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『今どきの寓話―美術番外編』

……亡くなった母から生前に度々聞かされた話であるが、私は産まれた時から体が弱く、2才の時に百日咳が悪化して、もはや死は間近に迫っていたらしい。運よく注射した薬が幸いして一命だけはとりとめたが、発達が遅く特に言葉の覚えが悪く、脳に障害があるのでは……と心配したらしい。……その私が3才の時に初めて口にしたのが、日本語ではなく、スペイン語の「バイヤ・コン・ディオス」という言葉であった。

 

この言葉は、ラジオ全盛時であった当時、海外から入って来た曲のタイトルで、日本人では江利チエミが歌っていた。彼女が日本語で朗々と歌いながら途中から転調するように急に流れてくる、この耳馴れない初めて聴く言葉『バイヤ・コン・ディオス』という意味不明の異国の響きに、私は何故か惹かれて興奮したらしく、繰返しこの言葉だけを喋り続けていたらしい。……まぁそこまでは良かったのだが、何を思ったのか、私は早朝に起きて玄関を開け、まだ朝霧に煙る近所の家々に向かって、この言葉を狂ったように大声で絶叫するのが習慣、つまり毎朝の日課になってしまった。当然、近所迷惑になるので母から叱られ、それでも止めないので、何度も母の怒りの鉄拳が頭に飛んできた。……私はこの時に殴られたその痛みだけは、今もありありと覚えている。

 

……先日、吉行淳之介氏と開高健氏の対談集『街に顔があった頃』を何気なく読んでいたら猥談の中で突然この言葉『バイヤ・コン・ディオス』が話題として出て来たので驚いた。そして意味を知って、また驚いた。バイヤコンディオスとは「神と共に行け」という意味なのであった。つまり私は近所の人達に向かって大声で「神と共に行け!!」と絶叫していたわけである。

 

スペイン人のピカソが初めて話した言葉は、確か「lapiz」(鉛筆)であったと記憶する。20世紀を代表する画家へと変貌したピカソのその後を想えば、ピカソが初めて話したその言葉(lapiz)の訳は「我に絵を描く鉛筆を与えよ!」といった意味にでもなろうか?……ならば「バイヤ・コン・ディオス」と云った私は、或いは道を間違っていたのではあるまいか。「神と共に行け!」と世の民に絶叫していた私は、例えば聖職者―伝道師といった道が、ひょっとして相応しかったのではあるまいか。つまり今の自分とはまるで真逆の道が、そこには開かれていたわけである。………… まっ、〈呪われた聖職者〉という言葉もあるので、なったとしたら、むしろそれか。

 

先日、ちょうど台風が日本列島を通り過ぎた頃に、数人の知人から時を同じくして連絡が入った。「ネットを観て下さい、面白いですよ、南瓜(カボチャ)が流されて行きますよ!!」と云う。で、観ると、確かに荒海の中を巨大なカボチャがプカプカと流されていく光景が画面に映った。……おや、これは草間彌生女史のカボチャではないか!?……確かにそうであった。それが波に揺蕩うように沖へ沖へ…と流されていくのである。どこの島か忘れたが、確かこのカボチャは島の岸壁の先端に設置されていたのではなかったか!?……画面の説明では、いつもは嵐の度に、島の職員が安全な場所に移していたという。……しかし、今回の台風がいつにも増して激しい事は事前から気象予報でわかっていた筈だから、察するに面倒くさかったのではあるまいか。

 

 

 

 

 

 

……ふと思い出したのだが、このカボチャの作品については以前に私なりの私見というものがあった。先に登場したピカソに「作品は制作時に於いて七分で止めろ」という言葉がある。作者と観者の関係において、観者の想像力を作動させる為には、作品(表現物)は造り過ぎてはいけないと諭しているのである。……さすがの名言であるが、そのピカソの言に倣えば、このカボチャは確かに造り過ぎていると、私は思ったものであった。「ハイッお仕舞い!」で、観者は唯、眺めるだけなのである。

