#ダ・ヴィンチ

『美術史上最大の謎『モナ・リザ』に挑む』(完結編) 

…前回のブログで、私はモナリザの背景を真ん中から切断して、画面を左右に入れかえると、それまでずれた感のあったモナリザの背景が、実に整然と左右に繋がる事を書いて実証的に示した。

……下図がそれである。

 

 

…そこまでは見えて来た。(確かなダ・ヴィンチの意図として)…しかし、その先の〈何故〉がわからない。…ダ・ヴィンチはそれを描く前後で、果たして何を考えていたのであろうか⁉ ダ・ヴィンチの考えを知るには、やはり遺された彼の手稿を調べるにしくはない。…しかし、モナリザの背景の謎に迫れそうなヒントとなるダ・ヴィンチ自身の言葉など、そこに書いてあるのだろうか?

 

 

…私はこの国で翻訳されている限りの手稿を読み漁り、モナリザの背景の左右が反転している謎に絡んでいる…と思われる箇所を幾つか見つけ出し、そこから見えて来た推論を書いた。…その箇所を拙著『「モナ・リザ」ミステリ-』(新潮社刊)の次に刊行した『絵画の迷宮』(新人物文庫・『「モナ・リザ」ミステリ-』に加筆した改訂版)から転載してみよう。

 

(……そして、思い至ったのは、レオナルドが絵画の文脈を超えて「モナ・リザ」を、立体絵画の為の視覚実験の装置としても考えていたのではないか、という結論であった。一見この着想は、度を過ぎた閃きではあるだろう。しかし、レオナルドが手稿の中で繰り返し記した言葉……「絵画において最も重要なことは、その表現する対象が浮き上がって見えねばならぬという事である」という言葉と、それを裏付けるべく彼が手稿の中で夥しく描き示した、「見る対象は、水晶体を通った際に左右が反転し、脳に送られて再び反転して正像化するという視覚のメカニズム」に関するデッサンの数々が在る事を思えば、あながち考えられなくもないのである。…群を抜いて最高な知性を持つ科学者でもあった男が、絵画史においても突出して最高に優れた絵画「モナ・リザ」を描いた。…ここではそう見た方が、レオナルドの本質に近づくのではないだろうか。……私はそう書いた。…問題はここからである。

 

…上述したダ・ヴィンチが書いた絵画の在るべき理想を読むと、手稿から自ずと立ち上がって来たのは、作品を3D化(立体的な画像の可視化)しようとする、とてつもない目論見である。…..推論の思わぬ展開に自分でも驚きながら、では私と同じ推論に現在至っている人物が他にいないかをネット検索で調べてみた。…そして、私と同じ着想をしている人物が、日本でなく、海外に二人いる事を初めて知った。……ドイツ人研究者のクラウス・クリスティアン・カルボン教授と、ヴェラ・ヘッスリンジャー博士である。…ともあれ、私と同じ推論を立てた人物がいる事を知って、私は自分の着想に同行者を得た思いであった。両氏の研究は詰めを得たものであった。……ル-ヴル美術館にあるモナ・リザのオリジナルと酷似したモナ・リザの絵(同寸)がプラド美術館に収蔵されている事は以前から知られているが、その絵とオリジナルのモナ・リザは左右に2.7mm微妙にずれて描かれていて、それは私達の左右の目の間の平均的な距離に近い事を調べ上げたのである。…そして、その詰めは、画像が立体的に見えるステレオスコ-プ(立体鏡)の原理と一致する事を突き止めた。

 

(注意・プラド美術館のモナ・リザの絵は明らかに稚拙である事から、弟子のメルツィに師のダ・ヴィンチが命じて描かせた物であろう。大事な事は本画のモナ・リザから右に2,7mmずらして描く事であり、モナ・リザの顔の描写や背景のアバウトに描かれた臼青い描写はさほど重要ではないだろう。…要は、2,7mmの右へのずらしが、掛けた眼鏡のような2つのレンズを通して、果たして立体画像に見えるか否かに、ダ・ヴィンチの実験の主たる目的はあったと、私は推理する。)

 

 

 

…よく美術館のグッズコ-ナ-で、同じ名画を少しずらして並べてプリントし、それを簡易なメガネで視ると立体画像に見える物が商品として売られている。…それを見て、もしダ・ヴィンチがそれを見たら狂喜するに違いないと私は想像する事がある。そして、こうも思う。…二点のモナ・リザを並べて、果たしてダ・ヴィンチは、その立体画像化に成功したのであるか否かと。……

 

………私が数回に分けて書いて来たモナ・リザ論考。しかし多くの読者諸氏は、或いは荒唐無稽すぎる感を懐かれたのではないだろうか。…しかし、この荒唐無稽という言葉こそ、またダ・ヴィンチの無尽蔵の発想と創造力を一番的確に表した言葉ではないかと、私は書き終えた今思う。

 

