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『7月3日まで永井画廊にて個展開催中・Part②』

……前々回のブログ『洗濯女のいる池―ブルタ―ニュ最終篇』をアップした後で、けっこう沢山の方から、(洗濯女の事をもっと知りたい!)、(パサ―ジュのゴ―ギャンさんのその後の事を知りたい!)……といったメールを頂いたので、今回は先ずはそれから書いてみよう。

洗濯女の事は『ブルタ―ニュ・死の伝承』(アナト―ル・ル・ブラ―ス著)という著書に和訳で詳しく書かれているので、ご興味のある方はぜひ御一読をお薦めします。洗濯女の内の一人の女性の名前はジャンヌ、池の名はメルボワ池。「夜の洗濯女」「夜の鴨」…という異名を持っている。とまれ、幾つかの画像を掲載しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……ゴ―ギャンさんの友人の女流小説家が忽然とその池のある場所で姿を消した。はたして事件か事故か?それとも真相は他に……。ブルタ―ニュの風景を描いたルドンの初期の油彩画が持つ不気味な不穏さに、私はかねがね引かれていたが、このコロナ禍が去った後には、パリから足を延ばしてぜひとも行ってみたい場所である。

 

……さて、その後のゴ―ギャンさんであるが、『翼の王国』に私が長文の紀行文、パサ―ジュ・ヴェロ・ドダでの8時間に渡るインタビュ―を基にした『鏡の行列』を執筆した後で、編集部からパリのゴ―ギャンさんにもその冊子が送られた。暫くしてから、私のアトリエにゴ―ギャンさんから手紙が届いた(よく私の所に無事に届いたなぁと感心する程に、読みにくい、癖のある繊細な文字である。今もその手紙は私の大切な宝物である)。数年してパリに行った折り、パサ―ジュのゴ―ギャンさんを突然訪ねたら歓迎され、暫し語り合った。私が撮影で、これからモンパルナスのブ―ルデルのアトリエ(美術館)に行くのだと言うと、ゴ―ギャンさんは(あすこはパリで一番好きな場所だから私も一緒に行く)という。しかし、電話が入り、来客が来る事になったので、その時は別れた。そして、その後も交流が続いたが、四年前に撮影で訪れた時は、すれ違いでパサ―ジュの13番のその古書店は閉まっていた。それからのコロナ禍により、パリに行く事が出来なくなってしまった。ゴ―ギャンさんの事が時おり思い出され、私は気になっていた。

 

…………そんな折、先日、書店で鹿島茂氏の新刊『パリのパサ―ジュ・過ぎ去った夢の痕跡』(中公文庫)を目にした。(鹿島茂氏とは以前にお会いして、当時、神保町にあった、膨大な書籍に埋もれた氏の書斎を訪れた事がある。)……パリの右岸には現在、パサ―ジュが19存在するが、ヴェロ・ドダはその第1章に詳しく書かれていた。そして、その章の最後の数行に目がいった。それを引用してみよう。

 

「……1965年にパリ市立歴史建造物リストの追加目録に(ヴェロ・ドダは)加えられ、破壊される危機は去ったが、それでも、ギャルリ・ヴィヴィエンヌやギャルリ・コルベ―ルのように完全に修復され、別の建造物になってしまう可能性もある。見学するならいまのうちである。/げんに、このパサ―ジュの売り物だったアンチックド―ル店「ロベ―ル・カピア」は廃業して、いまは現代ア―トの歩廊に代わっている。ところで「ロベ―ル・カピア」の斜め前の十三番地にある古書店「ゴ―ガン」の主人ゴ―ガン氏はロベ―ル・カピア氏と非常に親しい友人で、カピア氏が健在だったころは、いつも彼の店に入り浸って、自分の店を留守にしていた。私もこの頃には、何度か氏の姿をカピア氏の店で見かけたものである。/ところが、まことに不思議なことに、カピア氏が廃業して以来、ゴ―ガン氏は忽然と姿を消した。いつ行っても、店内に灯りは点っているのだが、ドアには鍵が掛けられたままで、だれもいる気配がない。店主は、移転したカピア氏のところにしゃべりに出掛けているのか?いや、そもそも実在しているのだろうか?ミステリ―のネタにでもなりそうな話である。」と書かれていた。

 

 

 

 

 

 