 

 

 

……話は変わるが、このカボチャの配色は黄色と黒。この配色は強く見せたい動物、例えば虎や雀蜂の配色と符合する。……私は強い!という事は、つまりは母性性の顕れでもあるのか。と、そこまで想うと、急に私の連想は、このカボチャが岸壁で、いつまでも還らぬ息子を待ち続けている戦後に数多いた母親像が重なり、二葉百合子が唄う『岸壁の母』を連想した。「母は来ました今日も来た。この岸壁に今日も来た。届かぬ願いと知りながら、もしやもしや……」のその母親である。その母が還らぬ息子を待ち続ける事に疲れはて、遂に自ら海中に飛び込んだ、……その悲惨な姿を私はカボチャが流されていく画面を観ながら連想したのであった。連絡して来た人達は揃って、桃太郎の話の冒頭にあるドンブラコの桃を連想したという。確かに私も最初はそう見えた。しかし連想は紡がれて、二葉百合子へと至ったのであった。そして改めて思う。『岸壁の母』は、あの時代を映した確かに名曲であると。

 

 

……さて、以前に私が何かの写真でこのカボチャの作品を見た時に、この造りすぎた感のある作品を、如何にすればもっと詰めた作品になるか!?……そう考えた時があったが、ようやく、流されていくカボチャの画面を観て気がついた。……そう、この画像こそが真の作品なのだと思い至ったのであった。カボチャは濁った波に揉みくちゃにされながら、何かにあらがうように流されていく。……詩人の荒川洋治風に書けば、「流されていく私」や「流される私」といった不本意な私ではなく、些かの矛盾を孕んだ「流されていくぞ、私は」、とでもなろうか。……「アクシデントは果たして美の恩寵たりえるのか」といった命題は、私個人の創作における問題であるが、時として自分以外の他者、或いは偶然の悪戯によって、詰めが決まらなかった作品に信じがたい暴力的ともいえる恩寵が訪れる時があるのである。私は、この中が空洞のカボチャの作品を観て、ロダンならば沈む!ブランク―シならば沈む、美はその自らの尊厳の重みによって沈む!……とも思い、ロダンの最高傑作『バルザック』が水底に沈みゆく美しい姿を夢想した。

 

閑話休題。……それはそれとして、ずいぶん昔の話を私はふと思い出した。……それは私が未だ19才の美大の学生の頃に、銀座の或る画廊で開催されていた草間彌生展を観に行った時の話である。画廊の中にまだ若い頃の草間彌生女史がいて、一人の小さな老人と熱心に話をしていた。その小さな老人は、しかし犯しがたい不思議なオ―ラを放っていて、瞬間に私は、シュルレアリスムの日本における唯一の体現者―瀧口修造氏だとわかった(余談だが、その二年後にお会いする、この国の最高の詩人―西脇順三郎氏など、私は様々な場面で時代を造った先達諸氏に遭遇する妙な「気運」を持っている)。瀧口修造氏の言葉は実に小さい為によく聞きとれない。草間女史も、真剣な表情で食い入るように聞いていた。……………………あの日からずいぶんの時が流れた。瀧口修造氏はその8年後に亡くなられ、その死を境にして何か大事なものが崩れ出し、……更にずいぶんな時が流れ、美術の分野は今、周知のように全ての表現分野の中で、最も堕落したものに成り果てた。

 

 

……その美術の分野の堕落を誰よりも早々と予見したのは、マルセル・デュシャンであった。その彼がずっと取り組んでいたのが、大きなガラスの作品『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも』―通称『大ガラス』である。しかしデュシャンは、この作品を作り終えはしたが、全く不満であった。「何か」が決定的に足りないのを、明晰なデュシャンは直感し、長い間、この作品は放置されていた。しかし、美神の仕業としか思えない事が偶然に起きて、この作品は20世紀美術における呪縛的ともいえる名作に一気に昇華した。

