Event & News

『私の作品の行方―海外編』

日本橋高島屋本店6Fの美術画廊Xで、3週間に渡って開催されていた個展『直線で描かれたブレヒトの犬』が、先日の16日に盛況の内に終了した。コロナ禍で来場される方の数が懸念されたが、全くの杞憂に終わり、連日多くの方々が全国から来られて、会場はコロナ禍とは全くの無縁であった。また多くの作品がコレクタ―の人達の感性と響き合い、豊かな出逢いのドラマを生み、昨年の個展時を更に越える数の作品がコレクションされていく事となった。来場された沢山の方から、今までの個展で最も完成度の高い内容という評価を今回の個展で頂いたが、その事は結果が形となって表す事となったのである。自分に数多ある創造の引き出しを全開するようにして制作に挑み、個展に臨んだのであるが、今の私は達成感と、次第に湧いて来る次なる個展(美術画廊Xでの個展開催は、2021年10月中旬からの予定)への新たな構想に包まれている。……コレクションされていく作品の事を想うと、これからは、作者である私を離れて、そのコレクタ―の人達が各々の作品と向き合い、永い対話を重ね、想像を紡ぎ、もう一人の、本当の作者となっていくのである。「コレクションもまた創造行為である。」という言葉があるが、この言葉は真実を映しており、実に深い言葉だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

……版画、コラ―ジュ、写真作品を別にして、今まで、オブジェだけでも既に1000点近く作って来たが、今アトリエに在る作品数は僅かであり、その殆どがコレクタ―の人達や美術館に収まっている。これは表現者として実に幸福な事であり、表現活動をして来た者として手応えのある感慨を覚えている。そして、今まで制作して来た作品各々の様々な行方を想うと、私の半生の姿もそこに重なって来るのである。……日本の各地で収蔵されている作品の事は、それを所有されているコレクタ―の人達の事と併せて今まで機会をみて書いて来たが、今回は海外に少し眼を向けて書いてみようと思う。

 

 

私の作品が海外で収蔵される最初の機会となったのは、70年代後半から90年代後半迄の美術の現場を、画商としての立場から牽引し、今では伝説的な人物として語られる、故.佐谷和彦さんの画廊―佐谷画廊で1989年に企画された『現代人物肖像画展』の時であった。……佐谷さんからその展覧会の為にオブジェを四点出品してほしいという連絡があり、私は出品した。この展覧会の他の出品作家は、クレ―、デュシャン、シ―ガル……等と役者が揃っている。……私の作品は初日に全て売れたが、購入者はこの展覧会の為に来日したロンドンで現代美術を商っている画商であった。「君の作品は一括して彼がコレクションすると思っていたよ!」と豪快に笑った佐谷さんの顔を今も思い出す。その後に開催した別な個展では、やはりロンドンの美術商の人がオブジェを3点コレクションに入れている。

 

場所をパリに移すと、2008年にフランス(ベルギ―との国境に近いシャルルヴィル―詩人アルチュ―ル・ランボ―の生地)のランボ―ミュ―ジアムで開催された、詩人アルチュ―ル・ランボ―の肖像のアンソロジ―展に出品したランボ―をモチ―フとした拙作の版画が、ランボ―の自作の原稿と共にこのミュ―ジアムに収蔵されており、また個人ではランボ―研究の第一人者で知られるClaude Jeancolas氏の書斎にランボ―の版画が在り、パリ1区のパサ―ジュVero―Dodatで古書店を商い、ハンス・ベルメ―ルの世界的な収集家として知られるピエ―ル・ゴ―ギャン氏は拙作の版画集『夢の通路Vero―Dodatを通り抜ける試み』の版画全作を所有。……同じ1区にある画商が、パレロワイヤルをモチ―フとしたオブジェを所有している。パリは1991年に留学した際に1年間住んでいた思い出深い地であり、ロンドンよりも懐かしい場所である。

 

 

……そして今回の個展で興味深い嬉しい事が起きた。個展のリ―フレットに載せた新作のオブジェ『ヴィラ―ジュ・サン・ポ―ルの夜に―Angers』(画像掲載)は、ガラスの破片が妖しく煌めく自信作であり、すぐにコレクションされる方が現れると思っていた。私はその作品の横に詩を書いて画廊に掲示もした(文章掲載)。しかし、予想に反してそのオブジェを購入する方がなかなか現れず、少し疑問に思っていた。……だが、それは今までの個展でも何回か起きた事なので、私は途中で気がついた。……「そうか、この作品は、その人が現れる、その瞬間を待っているのだ!」と。……果たして、最後の週に入った或る日、旧知のコレクタ―である遠藤さんが会場に来られた。遠藤さんは私が30代からの親しき人であり、今まで主にコラ―ジュ作品を数多くコレクションされていて、福井県立美術館で開催された私の個展の際には、遠藤さんからも多くの作品をお借りした事がある。遠藤さんはデュシャンから美術の世界に入った人なので、眼識の切れ味がなかなかに鋭い。……そして会場を一巡するや、そのオブジェをコレクションとして即決した。……遠藤さんはそのオブジェを決めるや「この作品はパリの家に飾りますよ!」と言って、スマホを取り出し、所有されているパリの家の画像を見せてくれた。広い部屋が幾つか続いていてなかなかに瀟洒な家である。場所はRue de Lille(リ―ル通り)。オルセー美術館と国立美術学校(ボザ―ル)の間に在る高層の家で、窓からセ―ヌ河の水面が反射して室内に映り、正にそのオブジェに妖しく配されたガラスの破片と相乗して実に美しい表情を醸し出して来る絶好の場所に、これから永く掛けられていくのである。……私が何より嬉しかったのは、私がかつて住んだ6区のサン・ジェルマン・デ・プレから近く、そのリ―ル通りは、殆ど毎日のように通っていた実に想い出深い場所なのである。……かつて冬ざれの厳寒の中を、表現の脱皮を考えながら歩いたその通りに、そのオブジェがこれから在るという想いは、私の個人史における一つの節のようなものと映って、何か運命的な導きのようなものを私は感じるのである。…………とまれ、かくして、個展は終わった。しかし、次なる展開が私を待っている。今は少し休むが、また新たな構想を切り開いていくのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『大規模な個展、16日まで開催中』

