月別アーカイブ: 1月 2014

『私とは何者!?』

前回のメッセージの反響は大きかった。その中でも、故・松田優作の最初の奥さんであった松田美智子という人が、その事件を詳しく調べて『大学助教授の不完全犯罪』という本を幻冬舎から出しているのを教えて頂き、私はさっそく読んでみた。実に面白く、私は事件の内容を立体的に更に詳しく知る事が出来た。

 

警察が捜査した別荘裏の範囲は五百メートル四方という広さにわたり、「砂浜でダイヤモンドを一つ見つけるような」と評された程に難行したものであった。私が別荘裏に死体が埋められていると断定し直行した時と、警察が断定して動き始めた時はほぼ同時期である事も本を読んでわかった。つまり、私は事件後まもなくに現場を訪れ、ふと目に付いた花畑に惹かれて、その上に(つまり死体の真上)で食事をしたわけであるが、数日して警察は、土の変化を知る為にことごとく雑草やその花々を、四日間を要して刈り取ってしまった。結果としてそれが死体発見を遅らせる事になってしまったのである。半年近く経ち、犯人のカバンの底からアメリカセンダン草の種が一つ付着しているのに気付き、そこから捜査はようやく〈花畑〉に絞られていくのであるが、本ではそのくだりが、このように書かれている。

 

「・・・・・そうか、あの時の花だ。森安警部は、九月十三日に、初めて別荘に入った時の記憶を蘇らせた。母屋から出発して別荘の裏側を歩いた時、雑草に混じって群れ咲いた黄色い小花を見た。鬱蒼と生い茂る斜面から集積場にかけての一帯だ。四日間にわたる草刈りで全て刈り取ってしまったが、日当りのいい場所に咲いていた記憶はない。犯人が事件当日にその付近を歩いた事は間違いない。別荘裏が怪しいという判断は正しかった。・・・・・」

 

しかし、私は何故その場所(花畑)に惹かれて、ピンポイントで、埋められている被害者の死体の上に座り得たのであろうか・・・・・?仏が呼んだと云えば、それまでであるが、思えば不思議な事ではある。そのような事はその後も度々あった。例えば、福井県立美術館でピカソについて講演をした帰途に、夕方の福井駅のホームのベンチに私は座って列車を待っていた。目線の先には駅裏のさびれた古いビルが見えた。それは一軒のホテルであった。・・・・・すると私の脳裏に、その時は未だ逃亡中であった殺人者の〈福田和子〉の事が何故か唐突に立ち上がったのであった。そのホテルを眺めながら私は思った。(・・・たぶんあのようなホテルに福田は潜伏しているのだろうな。)それから二ヶ月後、福田和子が捕まったという報道が流れ日本中が騒然とした。福田和子が潜伏していたのは福井であった。そしてその潜伏地は、私が駅裏から見て、何故かふと福田の事を思った、まさにそのホテルであった。

 

その後、スペインのセビリアでも不思議な事があった。セビリアの後、私はマドリッドに行く予定であった。その時はゴヤの版画を集めており、私はどうしても、その版画の原板が見たかった。しかし、その展示されている場所がわからずにいた。わからないままに、その事は頭から離れて、私はセビリアの一軒の古びた書店に入った。夥しい数の本が四方の本棚に並んでいる。私はその中から何故か青い背表紙の本が目に止まり、引き抜いて見た。本を開くと、そこにゴヤの原版の写真が載っており、マドリッドの王立アカデミーに隣接した建物にそれが展示されているのが、たちまちにわかったのであった。

 

又、同じ日に私はセビリアの修道院に行き、ムリリョの絵と共に展示されているバルデス・レアールという画家に興味を持った。澁澤龍彦も書いているが、カトリック信者のふりをして、反カトリック的な禁断のイメージをその中に密かに伏せている怪しい人物である。私は一目でバルレス・レアールにはまってしまい、その作品をまとめて見たいという衝動に駆られてしまった。しかしそれらはヨーロッパ各国の美術館や修道院にバラバラに展示されている為に、一堂にまとめて見るのは不可能な事である。

 

翌日の早朝、私はマドリッドのアトーチャ駅に下り立った。晩秋の霧深い日であった。私は重いトランクを下げながら、宿を見つける為に、プラド美術館の前を通過しようとして、何気なく、彼方の看板の展覧会の文字を見た。霧の中から浮かぶようにして次第に見えた来た文字・・・・・それは、まさに今、プラド美術館で開催中のバルデス・レアールの全回顧展を知らせるものであった。このような体験はその後も幾度とあった。予知もあれば、リアルタイムで体験する事もある。一種の理屈を越えた異常な交感能力というものが、この〈北川健次〉という生き物の中には確かに棲みついている事は間違いない事のように思われる。警視庁に〈陰陽師班〉というしゃれたものがあれば、面白いのであるが、その実現は無理である。

