成田尚哉

『晩秋の光の下の…胸騒ぎ』

熊がたくさん山から下りて来て、人里や民家に出没している今は晩秋、11月の始め。光が少し眩しい。…………三週間の長きにわたって開催していた、日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展が盛況のうちに終了した。遠方も含めて、今回もたくさんの方が会場に来られ、新作のオブジェと真剣に対峙され、多くの作品が、購入されたその人達のもとへと旅だって行った。私は作品をこの世に立ち上げたが、これからはその作品と深い対話を交わし、永い物語を紡いで行く人、すなわちその人達がもう一人の作者となっていくのである。……ともあれ、個展に来られた沢山の方々に、この場を借りて御礼申し上げます。本当に有難うございました。

 

…………個展会場では懐かしい人との嬉しい再会、また新しい人達との縁のようなものを感じる出会いがたくさんあった。……そして出版社の人とは、遅れている第二詩集の執筆を促されたり、また来年の11月28日から開催が予定されている名古屋画廊での馬場駿吉さん(元.名古屋ボストン美術館館長・俳人・美術評論家)との二人展の為に、名古屋画廊の中山真一さん、そして馬場さんが名古屋から各々会場に来られ、実のある打合せを行った。……来年は4月に金沢の玄羅ア―ト、6月に西千葉の山口画廊で個展が企画されており、また10月には高島屋美術画廊Xでの個展、11月には名古屋画廊での馬場駿吉さんとのヴェネツィアを主題とした俳句と私の作品との実験的な二人展と、……既に予定が入っている。個展の疲れを早く癒して、先ずは、第二詩集の執筆から一気に始めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

個展の時に、会場で何人かの人から、山田五郎さん(評論家・編集者、コラムニスト他)の事が話題に出た。山田さんがYouTubeの『山田五郎オトナの教養講座』で、以前に私のブログで2020年の2月1日から21日迄の4回に渡り、『墨堤奇譚―隅田川の濁流の中に消えた男』と題して連載して書いた、版画家・藤牧義夫が忽然と消えた謎と、…………それに絡んでちらほら、そして次第に頻繁に登場する版画家・小野忠重という人物をめぐっての真相に迫っていますよ!!というお知らせを頂いたのである。

 

山田五郎さんは、私は以前から高く評価している人で、この国の凡たる数多の美術評論家より遥かにすぐれた知識と推理力を持ち、かつわかりやすい言葉で深い内容に言及出来る人である。……私は興味を持ってその番組を観た。面白かった。……実に語りが上手く、事件の真相の闇に迫っている。また番組の公共性故に語らない部分では、その言葉の行間にしっかりと闇を封じ込め、暗示の内に視聴者に、この事件の不可解さと不気味さを暗示的に伝えている。……先ずは私が、藤牧義夫が消えた、或いは消された謎について以前に書いたブログ(2020年2月1日から21日迄の4回にわたってミステリ―を解くように書いた文章)をお読み頂き、それから山田五郎さんの番組をご覧頂ければ、この近代美術史における最大の事件の不可解な全容と、真相が伝わるかと思う。

 

 

 

 

山田さんの番組を観た視聴者の人から(面白い、ぜひ映画化を!!)と希望する人がいたと聞くが、3年前に私は既に動いている。旧知の友人、『ヌ―ドの夜』『櫻の園』等の名作で知られる映画のプロデュ―サ―・企画者である成田尚哉さんと本郷で会い、この事件の映画化を薦めた事があった。構成は松本清張の名作『天城越え』と同じで、事件時効後の昭和55年頃に、一人の老刑事が、不気味な影を帯びた老人宅をふらりと訪れ、巧みな言葉の網によって次第に真相を突いていくという設定から映画は、……始まるのである。私はこの時は樋口一葉の映画化との二本立てで成田さんと語り、成田さんはじわじわと興味を覚えたのであったが、その後間もなくして成田さんは逝去された為に、この企画は水泡と化したのが、いかにも残念で仕方がない。……とまれ、2020年2月からの私のブログと、山田五郎さんの番組を併せてご覧頂ければ、あなたも「事実は小説よりも奇なり」を体感される事、間違いなしである。

