月別アーカイブ: 4月 2014

『滞欧日誌 — ミラノ』

ミラノ・ストレーザ・パドヴァ・ヴェローナ・ヴィチェンツァ・フィレンツェ・ローマを駆け足で巡る12日間の旅が終わり、25日に帰国した。不測の事態やアクシデントにも出会ったが、今後へとつながる良きイメージの充電の旅であったかと思う。

 

成田からアリタリア航空の直行便でミラノ・マルペンサ空港に着き、バスでミラノ中央駅へと向かった。駅が近くなった辺りで、線路沿いに鉄道官舎が見えて来た。瞬間、私は須賀敦子さんのデビュー作『ミラノ 霧の風景』の中の一節を思いだした。「・・・夫の父が鉄道員だったので、彼の実家はローマ・ミラノ本線がミラノ中央駅にさしかかる最後の登り坂の線路沿いの鉄道官舎にあった。・・・」という一節である。正直な話、私はミラノがあまり好きではない。空襲によって趣のある建物は破壊された為に歴史の澱(おり)を伝える風景に乏しく、情緒に欠ける都市だからである。しかし須賀さんはそのミラノを、美しい日本語で詩情豊かに織りあげている。須賀さんが日本を出てイタリアに着いたのは1953年の夏。当時、全く日本人のいない異国に在って須賀さんの拠って立つものは、美しい日本語が孕む抒情の豊かさではなかったかと私は思っている。それが熟成した果てに須賀さんは奇跡的なまでにと言っていい、美文の著書を次々と刊行して逝った。眼前に広がる対象とは、現象学的に見れば等しく同一なものであるが、実は一様ではなく相対的なものではないだろうか。まことに対象とは、見る者の内面が投射したものであり、内面に深い詩情があれば、対象もまた豊かな詩情を孕む。このように書く私には、更に課題が与えられたといっていいであろう。

 

ミラノから列車で1時間半。スイスとの国境にあるストレーザに行く。以前のメッセージで記したとおり、ここに在るマジョーレ湖に浮かぶ島、イゾラ・ベッラ島を訪れるためである。駅から湖へと行く途中に壮麗な館かと見まがうホテルが見えてきた。かつてヘミングウェイが『武器よさらば』を執筆した建物である。22年ぶりの再訪であるが、この日は波が荒く、霧が少し出ていた。船に乗って島へと向かう。今も子孫がミラノに住む、貴族ボロメオ一族の宮殿とバロック庭園がこの島には残っている。宮殿の中の一室、部屋の八方の窓からはただ湖の広がりだけが見える寝室に在る天蓋付きの巨大なベッドは、かつて一夜だけナポレオンが使用したと伝わる物であるが、まことにこの建物は、地下は涼を取る為に無数の貝を全面に敷き詰めた奇想のグロッタの部屋まであって、豪奢の一語に尽きるものがある。

 

分裂症的と云おうか、自動記述的と云おうか、私の連想はこの館の中に在って、ノイスバンシュタイン城の城主〈ルードヴィッヒ〉へと飛び、ヴィスコンティ監督(この人物のルーツも凄い!!)の映画『ルードヴィッヒ』に出演した女優ロミー・シュナイダーの顔が立ち上がって来た。「〈美〉は、〈醜〉が大急ぎで回転した時に、ふと瞬間的に見せる一様態である。」という言葉が在るのを、ご存知だろうか。本来、美と醜は二元論的に対立するものであるが、このレトリックに富んだ言葉は、醜の中に美を孕ませるという一元論で〈美〉を語っていて私には興味深い。それとロミー・シュナイダーがどう結びつくかというと、この女優の顔は見方によって美しく、かつ見方によってはアンバランスに私には映って、いささか気になる人物なのである。

 

昔、学生の頃に東宝の撮影所で〈セット付き〉というバイトをしていた折、悪さをして勝新太郎からもの凄い迫力で怒鳴られ、説教されたという話は、古いメッセージで書いた。その翌日に私に任された仕事はハウス食品のCM撮りであったが、私のセット付きとなる人は吉永小百合であった。しかし実際に見て、あまりに均整の取れたその顔に私はまったく興味を覚える事が出来なかった。一言でいえば、アンバランスさの無いその顔が、全く面白くなかったのである。