 

ある日、この作品を運搬していた運転手の荒い運転によって、作品全面に亀裂が入ってしまったのである。さすがにデュシャンも最初は落胆したが、この聡明な男は、この偶然生じた亀裂によって、つまり人智を越えたアクシデントの力学によって、何かが決定的に足りないと思っていたのが、奇跡的なまでに解決した事を彼は理解したのである。……それから数年間、彼は作品の亀裂を固定する作業に没頭し、この作品は20世紀美術を代表する、云わばイコンとなった。

 

 

 

 

 

……私が先に述べた「アクシデントは果たして美の恩寵たりえるのか」といった私の個人的な命題は、念頭にこの作品があってこそ生まれたのであった。……流れていくカボチャは、やはりこの命題とは違うものであるが、しかし重ねて言おう。この流れていくカボチャの映像は、あたかも今時の寓話として相応しい。出来れば、この映像を作品として残すだけの、表現に関わる者としてのエスプリの高みを期待したいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『さりながら、死ぬのはいつも他人なり』

①……8月17日、午後2時すぎ、小雨。……アトリエで制作していると、蝉の鳴き声が近くに聞こえ、遠くを、悪い夢を運んでいくように救急車のサイレンの音がかしましい。最近、この音をよく耳にするようになった。何かがじわじわと迫って来ている感じである。

 

……昨日は、感染の事態が悪化して画材店なども一斉に休業になるといけないので、万が一の先を考えて横浜駅近くにある店に画材を買いに行った。イメ―ジの閃きは尽きなくても、絵具が無いとさすがに手足がもがれたようなものなので、やむ無くの久しぶりの外出である。しかし、駅の通路は相変わらずの人、人、人で、「緊急事態宣言が追加されました」というアナウンスが流れても誰も全く耳に入っていない様子。有効な唯一の手段のロックダウンも、この国はやる気無し。しかし、先日、現場で奮戦している医師がテレビで「全く打つ手無しのままこの状況が続けば、これからは間違いなく地獄の様相を呈して来る事は必至!策が必要なのに、何も具体的にやらないならば、もはやこの先は人災です」と言っていた言葉が、当然すぎてリアルに気にかかる。……20世紀美術をピカソと共に牽引した男、マルセル・デュシャンの墓碑銘にある言葉「さりながら、死ぬのはいつも他人なり」ではないが、おそらく自分だけは、コロナで死ぬ事はないであろうと、誰もが漠然と思っている節がある。そして相変わらず人の出が絶えない、この光景。駅の構内を、仲良く笑いながら平時と変わらないように行く人々の姿。ひょっとして、ここは異界か?

 

