月別アーカイブ: 12月 2017

『去年今年(こぞ・ことし)』

先だって、北朝鮮の兵士が南北の境界線を越えて韓国に逃げこんだが、被弾しながらも、脱走へと彼をして突き動かした最大の動機が、韓国から大音響で流れてくるK-POP 、J-POPを聴いてたまらなく魅了された事に拠るという。ジャン・コクト―かジュネのどちらの言葉であったかは忘れたが、「音楽には気をつけろ」という言葉がある。……これは聴覚から忍び入る音楽の力は、一瞬で感覚の中枢にある琴線を揺さぶり、理屈を越えて内面を激しく揺さぶる効力(場合によっては魔力)を発揮するという意味である。……そう、確かに音楽の力の持っている速度と浸透力はゲリラ的に凄まじいものがあるだろう。……例をあげれば、ジョン・レノンの名曲『イマジン』は、眼を閉じて想像さえすれば、国境さえも無くなるというコンセプトに、美しい韻律の音楽の力が相乗している為に、そのメッセージ力は大きく、静かに、そして確実に人心を動かす力を持っている。社会主義、資本主義を問わず国家の権力者達がこぞって忌み嫌うものこそが、この「イマジン」する事の力なのである。想えば自明な事であるが、国家というものの実質も、つまりは概念が産んだ幻想の産物に過ぎず、その砂上楼閣を崩すには「イマジン」の力をもって攻めるにしくはない。ジョン・レノンを撃った犯人とされるマ―ク・チャップマンとは別に、その場にジョン・レノンを確実に仕留める為に、プロの暗殺者がもう一人いたという説、……またそれを裏付けるかのように、暗殺現場のダコタハウスの入り口付近には、チャップマンが犯行に使用した銃(チャ―タ―ア―ムズ・38スペシャル弾用回転式、通称リボルバー)の、彼が実際に撃った五発の弾より多い数の弾痕が確認されている事、また犯行時に犯人のすぐ間近にいたダコタハウスのドアマンことホセ・サンヘニス・ペルドモという人物は、元CIAのエ―ジェントであったという事実は、チャップマン単独説に抗うかのように、何事かを暗示してなお余りあるものがある。閑話休題、……ようするにイマジン→想像する力、ひいては概念の力、更には観念の力というものは面白く、かつ不思議なものがある。……私達が具体的に体験するその一例として、大晦日から一瞬後に新年が来るわけであるが、あの新年が今来たという慌ただしい心と気持ちの切り替えには性急に強いられるものがある。……そして不思議な事に、つい先ほど数秒前であった12月31日の23時59分前が、いかにも大急ぎで去っていって色褪せてみえるから面白い。……しかし、新年は迎えたが、「時間」というもう1つの流れ、これまた観念の産物であるが、去年と今年という概念を繋げて貫くものが確かに在ると感ずるのも、また事実なのである。その事を詠んだ俳句がある。客観写生を理念としたホトトギスの俳人・高浜虚子の作「去年(こぞ)今年 貫く棒の 如きもの」が、それである。

 

話は変わるが、先日、あまりに蒼い空の美しさに誘われるようにふと思い立って、大田区馬込にある三島由紀夫邸を見に行った。事件から既に47年の歳月が流れているが、三島邸は時が止まったかのように凛とした気配を放って不思議なまでに鮮やかなままであった。門壁の表札には、故人の名を記した「三島由紀夫」の文字がゴチック体で掛かっている。今まで何度か訪れてみたいという衝動はあったが、何故か行かないままに時だけが過ぎていった。……自分が最もその美意識において影響を受けたという、その相手に対しては、何故か微妙な躊躇いというものがあるものである。思えば、私の先達の知人の多くが実際に三島と交際があり、その逸話の多くは直接的に聴かされていた。18歳の時に、三島美学を映した彼の戯曲の舞台美術をやれるのは自分以外にはいないという、根拠のない、しかし有り余る不遜な自信のままに三島由紀夫に手紙を書いて送ったが、果たせるかな、それと僅かにずれるようにして三島が自刃してしまったのは、私の人生に於ける、最初にして最大の無念な挫折ではあった。…………メモした住所をたよりに閑静な住宅街の中に入っていくと、一際大きな白亜の建物があり、それは容易に見つかった。……あの戦後史最大の事件が起きる日の午前に、一台の迎えの車がこの門前に止まり、この鉄の黒い門扉を開けて三島は静かに出て来て市ヶ谷の自衛隊駐屯地へと向かった。……それがまるで劇中の夢のような朧な感覚のままに、辺りは静かで、空の高みにはひと刷けの雲もない蒼穹の拡がりがあった。「人生は夢のようなものだと言うけれど、ひょっとすると、本当にそれは夢そのものなのかもしれないな」……三島の本質を理解していた澁澤龍彦は亡くなる直前に病床でそう語っているが、私は彼のこの言葉が最近はたいそう好きである。……とまれ、2018年がいま、眼前にある。私はまた新たなイメ―ジの領土を求めて歩いて行かなければならない。