思い返せば、私が無人のパサ―ジュ・ヴェロ・ドダに早朝訪れ、版画集『反対称/鏡/蝶番/夢の通路ヴェロ・ドダを通り抜ける試み』の構想を立ち上げたのは、正しくこの「ロベル・カピア」のショ―ウィンドウの前であり、二年後に不思議な導きとしか言えない力で、その斜め後ろのゴ―ギャンさんの店のショ―ウィンドウで、作品全作を展示する事が叶った。……そして今、ゴ―ギャンさんの姿が忽然とパサ―ジュから消えたのである。時の流れを少し戻せば、私が最初にパサ―ジュに立ち入った時の、あの不思議な暗がり、そしてゴ―ギャンさんとの語らいの日々、あの時間が……まるで夢見の幻のようである。……はたして、もう一度行くと言っていたブルタ―ニュの池に行ったのか!?それとも、時間迷宮のあのヴェロ・ドダの鏡の隊列のはざまから夜のヴェネツィアへと旅をしているのか? ……ともあれ、ゴ―ギャンさんの名刺にあるパサ―ジュの住所を、ここに記しておこう。

13 passage VERO―DODAT 75001 PARIS BERNARD GAUGAIN

 

……さて、話を現在に戻せば、7月3日まで、銀座の永井画廊で、私、棟方志功さん、駒井哲郎さん、池田満寿夫さんの代表作を展示した展覧会『―彼らは各々に、何をそこに視たのか―』を開催中である。池田満寿夫さんからの序文(私の最初の個展の際に書かれた)、私への書簡、処女作、そして、パサ―ジュ・ヴェロ・ドダで構想を得て作り上げた作品も含めて展示開催中である。版画にしか出来ない表現とは何か!?を鋭く問うたこの展覧会。……ぜひのご高覧を宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

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『銀座・永井画廊にて展覧会開催中・Part①』

6月10日から7月3日まで、東京銀座の永井画廊 (銀座8―6―25 河北新報ビル5F)で『……彼らは各々に、何をそこに視たのか。』と題して、私と駒井哲郎さん、棟方志功さん、池田満寿夫さんの四人の代表作による展覧会を開催中である。企画を立ち上げたのは永井画廊の社主、永井龍之介さん。永井さんといえばテレビの人気番組『開運!なんでも鑑定団』で、番組立ち上げから20年以上、美術作品の鑑定をされていた方として広く知られているが、『知識ゼロからの名画入門』(幻冬舎)などの著者としても知られている。以前から番組を観ていて、永井さんは日本美術史だけでなく古今の西洋美術史にも造詣が深く、その発言に確かな裏付けがあるのを知り、永井さんには興味を抱いていたが、まさか後日に展覧会開催のオファ―が突然来るとは思ってもいなかったので、誠に人生は面白い。最近つくづく思うのであるが、人生とは不思議な縁によって引き合い紡がれた物語りであり、それは偶然でなく、後に思い返せば、必然性の強い力がそこに不思議な作用をしているように思われる。運命とは、そういう事を云うのであろう。

 

……今回の展覧会は、永井さんが、その不思議な作用に焦点を絞り、棟方志功・駒井哲郎・池田満寿夫という三人の、現代の版画史を築き牽引して来た人達が、当時まだ20才くらいの私が作った銅版画作品に出会い、各々が称賛を送ったという事から切り返して、彼ら(棟方・駒井・池田)は、当時まだ美大の学生であった私の作品の画中に、果たして各々に何をそこに視たのか!!という切り口から立ち上げたのが、今回の展覧会のテ―マなのである。…… 会場には、池田さんが私の最初の個展(24才時)の為に書かれた序文の原稿や、ニュ―ヨ―クから届いた手紙など、今までの展覧会では展示した事のない珍しい物も展示してあり、来られた方の興味を引いている。

 

 

 

 

永井画廊で開催中のこの展覧会は、その切り口の斬新さもあって、美術館の学芸員や作家、また文藝の関係者までも含めて、毎日たくさんの人が画廊に来られている。昨日は、以前からお会いしたかった、棟方志功さんの孫である石井頼子さんが来られて、4時間ばかりの愉しく、また興味が尽きないお話をする事が出来た。(今回の展覧会は永井さんが直接、棟方志功さん、駒井哲郎さん、池田満寿夫さんの各々のご遺族からこの展覧会の主旨への賛同を得て、ご遺族がお持ちの貴重な作品を展示しているのである。だから保存の状態が実にいい。)

 

……石井さんは、棟方さんが逝去される日まで、棟方さんの傍で直接に接して来られた方なので、棟方さんの制作法、また生きる姿勢、知られざる逸話などを詳しく伺う事が出来て、実に有意義な時間であった。……また私が棟方さんと出会った時の経緯、審査会場に私の作品が運ばれて来た瞬間、棟方さんは審査員席から立ち上がり、私の作品『Diary1』に駆け寄って額の上から撫でまわし、賞賛の言葉を呪文のように無心に呟きながら、実に30分以上もその状態が続いた為に、審査が停まってしまった話、また授賞式の挨拶の場で、棟方さんから私の名前が何回も連呼された時に、20才を過ぎたばかりの私の身体に入り込んだ強烈な自信の話など、懐かしくも尽きない話が出来て、私は嬉しかった。

