「身軽に転がる石のように」  

……かねてより是非知りたいと思っていた事があった。それは川端康成が三島由紀夫に依頼したと云われる、自分をノ―ベル文学賞に推薦してもらう為の推薦状の執筆依頼の内容と、その頼み方である。川端と三島との往復書簡集(新潮社刊)が出た時に「或いは……」と思って開いてみると、果たしてそれは川端から三島への手紙に記してあった。それも手紙の末尾にサラリと書いてあるのであるが、そこに私は川端のしたたかさと老練さを観てとった。自分に絶対なまでの自信があった三島は、これ以上はないという見事で流麗な推薦状を川端のために書き、それはスウェ―デンのノ―ベル賞の選考委員会に送られた。それが大きく効を奏してか、三島ではなく、川端がノ―ベル賞を取ったのであるが、間もなくノ―ベル賞の幻影は、この二人の天才に不気味な影を落とす事となった。受賞後、川端は新作が全く書けなくなり、曾ての名作「雪国」に加筆修正を唯入れるだけになり、梅原猛が証言しているように次第に精神の常軌を逸していき、三島の自刃後に後を追うようにしてガス栓をくわえながら逝った。物理学賞などの他の分野にこういう類いの悲劇(別な形ではある)はあまりないが、ノ―ベル賞の「文学賞」は時として、表現者のその後を大きく変えてしまうというリスクを持っているように思われる。ボブ・ディランが歌う「why try to change  me now」(何故いまさら俺を変えようとするのか!?)が示す通りであるが、これまたディランが歌う「身軽に転がる石ころのように」いれば、余計な物を背負わずにすむのであるが、人は晩年に至ると、この「賞」という形で、自分の人生に名誉という、つまりは幻にすぎないオナニズムにリアリティーを覚えて、自己満足の形を付けてみたくなるようであり、それがかつての自分が輝いていた時の矜持を捨ててでも、この権威という幻想を乞い願うようになってしまうものらしい。このように書いてくると、ノ―ベル文学賞とレジオン・ドヌ―ル勲章を共に辞退したサルトルの精神の強さに私はあらためて脱帽したくなってくるのである。受賞する事による自身の権威化と、それによって失ってしまうイメ―ジの失墜との間に在って、ホブ・ディランは自身の意思を未だ明確にしていないが、曾てのこの吟遊詩人が、魂の漂白者として、爽やかに吹く一陣の風のように「伝説」として残るのか!?或いは名誉欲の前にひれ伏してしまうのか!?……間もなくその真価が問われようとしているが、まぁ、かつてない程レベルが地に堕ちた大統領選よりも、対岸の景色として遥かに面白い、暫くはの高見の見物なのである。

 

 

―さて、私は今日、たまたま入った横浜の古書店で、絶版となって久しいアンリ・ペリュショ著『マネの生涯』(河盛好蔵訳)を見つけたので、さっそく購入した。この近代絵画の祖たるマネについては実は謎が多く、その私生活は不明な点が多い。モダニスム自身が、その始まりにおいて産みの矛盾を顕にしたのを映すように、この画家の矛盾は、そのままにその時代の相と重なって私には見え、マネは極めて興味深いのである。ボ―ドレ―ル、マラルメ、バタイユを再読する前に、私はこの本を先ずは読まなくてはならない。アンドレ・マルロ―はゴヤを指して「かくして近代は、ここから始まる」と暗示的に断じたが、そのゴヤから転じた今一つのマネの「黒」の相貌と、そのマチエ―ルの様に、私は何故か惹かれ続けているのである。………………さて、高島屋の個展が終わり、休む間もなく、11月3日から名古屋のSHUMOKU GALLERYで次なる個展『危うさの角度』が始まる。ようやく作品の搬入も終わり、2日に私は名古屋に行き展示に立ち会う事になっている。会場となるこの画廊空間は広いが、果たしてオブジェがどのように展示される事になるのか現時点ではまだ未知数であり、故にこのギャラリ―への期待もまた極めて大きいものがある。……画廊空間は、私にとって、イメ―ジが様々に羽ばたくミステリアスな劇場なのである。

 

 

 

SHUMOKU GALLERY

『​北川健次―危うさの角度―』

11月3日(木)~11月26日(土) 11:00-18:00

(月・火 定休)

〒461-0014 名古屋市東区橦木町2-25 磯部ビル1F

TEL/FAX 052-982-8858

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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