前回のブログでもお知らせしたが、東京日本橋高島屋本店6F・美術画廊Xで、今月の16日(月)まで個展『直線で描かれたブレヒトの犬』を開催している。日本では最大級の画廊空間なので、80点近い新作が一堂に展示されている光景は確かに圧巻である。…今年はコロナ禍の影響もあり、銀座などの画廊は人が来ないという話を聞いていたので少し案じてはいたが、それは杞憂にすぎなかった。こと私の個展に限っては初日から来客が多く、遠方からも遙々来られ、じっくりと個展を楽しんで行かれる方が多い。また会場が広く換気は完璧にされているのできわめて安心である。ために画廊に人が耐えた事がなく、実に盛況である。……7月に高島屋美術部の福田朋秋さんがアトリエに来られ、未だ制作中の作品を観て、「更に深化している」という感想を話されたが、その予見通り、個展に来られたコレクタ―の人達、美術館の学芸員諸氏の意見も同じく、今までの私の個展で、今回の個展が完成度の高い作品が一番揃っているという意見が圧倒的に多い。その事を映してか、今までコレクションされる作品を直感、速決で決めていた人達も、今回の個展では会場を何回も廻られ、真剣勝負で作品を選ばれていく姿は、作者として、今までの個展以上の手応えを覚える光景である。そして、作品を一点選ぶのではなく、複数の作品を購入されて行かれる方が今回は実に多い。また初めて私の個展に来られた方も多く、会場内に作品各々が放っている強度なアニマに押されて直の反応を見せ、作品を購入し、新しいコレクタ―になる人が増えているのが、今回の個展の特徴である。……自分の中に在る様々なイメ―ジの引き出しを全開するようにして制作に専心して来たのが、今回の作品の評価に繋がったと思っている。……表現とは、全てが表に出て顕になるという意味だと私は解している。それは隠しだてや嘘が通じない実に恐い事であり、故に真剣勝負でやれば、打てば響いて形に成るという、実に遣り甲斐のある事なのでもある。……そしてその厳しい世界に私は生きているのである。

 

……個展の会場で、来られた方々の拙作を観る様子を見ていると、「美術はこうだ!」と限定して考えている人達は、もはや美術の域を越境した私の作品の極めて独自な表現構造に戸惑いを覚えるようであるが、足を永く停めてじっくりと観ている人達は、ただ眺めて鑑賞するという域を越えて、作品を通して自身と向き合い自問するという「観照」の域に入り、真剣勝負で作品と対峙しているように思われる。……昔、池田満寿夫さんは「自分の作品の前で、人々がどれだけ時間をかけてその作品を観ているか、その長さが最高の批評だよ」と私に言ったが、時折、その言葉を実感を持って思い出す事がある。作品とは、言葉の正しい意味において本質的に匿名である。しかし、情報化が進んだ今日、多くの人々は、作者の名前に縛られて、作品の本質(芯)に自在に入り込んで来る人は案外に少ないかと思われる。……その意味でも、私の作品の前で長い時間をかけてじっくりと観ている人達の姿は、何よりの手応えある光景なのである。

 

 

 

 

 

 

 

個展は16日(月)までなので、残り一週間になった。遠方からも旧知の方々が来られて嬉しい再会を果たしているが、新しいコレクタ―の方が増えたのも、また今回の個展の嬉しい成果である。……ともあれ、残り一週間、意味深い貴重な時間が流れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『大規模な個展―日本橋高島屋にて始まる』

 

 

先月の28日から11月16日(月)まで、日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xにて、大規模な個展『直線で描かれたブレヒトの犬』が始まった。展示作業は27日の午後から始まったが、早くも問い合わせや事前の作品購入の申し込みがあり、嬉しい手応えを覚えた。今回の個展は全作品がオブジェ作品の展示という、今までになかった形なので作者としても実に壮観である。長年私の作品を担当して来られた高島屋の美術部の人達、また来廊されたコレクタ―の人達が揃って、今回の個展の出品作品が全作クォリティ―が実に高いという意見や感想を言われるので、1月からこの個展制作に打ち込んで来た事が報われる想いである。先ずは作品の一部や会場風景を掲載するが、出品総数は80点近くあるので、ここに掲載した作品は、そのほんの一部にすぎない。またガラス面の反射が映っている画像もあるので、作品の内奥に孕まれているイメ―ジの核がブログではしっかりお伝え出来ないのが残念であるが、個展期間中に度々お伝え出来ればと思っている。

 

……直線と曲線という相対するものが、同義語と化す瞬間ははたしてあるのか!?もしあるとすれば、その刹那に立ち上がる物語りの発生があるとして、はたしてそれは如何なるイメ―ジの原器としての様相を見せて来るのか!?……そのような仮定から、今回のタイトル『直線で描かれたブレヒトの犬』は立ち上がった。直線という、私の資質の源泉に棲まうオブセッションと偏愛が、今回の出品作品の殆どを領しているのである。(次回に続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『個展開催のお知らせ―日本橋高島屋.美術画廊X』