 

 

 

 

 

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『12月のミステリー』 

〈今までの怨み、覚えたか!!〉…………まるで、吉良に刃を向けた浅野内匠頭か、はたまた横溝正史のどす黒い怨念因果小説を想わせるような凄惨な殺傷事件が冨岡八幡宮内で起きた。……この八幡宮、以前にも、誘拐された幼児が八幡宮境内の古井戸(現場は、たしか現在はセメントで埋めてある筈)に犯人に投げ込まれて亡くなっているが、その因縁話よりも、江戸時代に今の相撲興行のもととなった勧進相撲が行われて以来、冨岡八幡宮は相撲協会と互助なる密月関係を続けて来ただけに、昨今の貴ノ岩の事件と絡めて、なにやら一層の不気味さがある。昔、二十代の頃に、版画に使うリスフィルムというのを発注しに、江東区冬木にある工場に行く際に冨岡八幡宮の境内を通り、また帰りには度々、今回の殺人現場のすぐ真横にある赤い鉄製の橋上に佇んだり、境内にある歴代横綱の巨大な石に彫られた手形を度々見ていただけに、今回の凄惨な事件の報道画像を見て、同時になにやら懐かしくもあったのである。

 

……少年時を想い返せば、昭和30年代の頃はたいした娯楽もなく、経済の復興途上にリンクしてテレビ中継の大相撲の人気は熱狂的な渦中にあった。私の故郷の福井にも相撲巡業が来て、出来たばかりの体育館で興行相撲が行われた。相撲の黄金期―柏鵬時代がまさに始まった頃である。当時まだ小学3年生の頃であったが、興行相撲が体育館であった日の遅い午後、館内から聴こえて来るどよめくような喚声に突き動かされるようにして、私は体育館の周りを回りながら、何とかタダで相撲を観れる手段はないかと思案していた。……今でもそうであるが、どのような窮地でも必ずや突破口はある!!と考える前向きなたちなのである。そして遂に私は見つけたのであった。体育館のかなり上部に換気の窓が僅かに開いており、そのすぐ側に雨水が流れる排水筒が地上まで延びている。……「あれだ!……あれを伝って換気窓まで上がっていけば、まぁ後はなんとかなるだろう!」……少年の観たいという無垢な欲求は、恐怖に勝る。意を決した私は必死で登っていき、遂に窓の間近まで辿り着いた。……中を見ると、席の最上段にいる観客の後頭部がズラリと見えた。「……おじちゃん、お願いだから…中に入れて……」。掠れた子供の声に一人の男性が気づき振り向いた。まさかいる筈のない空中から小さな手を伸ばす私を見て驚くや、「―おぉ小僧、よく上がって来たなぁ!!」と言って、引っ張り上げて中に入れてくれ、私はご満悦の観客の一人と化したのであった。取組は関脇あたりから観れたので、お目当ての柏鵬の勝負はたっぷりと楽しめたのであった。…………昨今の白鵬などの唯の力任せの荒い相撲と違い、特に大鵬は、相手を余裕でふわりと受けながら懐の大きな器で次第に絞りこみ、ゆらりと倒していくという、正に横綱としての格の違いを見せてくれたが、何よりも相撲に華があり、頂点に立つ者としてのプライドと気品があった。白鵬も、かつては貴乃花を先達の目標として敬い、大鵬も自分を継ぐ力士として白鵬に目をかけていた感があった。……その白鵬の相撲が次第に変わってきたのは、大鵬が亡くなり、彼の優勝記録の32回を越えた辺りからかと思われる。……超然とした禅の境地を表す「木鶏(もっけい)」という言葉を引用して、70連勝のかかった大一番に敗れた名横綱の双葉山が打った有名な電報の一文、「未だ木鶏たりえず」という、神技への孤高な探求心からも遠く、今や相撲は、ガチンコ(本気の勝負)を欠いた、プロレスと変わらない唯の格闘技興行となった感があるのは、時代の流れとは云え、いかにも残念な事である。

