月別アーカイブ: 5月 2018

『日本語の不毛なる行方』

私はいちおう美術家であるから、毎回書くこのメッセージ欄は、どうしても美術、あるいは芸術全般について書く事が多い。しかし、時としてどうしてもこの人間は如何かな!?……と思う場合は、時事的な内容についても書いている。近い記憶にあるのでは、かつて元総理だった菅直人について書いたことがあった。この男もまた「権力は内から腐る」の言葉通り情けなくも変わっていったのを目の当たりにして、またこの男の零落ぶりに唖然として、私は冷ややかな視点で書いたのであった。そして実のない、ただパフォーマンス好きなこの男が、人目を引くために、おそらくは後にやるであろう〈お遍路姿〉がふと目に浮かび、私は予言的に『君はお遍路に行くのか!?』というタイトルで書いたら、それから半年もしない内に、菅直人は頭を剃り、私の予言通りに、杖を持ってお遍路に出掛けた時は笑ってしまった。

 

さて今回は、日大アメフト部の前監督と、前コ―チについてさすがに若干言及したいと思う。……〈責任は私がすべて負う〉という発言とは裏腹に〈私は何も指示していない〉という矛盾した発言を繰り返す前監督。また日大の人事権を握るその男の傍で監督の伝令役として生きる前コ―チ。……先日この二人は、自らを火に油を注ぐような明らかな虚偽に充ちた記者会見をして更に世論の反感をかい墓穴を掘ったが、今朝、実にタイミンゲよく公表された文春デジタルの、前監督の生々しい肉声を捕らえた音声記録は、刑事告訴された場合に動かざる証拠になる事は必至であるが、しかし、さすがにここに至って文科省がやるべき事はあるであろう。前監督は理事として大学の人事権を握っているというが、監督は辞任しても人事権を握るこの理事という要職には頑なに固執している観がある。しかし、世論の怒りが収まるのは、この前監督が自らの意思で大学を去るという最終章を見ない限りは、おそらく鎮まらないであろう。日大の広報課の、まるで子供の使いのような話し方には失笑を禁じえないが、いまここに来て、実質的に問われているのは日大の教職員諸氏の変革への動きであろう。もし、ここで彼らによる何らかの動きが無い場合は、この日大という教育機関(?)は、根底からその存在の意味を失墜するであろう。「国家の根幹は教育である」と語った初代文部大臣の森有礼の言葉から、もはやかなり遠い所に日大の現在は来てしまったように思われるが如何であろうか。

 

話は変わるが、「責任を取る!!」……この言葉からどうしても思い出してしまうのは、1968年に京都国立近代美術館でロ―トレック展の開催中に起きた、名作『マルセル』盗難事件である。日本で起きた史上最大の名作盗難事件というのもショッキングであったが、何よりショッキングであったのは、その責任が事件発覚前夜から当直であった守衛に向けられ、追い込まれたその守衛が割腹自殺して果てた事である。……何もそこまでやる事はないであろうと、当時の私は思ったものであるが、その直後に痛々しい戦慄が日本中に駆け巡ったのを今もありありと覚えている。……この守衛の人生について思う時、真逆の連想として浮かぶのは、戦時中に多くの前途ある若者を「特攻隊」として無惨に死地に送り込み、特攻の日にその若者達に向かって「後ですぐに俺も行くから!!」と言いながら、自らは決して飛び立つ事なく終戦を迎え、なおも戦後を生き延びた上官達の事である。……彼らの姑息な振る舞いを主題にして追い詰めたドキュメンタリーが放送されたのをテレビで観た事があるが、年老いた、かつてのその上官は「顔だけはどうか映さないで下さい」と震えるように懇願しながら、演技か本心か定かではないが、忸怩(じくじ)たる想いを語りながら、声を震わせていたのであった。これも一つの人生とはいえ、観ていて何とも後味の悪い番組であったのを、これまたありありと覚えている。……とまれ、昨今の世情(特に政界)に多分に見られるのは、凛とした責任を取らずに詭弁を弄してなんとか逃げようとする傾向である。英文は構造が論理的に緻密な為に意味の方向性に拡大解釈が作用する事はないが、この点、日本語は曖昧で、解釈に主観という幅が入り、何とも絞り込めないものがある。文芸の分野ではそこに可能性があるのであるが、こと現実に於ては、その逃げが、その人間の人生を寂しく、ひたすら寒いものに染め上げていく。……なんだか昨今の日本は、そして日本語は、豊かだった嘗ての抒情からは遠く、無機的な不毛な方向に堕ちていっているように感じるのは、私だけなのであろうか。

 