いよいよ秋がその深まりを見せて来ているが、今月末の10月28日から11月16日までの3週間、日本橋高島屋本館の6階美術画廊Xで、私の個展が開催される予定である。個展のタイトルは『直線で描かれたブレヒトの犬』。……このタイトルは、今年の1月に、正にインスピレ―ションのように突然閃いたものである。正に降りてきたようにして閃いたこの謎かけのような言葉の連なりの中に、現在の私と、新しい切り口としての表現の新たなる展開が、かなり濃密に秘められていると見ていいだろう。タイトルが持つ象徴性と暗示の孕みの中に、未生のイメ―ジが逆巻いているのである。………そうか、今の私は、このタイトルの中にいるのか!!……私は自分を分析し、そしてこのタイトルに決まった時点から、新たなる制作が堰を切ったように始まった。

 

今回の展示では、80点近い新作の全てがオブジェである。1月から9月までの9ヶ月間(約270日)で約80点。今までこのブログで書いて来た向島、本郷、谷中…他を巡る記述以外の日々は、アトリエに籠っての制作の日々が続いた。そして、新作の全容がようやく見えて来た7月の末に、高島屋の個展で10年以上前から、私の確かなるアドバイザーとして全幅の信頼を寄せている高島屋美術部の福田朋秋さんがアトリエに来られ、「今回の新作は、更に深化を増している」という率直な感想を頂いた。のめり込んで制作に没頭していると、次第に闇の中に入り込んでしまい、時として意識が凪のような状態に入ってしまう時がある。10年以上前からのお付き合いをして頂いている福田さんは、毎回の個展でいつも絶妙なタイミングでアトリエに来られ、凪に清冽な風を入れてくれるのである。

 

……この時点で先ずは一つの区切りがつき、個展案内状の為に掲載する作品の撮影が先ず行われ、求龍堂の深谷路子さん、デザイナ―の近藤正之さんが構成に加わり、現在の制作に関しての福田さんの執筆が加わって、案内状の形が漸く見えて来るのである。私はかなりこだわるので、今回は色の校正だけで3回の確認と変更が行われた後に校了となり、間もなくそれは完成する。……個展が近づいた今月20日過ぎ頃のブログでは、出来上がったこの案内状を全面的に掲載したいと思っているので、愉しみにして頂けると有り難い。

 

……つい先日くらいまで猛暑の日々であったというのに、台風が秋を運んで来るのか、気がつくと、既に晩秋の気配である。……個展まで残り20日間くらいとなった。しかし、作品の完成への詰めが未だ残っている。最後まで気は弛められないのである。……画廊としては、おそらく日本最大の空間である美術画廊X。この緊張感の漂う硬質な空間は、私にとっての謂わばフィクショナルな〈劇場〉である。『直線で描かれたブレヒトの犬』、果たして如何なる展開になるのか、……乞うご期待である。

 

 

 

『直線で描かれたブレヒトの犬』

日時:10月28日( 水)〜11月16日(月) 10:30~19:30

場所:日本橋高島屋.美術画廊X(本館6階)

お問い合わせ:美術画廊 直通TEL (03)3246-4310

 

 

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『二つのコレクション展開催中』

現在、私の作品を含むコレクション展が、福島と東京で開催中である。1つは福島県立美術館で開催されている『もうひとつの日本美術史―近現代版画の名作2020』展(8月30日まで)。明治から平成にかけての版画の名作約300点を網羅した大規模な展示であるが、版画を文脈として、近現代日本美術史を編み直そうという試みの由。作品は複数の美術館のコレクションから成っている。……山本鼎、青木繁、岸田劉生、竹久夢二、田中恭吉、恩地孝四郎、長谷川潔、川瀬巴水、…そして、1月からブログでも連載した藤牧義夫、……谷中安規、棟方志功、浜口陽三、駒井哲郎、池田満寿夫、加納光於、……そして私ども現代に至る、正に俯瞰的な内容である。私の版画は『午後』が展示されている。この作品は22才の学生時に制作した作品で、制作時の事が思い出されて懐かしい。三島由紀夫の短編小説『真夏の死』の冒頭のエピグラフにあったボ―ドレ―ルの『人工楽園』の一節、「夏の豪華な真盛の間には、われらはより深く死に動かされる」という文章に触発され、ならば、自分なりの絶対の静寂の時間―停止した永遠の午後を立ち上げてみようと挑んだ作である。この作品は、現代日本美術展でブリヂストン美術館賞を受賞し、幾つかの美術館が収蔵しているが、今回は、和歌山県立近代美術館が収蔵している『午後』が展示されている。送られて来た図録を見ると、版画史に於ける自分の立ち位置が客観的に見れて面白い。本展は福島の後は、9月19日から11月23日まで、和歌山県立近代美術館で巡回展が開催される予定。

 

 

 

東京でのコレクション展は、千代田区麹町にある戸嶋靖昌記念館で2021年1月16日まで開催中の執行草舟コレクションによる『青き沙漠へ―新たなる出帆展』である。この館の館長でもある執行さんの膨大なコレクションは主に安田靫彦戸嶋靖昌の二軸から成っている観があるが、多方に渡るコレクションの全容は私も未だ掴みきれていない。……この展覧会では、私の版画『study of skin Rimbaud』と『バジリカの走る雨』以外に、執行さん所有の数多あるオブジェ収蔵作品の中から、本展の主題に合わせて選ばれた5点とコラ―ジュが展示されていて、他の作家の作品と共に、静謐な空間の中で、美しい調和を見せている。執行さんは、若冠10代の半ばにして三島由紀夫と出会い、その才を認められ、三島の死まで深い交流を交わした早熟の人であり、その直感力の鋭さは他に類が無い。私の個展時には、一陣の風のように突然現れて、忽ちの内に共振する作品を選別してコレクションしていかれるのであるが、「蒐集もまた創造行為である」という言葉を体現するかのように、私の作品を選別していく時の早さは実に速く、その時は会場内が張り詰めた緊張感に包まれる。その鋭さの感、春雷の如しである。川崎にある執行さんの事業の製造・研究部門の(株)日本菌学研究所には私のオブジェ作品が多数、常設展示されているが、本展と同じく事前の予約で見学可能。……詳しくは戸嶋靖昌記念館までお問い合わせ下さい。

