月別アーカイブ: 6月 2015

『京・三条小橋・池田屋の跡で』

今から30年ばかり前の或る夏の昼下がり、私は京都・清水の産寧坂の石段下の茶店で〈かき氷〉を食べていた。4泊ほどの小旅行の時である。食べていて、ふと何故か急に・・・(元治元年六月五日の池田屋事変の現場跡は今はどうなっているか)が急に知りたくなり店を後にした。八坂神社・祇園を抜けて北上し、三条小橋畔に至ると、池田屋事変の碑が在り、そこには小さなビルが建っていた。中に入り、階段を上ると、そこは古書店になっていた。名を『アスタルテ書房』という。入って一目見て驚いた。まるでリラダンの書斎のような趣のある中、幻想文学関連の、今では貴重な古書が整然と本棚に並んでいる。その間の高みに澁澤龍彦の書いた「魔」という一文字が額装して掛けてある。かつて近藤・土方・沖田・永倉たちが、長州や土佐の志士たちと死闘を演じた生々しい「血の空間」は、今は一転して「知の空間」と化していたのである。ふと気付くと文学青年風の長髪の店主が本を読みながら涼し気な目をして椅子に腰掛けている。(・・・この男、只者じゃないな)。そう思いながら数冊の本を買い求め、初めてこの店主と言葉を交わした。渡された名刺を見ると、「佐々木一彌」と書いてある。「池田屋・・・そして、・・・佐々木」。私はこの名字に心当たりがあり、こう切り出した。「池田屋事変の後、主の池田屋惣兵衛は六角の獄で亡くなり、その後は、新選組に切られた志士の幽霊が出ると云われ、池田屋は廃業し、その後に建った旅館の名が・・・確か、佐々木旅館。・・・という事は、あなたは子孫の方ではないですか!?」と。先祖の事をマニアックに知っている初めての人間に出会った事が嬉しかったのか、驚きながら、店主の佐々木さんははじめてニッコリと笑い「そうです。」と言った。私も自分の名を告げると、佐々木さんは再び驚いた。私の名前を知っているだけでなく、数点、私の作品も所有していたのであった。私たちはすぐに親しくなり、以来、京都へ行く度に、佐々木さんの店に行くのが楽しみとなっていたのである。店は、生前に澁澤龍彦がこの書店の質の高さに驚き、「絶対に一冊も本を売らないように!!」と無茶な願いを佐々木さんにした程に、いつ訪れても中身が充実していた。残念ながら、佐々木さんはやがてこの場所を離れて三条御池のマンションに古書店を移し、現場跡のビルは、不二屋から様々に店が変わり、今では当時の面影は全く無くなって既に久しい。

 

今年の四月頃に佐々木さんから病気回復の手紙を頂いて、その後の体調が気になっていたのではあるが、今月の15日に、急性骨髄性白血病で急逝されたとの報せが入ってきた。毎年頂く年賀状には、三月に急逝した金子國義氏の粋な絵が印刷されたのが入っていたが、奇しくも金子氏の後を追うように逝かれてしまったのであろうか。享年61歳。彼の蔵書は古書市に出て分散していくとの由。密かに、そのデカダンな生き方を注視していただけに実に惜しまれる、早い死である。

 

・・・それにしても、思い返せば私は何故あの時、急に池田屋の跡が見たくなって行ったのであろうか。何かに引き寄せられるようにして私たちは出会ったのであるが、もしあの時思い立たなかったならば・・・私たちは出会う事は無かったように思われる。・・・人生の出会いとは、不思議なものである。

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『私のスタジオ』

テレビや美術雑誌などで画家の仕事部屋が紹介されると、決まって判で押したように画室然とした光景が、そこには映っている。壁には額や、絵の具などの画材が整然と並び、中央には大きなイーゼルが置かれていて、一見してその部屋の主の顔さえも目に浮かぶようである。それに比べると、私の部屋はかなり異質なものであるかと思われる。堆く山積みにされた本の数々、ガラスの医療戸棚の中に配された風景大理石や外国の様々な写真、使途不明の様々な器具の断片、中世の羊皮紙や書簡の束、棚にはカメラや原稿用紙、そして主に、イギリスやベルギーで購入した鳥籠や昆虫採集の道具類、そして断片と化したコルセット人形、壁にはルドンゴヤベルメールデュシャンホックニー駒井哲郎中西夏之他の版画etc、そして写真家、川田喜久治氏の代表的なオリジナル写真などが所狭しと掛けられ、床には、作りかけのオブジェやコラージュ、そして次なる作品の為の様々に切り取られたイメージの断片が、その出番を待っている。・・・・・・・・まるで、部屋が錯綜した一つの迷宮と化している。

 