 

それに比べて、ロミー・シュナイダーは〈美は乱調に在り〉の言葉のとおり、構築と破壊のベクトルがあってなかなかに面白い。画家のダリは、ケネディ大統領夫人のジャクリーヌについて、〈ジャクリーヌは目と目が少し離れ過ぎている。しかし、あれが良い!!〉と語っているが、まぁ、それにちょっと近い話である。毒とポエジーを孕んでこそ、美は完全なものとなる。不均衡ゆえの均衡は、それを見る人の視覚を揺さぶる。私はその事を旅の最終の地、ローマにおけるバロックの洪水で体感する事になるであろう。

 

・・・・・湖に浮かぶこの島の庭園には一角獣の彫像をはじめとして奇想の彫刻が様々に点在し、その広い庭には白い孔雀が何羽も放たれていて趣が尽きない。彼方に見えるアルプスの連山の頂には残雪が白く映えていて、マグリットの絵画『アルンハイムの地所』をふと想い出す。波は穏やかになって来たが、既に夕暮れが近くミラノへと戻る時間である。「私たちは、なお去り難い気持ちで、ひたひたと波の打ち寄せるマジョーレ湖畔の岸壁を眺めていた。遠くでは、イゾラ姉妹が夜会服に着替えたようだった、宝石をいっぱい飾って・・・・・」澁澤龍彦の紀行文『マジョーレ湖の姉妹』の最終の一節であるが、私もまた同じような気分で、この地を後にしたのであった。

 

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『晴子・浅草・マジョーレ湖』

ミュゼ浜口陽三で今月20日まで開催中の『絶対のメチエ ― 名作の条件』展は、連日たくさんの来場者で賑わっている。先日、私が行った時には美術大学の学生が目立った。おそらく版画家を目指しているのであろうが、皆が熱心に見入っている。普段は名作と称されるような作品に接していないのか、眼と精神の飢えが彼らを沈黙させている。パソコンの画像ではなく、実際に本物の前に立って直視する事。豊かなる体験とは、そういうことである。地方の美術館での巡回展を望む声もあるが、20日で本展は終了する。未だご覧になっていない方には、ぜひのご高覧をお勧めしたい充実した展覧会である。

 

先日の小保方晴子嬢30歳の会見は、サムラコウチよりは面白かったが、底意が見え見えの浅いものであった。純粋客観をもって諒とする科学者と比べ、主観・思い込みの激しさを常とするこの女性。適性を欠いたこの人物をリーダーに配した理研。そのどちらも茶番の極みであるが、そこに巨額の税金が投じられている事の実態は、そのままこの日本の構図の断片であろう。

 

先の会見、その感想を三島由紀夫の戯曲風に書けば、以下のようなものになるであろうか。「あぁ、晴子お嬢様。貴女のその眼にかかれば、この世で見えないものなど何もないのですね。その水晶体の硬い煌めきの奥には、バビロンの空中庭園も、アレクサンドリアの大灯台も、それから・・・・始皇帝が夢見た不老不死の火の鳥の、高みを翔ぶ銀の羽撃きさえも、何もかもが、ありありと立ち上がるのですわ。今、そこに無い物が、あぁ、晴子お嬢様、貴女にだけはそれが見える!!・・・・それは観念や幻視のうつろいを越えた、もはや一篇の詩だわ!!そこに孤独や罵倒があるとしたら、それこそが恩寵の賜物・・・・、そう、それこそが絶対の恩寵なのですわ。」

 

