリジナルに見えてくるから不気味である。……私は以前から河原温の「日付け絵画」を、関係画廊や美術館の学芸員が、沈黙に徹した河原温になり代わって、代弁者のごとくその意味性を熱く語る程には評価していない。ただ、その概念なり、ミニマルなり、……まぁそんな事はどっちでもよいのであるが、その概念なり、ミニマルなり……を意味付けるに足る、あの日付け日記の画面に配されたグレーの彩度の有り様の上手さだけは、意匠として、また修辞的な点から見て、秘かに、なるほど確かに役者だな!……と思っていた。スペインのベラスケスやゴヤの「黒」に影響を受けながらも、あの独自でエレガントな独自の黒に達した、マネのあの「黒」は、実に24色もの色彩を絶妙にブレンドして作られている事を知る人は少ないであろう。それを知る私としては、河原温について知りたい関心事は、唯その一点であった。……お茶を頂きながら、私はその事をK氏に話した。

 

 

河原温のコピ―の出来映えのあまりの上手さに疑問を発する私の問いに、K氏は次第に含み笑いをしながら「……実は1冊のネタ本があるのですよ!」と言いながら席を立ち、書庫の中から1冊の薄い冊子を取り出してきて見せてくれた。私はそれを開いて呆気に囚われてしまった。……かつて60年代~70年代中期までを席巻した「概念芸術」なるものは、例えば神社の構造的仕掛けと似ているところがあるように思われる。奥の聖なる神威気に意味を持たせる為に、その拝殿に到る迄の、鳥居からの静静と続く長い距離と玉砂利の感触と音、そして鬱蒼とした杉の木立は必須アイテムなのと同じく、作者と観者には既にして共有化された約束事、共有感覚、集合無意識的なと云っていい課せられた意味付け……といったものがいつからかある。そしてそこに疑問を挟む事は村に棲む者同士の無言の掟のように排されている。概念が、ただ概念だけがそこでは必死で震えながらつま先立ちで立っている。……故にその傾向の作品の作り手達は、作品の横にいて意味付けに饒舌になるか、或いは河原温のようにストイックなまでに沈黙に徹するかの二者択一の選択をとる事となる。しかし、この〈沈黙〉は明らかにデュシャンの姿勢を借景としている事は明白であるが……。そして教祖の沈黙故に信者は代わって多弁になる。……しかし、私が手にした薄い冊子には、「それを言っちゃお仕舞いよ!」とばかりに、私が知りたかった日付け絵画のセピア色の下地の塗りから、次なる色の重ね、そして下地の透かしと相乗して映える仕上げのグレーの塗りの生々しい行為を写した連続写真。そして最後の日付けのレタリングの様。まるで夏休みの工作本のように、さあ、君にも明日から出来る「河原温の作り方」といった内容が写真満載で載っている本を私は手にしてしまったのである。プロセスを撮した写真の存在は聞いていたが、出版となると、そこに具体的な別なる意味が加わって来よう。……歌舞伎役者が舞台裏まであからさまに見せては中心の何かが割れる。概念とは、巨大な時間や世界までも孕んでいるようであるが、その実は「表こそ全ての、つまりは一種の知的遊戯」のようなものかと思われる。……その表象の意味付けは、行為の生々しさを隠す事によってかろうじて成り立っているのであるが、この本は禁裏を破るようにして今ここに在る。奥付けを見ると河原温がまだ存命中の時の出版とは如何にも不可解。出版したのは作者の身内らしき女性の名前……。想像力の動きすぎる私が先ず考えたのは、余人の計り知れない何事かあっての本人もまさかの出版という推理……。この着想を笑うなかれ、かつてダリと近親相姦の仲であったとされる妹が、ガラに走った兄への復讐に書いた暴露本の主題は「如何に兄(ダリ)が普通の人間であったか!」という内容。謎めいた自己演出に必死のダリが最も嫌がる弱点の角度を妹は知っていたのである。……故に私の推理は先ずは俗からはじまり、次に至ったのは河原温自身によるパンドラの函明け、……つまり40年以上コツコツと作り続けた日付け絵画からの脱出宣言、自己放棄によるカタルシスの獲得ではなかったか……という推理である。数年前に私は河原温と親しかったというニュ―ヨ―ク在住の女性の画家とたまたま会って話をした折りに、河原温の本音は、絵を思いっきり描きたかったという事を本人はいつも云っていたと言うが、あくまでも他者からの伝聞なので、さぁ本当かどうかはわからない。もし本音であったとしても、契約画廊はそれを望まず、ストイックな生き様と、スタイルが変わらないという牢獄のような徹底を持って作者のアピ―ルを続けるであろう。……この点、たとえそのスタイルが評判が良くても、賽子の目のように表現が次々と変わり続けたピカソとは対照的である。ピカソが資本主義にひれ伏すのではなく、経済も含めた世界がピカソに平伏したのである。