……感染が危ないので早く用事を済ませて帰ろうと思いながらも、歩きながら、……ではどうすれば人流が減るか、と考えてふと、以下のような考えが浮かんだ。(私は度々このように唐突に妄想する癖がある)…………頻繁にテレビで映される重症の患者の姿や医療現場の光景。戦場と変わらない、もはやそこは凄まじい現場。そこに聴こえる患者の苦しそうな咳き、かすれた声で切れ切れに語る、この変異株の想像を絶する猛威の告白……等々を実際に幾つも録音して、政府が断行してBGMのように、駅の構内、電車の中、エレベ―タ―など、人々が行き交ういたる所で執拗に流し続けるのである。けっして役者が演じた嘘の声ではなく、実録の生々しい音に限り、そこに医療現場の切迫感の状況を伝える音も加え、毎日の死者の数も日々更新して流すのである。……そして繰り返される、肺の瀕死の様が伝わってくるような乾いた、あの咳きの音。…………如何であろう、イマジン、……想像して頂きたい、その様を。行く先々どこでも聴こえて来る、今、この私達にとって一番聴きたくないリアルな音を日常空間に流すというアイデア。突飛なようであるが、もはや策はこれしか無いのではあるまいか。……ふざけているのではない。真顔で閃いたこの戦略を前にすれば、外出すれば必ず背後から追ってくるような、つまり視角ではなく、聴覚を通して心の深部にコロナの恐怖が個人個人に伝わって来て、人はむやみに外出する気も失せて、結果としてのロックダウンに似た効果に繋がるのではあるまいか。……政府の「どうかお願いします。外出は控えて下さい。」ではなく、外出が即ち嫌悪に繋がるような策が案外有効なのでは……あるまいか。ジャン・コクト―は『音楽には気をつけろ!』と云ったが、云わんとする事は、聴覚は視角よりも人の心の深部まで一瞬で入り込み、琴線を激しく揺らすという意味である。だから音はゲリラ的に危ういものがある。………………と、ここまで書いて、結局は私個人の妄想に過ぎない事にふと気づき、ブログの書き込みも、……指が止まる。……とまれ、このまま結局は、この国は流れに任せてさ迷う、沈みかかった泥の舟よろしく、「緊急事態宣言」「まん防」しか言葉を知らない無策のままに、無明長夜―けっして明ける事のない長い夜を延々と耐え忍んで行くのであろうか。(下の②に続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②追記・ファイザ―のワクチン接種を完了して日が経つが、別に痛みも発熱も全く無い。ただ倦怠感だけはあるが、これは子供の時からのもので、人生に対してずっとある。……抗体が出来ない人は、接種完了者の4パ―セント近くいるというが、多分それか。

 

……閑話休題。さて、以下は気紛れに書いた短い小話のようなもの。ブラッドベリの短編を読むように気軽にお読み頂けると有り難い。

 

 

 

 

 

 

「……西暦2225年(今から204年後)に、ニュージーランドのアビル・タスマン国立公園の近く(場所の詳細は不明)の遺跡から、偶然その場所で遊んでいた二人の少年(パトリック・マクグ―ハン少年とアンジェロ・マスカット少年)によって、約200年前の歴史録の断片が見つかった。タイトルは『ゲノム戦記・第七章』とある。僅かな記述のみの切れ切れの断片には、次のような記述があった。〈2020年頃に中国の武漢から発症したコロナウィルスは、イギリス株、デルタ株等と変異を繰り返しながら猛威を奮っていた。しかし当時の人々は安易に考え、そのデルタ株をもって収束に向かうと楽観視していた。しかし、それは実は初期の序章に過ぎず、ウィルスはその後も何度も変異を繰り返しては強力さをいや増し、容赦なく波状攻撃的に人々を襲い、もはやワクチンすら既に効力は無くなっていた。特に何の策も打たなかった日本とブラジルの民が先ず死に絶えた。(ここから紙の破損が目立ち、しばらく判読不明の箇所多し。)…………と来て、その後、欧州や中近東、ロシア、中国、アメリカ……の順に多くの民がその被害者となり、その多くの民が流民となった。(ここから更に3頁ほど紛失あり。)

 

……そこで、流民となり、死骸の山と化したロンドンからの脱出に成功したキャサリン・ベ―カ―(ロンドン北西部・フィンチリ―コ―ト在住)は馭者に助けられ、ウェ―ルズのポ―トメイリオンから舟で海路をとり、マルセイユからカルカソンヌを経て、更に南下。一路、ニュージーランドを目指した。今では語り草となっている話であるが、信じがたい事に、ニュージーランドだけはコロナウィルスでの被害を免れた唯一の国であった。勿論最初は感染者が出たが、その度に徹底したロックダウン政策を施行し、一人の感染者が出てもロックダウンを行うという賢明な政策のお陰で、奇跡的にこの国だけが国民を被害から守り、他国からの流民の多くを迎え入れた。……ロンドンから脱出に成功したキャサリン・ベ―カ―(つまり、私の曾祖母)は、その後の余生をこの国で平和に過ごした。……しかし、私の母の代になって、〉………………………… 以下は、記述した断片が完全に紛失している為に、話の断片はここで突然終わっている。