 

……それにしても、授賞式の帰りに一緒にエレベ―タ―に乗り合わせた時に、「棟方志功」という、不世出の、強度な作品の作り手が、満面に笑みを浮かべながら私の顔面すれすれに接近して来た時の、その顔から放たれた顔圧、眼力のあの異様な凄さは今も忘れ難い。…………棟方さんとお会いしたすぐ後に、東宝砧の撮影所で、今度は勝新太郎と出会ったのであるが(この場合は、棟方さんの時と違い、私の悪戯によって最大の被害者となった勝新から、やはり顔が接するギリギリまで怒り心頭に発したその顔が、あの眼力が、まさに怒髪天を衝く勢いで迫って来たのであるが、) この両者には何か共通した印象を私は今も抱いている。強烈な自己放棄の裸形さと、相反する強度な自己愛が産んだ我執への集中が矛盾して捻れうねりあい、放射されるそのアニマ、オ―ラといったものは、他に類が無いものである。そして、今想うのは、唯ひたすらの懐かしさである。駒井哲郎さん、池田満寿夫さんにも各々に忘れ難い思い出があるが、しかし、この版画史から突出した三人の先達に出会い、励まされ、プロの表現者へと導かれたという事実は、私における全くぶれない矜持となっている。

 

……閑話休題、永井画廊にいる時は、奥にある控え室で私は度々休んでいるのであるが、この控え室には実に興味深い作品が掛けてある。梅原龍三郎氏の絶筆となった、描き始めた直後のままに遺った大作が掛けてあるのである。私は、梅原氏の逝去により未完成になった、その薄塗りの、まさに彼が影響を強く受けたルノア―ルの筆触を想わせる画面を観ていて、ふと、詩を書いている最初時の、無垢な言葉の立ち上げに似ていると思った。言葉がアクロバティックに、積算的に、また連弾的にくねりながら、時に逡巡し、時にレトリックの羽を得て詩は漸く完成へと至るのであるが、梅原龍三郎氏の未完に終わったその大作を眺めながら、私は「この描きかけの作品を観て、最も強い興味を抱くのは、やはり小林秀雄であろう、」……そう思った。

 

……展覧会は7月3日迄である。棟方志功さんに続いて、駒井哲郎さんのご遺族、また池田満寿夫さんのご遺族が、この展覧会を観に画廊に来られる予定になっている。タイミングが合えば、私にとっては実に久しぶりの再会になるが、ぜひお会い出来ればと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『洗濯女のいる池 ― ブルタ―ニュ最終篇』

…… ナントのパサ―ジュ『ポムレ―小路』からパリに戻ったのは初日の夕刻であった。パリ在住の通訳で、コ―ディネ―タ―のK女史が予約してくれていたホテルは、マドレ―ヌ寺院の真後ろである(画像掲載―寺院後部の白い建物)。ショパンの葬式のあった寺院。…最上階の私の部屋から眼下に見るその姿は、灰白色の堅い遺跡、更には巨大な鳥籠を想わせた。

 

