フィレンツェ

『ダリオ館再び―in Venezia』

脚本家で小説家の向田邦子さんには苦手なものがあった。……魚の目である。『父の詫び状』所収の「魚の目は泪」と題したエッセイの中で、芭蕉の名句「行く春や鳥啼き魚の目は泪」について書き、実は魚の目玉が恐くて、「目が気になりだすと、尾頭付きを食べるのが苦痛」で、魚屋へ行くと見まいと思っても、つい目が魚の目にいってしまう、と書いている。食通の向田さんにしては意外な話で印象深い。……魚の目に関しては、私にも遠い、或る思い出がある。たぶん4~5才の頃であったかと思うが、母親に連れられて魚屋に行った時の事。母親と魚屋の主人との長話が続くので、私は退屈であった。退屈な気分の先にずらりと並んだ沢山の魚が目に入った。……私はその魚の乾いた虚ろな目の様が面白く、悪戯心が湧き、つい指先が延びてしまった。魚の目玉の縁に指先を突き刺しひっくり返すと、訳のわからないねばねばした〈裏側〉が出てくる。それが面白く、一匹、また一匹、また一匹……とかなりの数の魚が、私の好奇心の犠牲になっていった。「あ~!!」と叫んだのは、あれは母親であったか、魚屋の主人であったか?……とまれ時既に遅しで、店頭にはもはや売り物にならない、無惨にも目玉がひっくり返った魚がたくさん並ぶ事となった。母親が始末をどうつけたのかは忘れたが、ひたすら謝っていた姿だけは覚えている。……たぶんその後の店先には、沢山の切り身が並んだ事と思われる。……この頃から次第に好奇心の強い性格が芽生え出し、以来、怖いもの、不可解なものに異常に執着するように私はなっていった。

 

 

……ひと頃は、『反魂香(はんごんこう)』なる物に興味を持った事があった。中国の故事に由来するが、焚くと死者の魂を呼び戻し、その姿を煙の中に出すと言われるお香の事である。おりょうが、亡き夫の坂本龍馬について語った回想録の本の題名も『反魂香』であったと記憶する。自由業なので時間があり、制作以外の時は、自分の好奇心の赴く方へと日々さすらっている人生である。だから反魂香に興味を持った時は、機会を見ては都内の香を扱っている店に入り、その香について問うたものである。しかし全くといっていい程、反魂香なる物について知る人は誰もいなかった。やはり伝説にすぎなかったのかと諦めていた頃、……昨年の冬に鹿児島のギャラリ―・レトロフトで個展をした時の事であった。まるで泉鏡花の怪奇譚の中にでも登場しそうな妙齢の謎めいた女性が入って来られた事があった。その気配から、一目見て只者ではないと思った。話を伺うと香道を生業とされているとの事。「遂に来た!」と直感した私は『反魂香』についてさっそくに切り出すと、その人の細い眉がぴくりと動き、鋭い眼で私を見返し、「確かにその香は存在しますが、あまり深入りはされない方が御身の為ですよ……」と静かに言った。面白いではないか!!……存在するなら、そして、その結果、何処かに連れ去られたとしても、私はいつでも本望である。しかし、その女性は、何故かその後の話を切り換えて別な話になり、その後に来客が来られたので、未消化のままに話は終わった。……老山白檀、沈香、龍脳、甘松……等を秘伝の調合でブレンドするらしい。

 

 

……さて、本題のダリオ館である。ヴェネツィアにある15世紀後半に建てられたこの館は、歴代の主や家族が自殺、又は非業な死を遂げるという、妖かしの館である。単なる伝説ではなく、この館に関わった者が実際に既に20人以上が亡くなっており、私が初めてヴェネツィアに滞在していた1991年時は生きていた、この館の主で起業家のラウル・ガルディニという人は、1993年の夏に銃で自殺を遂げている。以来、この館は無人の館となっていた由。私がこの館の不気味な存在を知ったのは、3回目にこの地を訪れた時であった。……ダ・ヴィンチの事を書く為に取材でロ―マから北上してフィレンツェに入った後に、ヴェネツィア在住の建築家に会う為に訪れた時であった。たまたま乗ったゴンドラのゴンドリエ―レ(ゴンドラの漕ぎ手)から、対岸にある、その一目見て不気味な建物―ダリオ館についての謎めいた話を詳しく教えてもらったのである。映画監督のウッディ・アレンがダリオ館に強い興味を抱き、真剣に購入を考えているという。ゴンドリエ―レは私達を見つめ、「彼は間違いなく死ぬだろう!」……そう言った。(この後、ウッディアレンは購入を断念したという話が入って来た。彼の友人達が真剣にその危険を諭したのだという)。……数年して私は写真の撮影の為に再びヴェネツィアを訪れた。その時は、この館に次々に起きる不吉な死の真相を確かめる為、私は本気でこのダリオ館に塀を越えて侵入するつもりであった。闇の帳が下りた頃、ダリオ館に行くと、意外にも中から灯りが漏れていた。見るとタイプライターで知られるオリベッティ社の銘が見えたので、残念ながら断念した。同じ並びにあるベギ―・グッゲンハイム美術館など、この運河沿いにある館の平均価格は250億はするという。まあ、私が貴族の末裔だったら絶対に購入するのだが……と、真相究明の挑戦はしばしお預けとなった。