昨日、私は江戸期に生きた二人の天才の墓が見たくなり、浅草へと向った。二人の名は、平賀源内と葛飾北斎。北斎の墓があるのは誓教寺、しかし源内の墓は橋場という所に在るが、寺は移って墓のみが史跡としてある。源内のように多才にして風狂たらん事を欲し、また北斎のように突出した存在となる事を私は自らに課して来た。しかし未だ未だ道半ばである。北斎の墓の側面に彫られた辞世の句「人魂で  ゆく気散じや 夏の原」の文字が実に美しい。帰りに浅草六区に立ち寄り、かつてその地に聳え立っていた凌雲閣(浅草12階)を想像のうちに透かし見た。悪魔が人間たちに異界の幻妙さを見せるために建てたといわれるこの高楼。実際に建てたのはイギリス人の建築家WK・バートン。この人物は後に日本全国の水道局の建物を作り続けたのであるが、それらの建築がことごとく美しく、又、幻想的である。誰もこの人物に着目していないのであるが、私は時間を作って、この幻視の建築家の生涯を調べてみたいと思っている。

 

さて、先に私はバビロンの空中庭園について触れたが、それを現実に模して建てた場所が、イタリアとスイスの国境近い、マジョーレ湖の水上の島に存在する。1630年頃に貴族のボロメオ家の当主カルロ三世が奥方のために造営した別荘があり、三つの島(イゾラ・マードレ・イゾラ・ペスカトーリ・イゾラ・ベッラ)から成る。庭園は五階層のテラスで豊富な植物が茂り、雉や白孔雀が遊歩している。島の一番高いテラスには大小の彫刻群がそそり立つ円形劇場やグロッタの洞窟が在る。私の今回のイタリアでの最初の撮影は、このマジョーレ湖から始まる。20年前の夏に私は一度この地を訪れているが、また再び来ようとは!!この場所に関する記述はジャン・コクトーの『大膀びらき』や、澁澤龍彦の『ヨーロッパの乳房』所収の「マジョーレ湖の姉妹」にその詳しい言及がある。ご興味のある方はご一読をお勧めします。

 

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『コレクターと私との豊かなる関係』

銀座の画廊・中長小西での個展が盛況のうちに終った。出品していたオブジェが全て完売し、コラージュも、その多くがコレクターの方々のコレクションになっていった。前回のメッセージでも書いたが、作者である私にとっても制作後にすぐに個展となったために、会期中のみの作品との対話であり、早々とした別れとなってしまった。しかし、それで良いのである。

 

今回の個展でも、今まで存じ上げなかった(以前からの私の作品の熱心なコレクターの)方々とも知り合う機会が多くあった。そしてつくづく実感する事は、私のコレクターの方々は、一部で流行のサブカルや浅薄な作品に全く見向きもしない、骨太の、さらに言えば一流の眼識を持った人達であるという事である。「コレクションするという行為もまた、創造行為である。」という私の持論を裏付けるように、私の作品のコレクター諸氏は、馥郁とした豊かな想像力を各人が持っており、その強い眼差しを受けて、コレクションされた私の作品は生き続けていくのである。作家もそうであるように、コレクターにも一流から三流まで様々に存在する。これは間違いのない事である。そして20代から80代まで幅広い、強度な眼識を持ったコレクター層が広く存在しているという事が、私の大きな自信であり、またそれが強い支えでもあるのである。間違いなく、私のコレクターの方々の数は更に確実に増え続けている。

 

さて、個展が終った今、私の頭の中は、久しぶりのイタリアでの写真撮影の方へと切り変わっている。今、私は〈カメラ・オブスキュラ〉という、フェルメールが使った暗箱の原器のような物を作り、それを撮影に持っていこうとしている。この方法が上手くいけば、写真史に類例のない試みと成果が成されるであろう。写真家が束になっても出来ない斬新な切り口による表現、それを私は考えているのである。ミラノ・ジェノバ・ヴィチェンツァ・フィレンツェ・そして最後はローマ。旅は日常性を離れた感覚が立ち上がり、私は新たなるイメージの充電も計っている。

 

さて、私の本の出版は7月20日頃と決まったとの由。先日、画廊に来られた担当編集者の方から伺った。あと三編の執筆にも取り組まなければならない。オブジェやコラージュは〈暗示〉によるイメージの伝幡であるが、文章は真逆である。深い内容を、分かり易い言葉を持って確実に伝えねばならない。この事も含めて、旅行の前にもう一度、私はメッセージを書く事になるであろう。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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