月別アーカイブ: 12月 2012

『松本竣介』

20年ばかり前の話であるが、親しくしている額縁屋のI氏宅に行った折に仕事場で一点の油彩画が立て掛けてあるのが目に留った。初めて見る作品であったが、深い詩情性と言いようのない孤独感を湛えたその画面から「・・・松本竣介だな!!」と直感した。「竣介の絵が何故ここに?」—- 私がI氏に問うと、氏はニヤリと笑みを浮かべながら或る逸話を語り出した。I氏の話によると、或る人物が信州の旅館に泊まった時、部屋にこの作品が掛かっていたという。一目で竣介だとわかったその人物はそれとなく旅館の主人に問うてみると、絵の事は門外漢で、その絵もたまたま持ち込んだ人がいたので掛けているだけだという。しかもあろう事か主人は、「そんなにその絵がお好きなら良かったら差し上げましょうか」と申し出た。その人物はドキリとしながらも、「いや、タダというわけにはいきませんから、では3000円で・・・」と言ってその絵を入手し、それが持ち込まれて今、その額を考案中なのだと云う。ちなみに竣介の絵は最高時で一億を超えたというから、果たして・・・その絵はいくら位の評価が付くのであろうか。

 

半世紀以上前まではほとんど無名に近い存在であった松本竣介。しかし今や彼は、靉光藤田嗣治佐伯祐三岸田劉生等と共に近代洋画史を代表する人気と高い評価を得ている。松本竣介が今日の評価を獲得するに至るには二人の人物の存在が大きく関わっている。一人は神奈川県立美術館館長であった土方定一氏と、今一人は画家の岡鹿之助氏である。二人とも生前の松本竣介と面識はなかったが、竣介の死後まもなく、彼の絵を見たこの眼識ある二人の人物の果たした動きが、急上昇するように竣介の絵の価値を世間に知らしめる事となった。土方氏は美術館で竣介の展覧会(二人展)を企画し、また、岡氏は画集出版に関しての労を取った事がその起爆剤となったのである。土方氏は、美術館の果たす役割として次代の可能性を持った画家を見出し、本物の形へと高めていく事もその仕事であるという理念を持っており、実際に動いていた。私も版画を作り始めたばかりの20歳の頃、土方氏から突然に作品を神奈川県立美術館で購入したい件に関する丁寧な手紙を頂き、それが作家としての自信を深める契機となっている。「お前さんは、もっと高みを目指していい作家だよ!!」—-これは、私が土方氏から頂いた言葉である。しかし私のような場合と違い、松本竣介は生前に自分を引っ張り上げてくれる人物とは出会っていなかった。非常に暖かい友情で支えあった画家や彫刻家の友人達はいたが—–。今では信じ難い話ではあるが、彼は経済的な困窮の中でのほとんど衰弱死的な形で僅か36歳で夭逝してしまったのである。今一人の岡鹿之助氏は、竣介の作品の中に自らが理想とする表現世界が在るのを見て、すぐに画集刊行を指示し水面下で動いたが、それが如何に松本竣介の名声の確立に寄与した事かは計り知れないものがある。秀れた眼識があり、しかもその発言が大きな力を持っているこの二人の人物との出会いがもっと早ければ—–という無念はあるが、それも又、運命なのであろうかとも今にして私は思う。

 

昨日、世田谷美術館で開催中の『松本竣介展』を観に行った。十代の初期から絶筆までの見応えのある内容であり、私はしばし竣介の哀愁を帯びた静かなポエジーと美しいメチエの世界に没入した。わけても私が好きなのは「Y市の橋」と「ニコライ堂」である。特に「ニコライ堂」を描いた連作の中の一点が持つメチエの深さは、既にして神秘を孕み、霊妙といっても過言ではない表現の深みに達しており、松本竣介の最高傑作の一点はこれであると私は見た。岸田劉生の遺した言葉の中に「いい画は皆、永遠の間に、夢の様にふっと浮かんでいる。」という名言があるが、まさしくこの言葉に竣介の「ニコライ堂」は当てはまる。竣介の最晩年の作品「建物」や「彫刻と女」を見ると、最後の表現の域は、更なる上昇を計りながらもあたかもイカロスの失墜のごとく力尽きているのが惜しまれる。生前に欧州に行く事を夢見ていたというが、もしそれが叶えられていたら確実に日本の洋画史は、藤田や佐伯とは異なる豊かな美の顕現を得ていた筈に相違ない。

 

