月別アーカイブ: 11月 2016

『展覧会を観に行った話』 

いつもご招待状を頂きながら、制作と個展の為になかなか動けず、ようやく観る事が出来た展覧会が幾つかあった。その1つは、高島屋の個展の前に観たトゥオンブリ―の写真展であった。会場は千葉の川村記念美術館。……学芸課長の鈴木尊志さんは以前に、コ―ネルとヴォルスと私による三人展を企画された事があったが、タイミングが合わず棚上げになった経緯がある。その企画で、コ―ネルの解釈に新しい切り口を試み、美の本質における危うい強度を提示しようと思われた由。実現すれば斬新な展覧会になったように思われる。……その鈴木さんにランチをご馳走になりながら、暫しトゥオンブリ―の話題になった。  トゥオンブリ―の作品については、その魅力は語れても、それを分析して語ることは難しく、未だその本質に言及した優れた評論は皆無である。鈴木さんは、トゥオンブリ―が戦時中に暗号作成に関わっていたという逸話がある事を教えてくれた。…………暗号……、この切り口から私ならばトゥオンブリ―の画面の謎に入っていけるように思われた。それはあたかも完全犯罪を仕掛けた犯人が、ふと落としていった何げない、しかし、アリバイが崩れていく決定的な隙間がそこにあるように私には想われた。……私は機会があれば、この切り口から試論に挑んでみたいとひそかに思っているのである。タイトルは、「トゥオンブリ―・表象における〈暗号〉とポエジ―」とでもなるだろうか。

 

高島屋の個展、名古屋のSHUMOKU  GALLERYでの個展が続く中、ある日の昼に慌ただしく訪れたのは町田市立国際版画美術館のホックニ―展であった。私は彼の銅版画集の名作『グリム童話』所収の沸騰する鍋から上がる気泡を描いた版画と、向かい合う少年を描いた版画を二点持っているが、これは美術商の人と、拙作の版画を交換トレ―ドして入手したものである。この二点は、この版画集にとどまらず「プ―ル」の連作と共に彼の代表作と云える名作であるが、あろうことか、何故かこの二点が展示されていなかった事は、学芸員の見識が問われるというものである。……それにしても1984年頃を境としてホックニ―の表現力が俄に落ちていっているのが、いま改めて観るとよくわかる。一世を風靡した画家であったが、つまりはこれ以降は唯のピカソ頌とマチスの色彩センスの借用であったことが見てとれる。マチエ―ルへのこだわりが無くなっていき、薄いグラフィックの表象に変わり果てたという観があるが、もう少し展示の工夫しだいでは、内容に膨らみがあったのでは……と思われる展覧会であった。

 

……町田に続いて、その日の午後に訪れたのは目黒の庭園美術館で開催中のボルタンスキ―展であった。高島屋の個展の時に学芸主任の神保京子さんが会場に来られて、現在開催中のボルタンスキ―展の事を暫し話されていった。神保さんは以前、東京都写真美術館におられた時に、写真家・川田喜久治展『世界劇場』を企画構成された事があるが、その時の展示は、川田喜久治氏独自の美意識と世界観を強度に顕在化した見事なものであった。シュルレアリズムにも詳しく、いろいろと教わる事もあり、私は神保さんとの会話を楽しみにしているのである。…………ボルタンスキ―の主題は、「死者の世界との密なる交感」であるが、この主題は私の作品とも重なるものがある。ジャン・ジュネが鋭く指摘したように「芸術とは、既に死せし者たちの為にもまた存在する」のである。美術館の暗室の中で、無数の竹竿に組んだ無数の風鈴の哀しく響く映像のインスタレ―ションが目を引いたが、私はふと樹海にかつて消えていった親しき友人の事を思い出した。……あの時は、私の依頼を受けて山梨県警捜査一課が樹海の奥深くまで入って捜査してくれたが、友人の遺体に該当するものは遂に見つからなかった。いつか機会があったら私も今一度、樹海の奥に分け入ってみたいと考えている。

 

 