 

……K氏宅から見る田畑の拡がりは果てしなく続き、蛙の声が響いてきて懐かしい。晴耕雨読は誰もが懐く理想郷であるが、氏はその生活を獲得し、自然を愛でるように美の世界もまた変わらぬ強い関心を懐いている。帰りにK氏はトゥオンブリの画集をお土産にくれたばかりか、真田町のこの土地から出土したという、銃弾を製造する鉄製のやっとこのような道具をプレゼントしてくれた。江戸期には武器の無断の製造は禁じられていた為に、これは錆び具合から見て、真田一族の時代の物かと想われる。その錆びた感触からは明らかな、遠い時代の時間の澱が紡いだ確かな物語りの豊かさが伝わって来て、概念という実のないものとは明らかに違う、確かな手触りの生ある豊かさが、ありありと伝わって来るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◀展覧会のお知らせ▶

独自な切り口で知られるスパンア―トギャラリ―の企画で、6月25日まで六本木にある六本木ストライプスペ―スで、『永遠の幻想・美の幻影』と題した展覧会が開催されていますのでご覧頂けると有り難いです。出品作家は私の他に、金子國義・合田佐和子・野中ユリ・今道子・Hヤンセン・ベルメ―ル……etc

 

〈六本木ストライプスペ―ス〉

東京都港区六本木5―10―33・ストライプハウスビル 1F・B1

TEL:03―3405―8108

地下鉄大江戸線・日比谷線「六本木」駅3番出口。

アマンドを右に曲がり、芋洗い坂下る。徒歩4分。

 

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『人生の不思議』

……人生とは偶然の重なりの連続であるが、それでもあの日の出来事がなかったら、或いは今の自分はなかったと思われる「時」があるものである。それが私の場合、池上線の池上駅であり、今もその駅を通過する時に、その改札口を出て、運命の「時」に向かって歩いていく私の後ろ姿を思い出す時がある。……その時の私は23歳、美大の大学院の2年の時であった。そして、その手には版画を入れたカルトンが携えられていた。私が向かって行こうとしている先には南天子画廊が主宰している版画工房があり、その中では、ニュヨ―クから帰国中の池田満寿夫氏が新作の版画集の制作に取り組んでいる最中であった。

 

……話は、それより3年前に遡る。大学2年の春に、私は偶然に友人宅で不思議な作品(それは印刷物であったが)に出会い、その表現の斬新さとポエジ―の深さに瞬間で魅了されてしまったのであった。友人に訊くと、その作品は銅版画であり、作者は池田満寿夫であるという。勿論その高名な名前は知っていたが、私はなによりその作品(『スフィンクス 森の中』)に、自分の感性と繋がる何かを直感し、銅版画をやってみようと瞬間で決意した日であった。……それから僅かに3年後、『プリントア―ト』という版画の季刊誌の編集長をされていた魚津章夫さんから深夜に1本の電話が入った。「北川さん、池田満寿夫さんに会ってみる気はありませんか!?」。……美大、芸大の版画科の学生四人と、ニュ―ヨ―クから帰国中の池田満寿夫氏との座談会を魚津さんは企画して、そこに私を選んでくれたのである。……そして、その座談会(新宿中村屋)の終わった後で、新宿から渋谷方面に帰るのは私と池田氏だけであったのは、今思い返しても不思議であるが、私は渋谷までの数分間の間に「池田さん、一度私の作品を見ていただけますか?」と切り出したのであった。「勿論いいよ、では近々に僕から電話するから!」と言って、私たちはお互いの住所と電話番号を書きあい、私は渋谷で下車したのであった。そして数日後の深夜に池田氏から突然の電話が入り、私は指定された池上線の池上駅に降り立ったのであった。

 

