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『絶対のメチエー名作の条件』の事が展覧会評に掲載されました。

前回このメッセージ欄にてご紹介した展覧会『絶対のメチエー名作の条件』の事が、2月26日の毎日新聞の展覧会評に掲載されましたので、ご紹介します。まだ展覧会をご覧になっておられない方は是非ご覧下さい。

 

『絶対のメチエー名作の条件』の事が展覧会評
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『絶対のメチエ ― 名作の条件』

4月20日(日)まで、東京メトロ半蔵門線「水天宮前」駅近くにある美術館「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」で『絶対のメチエ ― 名作の条件』と題する展覧会が開催中である。出品作家は、ルドンエゴン・シーレヴォルスフォートリエルオーホックニー、サルタン、メクセベルゴヤ、そして日本の作家は、加納光於駒井哲郎川田喜久治斎藤義重浜口陽三長谷川潔、そして私を含む計16名である。この展覧会の立ち上げに際し、私は美術館から顧問としてアドバイスを求められたので、展覧会名とその主題(名作とマチエールとの必須関係)、そして出品作家に写真家の川田喜久治氏を加える事によって、〈マチエールとはただ単に表象の物質感を指すという安易なものではなく、見えるものと見えざるものとの両義性を孕むミステリアスな問題である〉という、この展覧会の主旨が明瞭に立ち上がる事などを提案した。思えば、作家も評論家も気付いていない事の一つに、美術の分野から「名作」という言葉が冠せられるような作品が生まれなくなってから久しいものがある。特に版画の分野では・・・・。私はその辺りの事を、先月号の美術誌の『美術の窓』に書いているので、その文の冒頭をここに記しておこう。

 

「芸術とは、元来私たちの感覚の髄を突いてくるものであるが、その強度が薄くなったあたりから、現代の美術表現の迷走が始まったと言えるであろう。わけても今日の版画家たちの作品が見せる衰弱ぶりは、目を覆うばかりである。― 求心性を欠いた曖昧な主題、未熟なメチエ、その核であるべきマチエールの不在、そして何よりも表現者本人の批評眼の欠如。この展覧会は、そういった状況に対する懐疑から立ち上げた〈美の襲撃〉といってよい、秘めた主題をも孕んでいる。」(後略)

 

1月25日から始まっているこの展覧会はかなりの盛況で、多くの版画ファンたちが訪れて、自問するように長時間をかけて、じっくりと作品との無言の対話を交わしているという。私は初日に訪れてみて、写真家の川田喜久治氏に加わって頂いた事が正解であった事を確信した。川田氏の代表作のひとつとも言える、イタリア・ボマルツォの怪物庭園を撮った「地獄の入口」と題する写真作品は、私とルドンの作品の間に展示されているのであるが、その強度なマチエールが放つ光と闇の輪舞の凄みは、写真の意味を〈記録〉にしか見ない凡百の写真家たちや現代の版画家たちに、痛烈な美と魔の刃の切っ先を突きつけているのである。そして、ルドンの代表作、駒井・加納の秀作、ホックニーの最高傑作、またメゾチントの表現の地平を切り開いた長谷川・浜口両氏の作品が初めて並ぶ事など、本展の見所は多く、この展覧会に寄せる学芸員の方たちの情熱が伝わってきて、見応えのある内容になっている。また併せて、〈銅版画という硬質な表現における可能性とは何か!?〉を問い続けながら形にして来た、私の作品も御覧いただければ嬉しいかぎりである。

 

さて、今の私は、3月15日から銀座の画廊・中長小西で開催される二回目となる個展『反重力とバルバラの恩寵 ― ダンテ「神曲」地獄篇より』のための制作で、ほとんど毎日、アトリエの中にいる。既にコラージュ40点近くは作り上げ、今はオブジェの新作に取り組んでいる。先日降った雪がアトリエから見る庭を白く染めはじめ、それが次第に積もり、なおもしんしんと降り続く白の抒情は、私のノスタルジックな情感を呼び起こし、オブジェに注ぎ入れんとするポエジーの核とリンクして私を喜ばせた。雪は、雪国で育った私の遠い記憶を突いてきて、私を元気にしてくれる。その時、作品と向かい合っている私は今の私ではなく、幼年の時の私がそこにありありといるのである。

 

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『何故か・・・隅田川』

フランスのカレーからドーバー海峡を渡ってイギリスに入った時は、あいにくの雨天であった。ホームズが逃げる犯人を追ってチャリングクロス駅から乗った列車を想わせるような三等列車に乗ってロンドンへと向かう。雨足はさらに激しくなり、テムズ河の鉄橋を渡る時は眼下は逆巻く濁流であった。私は眼下のテムズ河に1889年にそこで水死体となって発見された青年ことジョン・ドルイットの事を想った。澁澤龍彦が独自の調査で〈切り裂きジャック〉の犯人と断定した男である。私はその逆巻くテムズ河を見ながら、・・・何故か隅田川の姿がふと重なった。テムズ河と隅田川が何故か同じ血脈のように似ていると思ったのである。

 

「フランスのセーヌ河でなくてテムズ河です。隅田川とテムズ河が何故か似ていて、その類似点が何か知りたいわけですよ。どう思われますか・・・?」私は目の前の人物にそれを問うていた。目の前の人物とは、かの三島由紀夫もその博覧強記ぶりを評価したドイツ文学者の種村季弘氏である。種村氏は腕を組みながら頭をひねってしばし考えた後に、絶妙な答を返してくれた。「つまり、それは川幅だな。どちらも一方の河岸から殺人を犯した犯人が河に飛び込んで、どうにか対岸に辿り着けて逃げ切れる距離。そして、その対岸の先に待ち受けているのは異界。・・・これだな」と。「あっ、それだ!! それを知りたかったわけですよ。」と私。テムズ河と隅田川。・・・・・・そう、確かにどちらもミステリーがよく似合う。

 

谷崎潤一郎の小説『秘密』は、その隅田川周辺を舞台にした、唯美にしてマゾヒズム的な綺譚小説である。この小説に描かれているごとく、隅田川周辺は、いつもとは違う路地を一本入れば日常を隔てたような異界に迷い込んでしまうのでは・・・と、ふと思わせるような気配が今も残っているエリアである。

 

そのような一角、柳橋の隅田川河岸近くの一角に、ギャラリーという言葉ではくくれない不思議な趣の(展示空間)兼(書店)兼(カフェ)がある。名前は『パラボリカ・ビス』。主宰は、〈帝都モダン〉から放射したような企画、例えば〈夢野久作〉〈上海〉や、更には〈ハンス・ベルメール〉などの好企画を『夜想』という、骨太の筋の通った雑誌で発信し続けている今野裕一氏である。その『パラボリカ・ビス』で2月8日(土)~23日(日)まで『北川健次+夜想コレクション展』が開催中である。春は名のみの風の寒さがまだ続いているが、隅田川河畔の桜の蕾は、すでに官能めいた含羞の膨らみを帯びている。ぜひ行かれたし。されどおすすめしたい時刻は、「黄昏(たそがれ)」の語源でもある「誰そ彼」の夕暮れ時が,最もふさわしいと私は思っている。

 

『パラボリカ・ビス』

東京都台東区柳橋2-18-11

TEL..03-5835-1180

月~金(13:00 – 20:00)

土日祝  (12:00 – 19:00)

 

*『夜想』の次の刊行主題は「カフカ表現」(2014年春刊行予定)であるが、その為の展示も2月23日(日)まで開催中。拙作の「フランツ・カフカ高等学校初学年時代」(銅板画)も特別に展示されているので併せて御覧頂きたい。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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