 

 

 

 

 

 

 

戸嶋靖昌記念館

東京都千代田区麹町1丁目10番 バイオテックビル内

日・祝休み、平日11.00―18.00開館・ 要電話予約 TEL03―3511―8162(直)

 

 

 

……先日、人々が熱中症でバタバタと倒れていった猛暑の真昼時に、10代の時から強い影響を受けた二人の画家、佐伯祐三中村彜のアトリエを見に目白の下落合に行った。佐伯の突出した才については最早言わずもがなであるが、同じく結核で夭折した中村彜の恐ろしき天才性についてはあまり気づいた人は少ないか、或いは皆無かと思う。彼は、その初期にレンブラント、次にモネ、ルノワ―ル、セザンヌ……と、その画風の影響を直に受けて様々に変貌しているのであるが、その恐るべき点は、彼らの画風の影響をもろに受けながらも、彼らに近づきその模倣の域に淫するのではなく、忽ちの内に中村彜自身の内にそのエッセンスを取り込み、消化して完成度の高い中村の作品にしてしまっている点にあり、その消化力の見事さは日本の近代美術史上に殆ど類が無いと言っていいだろう。これに比べればシュルレアリズムの影響を受けたと意味付けされている福沢一郎、北脇昇達の未消化の様はあまりに表象のみに止まり、問題の多くを残している。……中村彜は、前前回のブログで書いた、私が或いは入っていたかもしれない太平洋洋画研究所で学んだ事もあり、アトリエ内にその頃に撮った写真も展示されていて面白かった。佐伯と中村のアトリエは近く、この下落合には当時多くの画家が住んでいて交流があったが、その点は忘却と化して既に久しい。佐伯、中村共に夭折はしたが、しかし作品は遺っている。私は久しぶりに佐伯、中村に近づいた事で、10代のひたすら描く事に集中して、その原初的な悦びの中にいた自分を思い出していた。……そして暫くいた後に横浜のアトリエに戻っていったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『富山にて個展開催中!!』

3月14日(土)から29日(日)まで、富山のぎゃらり―図南にてオブジェを中心とした個展を開催中である。今回で8回目、2年に1度というスパンで開催しているので、画廊のオ―ナ―の川端秀明さんとのお付き合いは、早いもので今年で16年になる。……16年前、川端さんが東京に来られて初めてお会いした時の事は今も鮮明に覚えている。私は極めて直感型の人間なので、お話しを伺う前の座席に座る瞬間に「あっ、私はこの人とは強いご縁があるな!」と直感した。果たしてお話しを伺うと、私の作品に対し強い評価を持って頂いている事、また美術界全体に関する考えや批評が一致する事、そして何よりも私の個展を開催したいという強い想いが熱く伝わって来て、私は嬉しかった。その熱意の強さは、70、80年代の美術界を画商としての切り口から牽引して来られ、今では伝説的な人物として語られる、故・佐谷和彦さんの強い「気」と重なるものがある。画商と作家という関係を越えて、気が合い、本音で語り合える人間としての関係を私は何よりも最優先にしているのである。……16年前と云えば、私は版画集を自分の企画で毎年刊行している時であり、また表現の幅が版画にとどまらず、オブジェ、コラ―ジュ、写真、執筆……と拡がりを見せ始めていた頃なので、正にタイムリ―な時にお付き合いが始まったのであった。……初日の早い午後に画廊に着くと、あいにくの雨にも関わらず、コレクタ―の人達が次々に来られ、気にいった作品を決めていかれる。或る女性の方は30点くらいの展示作品の中から僅か10秒足らずで作品を複数、コレクションに決められ私を驚かせた。……新型コロナウィルスの影響を懸念して人出が危ぶまれた今回の個展であったが、川端さんが言われた「本当に強い作品は、こういう時にあっても関係がなくぶれない。」という言葉を裏付けるような手応えを私は実感として強く覚えた。確かにこういう時こそ、作品の真価が問われ確かめられる時なのであると、私は実感したのである。翌日は、富山の医学の分野では著名な方で、私の作品を多数持っておられるコレクタ―の方が遠方から来られて、私が考案した独自な技法で制作した珍しい作品を即決で購入された。……その方は90歳になられるが、好奇心と行動力に富んだ方で、つい最近もタンザニアに行かれた話をされて私を驚かせた。その先生いわく、健康の秘訣は、尽きない好奇心とプラス思考、この二つに極まるという。私も全く同感である。……90歳のこの方から10代の学生の人までと、男女に関係なく私のコレクタ―の方は実に幅が広い。その全ての感性に向かって、私の作品が持っているイメ―ジを紡ぐ装置としての何物かがあまねく放射し、それを各々の人が、各々の感性に即したリアリティ―を持って享受されるのだと思う。……初日の夜、小説『螢川』の舞台になった河畔の瀟洒な小料理屋の座敷で、川端さんご夫妻のおもてなしを頂き、富山の冬の味覚を頂いた。川端さんご夫妻に感謝しながら、暫しの時間、話は八方に跳んで実に愉しい時間を過ごす事が出来、記憶に深く残っていく思い出を胸にして、翌日の夕方に私は横浜へと戻ったのであった。

 