……駅から工房に向かう途中、緊張の中にも、しかし私には秘めた自信というものがあった。カルトンの中には、銅版画の詩人と云われる駒井哲郎氏から高く評価されていた処女作からの作品と、棟方志功氏が絶賛してくれた版画『Diary』などが入っており、当時の美術界を牽引していた鎌倉近代美術館館長の土方定一氏からは、美術館がバックアップして、南天子画廊での個展開催が約束されていたからである。私は詩人アルチュ―ル・ランボ―に自らを重ね、パリにいる詩人ヴェルレ―ヌに書いた手紙の1節「ヴェルレ―ヌさん、私をちょっと貴方のいる所まで引っ張ってくれませんかね」という生意気な一文があった事などを思い出しながら、不安と不遜の入り雑じった気持ちを抱きつつ、池上本門寺の方角を歩き……やがて工房に着き、ベルを押した。……満面笑顔の池田満寿夫氏が現れ、挨拶もそこそこに私はカルトンを開けて、大きな作業机の上に10点ばかりの版画を並べた。それを観る池田氏の表情が一瞬にして鋭いものになり、長い沈黙の後に「君はもう既に完成している。すぐに個展をやるべきだ!……序文は僕が書くから!!」と熱く語ってくれたのであった。私は駒井氏、棟方氏から評価を得た事、そして土方定一氏が個展を既に決めてくれている事を話した。すると池田氏は「いや、最初は番町画廊の方がいいと思う。」と強引に決めたのであった。私は土方氏には申し訳ないと思ったが、自分の運命を池田氏の直感に賭けた。そして数日後に池田氏は多忙なスケジュ―ルを縫って番町画廊に行き、社長の青木宏氏に私の個展開催の企画を話したばかりか、私と画廊とのプロとしての専属契約の手続きも全て完了してくれたのであった。私は学生でありながら、その日からプロの作家としての人生が始まったのである。……偶然はまだあった。……私の運命を変えた池田満寿夫氏の作品『スフィンクス 森の中』は、私が個展をする事になった番町画廊で発表された作品なのであった。そしてその出会いを知った池田氏は、その版画を私にプレゼントしてくれたのであった。私は夢見の中の気分のままに家路へと着き、…………時は流れ、今の私がここにいる。……導きのような作品との出会い、新宿中村屋での座談会、そして電車の中で切り出した、私の言葉……。あの時がなかったら、その後どのようになっていたかと時々想い浮かべる時がある。誠に人生とは不思議なアミダくじのようなものであるかと思うのである。

 

―池田満寿夫氏が急逝されてから早くも20年近い時が経つ。その作品のほとんど全作が池田氏の出身地である長野の池田満寿夫美術館に収蔵展示されている。池田満寿夫という極めて優れた多面体の突出した才能を様々な切り口から分析し、魅力的な企画展として長年展開しているのは、学芸員の中尾美穂さんである。中尾さんのその切り口の鮮やかさとセンスの良さに私は注目しているのであるが、各々の美術館の存在感と存在意義は学芸員の力量をそのままに映すという視点から見ても、独自な個性豊かな展示を、この美術館は継続しているのである。……その池田満寿夫美術館で、先日私は『天才の創造の舞台裏』と題して講演をおこなってきた。予定されていた以上の多くの方が来られ、私は、私の考えている池田満寿夫という人の多面体の魅力について語り、天才と定義したその意味について語った。……天才の定義、それはその分野の概念を大きく切り開いた才能のみに冠せられる一つの批評分析言語なのだと私は思うのである。……池田満寿夫。……この懐かしくも不思議な不世出の才能について語っている間、私は珍しくも高揚してくるものを覚えていた。講演を機に私は久しぶりにまとめて氏の作品の多くに接したのであるが、今も鮮やかな現在形として映る作品が数多くあるのを観て、時代の淘汰を潜り抜けて息づく氏の表現世界の確たる「今」を改めて確認出来たことに、高揚を覚えたのであった。……長野の広大な自然に囲まれた中に建つ池田満寿夫美術館。ぜひご覧になる事をお薦めしたい、確かな存在感を放つ美術館である。

 

……さて、日本橋浜町のギャラリ―・サンカイビで開催中の写真展『暗箱の詩学―サン・ジャックに降り注ぐあの七月の光のように』(30日まで)も、いよいよ会期が残り1週間となった。……池田満寿夫氏は版画、小説、詩、陶芸、美術評論、映画などに挑んでその多彩な才能を示した生涯であったが、やはり写真にも挑戦している。他に版画に挑みつつ写真にも挑んだ人を探せば、版画のパイオニアと評されている恩地孝四郎氏の存在が浮かんでくる。恩地氏はやはり詩も書いている。……その意味では、版画から始まり、オブジェ、コラ―ジュ、詩、美術評論、そして写真に挑戦している私は、何らかの影響をこの二人の先達から受けているといえるのかもしれない。しかし僅かにこの3人だけであって、あまりに他の表現者達(特に日本に於て)は大人しい。自分の可能性の扉を次々と果敢に拓いて行こうとする姿勢が見当たらない。そこには守りの姿が見えてくる。……というよりも、表現者としての焦点の意識、特異性が、恩地、池田、そして私が掴まんとしているのは、つまりは〈ポエジ―の形象化〉にあるのだと私は思う。直感と論理的整合性、言い換えれば、語りえぬものと語りえるものとのあわいに息づく何物かを照射して、そこからイメ―ジの核たるポエジ―の正体に迫りたいのである。……今回の写真展では色彩の不思議に加えて、写真の被写体の対象が様々である事に来場者は驚かれているようである。写真を撮る行為は、外界の客体を通しての自己表現であるという特異性が、私には常に手強く、またそれ故に尽きない妙がある。……ともあれ、私が挑んで止まない写真への挑戦の様を、ご覧頂ければ有り難いのである。