……日を変えて訪れたのは神奈川県立近代美術館鎌倉別館で開催中の「松本竣介―創造の原点」であった。作品数の規模は小さいものであったが、展示を企画した学芸員の姿勢を映して見応えのある内容であった。参考資料の書簡や写真も展示されていたが、私の目を引いたのは、松本竣介を世に押し出す功績の大きかった、かつての当美術館館長であった土方定一の名前が松本竣介のノ―トに記されてあった事である。炯眼の人物を見抜くことが出来た竣介が、土方の存在を強く意識していた事がわかって興味深い。ただし生前に二人は出会う事はなく、36才で死去した竣介の存在と才能に気づかずにいた土方には悔恨があったように思われる。以後、土方定一は美術館の仕事として未だ世に出る前の才能にも意識を向けて、その人材を出していく事も美術館のあるべき仕事と考えていくが、これは並な人間に出来る事ではなく、土方のみに可能であった事なのである。私の身近では版画家の浜田知明氏がそうであり、また後年では、私も21才の時に土方に認められ、作家一本で行こうという自信を深めていけたのであるが、松本竣介の事を想うと、以後の私などは幸せな出会いが出来たのだと思う。松本竣介の亡くなる、せめてあと5年早く、土方や岡鹿之助といった人物に出会っていたならば彼の無念は或いは無かったように思われる……。

 

……この展覧会を観て最大の収穫は、松本竣介の遺した言葉の中に、「アルカイック」という言葉が在るのを知った事であった。私は拙著『モナリザ・ミステリ―』(新潮社刊)の中でこの言葉を使っているが、天上界と地上との中間に在る不可思議にして玄妙・透明なる世界を指す。実は岸田劉生も「本当に優れた芸術作品は、夢見のように静かにそこに浮かんで見える」といった表現を使っているが、或いは竣介も、その世界を絶対のカノンとしていたように伺い知れ、彼の思索の更なる深度が確認出来て嬉しかった。ランスの聖堂にある「微笑する天使」の表情を評してアルカイックスマイルといった言葉もあるが、唯のロマネスクの一様式にとどまらず、芸術の普遍に在る霊的な領域のもののように思われる。ますます軽く浅くなっていく今日の美術の分野の失速と散文化した低迷に在って、松本竣介の言葉の中にそれを見つけられた事は、再び書くが、大きな収穫であったように思われるのである。

 

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『名古屋・SHUMOKU GALLERY・居松篤彦さん』

高島屋の個展が終わって3週間ばかりが過ぎたが、最近嬉しいお便りが次々と届き、作者である私は幸福な気分に充ちている。高島屋の美術画廊から作品を購入された各々の方に作品が届き、それが部屋に掛けられる事になるのであるが、その部屋の光景を撮った方々から私に、その写真と共に、とても喜んでおられる事を記したお便りが届いているからである。私は作り手として、本当に理想的な関係を、多くのコレクタ―の方たちと築いているという事をあらためて実感しているのである。……私の手元に届いた写真を見ると、確かにコレクタ―の人達もまた、なかなかにハイセンスな人達である事が伝わってくる。いずれの方々も、その作品が活性化して見えるように工夫され、写真からイメ―ジの躍動感が伝わってくるのである。そして、私の作品と、それをコレクションされている方との間において、日々の豊かな対話が、これから何年後も紡がれていくのである。私の持論である「コレクションするという行為もまた創造行為である」という事が、豊かにその人の生の中で展開していくのである。……そう、その作品において、作者は二人いるのである。

 

……今月の3日から名古屋のSHUMOKU GALLERYで始まった個展「危うさの角度」であるが、遠方からも沢山の方が来られて盛況を呈している。画廊の空間は広く、1階と2階に作品が実に考えて展示されており、私はその構成力と展示のセンスの見事さに驚嘆したのであった。制作したばかりの最新作が手応えを持って来廊者に伝わっており、画廊のオ―ナ―の居松篤彦さんからも、反響がリアルタイムで伝わってきている。居松さんはまだ40才を過ぎたばかりであるが、美的感性の直感力は極めて鋭く、今後のこの国の美術分野をギャラリストの面から牽引していく一人になっていく事は間違いのない人物であると私は見ている。今、この国の美術分野で最も失われて久しいのは、高い理念と独自のヴィジョンを持ったギャラリスト、すなわち本物の美を見極める眼識を持った人物の存在である。その才能を持ったギャラリストの存在があまりに少な過ぎるのである。……私と居松さんは縁あって出会ったわけであるが、その意味は、今後豊かな形として、ますます必然性の様を帯びて明らかになっていくように思われる。……会期は、今月の26日(土)まで続く。ぜひこの機会に私の新作展における〈挑戦〉をご覧いただければと、願っている次第である。

 

 

 

 