横浜に住んでいる私は、時折、横浜駅の東口を出て高速道路が見える「或る場所」に立つ事がある。そこは名作「Y市の橋」が描かれた現場なのである。今から70年前に松本竣介はそこに立ち、まるで生き急ぐような素早い線画でそこを描き、帰宅してから別な風景もモンタージュとして加え、風景画の典型を刻印した。その連作も含め、竣介の風景画には謎めいた人物が黒のシルエットとして不気味に散見出来るのが気にかかる。ほとんどの人は気付いていない事であるが、実は佐伯祐三の晩年の風景画(カフェテラス等)にも同様な死を予感させる気配を帯びた謎の人物が、作品から作品へと渡り移るように度々描かれているのである。映画『アマデウス』ではないが、絶筆の「レクイエム」を作曲時に、ちらちらと不気味な人物が幻視のように出現している事をモーツァルトも語っている。—–まさか、死後の名声と引き換えに現れたデモニッシュなものの変容ではあるまいが、—–興味のある方は佐伯の画集を併せて御覧頂ければと思う。とまれ、多くの美術館で様々な展覧会が開催されているが、世田谷美術館の『松本竣介展』(2013年1月14日まで開催中)は、私が今一番に推す展覧会である。

 

建物

 

鉄橋近く

 

Y市の橋

 

Y市の橋(部分)

 

不思議な気配を帯びた人物の黒いシルエットが、硬質な画面に郷愁を奏でると共に不穏な韻を立ち上がらせている。

 

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『勘三郎と内蔵助』

中村勘三郎さんのこの度の逝去に際し、あらためて人生の意味とは、その長さではなく密度と生き様である事を痛感した。舞台は度々拝見したが、今年の新橋演舞場での勘九郎襲名披露公演での口上が最後となってしまった。間近でお見かけしたのは久世光彦さんの葬儀の時であった。遺影の前に座っていて焼香のために並ぶと、数人前に勘三郎さんがいた。舞台では大きく華やいで見えるが、実際はかなり小柄であるのに驚いた。そういえばすぐ近くに森光子さんもいたが、舞台で共演したお二人がほぼ同じ時期に逝くのも何かの縁であろうか。政治家で、その死が惜しまれる人は昨今皆無であるが、役者は惜しまれてこそ命である。勘三郎としての円熟は果たせなかったが、この人が放つ「粋」と「艶」は、それを出し切っての生涯であったかと思う。生き急ぐように駆け抜けた見事な生涯であった。

 

人生を駆け抜けた・・・といえば、この時期はやはり1702年に起きた「赤穂事件」が思い浮かぶ。昨日、慶応義塾大学で開催中の瀧口修造展に行くために三田へと向かったが、途中で「泉岳寺」に眠る浪士たちの墓が見たくなり立ち寄った。私は四十七士の中では、最も奮闘した不破数右門と、上野介に太刀(槍ともいう)を浴びせ絶命させた武林唯七が好きであるが、やはり大石内蔵助(1659-1703)の墓前では立ち止まってしまう。その大石の辞世の歌「あら楽し思ひははるる身はすつる浮世の月にかかる雲なし」は、主君の浅野内匠頭の辞世の歌「風さそう花よりもなおわれはまた春の名残をいかにとかせん」の現世への未練がましさと比べると晴れ晴れとした心情が見事に刻まれていて心地良い。本来、辞世の歌とはあまり芸術的なレトリックを凝らさず、明快単純こそが好ましい。歌の31文字は俳句の17文字と比べると、その字数が多い分、つい本音が出てしまう。しかし本音を封印して後世に虚構や意地を放つのが辞世の歌の、云はば要領なのであろう。その意味でも、この大石の辞世の歌は目的を達成した自分や浪士たちの心境を映した名歌として、あまりにも有名である。しかし、しかし・・である。歴史好きな私としては、この大石の歌が、かつて何処かで聞いたものと重なって響くのが気になっていた。それで、個展も終わった束の間の閑を利用して調べてみた。すると、ある戦国武将の辞世の歌に辿り着いた。それは、信長と共に私の最も好きな武将である上杉謙信(1503-1578)である。謙信の辞世の歌は「極楽も地獄も先は有明の月ぞ心にかかる雲なき」である。如何であろうか・・・。たまたまだよと言う方もおられるかもしれないが、しかし両者を結ぶ人物が一人だけいる。それは江戸前期の儒学者、山鹿素行(1622-1685)である。彼は官学である朱子学を批判したため、一時、赤穂藩にお預けとなっていた折、若き日の大石たちに兵学を講じ、その際に行動学の美しい範として上杉謙信について熱く語った事は想像に難くない。その証しの一つが、大石が討ち入りの際に使った山鹿流の陣太鼓である。

 

討入りを果たした後に浪士達は四つの藩にお預けとなったが、その浪士たちが残した手紙の中に「虚しい・・・」という一文がある。ここに赤穂事件の真実が透かし見えるが、既に大石の意識は後世の評価にその目があった。「・・・・・浮世の月にかかる雲なし」を大石が切腹前のいつ頃に詠んだかは不明であるが、名プロデューサー大石内蔵助の本領がここに在る。上杉謙信からのパクリとは決して言えない見事な「引用の詩学」であると、私は思うのである。

 

 

泉岳寺の中門。空襲から免れて当時の遺構を今に留めている。

 

 

今も線香の煙が絶えない大石内蔵助良雄の墓

 

 

討入りの本懐を果たした後で、泉岳寺のこの井戸で吉良上野介の首を洗ったと云われている。碑は明治時代の俳優ー川上音二郎の建立。

 

 

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