 

永井荷風たち耽美派が影響を受けた詩人のアンリ・ドレニエは、かつてこの館に滞在した折りに「深夜に人の小さな呟きが聴こえた」と記している。またこの館には異様に巨大な鏡があるという。また、この館が建つ前は、そこはヴェネツィアの墓地であったという、……その辺りは切れ切れではあるが調べてある。

 

…………先日、何気なくふと、このダリオ館のその後が気になり、タブレットを開くと、信じがたい情報が飛び込んで来た。なんと、アメリカの起業家が800万ユ―ロ(たった12億8000万円!)で購入したというではないか。相場の10分の1の価格である。……しまった!と思った。遅かった!と思った。……そして、何とかならなかったのか!!と自分を責めた。そして、ふと我に帰った。……現実を見ろ!!と。しかし、私の好奇心は潰えてはいない。またヴェネツィアは行くであろう。しかし、その時には……という、真相究明の強い思いが、今もなお、私の心中で騒いでいるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『切断された絵画』

版画家のMさんから面白い情報を頂いた。オルセー美術館収蔵のクールベの代表作『世界の起源』が、実は切断された部分にすぎず、その顔の部分の油彩画が最近ある骨董店で発見されたのである。周知のとおり、この『世界の起源』という作品は、女性の局部とその周辺の部位のみを描いた作品で、エロティックな画集には決まって登場し、かのデュシャンの『遺作』にも影響を与えたと言われている、云はば、オルセー美術館の裏の秘宝としてあまりに有名な作品なのである。この作品に『世界の起源』という学術的かつ観念的な題が付けられている事が免罪符となっているのか、その直接的な卑猥さにも関わらず、常設として展示されていた。しかし、ここに具体的な「顔」が現れた事で事態も解釈も一変する事となった。おそらくは後世の人が付けたであろう『世界の起源』というタイトルの効力は薄れ、具体的な『或る女人のかくも淫らな肖像』へと一変してしまうからである。ただし現時点では偽物という説もあり、真偽を求めてパリの新聞の評も二分しているらしい。私が見た画像の限りでは細部が見えない為に何とも判断はつきかねるが、古典主義ロマン主義のいずれにも属さず、写実主義の極を生きたクールベの事、彼に限ってこそ充分に描きそうな主題ではある。

 

 

これがもし本物であるならば、絵が切断され二分された理由はほぼ一つに限られる。それは絵の注文主かその子孫が〈顔〉と〈局部〉を二分して売れば、一枚だけより、より高く売却出来ると考えたからである。しかし、ともあれ『世界の起源』に〈顔〉がピタリと符合した事で何とも名状し難いエロティシズムが立ち上がった。フェティシズムと想像力に〈具体的な個の物語〉が絡んできたからである。そして、そこから私は過日に直接本人から聞いた、或る話をふと思い出した。

 

・・・・文芸評論家のY氏は或る日ひょんなことから一冊の写真集を入手した。それは唯、女性の性器だけを、それこそ何百人も撮影した、まるで医者のカルテのような写真集であった。Y氏は、視線の欲望をも美しい叙情へと仕上げてしまう、昭和を代表する詩人の吉岡実氏に電話をして見に来ないかと誘ったのであった。吉岡氏云わく「Yちゃん、ところでそれに顔は付いているのか!?」と。Y氏云わく『いいえ、それだけです。それだけが何百枚も写っているのです」。それを聞いた吉岡氏云わく、「だったら見に行かないよ。なぜならそれは全くエロティックでも何でもないのだから」と云って断ったのであった。この逸話はささやかではあるが、そこに吉岡氏の徹底したエロティシズムへの理念が伺い知れ、私はあらためて吉岡実氏に尊敬の念を抱いたのであった。

 