 

《ギャラリ―サンカイビ》

東京都中央区日本橋浜町2―22―5 TEL: 03―5649―3710

営業時間11時~18時 (日曜休廊)

〈交通のご案内〉

都営新宿線浜町駅A2出口「徒歩3分」

半蔵門線水天宮駅7番出口「徒歩6分」

日比谷線人形町駅A1出口「徒歩6分」

都営浅草線人形町駅A3出口「徒歩7分」

 

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『写真の個展いよいよ始まる。』 

日本橋浜町のギャラリ―サンカイビで、10日から写真の個展『暗箱の詩学―サン・ジャックに降り注ぐあの七月の光のように』(5月30日まで)が始まった。画廊のオ―ナ―の平田美智子さんは、9年前に私の写真家としての可能性を早々と見出されて、渡航の軍資金も用意して頂き、パリの硬質な光の中へと送り出してくれた慧眼の人であり、美の仕掛人であり、総じての私の恩人である。私はその期待に応えるべく厳寒のパリで集中して撮影を行い、帰国後にサンカイビで個展を開催した。その反響は直ぐに現れ、新聞の批評欄に好意的に書かれ、この国の写真分野のギャラリ―の草分け的存在であるツァイト・フォト・サロンの石原悦郎さんから絶賛され、熱い内容で書かれた分厚いお手紙までも頂いた。また出版社の沖積舎からは、企画で私の初の写真集『サン・ラザ―ルの着色された夜のために』が刊行されて、この国の代表的な写真家として知られる川田喜久治さんからは私の写真の特質に言及されたテクストを頂き、その文章が写真集に所収されている。そして写真評論家の飯沢耕太郎さんからもテクストを執筆して頂いたりするなど、幸運な恵まれたスタ―トを切ったのであった。しかし私は表現者として、オブジェ、コラ―ジュ、そして執筆の活動もする為に、まとまった写真の個展は今回の個展が実に久しぶりの発表となるのである。

 

撮影は昨年の9月に敢行された。パリとベルギ―・ブリュッセルの二ヶ所に赴き、約2000枚が撮られ、その中から厳選の篩を経た作品が、いま展示されているのである。……タイトル『暗箱の詩学―サン・ジャックに降り注ぐあの七月の光のように』に登場するサン・ジャックとは、パリ4区、シャトレ地区にある1522年築の54mの鐘楼―サン・ジャックの塔の事である。スペインまでのサンティアゴ巡礼路の起点で、アンドレ・ブルトンが「この孤独な、向日葵のような暗鬱さで華麗に立っている」という一文を遺しているが、なにより、パスカルが大気圧の観測実験(気圧は高度によって異なる)をした高楼として知られている。私のパリのイメ―ジの中では何故かいつも、この塔が中心に位置する不気味な存在として在り、その暗い魔的な存在に降り注ぐ光の放射をイメ―ジしながら、バリの随所においてシャッタ―を切ったのであった。私の背後に絶対の闇を配し、その波動を覚えながら、眼前の闇に棲まう光の魔性を刈る営みとして、撮影が連日行われたのである。……今回の展示では写真作品1点づつに書き下ろしの詩を配するという試みも行っているので、ぜひ併せて楽しんで頂ければなによりである。……会期中の5月21日は、長野の池田満寿夫美術館でゲストト―クで『池田満寿夫―天才の創造の舞台裏』と題して喋ることになっており、1泊して翌日に帰るので、22日は私はサンカイビの個展会場には不在であるが、30日までの会期中は、なるべく会場にいる予定である。……次回のメッセージは、その池田満寿夫さんの事と、長野の池田満寿夫美術館について書く予定。次回もご期待頂ければ嬉しい。

 

 

 

 

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