AとZという離れた関係項を強引に結びつけて〈不思議〉を立ち上げるという、この能力は、今、コラージュという方法論の中で全開しているといえるかもしれない。その立ち上げた〈不思議〉をもって、観者の中に潜在している想像力の不思議な機能を私はゆさぶっている。その意味では、私は間違いなく美術という狭い領域から離れたところで、自在に作り続けているようにも思われるのである。

 

「犯行現場を訪れた頃の私。…美術家というよりは、異界と交感している陰陽師のそれに近いか」。

 

 

 

 

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『山が消えた』

10年くらい前から大学に博士課程なるものが設置され、その資格を取るために学生たちは、ほぼ1年間を労して論文を書き、最後に面接の審査を受けるのだという。多摩美大からその審査員を依頼されていたので先日、大学のある橋本駅へと向かった。審査は教授3名と私の計4人。その光景を横から50人くらいの関係者が立ち会うというものものしさ。外部の私が何故?と思ったが、文部省の方針で外部から作家や評論家を招いて公平を計るのだという。

橋本駅から車で大学へと向かう途中、町田街道に面した正面に険しくて深い山が、かつては在った。学生時代に私はその深山に分け入って行った事があった。〈ある目的の為に・・・・〉しかし今、目の前に見えて来た場所に山は無く、あろう事かその正面に道路が出来て、周囲はベッドタウンと化していた。つまり・・・・山が丸ごと消えてしまったのである。

 

大学に着くと、事務員のT氏が迎えに出て来た。構内の廊下を歩きながら私はT氏に言った。「すっかり風景が変わってしまいましたね。これじゃ、かつての山の中の別荘で殺人事件があった事など誰も覚えていないんじゃないですかね?」すると突然、T氏の足が止まり真顔で私にこう言った。「いや、勿論覚えていますよ。あれは消えた女子大生が何処に埋められているかをめぐって、日本国中が一億総探偵のようになって連日騒いでいた事件でしたからね。」

 

・・・・今から三十五年以上前。立教大学の教授と学生の不倫が公になり、追い詰められた教授は、妻と娘と共に熱海の錦ヶ浦の断崖から車ごと海中に入水自殺した。そして女子大生の姿もまた消えた。殺されているに違いない女子大生の死体は果たして何処に埋められているのか!?最後に教授と話をしたという赤坂の女占い師の謎めいた証言なども加わって、連日テレビや新聞をにぎわしていた。死体は大学の構内か?自宅の庭か?はたまた場所が飛んで、度々教授に同行したという京都か?・・・・・・。

 

当時、多摩美大の世田谷校舎の三年生であった私は、皆がそろそろ進路を真面目に考えていた頃に、(私立探偵でもして食べていこうかな・・・)と考えていた。だから、この事件に飛びつかない筈がない。橋本の山中にある教授の別荘の近くに死体が埋められているに相違ない!!・・・私がそう目星をつけたのは、後輩から入ってきた小さな情報であった。〈橋本の山中にある教授の別荘の隣にある農家の犬が、土砂降りの雨の降る深夜に異常に吠えまくっていた〉というのである。間違いない!死体は橋本の山中に在る!!私は電車で橋本に行き、山が見えた手前のバス停で降りて、一人、山中へと分け入って行った。全く人影の無いひんやりとした山道の中を、別荘を目差して。

現場近くから見た周囲の風景

まるで火曜サスペンス劇場に登場しそうな不気味な黒塗りの山小屋風の家が、その教授の別荘であった。刑事数名と三十人ばかりの警官が必死になって捜査している、その現場に暗い山中から突然出て来た私を見て刑事は驚き、さっそく職務質問が始まった。「日本画を専攻している隣の美大の学生で、自然観察をしていますが・・・」すると刑事は、「なるほど、でもこのヒモの中へは入らないように!!」と言った。見ると、別荘の裏のテニスコートまでヒモが張られている。後輩から聞いた話では、その別荘はかつて殺人事件があり、安く売りに出していたのを教授が買い求めたのだという。という事は、同じ家で二つの殺人事件が時を隔てて起きたという事か・・・!?