ところで今回の件のように〈切断された絵画〉の事例は、実は他にもある。例えば、ローマのヴァチカン美術館の秘宝ともいえるダ・ヴィンチの『聖ヒエロニムス』がそれである。やはり、顔と他の部分が切り離され、各々別々に近代になってフィレンツェ市内の家具屋と肉屋で発見された。各々を見つけたのは、何故か同一人物で名前は失念したが、確かナポレオンの叔父であったと記憶する。一方の絵は家具屋の店内の扉として使用されていたというから恐ろしい。もう一つの例としては、やはりダ・ヴィンチの『モナ・リザ』がある。現在私たちが見る『モナ・リザ』は描かれた当初は、左右に7センチづつ更に柱が描かれていた。しかしこれを切断したのは画家本人である。『モナ・リザ』は左右に切断された事で、人物と背景との関連と違和は相乗し、唯の肖像画から暗喩に満ちた異形な絵画へと一変した。

 

さて、今回の〈顔部〉が発見された事で、最も当惑していたのはオルセー美術館であろう。分析の結果を待つかのように今は沈黙を守っているというが、・・・・もし本物であったならば、ひょっとすると今までのような展示はもう見る事が出来ないかもしれないという懸念もある。何故なら顔部を併せて展示した場合、そこから立ち上る卑猥さは増し、観光客はこぞってモネやゴッホよりも、そこに集中し、オルセーのイメージは少し歪むからである。しかし彼の地の美術館の学芸員たちは、日本のそれと違い、芸術の本質が何たるかを知っている連中が多い。それが社会学的にしか見せられない、唯の綺麗事としての展示に留っている事を諒とせず、又、彼の地の観客たちの芸術に対する認識も成熟している。もし〈顔〉が本物と認定され展示されたとしたならば・・・・。或は、誰よりそれを見る事を内実望みながら、「こんな不謹慎な絵を・・・・」と絵の前で真顔でつぶやくのは、ツアーでやって来た我が国のご婦人たちかもしれないと、私はこの度の発見に供なって思った次第なのであった。

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『年が明ける』

三方から除夜の鐘の音が響き始めたのと重なるようにして、風に乗って東の海の方から汽笛の音が鳴り響いてきた。横浜港に停泊している全ての船がいっせいに新年を祝して汽笛を鳴らすのである。私はこの汽笛の音が好きであるが、この音を聞く度に想いだす一枚の古写真がある。それは明治初期に撮られた写真で、そこには、山手の坂を下りて港に行く際に渡る谷戸橋の上を歩く外国の婦人の姿と、その先を輪廻しをしながら駆けていく少女の姿が写っている。遠景に見えるのは寺院で、ヘボン式ローマ字の創始者で宣教師・医師であったジェームス・ヘボン先生の住居である。写真は本質的に静的なものであるが、この輪廻しする少女のように無垢な動的なものがそこに加わると、詩的な叙情性がリアルに立ち上って私たちを引きつける。この写真はキリコの代表作『街の憂愁と神秘』に似ているが、あの絵のような不穏さは全く無く、有島武郎の小説『一房の葡萄』のような永遠の「時」が封印されている。ヘボン先生の住居は今日では税務署に変わり、何とも風情が無くなってしまったが、それでも私はこの新年の汽笛の音を聞く度に、今も在る谷戸橋の上をはしゃぎながら駆けていく少女の姿が、まるで幻視のようにありありと想い浮かぶのである。

 

さて、今年は1月から半年間は個展を中心に、毎月なんらかの形で作品発表が予定されている。さらには4月にベルギーのブリュッセルで開催されるアートフェアーの出品依頼を受けたので現地に行く事になり、そのための制作も急遽入って来て慌ただしい。ただしこのベルギー行は往復の飛行機代と宿泊代は先方が出してくれるというので条件としては嬉しいが、ともあれ20年ぶりのベルギーである。又、6月はイタリア(主にミラノとフィレンツェ)に墓地の彫刻を撮影しに行くので、空を飛ぶ機会は増えるが、それを機に、また新たなイメージの領土を開拓していく気概は十分にある。昨年、個展に来られた初めてお会いする方々からもこのメッセージを楽しみにしているという話を伺い、かなりの数で読まれている事を知り、更に燃えようというものである。今年前半は個展とは別に、詩人の野村喜和夫氏との詩画集も思潮社から三月刊行の予定で進行しており、その刊行記念展も既に予定として五月に入っている。又、私の本も刊行が予定されており、追加の執筆も、作品制作とは別に書かなくてはいけない。毎回書くメッセージはその意味でも、予告としての有言実行の場であり、重要な意味がある。今年も話題を変えながら書き進めていきたいと思っているので、お付き合いを頂ければ嬉しい限りである。

 

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