月別アーカイブ: 11月 2014

『眼』

先日、私は銀座の或る画廊で、知人から50歳前後のたいそう美しい女性を紹介された。その場でその人としばらくは絵の話をしていたのであるが、何故か急に川端康成の事が私の頭に浮かんだので、川端文学に話題を切り変えた。

 

するとその女性は突然、「実は私、一度だけ川端康成を見た事があるのです」と語り始めた。その女性が少女だった頃の或る日の午後、鎌倉八幡宮の交差点角で家族と車に乗っていたが、渋滞のために車が動けなくなっていた。すると車窓の前に川端康成が黒い影のように急に現れ、未だ少女であった頃のその女性の顔を突き刺すようにして、あの独特の鋭い眼、獲物を狙う大きな鳥のような眼でじいっと食い入るように視線を走らせてきたのだという。「あの時の川端の眼の怖さは今も忘れる事が出来ない」のだと、その女性は語った。しかし何より驚いたのは、その翌日のテレビや新聞で知った〈川端康成 ― ガス管をくわえたまま自殺!!〉の報道であったという。川端康成は、その前日の午後3時に自室のある逗子マリーナに到着し、17時半に布団をすっぽりとかぶってガス管をくわえ、18時に絶命した、と当時の新聞は報じている。1972年4月16日の事である。

 

…… この記事から察すると、川端はその少女を見た直後に死地である逗子マリーナへ直行した事となる。その女性が当時どのような少女の顔・そして目をしていたかは知らないが、さぞやと想わせるものが、私の前にいる女性には漂っていた。よく知られている事であるが、川端のあの鋭い眼は禽獣(きんじゅう)のそれに例えられる。そして少女のみが持っている叙情性の無垢なるものを、その眼で犯し続け、異常にして普遍なる美を紡いできた人物である。少女はさぞ驚いたであろうが、視点を川端に移せば、川端にとっても、その少女に、つまりは獲物としての最後の少女のそのありように出会ってしまった事は、死へのターニングポイントとなる事故のようなものであったのかもしれない。…… そう想って私はその女性の目を見た。すると瞳孔の奥から、かつて訪れた事のある伊豆・天城山中の暗い隧道(トンネル)の光景の事が浮かんで来た。青年時の川端が踊り子の後を追って抜けた、昼なお暗いトンネルである。

 

そして私は思いだしていた。川端康成が死してなお幽霊となって現れている事の、その目撃者が実に多いという事を。私の知人は、数名の文学部の友人たちと鎌倉の長谷にある川端の自宅庭の北山杉の下で全員が目撃し、そして詩人の瀧口修造は夫人と共に西落合の自宅の玄関に深夜に川端康成が現れてスッと消えている。…… 私はその川端と瀧口の、一見交わりの無い二人の接点について考えてみた事があった。それはおそらく、時間軸を自在に飛ぶという意味でのシュルレアリスムへの川端の関心と、共に執筆した事のある同人誌『山繭(やままゆ)』であろう。

 

川端が晩年に愛したのは「仏界入り易く、魔界入り難し」という言葉であった。確かその言葉は一休禅師のものであったと記憶する。抒情とは、水底に無尽蔵の狂気と魔がくぐもっている、その水面(みなも)の静けさを映した言葉である。私は今回の個展に出品したオブジェの中の数点に抒情性を立体的に立ち上げるという試みをしているが、抒情とは何かについて考える時に、決まってこの川端康成という存在が浮かんでくるのである。

 

 

 

 

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『個展を終えて』

高島屋美術画廊Xでの個展が盛況の内に終わった。毎年連続の6回目であるが、出品数も今までで最多の90点近い数!! その内の実に過半数を超える作品が、多くのコレクターの人達のコレクションになっていった。作品が売れるという事は、作品に対する何よりも確かな批評である。現在形の私の仕事が多くの人々に評価されたという事の証しであろう。来年の秋も美術画廊Xでの個展が企画として早々と決まっている。少しづつではあるが、さらに実験性を含んだ新しい領域へと、私の意識はすでに動き始めている。

 

 

個展が始まったのは、未だ暖かさを残した10月20日頃。三週間後の個展が終わった時は晩秋から既に冬への早い移ろいを見せていた。しかしそれでもアトリエの庭には、皇帝ダリアや薔薇が美しい映えを見せており、秋のやわらかな名残りがそこには残っていた。

 

 

 