……さて、今日はブログの余話として、私の作品について少し記そうと思う。先ずは作品の画像を何点か掲載しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行く春を近江の人と惜しみける」 ……よく知られた松尾芭蕉の句であるが、芭蕉の数ある中でも私が最も好きな作品である。……句意は、春光の麗らかに打ち霞む琵琶湖の湖上に、去りゆこうとする春の情緒がたゆとうている。自分はこの近江の国の人と共に、心ゆくばかりに惜しんだことだ。……という芭蕉が意図したイメ―ジが伝わって来て、自らの内にある「近江」➡「琵琶湖」➡「寂とした永遠の彼方への遠望と、そこに絡まる切ない記憶の断片のリアルな立ち上がり」……へとイメ―ジが自動記述的に拡がっていく。……行く春、近江、惜しむ の三つの言葉が連関作動して、人々が内実、豊かに誰もが持っている想像力に火がつくのである。この句の場合の骨頂は「近江」である。これが近江だからこそ、人は行く春に、蘆原に霞む琵琶湖が立ち上がって来て、内なる記憶、美しくも切ない既視感がその底から少し遅れながら相乗的に沸き上がってくるのである。……もし、これが近江でなく、例えば丹波、津軽、日高、佐世保……つまり、近江以外であったら、そこに何もイメ―ジは立ち上がって来ず、惜しむという感覚は沸き上がっては来ない。実にデリケ―トな線上に、この「近江」という言葉が在るのである。…………数多(それこそ無限に)ある言葉の中から瞬時に、必然的に「決め言葉」を引き出して来る営み、……このイメ―ジの紡ぎ方が、実は私のオブジェの制作メソッドと重なってくるのである。ただ、自分一人の良し悪し、好みに留まらずに、同時に観者の人々の普遍をも立ち上げる事が己に強いられており、私はその緊張のびしびしと迫りくる豊かな強度の中で、正しく瞬時にして、「人々の想像力を立ち上げる装置」としての様々な「物語の断片」を速攻で組み込んでいくのである。……そして、そこに「ポエジ―へと繋がる見立」と「マチエ―ル」と、「文脈の異なる組み合わせ故のバイブレ―ション」が合わさって、夢見のような感覚へと直に誘うのである。私の作品を観た人達が揃って口にする言葉―「何故か無性に懐かしいが、しかし今まで全く観た事がない不思議な世界」という一致した感想を聞く度に、私はさらに誰も分け入った事がない、観照としての次元に達した何物か、語り得ぬ表現の高みに更に達したいという強い想いが出てくるのである。もはや美術のジャンルを越境したと考えている私が、厳しくも範としているのは、「考えるは常住のこと/席に及びて間髪を入れず」と語った、芭蕉のこの言葉なのである。

 

 

 

 

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『桜島を見ながら考えた事』

個展で滞在中の鹿児島のホテルで、夜中にテレビを観ていたら、オリンピックというものに対する欧米人の生な意見が紹介されていて、なるほど!と思った。……彼等の意見の主たるものは「自分の知らない人間が自分より高く跳んでも、早く走っても、それについての関心はほとんど無い。それがどうした!?」というのである。個人の自覚が成熟している故のこの醒めた意見、ちなみに私も全く同感である。海外のオリンピック関連報道で熱く流されるのは、実は番組成立の為に一部の人間を誇張し構成して流しているにすぎず、その実質は冷やかに醒めているのが実態であり、オリンピックよりも、むしろ普段のサッカーや野球の方がまだ熱いらしい。……大河ドラマの『いだてん』が全く人気がなく、悲惨な低視聴率に陥っているのをみると、昔の東京オリンピック時と違い、この国の民もオリンピックなるものの裏の実態が浸透して見えて来て、「スポ―ツ」という名の裏側に貼り付く、ごく一部の企業や人間に利権が集中していくという金まみれの汚れ具合に辟易として来ているのかと思われる。……先だっての台風の被害に遭われた長野、福島……の未だ絶望的な状況にある人達、また地震の被災の爪痕が未だに残っている人達への復興支援金に、オリンピックや桜うんぬんの結局は膨大な湯水と変してしまう膨大な予算を使う方が、税金がまだいくらかは活かされるというものである。

 

 

 

 

……さて、鹿児島のレトロフトMuseoでの個展であるが、1週間の滞在中、画廊には、まるで会社の面接試験のように次々と人が来られて、かなり忙しい日々であった。私の名前は知っていても、遠方ゆえに作品を実際に観るのは初めてという方がけっこうおられて、2回目(3年ぶり)の今回の個展、実現して本当に良かったと思う。画廊の永井さんご夫妻も会場におられる事が多く、ご夫妻を通じて私はこの短い期間に、個性的な、いろいろな方と知り合う事が出来た。その中でも印象深いのは、編集者のH氏である。氏は、文芸誌『新潮』にかつて掲載された私の『停止する永遠の正午―カダケス』という、ダリ・ピカソ・デュシャンに纏わる、謎の多いカダケスという土地を主題にした美術紀行文を読んでいらい私に興味があったらしく、私の個展が地元の鹿児島で開催されるというのを知って楽しみに来られた由。さすがにH氏は編集者である。実に博識であり、私もまた話をしていて面白く、三時間ばかりを氏との尽きない話題の展開に終始した。……沢尻エリカがスペイン滞在時にカダケスにいたとやらで、カダケスの名を久しぶりにテレビで聴いたが、H氏にぜひそのカダケスに行かれる事をお薦めして私達は別れた。……また調香師のYさんという方が来られたので、私は、その香を炊いて嗅ぐと、死者が現れるという『反魂香』を実は長年探していると言うと、Yさんの眼が一瞬鋭く光った。「お主、反魂香の事を知っているのか!!」という、まるで京の朱雀門辺りで陰陽師同士が出逢ったような印象を私は持った。Yさんの言に拠ると『反魂香』は確かに実在するし、調合の秘伝の割合も知っているが、反魂香だけは、絶対に手を出してはいけない、云わば禁忌の香であるという。……私はますます興味が湧いて来たのであった。会いたい死者が現れるという、その『反魂香』。もし樋口一葉が現れるならば、私はぜひ、この禁忌なる香を入手したいものである。