 

 

 

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『幻と共に―成田尚哉追悼展』

人と人との縁というのは、人生という舞台において最も不思議なものであり、時に運命とさえ思える事がある。……そして、それはある日、突然何気なくやって来る。成田尚哉さんとの出逢いもそうであった。

 

……今から25年ばかり前、渋谷でオブジェの講座が開設され、講師として喋っていた時があった。受講生は40人ばかりで女性が多い。ある日、そこへふらりと1人の男性が現れた。……成田尚哉さんである。一見寡黙な中に、意志の強さと、なんとも言えない優しさと懐かしさが伝わって来るその独特な気配から、何かをやっている人だなと直感した。訊くと映画のプロデュ―サ―との事。映画の仕事をしながら更に美術の世界に入ってきたその動機に興味が湧き、この日の講座は主に成田さんとの話に終始した。

 

…話題があちこちに飛び、……昔、私が学生の頃に横浜の大倉山にある「精神文化研究所」という建物が放つ怪しい気配に惹かれ見に行くと、白昼のその暗い建物内から、全裸の少年が突然逃げて来るように飛び出して来て私と目が合うと、少年は怯えたように踵を返して裏の梅園に消えて行った。あすこは怪しい……と言うと、成田さんは、強く共鳴し「その場所は僕も知っています」と言う。『1999年の夏休み』という映画を撮った時に、そこでロケをした事があり、連日、怪我人が何故か続出するので撮影を早く切り上げたという。……その映画は観た事があった。女優の深津絵理が「水原里絵」の名前でデビュ―した作品で、不思議な韻と透明さに充ちた記憶に残る映画だった。「そうか、あの作品は成田さんが作っていたのか」。……すぐに気が合い、講座の後で成田さんとお茶をして、それからの親しく永いお付き合いが始まった。

 

……キネマ旬報ベストワンを受賞した『櫻の園』をはじめとして、『海を感じる時』『ヌ―ドの夜』『遠雷』………、日活のロマンポルノから文芸まで、日本の映画史に遺したその実績は幅広く、確かな足跡を刻んで来た成田さんであったが、察するに、映画という集団による表現でなく、あくまでも成田尚哉個人の内に棲まう、もう1つの可能性の引き出しを、人生という一回性において出し切りたいのだという強い思いが伝わって来た。……果たして、講座で彼が作る作品はどれも完成度が高く、既に成田尚哉独自の美意識に充ちていた。

 

しばらくして、私は成田さんはもはや個展をするべき時だと思い、自由が丘、渋谷、そして銀座の画廊を彼に紹介して個展が開催された。更に私は、もっと作品に適した画廊をと思い、下北沢の画廊『スマ―トシップ・ギャラリ―』を紹介した。この画廊の山王康成さんと成田さんは波長が合い、画廊企画での個展が始動した。作品が映える空間を得た成田さんは水を得た魚のように集中して制作するようになり、作品世界は加速的に深化して、もはや美術の分野においても一級のレベルと言っていい高みに達していった。……映画という虚構の世界で構築して来た裏付けが、彼が作り出すコラ―ジュやオブジェの作品に鮮やかに投影され、作品は過剰なバロックの鈍い光と、ロマネスクな透かし視る奇譚の妙味が合わさった独自な世界を立ち上げていった。……しかし、その達成の速度は異常なまでに早く、迫り来る何かを予感していたかのようであった。………………そして、2020年、9月11日、肝臓癌で成田さんは逝った。

 

成田さんの死は、朝日新聞の死去した人を報ずる一面でも写真入りで載り、右側に成田さん、左側にジュリエット・グレコの死去の記事が同じ文量で大きく扱われ、その喪失の重みが新たに浮かび上がった。また『映画芸術』では彼の死を惜しんで特集号「成田尚哉を送る」が組まれた。……「晋書」に「人は棺を蓋うて事定まる」という言葉があるが、それが本当である事をあらためて実感した。…………アトリエで制作をしている時、ふと「あぁ、いま成田さんが来てくれているなぁ」と感じる時がある。このアトリエの中で、私の作品に使う夥しい数の様々な断片や道具、また制作途中の作品を見ながら、「まるでプラハの錬金術師の工房ですね」と笑いながら語り、興味深く見ていた時の姿を今もありありと思い出す。