 

ここに1冊の本がある。『泥水のみのみ浮き沈み』(文藝春秋刊)と題した勝新太郎対談集である。森繁久彌・瀬戸内寂聴・ビ―トたけし・三國連太郎……といった個性的な対談者が揃っていて、けっこう面白い。その中の三國連太郎との対談(1993年時)の中にオヤ?……と気を引く会話が載っていた。音に対する感性の話を三國連太郎が話している時に、勝新太郎が急に話題を変えて、隣室の相撲中継が気になり、勝(突然、付き人に)貴花田どうした? あっ、まだか。連ちゃん、相撲好き? 三國(好き好き。 勝(今、若花田だって。三國(やっぱり八百長ってあるんでしょ? 勝(ま、精神的にはね。勝ち越しちゃうと、ちょっとあると思いますね。三國(藤島部屋〈注-貴乃花の父親―元大関・貴ノ花が82年に設立した部屋〉はやらないんでしょ。勝(だから叩かれるね。三國さんにしても本当に映画を作ろうという人は叩かれる。だって困るもん、そんな人いたら、目をギラギラさせてだね、「この役はちょっと今日は中止にします。掴めませんから」なんて言ったら、みんなが嫌がるもの。俺なんかが出ても、みんな困るよね。〈勝―別室に相撲を見に行く。戻ってきて〉もうすぐ、貴花田〈注・今の貴乃花〉ですよ。三國(そりゃ、見なきゃ。(二人とも別室で相撲観戦) 勝(貴花田が出る直前に、ソファでいびきをかいて眠り始める) 三國(あれ、寝ちゃってる。……………… 今から20年前に出た八百長の話と、貴乃花のいた藤島部屋の相撲協会内での孤立化を匂わせる話。勝新太郎、三國連太郎、……社会の裏面を熟知しているこの二人の会話には、今にして読むと相撲界の今日に至る構図がうっすらと透けてくるものがある。今回の貴ノ岩の殴打事件、察するにガチンコ(本気の相撲)で白鵬を負かしてしまった貴ノ岩に対する、というよりも、その師匠・貴乃花への、これはどのみち起こるべくしていつかは起きた事件かと思われる。……結局一番、損な割を食ったのは、引退に追い込まれた日馬冨士と貴ノ岩であろう。モンゴル出身の貴ノ岩が、ガチンコにこだわる狂信的なまでにストイックな貴乃花部屋に入門してしまった事が、後の事件の伏線になった事は想像に難くない。……しかし、それにしてもパックリと開いた貴ノ岩(と思われる人物)の頭の傷口。私も撮影用の巨大なスクリ―ンの芯の鉄骨が落ちて来て頭部を激しく打ち、かなりの出血をした事があるが、自らの体験を話せば、頭部の肉は裂けやすく、意外に脆く、かつ出血が激しい。……さて、その貴ノ岩と云われる人物の顔を伏して頭部の傷口のみを撮した画像。その頭をゆらりと後ろにずらして顔をおもむろに上げれば、まさかの別人であったりすれば、これは、これで年末のミステリ―。ともあれ、12月という月は、本当に慌ただしく、かつ過ぎるのが速いのである。

 

 

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