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「身軽に転がる石のように」  

……かねてより是非知りたいと思っていた事があった。それは川端康成が三島由紀夫に依頼したと云われる、自分をノ―ベル文学賞に推薦してもらう為の推薦状の執筆依頼の内容と、その頼み方である。川端と三島との往復書簡集(新潮社刊)が出た時に「或いは……」と思って開いてみると、果たしてそれは川端から三島への手紙に記してあった。それも手紙の末尾にサラリと書いてあるのであるが、そこに私は川端のしたたかさと老練さを観てとった。自分に絶対なまでの自信があった三島は、これ以上はないという見事で流麗な推薦状を川端のために書き、それはスウェ―デンのノ―ベル賞の選考委員会に送られた。それが大きく効を奏してか、三島ではなく、川端がノ―ベル賞を取ったのであるが、間もなくノ―ベル賞の幻影は、この二人の天才に不気味な影を落とす事となった。受賞後、川端は新作が全く書けなくなり、曾ての名作「雪国」に加筆修正を唯入れるだけになり、梅原猛が証言しているように次第に精神の常軌を逸していき、三島の自刃後に後を追うようにしてガス栓をくわえながら逝った。物理学賞などの他の分野にこういう類いの悲劇(別な形ではある)はあまりないが、ノ―ベル賞の「文学賞」は時として、表現者のその後を大きく変えてしまうというリスクを持っているように思われる。ボブ・ディランが歌う「why try to change  me now」(何故いまさら俺を変えようとするのか!?)が示す通りであるが、これまたディランが歌う「身軽に転がる石ころのように」いれば、余計な物を背負わずにすむのであるが、人は晩年に至ると、この「賞」という形で、自分の人生に名誉という、つまりは幻にすぎないオナニズムにリアリティーを覚えて、自己満足の形を付けてみたくなるようであり、それがかつての自分が輝いていた時の矜持を捨ててでも、この権威という幻想を乞い願うようになってしまうものらしい。このように書いてくると、ノ―ベル文学賞とレジオン・ドヌ―ル勲章を共に辞退したサルトルの精神の強さに私はあらためて脱帽したくなってくるのである。受賞する事による自身の権威化と、それによって失ってしまうイメ―ジの失墜との間に在って、ホブ・ディランは自身の意思を未だ明確にしていないが、曾てのこの吟遊詩人が、魂の漂白者として、爽やかに吹く一陣の風のように「伝説」として残るのか!?或いは名誉欲の前にひれ伏してしまうのか!?……間もなくその真価が問われようとしているが、まぁ、かつてない程レベルが地に堕ちた大統領選よりも、対岸の景色として遥かに面白い、暫くはの高見の見物なのである。

 

 

―さて、私は今日、たまたま入った横浜の古書店で、絶版となって久しいアンリ・ペリュショ著『マネの生涯』(河盛好蔵訳)を見つけたので、さっそく購入した。この近代絵画の祖たるマネについては実は謎が多く、その私生活は不明な点が多い。モダニスム自身が、その始まりにおいて産みの矛盾を顕にしたのを映すように、この画家の矛盾は、そのままにその時代の相と重なって私には見え、マネは極めて興味深いのである。ボ―ドレ―ル、マラルメ、バタイユを再読する前に、私はこの本を先ずは読まなくてはならない。アンドレ・マルロ―はゴヤを指して「かくして近代は、ここから始まる」と暗示的に断じたが、そのゴヤから転じた今一つのマネの「黒」の相貌と、そのマチエ―ルの様に、私は何故か惹かれ続けているのである。………………さて、高島屋の個展が終わり、休む間もなく、11月3日から名古屋のSHUMOKU GALLERYで次なる個展『危うさの角度』が始まる。ようやく作品の搬入も終わり、2日に私は名古屋に行き展示に立ち会う事になっている。会場となるこの画廊空間は広いが、果たしてオブジェがどのように展示される事になるのか現時点ではまだ未知数であり、故にこのギャラリ―への期待もまた極めて大きいものがある。……画廊空間は、私にとって、イメ―ジが様々に羽ばたくミステリアスな劇場なのである。

 

 

 

SHUMOKU GALLERY

『​北川健次―危うさの角度―』

11月3日(木)~11月26日(土) 11:00-18:00

(月・火 定休)

〒461-0014 名古屋市東区橦木町2-25 磯部ビル1F

TEL/FAX 052-982-8858

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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