 

 

今日、私は下北沢で13日から開催される成田さんの遺作展の展示作業に行き、久しぶりに成田さんの作品の数々と再会した。……机の上に並べられた展示前の作品画像。追悼展の案内状に書いた私の成田さんへの思いを、このブログの最後に掲載しよう。……願わくば、このブログを読まれた方が、会期中に一人でも多く画廊に行かれて、作品をご覧になられる事を乞い願うばかりである。

 

 

 

 

永遠に消えない幻を求めて −成田尚哉のために

 

「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」と云ったのは江戸川乱歩であるが、一昨年の九月に逝去した成田尚哉ならば何と云うであろうか。あの含羞と憂いを含んだ優しい微笑を浮かべながら、さしずめ「うつし世も、夜の夢も共に幻・・・・」とでも云いそうな感じがする。しかし、この問いへの答は遂に返っては来ない。

 

映画の分野で数々のヒット作を企画・製作して確かな足跡を残した成田が、人生の後半に至って映画と共に没頭したのはオブジェとコラージュの制作であった。その集中の様は凄まじく、短期間のうちに完成度と深みは高みへと昇華していった。尽きない表現への衝動とイメージの蓄積は既にして濃密に仕込まれており、作品の数々はそのひたすらなる放射と結晶であった。その成田が最後に主題としたのが「天使」であった。天使とは神の使者を指すが、クレーが晩年に挑んだ天使像と同じく、成田にあっては、更なる飛翔への願望、或いは死の予感がそこに在ったかとも思われる。そして彼の天使は、無垢の装いの内にエロティックな煩悩、悪徳の埋み火の残余を残し、クレーがそうであったように堕天使の相を宿して、あたかもそれは成田自身の肖像のようにも想われる。

 

成田がオブジェと並行して挑んだのは、乳色の薄い皮膜に封印したイメージの重なりであった。それは美術の分野に於いて類の無いコラージュの技法で、彼が情熱を注いだ映画のスクリーンにむしろ通じている。リュミエール兄弟以来、映画の作り手は総じて夢想家であると私は思っている。世界が、物語が、目の前の闇にありありと見え、手を伸ばせば掴めそうな万象の映りがそこに在る。しかしそれに触れる事は出来ない。灯りを点ければ万象の映しは全て霧散し、残るのは薄く透けた乳白色の幕だけである。故にその幻は永遠に美しい。成田が生涯を賭して追い求めたのは、その幻の刻印ではなかっただろうか。

 

「うつし世も、夜の夢も共に幻・・・・」。含羞と憂いを含んだ成田尚哉の確かな声が一瞬立ち上がり、やがて幻のように・・・・静かに消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スマートシップ・ギャラリー

 

 

 

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『狂える夏の調べ』

①「夏日烈々」という言葉が正に相応しい猛暑の中、最近の私は本郷の坂道をよく歩いている。谷中と共にここ本郷一帯は、風情、情緒…といったものが、東京の地で最後に残っている場所である。そして、一葉、啄木、宮沢賢治…が、その天才を燃焼させるがごとく、あまりにも短い生を駆け抜けた舞台でもある。

 

その本郷にある画廊「ア―トギャラリ―884」で、今月の31日まで「北川健次展―鏡面のロマネスク」が開催中である。この画廊での個展は三回目になるが、昨年の秋・12月に予定されていたのがコロナ禍で延期され、満を持しての7月10日からの開催となったもの。コロナ禍とはいえ、私の個展は何故かいつもぶれずに強く、今まで未発表だった珍しい作品も展示してある事もあり、連日観に来られる方が多く、好評の中、会期はいよいよ最終章へと入った。画廊の中は心地好い冷気が充ち、たいそう居心地が良いのか、来られた方はのんびりと時を過ごされている。……ご興味のある方の為に、場所や日時を以下に記しておこう。