 

 

 

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「世界崩壊の予感の中で『羅生門』を観る」

……「オリンピックがすんで、虚脱状態に陥った人はずいぶん多い。考えてみれば、日本が世界の近代史へ乗り出してからほぼ百年、たびたびの提灯行列はあり、いわゆる国民的興奮は、戦争に際して何度か味わったわけだが、こんなにひたすら平和な、しかも思いきり贅沢に金をかけたお祭りが、二週間もつづいたことはかつてなかった。しかもそれは「安全な戦争」「血の流れない戦争」「きれいな戦争」の要素を持っていて、みんなが安心して「戦争」をたのしみ、「日本の勝利」をたのしむことができた。………… 」

 

この文章は、1964年(昭和39年)に、三島由紀夫が書いた「秋冬随筆」という中の一節である。56年前のこと故に些か隔世の感はあるが、興味深いのは、三島が文意の底に、オリンピックを一種の代理戦争と冷やかに視ている点である。

 

……国民の多くが、同じ日本人というだけで、初めて見る見知らぬ選手に拍手を送り、興奮し、それこそ金メダルでも取ったならば、国民に祝いの配当金が配られるわけでもないのに、昔からのわが知り合い、わが身内のように感激し、日頃の鬱屈を晴らしたかのように情緒を解放し、快感を覚えるこの奇妙な感情の束の間の出処は、何処からやって来るのであろうか?……同じ日本人であるという、詰まりは何らかに自分が帰属している、或いは帰属していたいという事の確認や安心感を、そこに動物的な本能として原初的に覚えるのであろうか。……もっとも、この感情の覚えは日本人だけでなく世界共通の感覚であるが故に、三島がオリンピックの本質に、戦争の代替としての根深い闇を視てとったのは正しいと思う。

 

 

……さて、このオリンピックの期間中に、わかっていた事であるが、コロナ株の感染は、世界の中でも日本が目立って爆発的に拡がり、医療現場は崩壊し、もはや打つ手無しの、ロックダウン(都市封鎖)しか策は無い状況にまで差し迫って来た。しかし、日本はそれを成し得ない。法令が無いからでなく、詰まりは政治に哲学が無いからである。つくづく不気味な国に生まれたものだと思う。……そして、ここにきてイギリス政府の緊急時科学助言グル―プ(SAGE)が、サ―ズやマ―ズの致死率に匹敵する、或いはそれ以上に強度でかつて無い、感染者の3人に1人は死亡するという、新たな変異株の出現を予告したことは、ひんやりとする感がある。……AI最優先による人類の劣化や個性を欠いた均質化、、自然環境の潰滅的な破壊による異常気象の猛威etcに加えて、波状攻撃的に執拗に襲来する変異ウィルスの恐怖。……もはや世界は、地獄の釜の蓋開きのような様相を呈して来て、人の心の危うさ、脆さが浮き彫りになり、私達は自分の存在の意味があらわに試される時代に否応なく直面している。……正に時代は、芥川龍之介の処女作『羅生門』の主題と重なるものがある。

 

 

 

 

8月7日、池袋の東京芸術劇場で公演されている、勅使川原三郎版『羅生門』を観た。折りからの天気は雷雨の不穏を孕んで期待が弥が上にも増して来る。出演は勅使川原三郎佐東利穂子、そしてアレクサンドル・リアブコ(ハンブルク・バレエ団)、宮田まゆみ(笙演奏)他の諸氏である。今年に入って先ずは第一詩集の執筆と刊行、そして三つの個展開催に追われ、なかなか新作公演を拝見出来ずにいたが、6月に拝見した両国のシアタ―Xでの『読書―本を読む女』に続いての公演であり、実に愉しみに私はこの日を待っていた。