翌日は、カメラマンと編集者は、撮影用の重いカメラや機材を携えて早朝から街中の撮影に行き、私は一人セ―ヌを渡って、かつて拠点として住んでいたサルジェルマン・デ・プレ地区を抜けてリュクサンブ―ル公園に行き、木陰にあるテ―ブルにノ―トとペンを置いて椅子に座り、これから一仕事をしなければならない。…… 明日の夕刻から始まるベルナ―ル・ゴ―ギャン氏へのインタビュ―の内容(主にパサ―ジュに関して、ボ―ドレ―ルベンヤミンの事、そして、ゴ―ギャン氏のパサ―ジュに寄せる想いや視点の在処は何なのか……)などを書いていくのである。15年前にお会いした微かな記憶では、実に機知に富んだ、しかし一筋縄ではいかない精神の襞を持った人物であったと記憶する。故に質問もまた練りに練った言葉を必要とする。それ故に、樹間を抜けてくる微風を受けながら、木陰で過ごすこの時間は、実に愉しいものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………… 約束の3日目の夕刻になり、いよいよゴ―ギャン氏との対面(正確には再会)の時が来た。パサ―ジュ『VERO―DODAT』の中に入ると「13」番のプレ―トがある古書店が見えた。店内に目をやると、15年前の鋭さは消えて、穏やかな顔立ちの中に少年の好奇とイノセントな深みを持ったゴ―ギャン氏が笑顔を浮かべながら現れた。K女史の流暢な通訳のお陰ですぐに私達は打ち解け、私は、持参した版画集『反対称/鏡/蝶番―夢の通路VERO―DODATを通り抜ける試み』をタトウから開いて全作品を氏に見せた。すると氏は忽ち強い興味を示し、機知と深みに富んだ見事な感想を直ぐに返して来た。「君の作品からは、ジャン・コクト―の軽みを装った鋭い毒や、写真家のアウグスト・ザンダ―の、時間が停止したような不思議なオブジェ性が伝わってくるよ」「君が二年前にこのパサ―ジュで作品の構想を立ち上げたという話は、既に私達の共通の友人のI氏から聞いているよ。実に面白い。正に、その視点こそが、このパサ―ジュのエスプリそのものだよ」「君の版画集のタイトルに鏡という言葉が入っているが、どうしてその言葉が閃いたのかすごく興味がある。なぜなら、このパサ―ジュの空間はまるで鏡の行列のようであり、ヴェネツィアの夜へと漕ぎ出してゆく詩想を運ぶ黒い舟(ゴンドラ)を想わせるのだから」「正に君も直感したように、このパサ―ジュの主役は、実はこの両側に並べられた巨大な鏡なんだよ。水銀の毒から放たれた妖しい人物達が鏡面から出入りして、この空間の中で謎めいた舞踏を演じているのだよ」…… 二年前の早い午前に、私がこの無人の薄暗いパサ―ジュで一人夢想したその先からまるで語ってくるかのように、ゴ―ギャン氏は次々と詩的なイメ―ジを繰り出してくる。ひと先ずの話が終わり、次に記念写真を撮る事になり、私とゴ―ギャン氏は並んでカメラの前に立った。私は、「写真を現像したら、きっと、見た事がない全く知らない少年が二人写っていますよ!」と言うと、ゴ―ギャン氏は私の発想が気にいり、私の肩を強く叩いて満面の笑みを浮かべた。氏はこのような諧謔がどうやら好きらしい。(…… とまれこの瞬間から以後私達は友人となり、その後、交流を深めていく事になる。)

 

……さて、いよいよ二年前に夢想した、「この空間に私の作品を展示してみたい」―その夢のような願望が不思議な時間の回路を巡って、また不思議な人と人との縁を経て、夢から現実へと結晶化することになる、その時がやって来た。…… そして、不思議な事がそこで起こった。…… 店内に並べてあるたくさんの古書を片付けて、空いたその棚のスペ―スを見ると、まるで始めからそれは用意されていたかのように、ピタリと作品全てが、見事に収まったのであった。これにはゴ―ギャン氏も驚き、そのまま、ゴ―ギャン氏は、それがこのパサ―ジュの日常であるかのようにポ―ズして、カメラにその光景は収まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハンス・ベルメ―ル作品の世界的なコレクタ―として知られるゴ―ギャン氏はディレッタントにして慧眼の人である。私の作品が展示されるや、正面の写真ギャラリーの店主をはじめ、沢山の通行人が集まって来た。……ゴ―ギャン氏は特にランボ―の肖像を作品化した版画が気にいり、私にこの版画集とオブジェを全て購入したいと切り出して来た。……私は「この版画集は既に日本で完売して絶版の為にお売りする事は出来ないが、……しかし貴方にプレゼントする事なら出来ますよ、もちろん喜んで!オブジェも!」と言うと、ゴ―ギャン氏は店内に入り、返礼として、貴重なパサ―ジュの歩みを記した写真集をプレゼントしてくれた。(後日譚であるが、この時に氏が特に気に入ってくれたランボ―の作品は、5年後にフランスのシャルルヴィルのランボ―ミュ―ジアムで、そしてその二年後に、パリ市立歴史図書館で開催された展覧会に招待出品され、ピカソ、ジャコメッティ、エルンスト、クレ―達のランボ―を描いた作品と共に展示される事になり、夢の奇跡は暫く続く事になる。)

 

 