 

 

 

『ア―トギャラリ―884』

○東京都文京区本郷3―4―3 ヒルズ884 お茶の水ビル1F

○TEL/FAX .03―5615―8843

11時~18時 月曜休み

(最終日は16時まで)

 

JRお茶の水駅・丸の内線お茶の水駅・千代田線新お茶の水駅下車

➡順天堂医院本館➡サッカ―通り手前角寄り。(駅から徒歩7分くらい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②日活のロマンポルノ全盛期にその異才を発揮し、その後に『櫻の園』『遠雷』『海を感じる時』『ヌ―ドの夜』……など、数々のヒット作を企画・製作し、この国の映画史にその名を刻んだ成田尚哉氏が、享年69才で昨年の9月11日に逝去してから早くも一年が経とうとしている。……本当に早いものである。その成田氏は度々このブログでも登場したが、三年前の晩秋に、私は彼に樋口一葉の裏日誌(いわゆる、文藝とミステリ―の融合)のような、妖しくも奇想に充ちた映画を作ってもらおうと思い立ち、彼を誘って本郷菊坂を中心にロケハンのように二人で歩き、老舗の鰻屋『鮒兼』で、…明治26年、霧の中の浅草十二階の暗い内部の描写から始まる場面構想を熱く語ったものである。……あぁ、あの時、二人でこの道を、あの階段を歩いたなぁ……と想いだしながら、先日も西片町、真砂町、菊坂、初音町……を歩いた。

 

……その成田尚哉氏の一周忌に合わせた追悼展の企画が現在進行中である。……彼は映画の分野でその異才を存分に発揮しながらも表現欲は留まる事を知らず、その才能をオブジェやコラ―ジュにも加速的に発揮し、私は彼の表現者としての深度が年々深まっていくのを間近で目撃していたのであった。その集中の様は凄まじく、後から思うと、自分の生の時間が残り少ないという事を、どこかで予感していたようにも思われる。

 

……追悼展の事は昨年の秋に企画が早々と決まり、彼が作品を発表していた下北沢の画廊『スマ―トシップ』の三王康成氏と私、そして奥様の成田可子さんとの打ち合わせが、平井のご自宅で五月と先日の二回、行われた。……私は六月末に個展案内状に載せるテクスト文を書き上げ、三王氏がデザイン構成他を担当し、順調に仕上げの段階に入った。成田尚哉氏の追悼展は今年の9月10日から18日までであるが、会期が近づいたら、またこのブログで詳しくご紹介する予定である。

 

 

③……異常な長雨の梅雨がようやく去ったと思ったら、入れ替わるように、明らかに昨年の夏を越える感の異常な猛暑の夏の到来である。……そして、強力な感染力を持つデルタ株がいよいよその凄みを増すという8月に向かい、最悪のタイミングで、拝金主義にまみれたオリンピックが蓋を開けようとしている。BBCなどの主要な海外メディアは揃って「今回の東京オリンピックは史上最悪のオリンピックになる!」と至極当然の論調である。……先日、イギリスのジョンソン首相は「コロナウィルスとの共生の道を選ぶ」という指針を示し、その流れが今、注視されている。この共生への道は、最初はその早急さ故につまずくと思われるが、やがて定着していくであろう。…….. さて、私はこのジョンソン首相がけっこう好きである。世界に感染が拡がり始めた当初に、私の考えと同じく、ウィルスのどしゃ降りの中に突っ込んで潜り抜ける姿勢(農耕ではなく遊牧、騎馬民族的な、この期に及んで是非も無し、強い者のみが抗体を獲て残ろうぞ!という中央突破的な考え)を提案し国民の顰蹙をかい、結果、本人もコロナに感染し、一時は生死の境をさ迷った。……しかし、いつも何かに追われているように必死な、さすがにシェ―クスピアの国を想わせる演劇的表情過多のこの人は、度々様々な着想を提案し、けっこう闘っているのが伝わって来て、何処かの国のボ~っとした覇気の無い、眼力の無い人物の無策、詭弁、信念の無さに比べると遥かに良い。いや面白い!!。