 

『羅生門』は、芥川の文芸作品であるが、それを言葉でなく身体表現によって切り開くものなので、芥川の『羅生門』の筋の再現をそこに、(黒澤明の『羅生門』の映像のように)観ようとしてはいけない。視覚に増して聴覚の変幻、合わせての空間芸術ならではのレトリックがそこに機能して来るのである。勅使川原氏本人からも6月にその構想の一部を少し伺っていたが、あえて途中の筋を省くらしく、なるほど、それによって、芥川を離れて一気に3次元空間で、そのスケ―ルは饒舌に膨らみ、勅使川原三郎氏のものと化すのであろう。……筋の真ん中をあえて抜く事で、暗示は通底してより観客に深く届き、その空間は象徴性を帯びて、よりスケ―ルの大きなものへと転じて来る。独自な作劇の術と自信の成せる技である。言わずもがなであるが、そこに勅使川原氏の観客の感性への信頼があり、作品は、観客も巻き込んで、そこにリアルに生々しく立ち上がる、……それが本当の意味での作品なのである。

 

 

話を少し転じて、先に書いたレトリックについて、もう少し書こうと思う。……レトリックとは「巧みな表現をする技法。また、修辞学、凝った文体、……」を意味し、主として文芸の側に属するものと考えられがちである。……以前のブログで、物理学者で随筆家、俳人の寺田寅彦が師の夏目漱石に「俳句とは、詰まるところ何ですか?」と訊いた時に漱石は「レトリックを煎じ詰めたもの」と鮮やかに断じ返した事を書いた。この場合、答えにレトリックを引いたのは、漱石が最も心酔していた与謝蕪村の俳句が頭に在った事は疑い無い。芭蕉となると、総じての俳句の意味あいは少し異なってくるからである。確かに蕪村のイメ―ジの引き出しの絢爛を想うと「レトリック」の一語に極まるのであり、私が以前に書いた『美の侵犯―蕪村X西洋美術』(求龍堂刊行)の執筆の動機もそこに在る。

 

しかし、レトリックは文芸の側の言葉だけに在らず、先ほど書いたように、視覚、聴覚、また嗅覚、触覚……のレトリックもまたあり得るのである。……その例として例えば『ドラクロアの日記』(私が持っているのは求龍堂が昭和四年に刊行した版)で、ドラクロアが絵画表現に際して、このレトリックなる言葉を用いているのである。「……レトリックは到るところにある。其は繪をも書物をも傷つける。……これに反し前者の最も美しきアンスピラシオンを、レトリックそのものが腐敗させる點にある。……」とある。〈ちなみに仏語のアンスピラシオンはインスピレ―ション(啓示・霊感)の事である。〉ドラクロアの時代はレトリックの意味は少し狭く、啓示・霊感と対立する危険性を孕んでいるものとして捉えられているが、今日のレトリックは、人の創造性を刺激し、心を鼓舞させる様子を表わし、ほとんどの場合、芸術表現に於ける良い意味として今は使われる。やはり時代の変遷で概念の幅も動く、その一例であろうか。

 

 

……話は再び勅使川原氏の表現に戻ると、私がおよそ8年前から殆ど毎月のように発表される新作初演に立ち会える幸運に浴しているが、毎回観たいというその熱情の源は、私が表現者として、最も関心のあるのがこのレトリックという才気を帯びた術なのであり、視覚、聴覚……において最も優れたレトリシャンとして、氏を視ているからなのであろう。……そして、今回の公演も、私はただひたすらにその虚構空間が綾なす美のスケ―ルの壮大な拡がりに酔い、玄妙な闇に遊び、その闇の深部に蠢く不気味なまでの不条理の相を垣間視たのであった。そして、その闇の中に幽かに射し込む浄土のような光の下に、世阿弥の劇性の高みをも想わせるような完成度をも覚えたのであった。

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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