…… さて、いよいよ依頼された取材のインタビュ―が始まった。パサ―ジュの入口に近いレストランで、私、通訳のK女史、そしてゴ―ギャン氏による長い夜の始まりである。開口一番、私は「さてゴ―ギャンさん、私達は2日間、貴方にお会いするのを待ちましたが、その間に貴方はブルタ―ニュに突然行かれてしまった。私の直感ですが、どうもその事が気になって仕方がない。… ゴ―ギャンさんは好奇心の強い人とお見受けします。もし宜しければ、このインタビュ―のはじめに、ブルタ―ニュでの事をお話し頂けると嬉しいのですが……」と語った。するとゴ―ギャンさんは、わが意を得たかのように身を乗り出し、ひそひそ声になって、実に興味深い事を話し始めた。その話とはこうである。…… ブルタ―ニュに行ったのはゴ―ギャン氏と、もう一人の旧くからの友人であった。その友人から突然連絡が入ったのであるが、話に拠ると、二人の友人で、最近フランスの文学賞を受賞した気鋭の才能ある女流小説家がいて、「ブルタ―ニュにある伝説の池―通称〈洗濯女のいる池〉に取材に行くと言って出掛け、その後、忽然と消息を絶ってしまったので、二人して、そのブルタ―ニュの〈洗濯女のいる池〉に行って来たが、結局、その友人の小説家の足取りは、その池の前でプツリと途切れてしまった」のだと言う。

 

話は続く。その池は実在する妖しい池で、昔から何人もの旅人がその池の前で姿を消し、今ではブルタ―ニュの暗い名所になっているのだと言う。池の前に立ち、向かいの池の岸に二人の洗濯女が見えたら、もう逃げられないのだと言う。その洗濯女達はこう呟くのだと言う。「…… ほら見て、また旅人が来たわよ。でもあの人、可愛そうだわ。だってまもなく、私達が今洗っているこのシ―ツにくるまれるのよ。…… 」

 

 

……………………………… 洗濯女と言えば、私が想い浮かべる一枚の絵がある。明治の画家、浅井忠がフランスのグレ―の池を描いた『グレ―の洗濯場』(画像掲載)である。しかし、ゴ―ギャン氏が見て来たブルタ―ニュの池の姿は、浅井忠の絵と違いもっとひんやりとしていて、水もまた一年中冷たいに違いない。……好奇心の強い私は、そう言えば、グリム童話集の中に確か『池にすむ水の精』と題した、実に不気味な話があったのを思いだし、その話をゴ―ギャンさんに話した。「…… 狩人は、自分が例の危ない池の近くにいたことに気がつかず、鹿の臓腑をぬいてから、池へ、血だらけの手を洗いに行ったのです。ところが、水の中へ手を突っ込むが早いか、水の精が、すうっと、まっすぐに出てきて、あはははと笑いながら、ぐしょ濡れの両腕で狩人を抱きかかえ、水の中へ引き入れましたが、そのはやいこと、わかれた波は、あっというまに、狩人の頭の上で合わさってしまいました。………… 」話はこの後で更に不気味さを増していく。…… とまれ、ブルタ―ニュの池に消えた友人の行方を捜す為にゴ―ギャンさんは今一度、その洗濯女のいる池に行くのだと言う。…… かくして、話はブルタ―ニュ、パサ―ジュを絡めて延々と続いた。依頼された『翼の王国』の原稿は10枚書いたが、そのラストは次の文で終わっている。「豪奢な黒の余韻―時間迷宮。夕刻から始まった私たちの会話は果てしなく続き、遂に深夜にまで及んでしまった。夢の通路のように、ヴェロ・ドダの長い夜がそこにゆっくりと流れていた。」

 

 

 

 

 

翌朝、通訳のK女史がたくさんの資料を抱えて、私の部屋に入って来た。見ると、何とたくさんのブルタ―ニュ関連の資料であり、その中に『洗濯女のいる池』の写真も載っていた。インタビュ―が終わり、帰りのタクシ―の中で私がやたらと『洗濯女のいる池に行ってみたい!』と話していたので、K女史は短時間でその資料を集めてきてくれたのである。「この男、本気だな!!」…… たぶん、そう思ったに違いない。帰国して更に調べたら、『ブルタ―ニュ幻想民話集』という、ブルタ―ニュに伝わる「怪奇民話97話」がある事を知った。何故かブルタ―ニュ地方には幽霊の話や、死者の蘇り(黄泉がえり)といった話が集中的に多い。この地の寒くて荒涼とした土地が持つ特異な地霊の成せる業なのであろうか。……この点、柳田国男の『遠野物語』(岩手県遠野地方に集中的に伝わる不思議な話を集めた説話集)と通じるものがある。しかし、『遠野物語』に登場する現場は今は平穏だが、ブルタ―ニュ地方では今も不思議な話や、不気味な事件が継続的に続いている点が、やはり違う。……このコロナが収束したら、先ず行きたいのは、すなわちヴェネツィアと、このブルタ―ニュの『洗濯女のいる池』である。妖しい娘たちの笑い声が響く中、まっさらなシ―ツにくるまれながら水の底へと消えていくのも、また一興か。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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