 

……画廊のレトロフトは11時に開くので、その前の時間をみて、鹿児島市美術館に行き、念願だった香月泰男の名作『桜島』を観た。香月は実に絵が上手い。上手いという字より、巧いの方がむしろ合っていようか。(画像を掲載したのでご覧頂きたい)。……桜島を描いた画家は多いが、わけても黒田清輝の『噴火する桜島』のリアルな描写は秀逸であるが、香月泰男の『桜島』は、モダニズムの視点から見てもその上を行っていると私は思う。桜島に、今一つの象徴性が加わって、絵は観照としての深みを帯びて観る人に迫ってくるのである。「油彩画で画かれた水墨画」という形容をこの絵に賛した人がいるが、まぁ当たっているかと思う。画面下段、右側の桜島の煙の描写は嫌らしいまでに巧みであり、表現としての「殺し文句」を帯びてなおも深い。……また、画面左下の黒の描写と、描かない余白の釣り合いが絶妙で、私は他に観客のいない午前の部屋で、香月の画面と対峙しながら、その余白の幾つかの位置に指を重ねて、描いている時の香月の心境を重ね視た。それから画面上部の実に美しいマチエ―ルに、例えばゴヤの、砂に埋もれる犬を描いた名作『犬』の上部空間の実に密度の深いマチエ―ルを重ね視た。……ダリやルドンなどの西洋の作品も観ながら、およそ一時間ばかりを美術館で過ごし、隣接して在る「かごしま文学館」で開催中の向田邦子展を観た。以前のブログでも書いたが、或る深夜に、演出家で作家の盟友・久世光彦さんと向田さんは、この世に在る様々な死に方の名前をつらつらと思い浮かべて挙げるという言葉遊びにふけっていた。……最後に久世さんが向田さんに、「では君の望む死に方は何か!?」と問うと、向田さんはすかさず「爆死!!」と即答した。果たしてその通りに、数年後、直木賞受賞後の絶頂期に、台湾上空で、飛行機は原因不明の爆発を起こし、向田さんは7000m上空で一瞬で散った。……恐ろしくも、実に見事な予言である。……個展が終了した翌日、飛行機は夕方の便なので、朝早くにホテルからタクシ―に乗り、西南の役で西郷隆盛が入っていたという城山に現存する洞窟を見に行き、政府軍の総攻撃が始まった時にその洞窟を出て、更に下り、腹部に被弾した現場、西郷自刃の現場を経て、更に歩き、西郷隆盛ほか、薩摩軍の兵士達が眠る南洲墓地、そして、西南の役の資料が展示されている記念館を訪れた。……館長としばらくお話をして、疑問に思っている幾つかの歴史的な闇の不明点を尋ね、知りたかった疑問は氷解したのであった。……かくして8日間に渡る鹿児島の滞在は終わり、永井さんご夫妻をはじめ、様々な方とお会いした思い出を胸に、私は機上の人となり一路、東京へと帰ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『鹿児島―素晴らしきレトロフト』

……前回のブログで忠臣蔵(赤穂事件)の大石内蔵助について書いたが、先日その勢いで泉岳寺駅近くに住む友人宅を訪ねた折りに、近くにある、赤穂浪士47人の墓がある泉岳寺を訪れた。門を入った先にある墓は、沢山の参拝者が捧げる線香でもうもうと煙っている。しかしそれにしても沢山の参拝者の数である。だが、彼らの多くは墓参りだけを済ませて帰るが、実は泉岳寺の出口近くにある横道を入り、歩く事およそ5分。高松宮邸に沿って入り、左手にある公園の脇を入ると、そこが「大石良雄他十六人忠烈の碑」すなわち、47士が討ち入り後に四家の大名屋敷に分けられて身柄預かりとなり、その内、大石内蔵助(良雄)達16人が預けられた細川藩邸跡がそこであり、また、その場所で大石達が切腹した現場跡なのである。……先日、私は初めてその場所まで行く事にしたが、おそらく行っても、コンクリ―トの上に石の台座があり、そこにかつての「切腹現場跡」を示すプレ―トが彫られているくらいに思っており、まぁついでくらいのつもりで足を運んだのであるが行ってみて驚いた。……公園(かつての細川藩邸跡)内の一画にある、大石内蔵助達が切腹した場所は、彼らの背後に小さな池があり、その前で次々と十六人が切腹したのであるが、鉄柵で仕切られた20畳ばかりのその現場は、水こそ枯れているが、池跡や幾つかの巨石がそのままにあり、そこに湿った葉が繁茂していて、まさに彼らが数日前に目前で切腹したかのような凄惨な余韻を漂わせながら、武士道の鑑として細川藩が大事に(藩の誉れとして)現場跡をそのままに遺して320年もの間、時を潜りねけてなおも、彼らが確かに存在していた!という事実を今に遺しているのであった。曇り空の下、そこだけが更に暗く、赤穂事件と、吉良邸討ち入り、そして本懐の後の切腹斬首があったという事実を生々しく伝えており、私はそこにしばし釘付けになってしまったのであった。……泉岳寺を訪れたならば、そこから僅か5分で行ける大石内蔵助達の切腹した現場にも、ぜひ足を運ばれる事をお薦めしたいのである。

 

 