今年の作品発表はこれで終わりである。しかし、1月からは横浜高島屋での個展が入っている。思い返せば今年も多忙であった。年明けから、中長小西でのダンテの『神曲』を主題とした制作に没頭し、三月に個展を開催。そしてすぐに富山のギャラリー図南の個展の制作。そしてイタリアへの撮影と充電を兼ねた旅があり、その後で、6月に刊行する『美の侵犯 ― 蕪村 X 西洋美術』の三篇(ルオー・マグリット・ミレー)の追加執筆。ギャラリー図南での個展開催。本の校正。そして6月末に『美の侵犯 ― 蕪村 X 西洋美術』が求龍堂より刊行。7月から高島屋美術画廊Xの個展の制作に入り、三ヶ月半で90点近い新作を制作。10月20日からその個展『Stresaの組鐘 ― 偏角31度の見えない螺旋に沿って』を開催・・・・・と続いて来た。「恐るべき集中力」という言葉で私を評したのは池田満寿夫氏であったが、その池田氏自身、銅版画史における名作『スフィンクス』シリーズを、僅か三週間で完成させている。「考えるは常住の事、席に及びて間髪を入れず」と芭蕉は記しているが、実作に入る前の日々の中でイメージは常に発酵と逡巡がくり返されており、実作とは、最後の詰めとしてのフォルム化の謂に他ならないのである。

 

高島屋での個展開催中に信濃毎日新聞の記者の方が会場に来られ、原稿の執筆依頼をされた。今、連載中の『私のなかの池田満寿夫』への執筆である。今迄に細江英公氏(写真家)・窪島誠一郎氏(信濃デッサン館館主)・野田哲也氏(版画家)他、親交があった人が続き、私にその順番が巡って来たのである。私は喜んで快諾したが、おそらくは池田氏のアメリカ時代の作品について書く事になるであろう。多くの人々はヴェネツィア・ビエンナーレ大賞までの作品を評価するが、私はアメリカ時代に見られる特異で豊かなポエジーと、何よりも氏の才能におけるエスプリの巧みさをこそ、最も評価しているからである。原稿の〆切は今月の26日。そして、その翌日からは北海道の岩見沢での4日間の集中講義が予定されている。書き忘れたが、私は今年の7月に福島大学にも講義で訪れていた。今の20代はメンタル面が薄くなったといわれるが、さにあらず、時としてハングリーな鋭い眼光を放つ若い人材もいるものである。そこに自分の20代の「時」を重ねてみるという一興も、また楽しいものである。

 

 

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『裂けた傷口の中から』

個展も会期が残り三分の一を残す事となったが、今回はいつにも増して来場者が多い。来られた方に伺ってみるとツイッターでの私の個展の感想を見て興味を持って見に来たとの由。若い方から年輩の方まで幅広い世代の方がじっくりと作品に見入ってくれている。さて先日は、熊本から、そして富山や福島などの遠方からも、私の作品を多く所有されているコレクターの方々が来られ、自らの眼力に叶う作品を、各々に求められていかれた。その選択眼には確かなものがあり、私を熱くしてくれるものがある。見事なものである。

 

先日は同じ日に、美術評論家の本江邦夫氏・高階秀爾氏・谷川渥氏・中村隆夫氏等が各々に来られ、谷川渥氏は拙作『ベルニーニの飛翔する官能』を購入された。草間彌生さん、加納光於さん等、多くの作家からテクストの御礼として作品をプレゼントされる事が多く、それだけで展覧会を開けるくらいの数があるらしいが、自らが購入するのは初めてとの由。その作品『ベルニーニの飛翔する官能』は、天才彫刻家ベルニーニへのオマージュも秘めた作品であり、この国の美学の第一人者である谷川氏ほど、その作品をコレクションされるにふさわしい人はいないように思われる。氏の書斎で、静かにその作品は生き続けていくのであろう。このように、作品とその人がピタリと合致するケースが多く、作品が幸福な形でコレクションされていっている。・・・もしかすると、作品の側も、〈その人〉が現れるのを静かにジッと待っているように思われる時がある。

 

私より年上の表現者で、私が尊敬し、かつ生きる上での範としている作家は、美術に限ってはもはや皆無である。美術を超えれば、写真家の川田喜久治氏の存在があるのみである。その川田氏が先日、画廊に来られ半年ぶりに近況を伺った。川田氏は今月の25日から2015年3月15日まで,ロンドンのテートモダンでの大きな写真展『Conflict,Time,Photography』への出品と、ロンドンでの個展、そしてボストン美術館での出品と多忙な日々を送られている。私もこれを機にロンドンを訪れ、彼の地での川田氏の写真を拝見したいと思っているのであるが、何とかタイミングを見つけたいものである。しかし、個展の後すぐに私は北海道教育大学(岩見沢)での集中講義の予定がすでに待っている。

 

個展会場にいると、自分の次なる可能性の〈胚種〉のようなものが少しずつ見えてくる。何かの瞬間に、傷口がパッと裂けるように、未だ形を成していない、新たなる自分の生々しい未生の姿をそこに見てハッとする事がある。個展が終了する10日まで、今しばらく自分との対話が続いていく。

 

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