20代~30代の半ばまでの銅版画の制作のみに専念していた頃は、私がその作り手である事を示す物で仕事部屋は占められていた。しかしその後、オブジェや油彩画・・・・そしてコラージュへと表現の幅の広がりと共に、私の部屋は多様さを増していった。その後、写真集を刊行するまでに、写真への意欲が増し、更には詩や美術論に関する執筆へと広がって、私の仕事部屋はいよいよ混沌となっていった。云わば、様々なジャンルの十字路的な所に私は立っているようなものであるが、この先、今迄とは異なる油彩画表現の開示が眼前に立ち上がっている事を思えば、表現の多様さは更に広がりを見せ、それを映すように部屋の混沌は、まるで家を覆う蔓草のように収まる所を無くしていくのであろう。しかし、この仕事場こそが私の王国。幼年期からの変わらぬ感性が全く褪せる事なく息づいている夢の領土、秘密の空間なのである。・・・・間違いなく大人になり損ねた私とは、果たして何者なのであろうか。梅雨のこの頃に、ふと自分の顔を鏡に映して、珍しい物を見るように、自問することがある。

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『激震の夜に — 勅使川原三郎氏と』

3.11の地震の後、私はある時、友人と『身の不運』について話し合っていた。何が身の不運かといって、深い地下を走る地下鉄に乗っている時に地震に遭遇する事ほど不運な事は無いだろう ・・・という話であった。私は「まぁ、私は運が強い方だから、まず有り得ない話だけどね」と言って、私と友人は別れたのであった。それから数年後、・・・ つまり先日に、震度4の地震が続けて東京を襲ったのであるが、あろう事か、私はその二つとも、地下鉄の車内で遭遇してしまったのであった。一つ目は浅草線の三田駅近くで、もう一つは丸ノ内線の荻窪駅を発車してすぐに。車内放送が、混乱した内容を早口で告げていた。「地下鉄は安全に作られていますので絶対、大丈夫です!!」「念のためにお手持ちのカバンなどがありましたら頭に上げて覆ってください!!」と。今、列島の地下深くであきらかに連鎖的な地殻変動が起きている。地霊が不気味にその目を開いたのである。・・・ 私はこの足下の不穏な凶事の気配が好きである。

 

3.11以来の激震が関東一円を襲う数刻前に、私は荻窪のダンススタジオ「カラス・アパラタス」で、勅使川原三郎氏と三時間ばかりの長い対談を交わしていた。同席は、ダンスでその突出した表現力が国際的に高く評価されている佐東利穂子さんと、「KARAS」のスタッフの方々である。その一週間ばかり前に勅使川原氏の事務所の方から連絡が入り、この日の対談が実現したのである。

 

対談の前に、勅使川原氏のソロによる『神経の湖』の公演があり、私は、その完璧とも云える表現力の冴えに酩酊の感を覚えたのであった。勅使川原氏はデビューした瞬間から“伝説”に入ってしまう程の才人であるが、時を経て更に洗練と深化が増し、私はそこに確かなる「視覚化されたポエジー」の永遠性へと連なる屹立を見たのであった。氏と交わした対談の内容は、録音していなかった事が悔やまれる程に面白いものであったが、私は言葉を通して、ずいぶんと氏の内面に接近出来たように思う。話の途中で勅使川原氏は、おそらく誰にも見せた事がないであろう、様々な視覚情報を写したコピーを私に見せてくれた。それは「水」に関する様々な、文脈を異にする写真の数々である。これらをフラッシュで見ながら、新たなる表現世界を、詩を紡ぐように、ゼロから立ち上げていくのであろうか。・・・・・・ このような貴重な物を見たのは私は二度目である。一度目は20数年前、天才舞踏家の土方巽の奥様の元藤燁子さんから、「あなたの何かの参考になるならお貸しするわよ」と言って渡された土方巽氏による手製のスクラップ帖であった。そのぶ厚いファイルには、ジャコメッティや、ヴォルス、ベーコンなどといった異形な美術作品の写真が荒々しく切り抜かれてコラージュされ、そこに土方自身による手書きの書き込みがびっしりと記された、まさに土方巽の脳内の動きが直に伝わってくるものであり、私はそこに、自分がオブジェやコラージュを作る時にも似た「神経の性急な走り」を透かし見たのであった。それは今思い返しても本当に貴重な体験であった。

 

・・・・・・ 私も勅使川原氏も興が乗ってくると更に感覚的に話すので、実に話が飛ぶ。垂直性の話から急に世阿弥へと話は飛び、コーネルや幼児期の記憶へと転じて、いきなり鳥の重みへとなり、話は際限がないのであるが、今、全体的に思い返すと、チェスのゲームのように対談のフォルムがしっかりとしている事にふと気が付く。対話はますます面白くなっていったのであるが、もしあのまま続けていたら“地震”はスタジオの中で遭遇したわけである。しかし、その激震の中でも私たちの対話はおそらく続いていたように思われる。ともあれこの夜の事は、緊張感に充ちた、これもまた貴重な体験であった。

 

 

― お知らせ ―

勅使川原三郎氏による連続公演『青い目の男』、そして佐東利穂子さんによるソロのダンス『ハリー』が、7月8日・9日・12日と10日・11日に分けて東京・両国のシアターXで開催されます。又、それとは別にUPDATE DANCEと題してのスタジオでのライブ感に充ちた生な公演が荻窪の「カラス・アパラタス」にて開催中。ご興味のある方には是非のご高覧をお薦めします。実験性と完成度の高さを併せ持つ、極めて優れた内容になっており必見です。

 

勅使川原三郎/KARAS

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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