5日の午前10時に羽田を発ち、12時に鹿児島空港に着く。……空港で出迎えて頂いた永井明弘さんと3年ぶりの再会を果たす。永井さんは、鹿児島の個展会場であるレトロフトMuseoを奥様の永井友美恵さんと共同で運営されているオ―ナ―である。空港から車で鹿児島市内へと向かう。……永井さんによると、桜島はここ最近、度々噴火を繰り返しており、窓ガラスがかなり激しく揺れるのだという。その桜島が錦江湾の彼方に雄大な姿を見せて出迎えてくれる。車はやがて市内へ入り、市の中心地に在るレトロフトに着いた。画廊オ―ナ―の永井友美恵さんと再会を果たし、そのまま展示作業に入った。……展示は二時間くらいで終わり、その後で新聞社の文化部の方が来られて取材があったが、その頃には、まだ個展が始まる前日だというのに、個展の情報を知った人達が早くも画廊に入って来られたのは嬉しい手応えである。会場内で作品の写真を撮ると、窓の向こうにまた別なレトロな建物が映って、気配は1930年代のあたかも魔都上海を想わせる。それが私の作品世界の虚構性とリンクして夢の中に入っていくようで実に嬉しい。……さて私は、久しぶりに念願であったこのレトロフト内の探検に入った。築50年以上が経つレトロフトという、バリのモンパルナス辺りの気配にも似た、このまさにレトロモダンな建物の中は、あたかもピラネ―ジの描いた「牢獄」や、エッシャ―の迷宮的な建物に似て、掴みにくい複雑な構造をした建物で、その中に古書店やカフェ、また自然食の店、また別なカフェが複雑に店舗を構えており、その2階にギャラリ―が在り、その上の階からは40室ばかりが在り、イギリスで学んだという皮製品のデザイナ―のスタジオや、何故か烏賊の絵ばかりを描く女流画家……といった一部屋ごとに様々な人達が住んでいる、……不思議な建物なのである。さっそく、私は古書店で永井荷風の『断腸亭日乗・上下』(磯田光一編と、イギリスで刊行されたブリュ―ゲルの美しい画集を購入した。

 

 

 

 

さて、今回のレトロフトでの個展のタイトルは、『〈盗まれた会話―エステ荘の七つの秘密〉』であるが、このタイトルにはいつもとは異なる秘めた想いが在る。……オ―ナ―の永井明弘さんはミラノで庭園の設計を学ばれていた時に、やはりミラノでテキスタイルの勉強をされていた永井友美恵さんと出逢われたのであるが、昔、縁があって永井さんご夫妻とお会いした時に、私はその出逢いの運命的な話に惹かれ、そこに私のイタリア旅行時の様々な体験を重ねた重層的なイメ―ジが閃き、その舞台をあの謎めいた『エステ荘』に設定して、3年前に鹿児島での個展を開催したのであるが、今回の個展はその更なる展開であり、また永井さんご夫妻に献じたオマ―ジュ展の意味も強くあるのである。現実と虚構がかなり意識的に組み込まれた個展というのは私には珍しいものがあるが、その着想の独自性は、やはり、私の表現世界と入れ子状に交差する、このレトロフトの魅惑的な構造がかなり影響しているように思われる。……今日は個展の初日であるが、早くも多くの方が次々と来られ、また私の作品を以前から気になりながら、なかなか実際に観る機会のなかった人達が来られて、じっくりと熱心に観られているのを実際に見るというのは、作者冥利につきるものがあり、直に自信と確信に繋がっていくものがある。

 

……個展は11日で終わり、今年の作品発表は終了である。その今年最後のレトロフトでの個展。様々な想いを胸に、私の鹿児島での滞在はしばらく続くのである。

 

 

北川健次展

〈盗まれた会話―エステ荘の七つの秘密〉

会期: 12月6日~11日

時間:11時~19時(会期中無休)

場所:レトロフトMuseo

TEL:099―223―5066

〒892―0821 鹿児島市名山町2―1 レトロフト千歳ビル2F

(会期中・作家在廊)

 

 

 

 

 

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『一葉に恋して・本郷編』

先日まで開催していた高島屋の個展に、映画の企画をされている成田尚哉さんが来られて、24歳の若さで逝った、日本初の女流作家・樋口一葉の映画化に触手が動いて来た旨を話された。……7月頃のブログに書いたが、アトリエに成田さんが来られた際に、樋口一葉を、従来の文芸ではなくミステリ―の角度から現代の切り口で立ち上げると間違いなく面白い作品が出来ますよ!……と私は話して、劇画家の上村一夫の『一葉裏日誌』を渡していたのだが、持ち帰って読まれて、次第に企画者の視点から一葉の多面的な面白さ、捕らえ難さが浮かび上がって来たようで、私は嬉しかった。

 

 

 

11月20日の11時に、丸の内線『本郷三丁目』駅で、私は成田さんと待ち合わせて、ある方向へと歩き出した。成田さんに「これから何処に行こうとしているかわかりますか?」と話すと、成田さんは「本郷菊冨士ホテル跡か、樋口一葉の旧居跡!」と言われた。その通りで、私はこれから成田さんを連れて、本郷の坂の下、さらにその坂の下にある、作家を志し始めた頃に母親と妹の邦子と住んでいた頃の井戸が今に残る旧居跡(画像参照)、その石段上に住んでいた金田一京助(石川啄木も頻繁に訪れた)旧居跡、その傍に在った、樋口一葉が金銭的に追い詰められ、意を決して「秋月」という変名で接近した怪しい相場師・久佐賀義孝の旧居跡、一葉がその短い晩年まで通った質屋『伊勢屋』(そのままの姿で遺構が残っている)、一葉が死んだ年に生まれた宮澤賢治が上京して一時期住んだ旧居跡、……等を歩きながら、私は一葉という謎多き天才の魅力について語り、その後に老舗の鰻屋『鮒兼』に入って、嬉しくも成田さんの奢りで鰻重、肝焼き、ビ―ルを頂きながら、なおも語った。……一葉が書き遺した日記(14歳からの)は膨大な頁になるが、その数頁が一葉によって何故か意図的に破られている。また、晩年に樋口一葉宅を多くの文学青年達が慕って訪れ、その光景と彼らの人物像を一葉は詳細に描いているのであるが、何故か、その青年達に交じって訪れていた若き日の泉鏡花については全く触れていない。しかし、敏感な一葉は、只者ではなく、一葉の美を継ぐように文学空間を拓いていく鏡花には、一際覚えるものがあった筈で、その鏡花からの視点も映画の中に取り入れていくと、謎は深まりを見せる筈…………などなど語りながら、そのまま私達は、いま本郷三丁目のギャラリ―884で開催中の私の個展会場へと向かったのであった。今回の個展では、なかなか展示する機会のなかった銅版画作品(10点)をメインに、オブジェ(9点)、コラ―ジュ(9点)、写真(3点)、併せて31点を展示中。会期は今月の30日迄であるが、本展が東京での今年最後の個展になる。……連日多くの方が来られて賑わいを見せているが、近年の中でも最も完成度の高い作品が展示されている今回の個展、ぜひご覧頂けると有り難いのである。