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『おぉ、レトロフト』

3年前の秋に私の個展を開催された、鹿児島のギャラリ―「レトロフト」のオ―ナ―の永井友美恵さんからお便りが届いた。……開けてみると、朗読会のお知らせと一緒にお手紙が添えられていた。レトロフトでは、今年の2月から朗読会「朗読と音」を開始し、最初が梶井基次郎の短篇『闇の絵巻』で、続く第2弾〈5月19日に開催予定〉が、江戸川乱歩の『押絵と旅する男』で、それに併せて、以前にこのメッセージ欄で私が熱く書いた『128年の時空を越えて』を紹介したいとの由である。むろん私に異存はなく、むしろ内容が内容だけに、鹿児島に私も行って参加したいくらいであるが、病み上がりで仕事がたまっているこの身としては、遠くから会の成功を見守るしかないのが残念である。しかし、浅草十二階―凌雲閣という、明治・大正を象徴するこのイコンに寄せる我が想い。もの狂い……とまで言っていい、浅草十二階への熱い想いは、現代の人たちに、ましてや、浅草の現場から遠い、鹿児島の若い人達に、果たしてどれくらいリアリティ―が伝わるのか、実際に立ち会ってみたいものである。出来るならば、私が入手した浅草十二階の遺構、赤煉瓦を見せて直に手で触れて頂ぎ、時空を繋げる旅を触覚的に体験して頂きたいくらいである。……正に、眼を閉じて直に触れてみる事で初めてありありと見えてくる、浅草十二階のざらついた生々しい触感、今一つの『押絵と旅する男』になり得るかと思うのである。

 

 

鹿児島の中心地にあるギャラリ―「レトロフト」は、その設立理念が高く、また実際に文化の発信地として活動を活発に行っている画廊として、出色の存在である。そしてその建物の実際の構造も、夢見の中の、例えばピラネ―ジの『牢獄シリ―ズ』や、30年代の魔都上海の巣窟の場面にでも登場しそうな謎めいた気配を帯びていて、今もって懐かしく、まさにレトロフト自体が、江戸川乱歩の小説の舞台として相応しい造りを成している。……3年前の個展の折りは、ご主人の永井明弘さんが、午前中は「城山」の西南の役の現場を中心に毎日、幕末史の私の疑問を解く逍遙にご同行頂き、午後はレトロフトの個展会場にて、来訪する人達との出逢いの場を作って頂いたりと、懐かしい思い出に充ちているのである。……まさか、そのレトロフトで、浅草十二階の事が朗読会として話題になろうとは、予期してなかっただけに面白く、また考えてみると、レトロフトほど、それに相応しい場はないようにも思われるのである。……

 

 

会期: 5月19日(土曜) 開場19時15分

開演19時30分

会場:レトロフトチトセリゼット広場

参加費1800円(お茶付)・要予約

 

お申込・お問合せ:email:info@retroftmuseo.com

電話099―223―5066

 

主催レトロフト

 

 

 

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『インフルエンザA型に』

3月の富山の画廊・ぎゃらり―図南(川端秀明さん)、……そして4月の東京の画廊・ギャラリ―香月(香月人美さん)での各々の個展が成功のうちに終了した。新しいコレクタ―の方々が各々の画廊で共に増え、個展はやはり「継続こそ力」である事をあらためて実感する。そして、常に実験性を絶やすべきではない事を実感する。……先ずは、個展を成功へと導かれた川端秀明さん、香月人美さんにあらためて御礼を申し上げたいと思う。……そして、遠方からも含めて、個展にいらして頂いた全ての方々に。また、私の作品を昔から変わらず愛しておられるコレクタ―の方々。そして、今回の個展を出会いとして、新たに私の作品をコレクションされた方々に、感謝の気持ちを捧げたいと思う。……皆さん、本当に有難うございました。

 

……個展とは、しかし様々な意味でかなり体力を消耗するという事を、個展終了後に今回は身をもって知らされた。……個展が終わりホッとする間もなく、深夜に急に悪寒と40度より確実に高い熱に突然襲われてしまったのである。翌日、病院で検診すると、インフルエンザA型との由で1週間くらいは安静に……と言われて、久しぶりの床に伏せる日々が続いた。しかし、のんびりと休みたい気持ちもあるが、迫っている〈やるべき事〉を前にすると、グルグルと頭が回る。

 

前回のメッセージでも少し触れたが、先ずは6月から9月まで福島の美術館―CCGA現代グラフィックセンタ―で開催される大規模な私の版画の個展。……求龍堂から刊行される私のオブジェ作品集の様々な打ち合わせと、詰めの進行。……以前に求龍堂から拙著『美の侵犯―蕪村vs西洋美術』が刊行された直後から、オブジェの作品集刊行の企画は立ち上がっていたが、担当編集者の方と私のスケジュ―ルがなかなか合わず、漸く、満を持しての具体化を見たのである。……また今年の10月からは、都内でも最も大きな空間である、日本橋高島屋・美術画廊Xでの個展(今回で毎年連続通算10回目となる)の為の制作が待っている。毎回、少しずつ新たな試みをしながら歩んで来た、美術画廊Xでの個展。継続は力なりで、この個展を楽しみにしている人達が年ごとに増え、私も制作に力が入るというもの。…………さてさて、今回は珍しく病床からのメッセージ記述となってしまい、正岡子規や宮沢賢治の晩年の姿が枕元に浮かんで仕方がないが、次回は全快した脳みそで頑張って書きますので、乞うご期待なのであります。

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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