 

……彼が提案した「ウィルスとの共生」という考えは、完全な収束を願うよりも一番理に叶っている。地球が誕生したのは今から46億年前。ウィルスは30億年前に出現。人類は未だ20万年の歴史しかない。地球全史を1年に圧縮すれば、ウィルスは5月に生まれ、人類が生まれたのは大晦日の夜の11時頃にすぎないという。つまり圧倒的にウィルスの方が大先輩なのである。しかもウィルスは不気味なまでに賢く、人類の進化にも寄与している部分が大であるという。スペイン風邪の猛威は何億という人間を死に至らしめたが、何故か自然収束して、その姿を消した(正確には隠した!……それはシベリアの凍土の下に姿を隠し、また出現の時期を計っているという説もある)。そのウィルスは人類がいないと自分達も繁殖しないので、自らの意志があるかのように、人類をギリギリまで追い詰めて、最後は生かしておいて、後日の変異した我が身の温存をそこに計るのである。……この辺り、新宿の盛り場で、ボコボコに相手を殴ったチンピラが「今日はこれくらいにしてやるから感謝しろよ!!」と、毒のある捨て台詞を言いながら厳つく去っていく姿と少しだぶる。

 

……とまれ「お・も・て・な・し」が、正しくは「コロナで貴方をお・も・て・な・し」となった今日。選手村は予想された事だが陽性者の巣窟と化し、デルタ株はねずみ講のように拡がり、今年の8月は正に『八月の狂詩曲』ならぬ『八月の狂死曲』となるであろう。…………今年の夏は至るところで、死影のような今まで見たことがない陽炎が立つように思われる。

 

 

 

 

 

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『洗濯女のいる池―ブルタ―ニュ篇・Part①』

久しぶりのブログである。少し間が空いてしまった為か、心配した友人から「もしやコロナでは?」という、温かいメールを頂いた。しかしコロナごときは掠りもせず、私はいたって元気である(以前から実行している二重マスクが効を奏しているのかもしれない)。……慌ただしかった詩集の刊行後は、昨年の9月に亡くなられた成田尚哉さんの遺作展を今年の9月に開催すべく、下北沢のギャラリ―『SMARTSHIP』の山王康成さんと一緒に、平井の成田さんの御自宅に伺い、奥様の可子さんと一緒に詳しい打ち合わせを行った(遺作展に関しては、後日のブログで詳しくお知らせします)。

 

……また、6月10日から7月3日まで銀座の永井画廊で開催予定の、私の版画の代表作を集めた展覧会の為に画廊主の永井龍之介さんと、案内状を含めた細かな打ち合わせを行った。この展覧会では私の他に、棟方志功、駒井哲郎、池田満寿夫さん達の代表作も一堂に並ぶ予定で、各々のご遺族の方から作品が画廊に提供され、大まかな準備が出揃った(この展覧会に関しては近々にまた詳しくお知らせします)。またそれらとは別に、今年の10月後半から日本橋高島屋本店の美術画廊Xで開催される私の個展に向けての制作に本格的な火がつき、タイトルも決まり、助走から次第に速さが増し、今や完全に集中の軌道に入った感がある。……その合間を縫っての、前回に続く「池」の話をこれから書くのである。

 

……その池の話はフランスのブルタ―ニュの話であるが、そこに至る前にパリでの寄り道を少々しなければならないので、先ずはそちらから始める事にしよう。……度々このブログでも書いて来たが、私は想った事や願った事が、不思議な念力の回路を通って、すぐか或いは暫くの時を経て、実現する事が実に多い。つまり、夢が現実になるのである。人には生涯においてそういう事が数回はあるが、私の場合はそれが異常なまでに多いのである。今回はそんな話から…………。

 