 

私は捜査の実態を見たくなり、ふと目についたテニスコートの側の薮の入口に在った小さなお花畑(畳一畳くらいの広さ)の上で、持参して来た弁当を食べながら見物と決め込んだ。ふと辺りを見ると、至るところに小さな穴があいている。後日に『死体は語る』の著者の上野正彦氏の本を読んで知ったのだが、この広大な山中の土の中の死体を捜す事の困難さから、上野氏が頼まれて〈検土杖〉なるものを考案した、その痕跡がそれであった。死体は50センチよりも下に埋めると警察犬でもわからない。故に手当たり次第に空洞の鋭いパイプを地中に深く突き刺して異臭を求めるのだという。・・・食べ終えた私は、警官たちの間を抜けて隣の農家に回った。犬がいた。(・・・あぁ、この犬だな、土砂降りの中、夜中に女子大生の死体を引きづりながら、埋める場所を求めてさすらった教授の脅える心情をキャッチして吠えまくったという犬は)。表に出ると別荘の門柱までも壊されていた。警察の捜査はそこまで徹底されていた。

 

それでも死体はようとして出て来ず、時が経過していった。しかし、私がそこに行った時から半年以上が経った或る日の夕刊の一面に〈死体発見!!〉の報が大きく載っていた。やはり私の直感は当たり、別荘の裏に死体は埋められていた。その現場を示す地図を見て、私は二度驚いてしまった!!!地図のX地点には〈花畑〉と記されていた。つまり、私は女子大生の死体の真上で弁当を食べていた事になる。花畑は畳一畳くらいであったから、間違いなく私の真下である。発見には、やはり件の検土杖が役立ったと記事は記してあった。私は驚きつつも、ふとよぎる確信に近いものが次に立ち上がって来た。それは、強い日差しの中、ふとよぎったひと刷けの雲によって陽光が遮られ、一瞬ひんやりとした冷気に包まれるような、そんな感覚であった。

 

今から思えば、山の中にはいかにも不自然な花畑の人工的な存在。死体を隠す為に土を掘れば、当然、湿った土が表に出て、そこだけが違ったものとなる。捜査の目は当然そこに行く。とすれば、あの花畑の花々は、犯人がそれを隠すために植えた工作であったに相違ない。・・・私は別荘から遠く、おそらくは都心の花屋で花を買い求め、その黒い土を隠すために葉々の広い花々を植えている教授の姿が、うっすらと透かし見えてくるのであった。

 

新聞によると、死体が見つかった日は、別荘での捜査をこれで打ち切るという、まさにその前日だったという。或は、女子大生の最後の念がそこに動いてでもいたのだろうか。とすれば、埋められている自分の上の地表にいた学生さん―つまり私は、少し重たかったのではあるまいか!?しかし、それにしても現場で犯人の工作に気付かなかった私は未だ未だシャーロック・ホームズにはほど遠い。・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんな遠い日の事を思いだしながら、私は審査会場へと入っていったのであった。

 

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『賀正・2014年』

新年あけましておめでとうございます。

今年もメッセージを御覧いただきたく宜しく御願いいたします。

 

旧年末に軽井沢の美術館から趣のある贈り物が送られて来た。高さ1メートル近い包箱。開けてみるとなんと鉢植えの大きな牡丹であった。私は牡丹の花が好きである。その特異な気を持った牡丹のことを与謝蕪村は題材に取り上げ、およそ27の句を詠んでいる。〈牡丹散りて 打かさなりぬ 二三片〉〈広庭の 牡丹や天の 一方に〉〈山蟻の あからさまなり 白牡丹〉〈方百里 雨雲よせぬ ぼたん哉〉・・・・・。蕪村はいい。そう云えば新年の初日の出を詠じた蕪村のまぶしいことほぎの句がある。〈日の光 今朝や 鰯のかしらより〉

 

今年はさっそく1月から作品の発表がスタートする。東京日本橋の「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」の企画で、『絶対のメチエ ― 名作の条件』展に私の版画を5点出品する事になっている。出品作は他に、ルドン、ヴォルス、エゴン・シーレ、フォートリエ、ルオー、ゴヤ・・・・.日本からは駒井哲郎、加納光於,斎藤義重、長谷川潔、浜口陽三、そして写真家の川田喜久治。展覧会の会期は1月25日(土)から4月20日(日)までと長い。この展覧会については、又、このメッセージにて詳しくお知らせする予定である。

 

さて私は、年末も正月もなく制作に没頭している。3月15日(土)から銀座1丁目にある画廊・中長小西で始まる個展の新作を制作しているのである。中長小西での個展は今回で二回目であるが、オーナーの小西哲哉氏の鋭い美意識を映した空間は、《美》にこだわる私の感性を突いてきて、自ずとテンションが高くなり、新たな試みへの意欲が強く湧いてくる。個展の主題はダンテの「神曲」から想を立ち上げたもので、また私の新しいイメージ展開を御覧いただきたく思っている。今年は久しぶりにイタリアへの写真撮影に行く事も予定に入っているので、昨年以上に多忙な一年になる予感がする。ともかく、新しい一年が始まったのである。

 

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