 

 

 

北川健次個展『黒の廻廊―〈切り取られた〉光の記憶』

会期:11月12日~11月30日 11時~18時30分

〈月曜休み・最終日は4時まで〉

会場:ア―トギャラリ―884

東京都文京区本郷3―4―3 ヒルズ884 お茶の水ビル1F

TEL03―5615―8843

 

 

 

 

 

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『大規模な個展終了、そして次へ……』

やく3週間の長きに渡って開催された日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展が先日、盛況のうちに終了した。今回で12回目になるが、夏にアトリエに来られて「出品作品全てが、今までで最も高い完成度を示している」と分析された、美術部の福田朋秋さんの予見通り、個展初日のオ―プンと同時にコレクタ―の人達が次々に来られ、また、美術館も運営され、私の作品と3年前に出会って以来、既に50点以上収蔵されているS氏が、秘書の方と共に来廊され、今回も鋭い直感力と眼識を持ってたちまちの内に作品が選ばれていき、初日の午前の2時間だけで早くも10点以上の作品が、その人達のコレクションに入っていった。それが幕開けとなって、会期中に都内、また遠方の各地からも、連日数多くの方が来られ会場は賑わった。そして、この賑わいは年毎に高まりを見せている。……私は、「作品の作者は二人いる」という考えを強固に持っている。その一人は、まぎれもなく作品を立ち上げた私。そしていま一人は、それをコレクションし、日毎に様々なイメ―ジを組み立て、長い年月をかけて、その作品と対話していくコレクタ―の人達である。コレクションするという行為はまさしく創造行為であり、特に私の作品をコレクションされている人達は、その意識の高みが高く、美意識が強いという感想を、私は経験的に抱いている。作品とは本質的に匿名であり、故に作品を観て、またコレクションに何れを決めるか!……と考えている時の、会場でのその人達が放つ「気」は真剣そのものであり、鋭い空気が会場に充ちている。作品の前で、いま彼らは自身の観照の意識と向き合って対峙している!……会場にいて、私が最も手応えを覚えるのは、まさにこの瞬間なのである。

 

…………かくして、3週間が過ぎ、個展最終日がやって来た。毎日会場にいる私の疲労も、さすがにピ―クを迎え、最終日は静かな終わり方をすると思っていた。…………午前中から画廊の奥の小部屋では、私の次に開催される個展『現代美術の室礼―村山秀紀の見立て』で特別上映される映像インスタレ―ション『糸口心中』の為の器械設置で、美術家の束芋さんが設営準備に取り組んでいる。そして、個展をされる、我が国の表具師の第一人者である村山秀紀さんが、照明などの事で美術部の人と奥で打ち合わせをされている。……村山さんと「見立て」についての話をし、意見が一致する。どの表現の道も詰まる所の着地点と、その深度は同じなのである。ただ、多くの表現者たちがそれに気づかず、狭い概念を安易になぞっているだけである。……個展最終日も夕方に近づいた頃に、写真家として私が最も尊敬している川田喜久治さんが来られた。川田さんが笑みを浮かべながら私にA3大の硬いカルトンに入ったものを渡された。開けて見ると、昨年の個展の際に私を被写体として背景にオブジェを配した、私のポ―トレ―トを厚い和紙にプリントした貴重な作品である。裏面には川田さんのサインが書かれており、氏の代表作に加え、私はまた一点、貴重な作品を川田さんから頂いたのであった。暫く歓談されて川田さんは帰られた。そして画廊にまた静寂が訪れたと思ったのも束の間、個展最終日を知って訪れた人達で会場が再び人群れで埋まった。……その中に、私は一人の人物(しかし、最もお会いしたかった人の一人)が来られているのを見つけ、熱いものが込み上げた。……アメリカの美術界でもその名は知られる存在であり、私のオブジェを絶賛したクリストやホックニ―とも親しいコレクタ―のW氏が、昨年に続き来廊されたのである。話を伺うと、先ほど成田に着かれ、その足で私の個展に直行された由。……さっそく、展示作品の中から鋭い直感力で、たちまちの内にコレクションの数々が選ばれていった。……かくして、美術画廊Xでの個展は終了した。……来年の会期も早々と決まり、私は福田朋秋さんに、来年秋の個展のタイトルを書いた紙をそっとお見せした。生き急ぐ私は、もう次を見据えているのである。そのタイトルはまだ秘密であるが、次の個展では、更なる展開と実験的な拡がりを暗示すると思われるそのタイトルを見て、福田さんはすぐに私の秘めた意図を了解された。

 

…………11月12日~30日迄は本郷のギャラリ―884で、そして12月6日~11日迄は鹿児島の画廊レトロフトで3年ぶりの個展が開催され、今年の私の表立った活動は終わる。しかし、私の頭の中では、来春刊行予定の初の詩集の為の構想がじわじわと沸き上がっており、またオブジェの新たな領土への模索が既に始まっているのである。

 

 

 

 

 

 

 

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