私は版画集を2001年から2008年までの間、ほぼ毎年刊行して来たが、2004年に刊行した版画集は『反対称/鏡/蝶番―夢の通路―Vero-Dodatを通り抜ける試み』というタイトルである。……この制作の伏線として、私はパリに実在するパサ―ジュVERO-DODATを訪れたのであるが、そこを訪れたのは、主たる目的といったものはなく、たまたま導かれるようにして、ふと、そのパサ―ジュの暗い通路に入ったのであった。パリにはその13年前に半年以上も住んでいたのであるが、不思議な事にパサ―ジュを訪れた事は無かった。それが何故かその時は(今思い出しても不思議なのであるが)ふと行ってみようかという気になったのである。午前の早い時間に訪れたそのパサ―ジュは、長くて薄暗い通路があり、その両側に巨大なガラスに覆われたように何軒かの店があるのであるが、そこに並んでいる物は、現代にというよりは、およそ50年以上も前の時間がそのまま停まったかのように、宙吊りになった停止した時間に向けて、ショ―ウィンドゥのガラス越しの中には、もはや何も映しはしない銀の手鏡(ヴェネツィア製か?)、骨格標本のようなコルセット人形、役目を終えた活版用印字、夥しい亀裂が入ったアンティ―クド―ルの巨大な頭部、三十二面体の幾何学模型…………、また別な店は古書店、その向かいは、ダリが作ったマヌカンの人形等を撮したフォトギャラリ―……と云った、時代や客に媚びる事のないダンディズムの韻を帯びて、それらの店々の店頭には不思議な品々が並んでいるのであった。しかも、店主もおらず、店は全て閉まったままで、薄暗い通路を歩くのは唯、私一人であった。床の大理石に私の靴音だけが唯、響くだけである。

 

パサ―ジュとは何か、……パリの右岸を中心に建てられた華麗な店が幾つも並んだ19世紀の遺構であるが、後に百貨店の台頭によって人々は去り、パリを彷徨する高等遊民だけが、そこの空間に息づく意味を見い出し、やがてブルトンアラゴンといった文学者やシュルレアリスト達が、詩神ともいうべき黄泉へと通じる驚異と神秘の磁場をそこに見い出したのであった。……「今まで何度となく、この豪華な巣窟のわきを通って来たのに、その入口に気がつかなかったのは不思議に思われた。」(ボ―ドレ―ル)。「パサ―ジュは外側のない家か廊下である―夢のように」(ヴァルタ―・ベンヤミン)

 

……さて私は、幾つものショ―ウィンドゥを眺めながら夢想した。ここに例えば私が今生きているこの時代の版画家達の作品を並べたらどうか?……答えは否である。彼らの作品は、たちまちこのダンディズム漂う強い気韻に弾かれて、居場所を失うであろう。……私は更に夢想した。「ならば、かく言うおまえ自身はどうなのか!?」。私は他者へ向けた刃の切っ先を今度は自分へと突き刺した。そして想った。「面白い!!……ならばやろうではないか!!……例え実際にこの空間での作品展示など実現不可能な夢想であるが、仮に無理だとしても、強い韻を放って来るこのショ―ウィンドゥ―の中に、他の不思議なオブジェ達に混じって、堂々とした空間を更に醸し出すような強い版画を作ってみようではないか!!」……空間への挑戦意識は、たちまち湧いてくるインスピレ―ション、啓示へと替わり、私はその場で次の版画集の主題とタイトルを忽ち立ち上げたのであった。題して『反対称/鏡/蝶番―夢の通路Vero-Dodatを通り抜ける試み』。帰国してすぐに私は版画集の制作に取りかかり、三週間で六点組から成る版画集を完成させ、その年の秋に全国五つの画廊で刊行記念展を開催した。作品は圧倒的に支持され、日本語版48部、フランス語版35部全てがAP版のみを残して、ほぼ三ヶ月で完売した。……私はその版画集に手応えを覚え、そのきっかけとなったパリのあのパサ―ジュでの事を思い出して回想に耽った。……パサ―ジュのあのガラスの奥の空間に入って行けないことが激しい反動となって創作への強い促しとなり、私は確かなテ―マを掌中に収めて、その場所から立ち去った、あの時の事を。

 

「パサ―ジュVERO-DODATで作品を展示してみないか?」……作家のⅠ氏から突然の吉報が届いたのは、それから二年後のことであった。

(次回に続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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