…ル-ヴル美術館に行き、『モナ・リザ』を観た後に各館に展示してある絵画を通史的に観ると(あぁ、それぞれ時代は異なっても、一元論的な意味では、絵画の文脈に全て収まっているなぁ…と思い、物足りなさを覚えてしまう事がある。…しかし、こと『モナ・リザ』だけは、絵画の文脈を超えて、様々な試行錯誤や思念、はたまた懐疑、声なきダ・ヴィンチの自問…といったものが多角的にぎっしりと詰まっていて、身震いさえ覚える事がある。…………レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた『モナ・リザ』は今もなお、その推理が万人に開かれている、正に尽きない最高にミステリアスな現場なのである。

 

 

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『迷宮の絵画-モナ・リザの謎に迫る試み』

前回のブログは『モナ・リザ』に描かれた女人像の謎について書いた。…私は実に美的なまでの効果を帯びて入っている顔の亀裂について自論を展開し、…それがダ・ヴィンチ自身の緻密な意図に依って仕掛けられた亀裂であり、モナリザの顔は、実はその内に真意と、更なる謎の問い掛けを封印した仮面(ペルソナ)ではあるまいか、…人の顔に入る筈がない亀裂は、その仮面性を暗示しているのではあるまいか⁉…という、あくまでも仮説ではあるが、その提示であった。

 

 

……さて今回は、以前から疑問を持っていた、モナリザの背景について書こうと思う。

 

……先ずはモナリザの背後に描かれている風景の画像を注意して見て頂きたい。……ふと観ると奇妙な感がしないだろうか?……モナリザの背後、左側の風景描写に比べ、右側の風景がやや隆起したように上に持ち上がって描かれている事を……。

 

……私は以前からその事がずっと気になり、出ている限りのモナリザの論考を読んだが、これもまた不思議な事に、全く誰もその事について言及している人はいなかった。……厳然として、その奇妙さはありありと目の前に在るというのに、研究者はなぜ誰もそこに疑問を呈しないのであろうか?……。

 

………………『「モナリザ」ミステリ-』を執筆していた或る日の事であった。…トイレで用を足そうとして便座に座った正にその瞬間、頭上から閃光が落ちて来るように、とんでもない仮説が降りて来た。〈モナリザを真ん中から切断して、左右を逆に入れ換えてみたら、果たしてどうなるか…!?〉…そう思った私は、早速モナリザの画集を持ってコンビニに走り、モナリザを2枚コピ-してアトリエに戻り、1枚のコピ-をカッタ-で真ん中から切断し、左右を入れ換えてみた。

 

…すると、どうであろう‼…閃いた予感はすぐに確信へと変わった。…それまでずれて見えていた背景は、まるで手品の隠されたトリックを暴いたように整然と繋がったのであった。最奥の霞んだ岩山は横になおも拡がり、水を貯めた湖面はさらに平らかになり、欄干真下から拡がる地平の石橋の在る道は右側の道へとS字形に連なり、……つまり、そこにはあたかも雪舟『破墨山水図』にも似た幽玄ささえも鮮やかに立ち上がったのであった。

 

 

 

……………………その瞬間、何か大きな扉が開かれたのと同時に、更なる深い謎が隠し扉の向こうになおも待ち受けているのを私は感じた。…絵画の文脈から逸脱して、まるで何かの視覚実験を思わせるような奇怪な仕掛けをこのモナリザの中に取り入れた、ダ・ヴィンチという魔的なまでに高い知性を帯びた男の暗い影が、…その先に待ってでもいるような、……見つけてしまった故の冷たい緊張の走りを私は覚えた。…この先にとてつもない難題が控えている。…その事への高ぶりでもあった。

 

 

………………………モナリザの背景が何処なのかを論じたのは、私が最もその眼識に信頼を寄せているイギリスの美術史家のケネス・クラ-ク卿である。…氏は、背景の現場がアルプス山脈であり、ミラノ時代のダ・ヴィンチが少なくとも2回、アルプスに登攀している事を突き止めている。

 

アルプスと云えば奇妙な感を人は懐くかもしれない。…しかしミラノからアルプス山脈は近く、ダ・ヴィンチは地球の地殻大地の構造と隆起の謎(例えば、山頂に海底の貝の化石が在る事など)を調査する上で、アルプス山脈への登攀は重要な事であったのである。

 

……ケネス・クラ-ク卿の本を読んでいた私は、ダ・ヴィンチの執筆取材で訪れたミラノからパリに行く機上から眼下に拡がるアルプス山脈の光景を見て不思議な感慨を覚えた。…まるでモナリザの絵の中に入っているような感覚になったのであった。険しい岩山、その間を走る細い川の流れ。…そして、モナリザの背景そのままに冷たい水面を映している小さな幾つもの湖……。

 

私のアトリエには、ダ・ヴィンチの貴重な資料が2つある。……1つは日本テレビのルネサンス番組を永年手掛けていたスタッフから頂いた、原寸大のモナリザの実に精巧な画像を貼ったパネルである。…ル-ヴル美術館への莫大な資金援助の返礼として、ガラスを外したモナリザを至近からの撮影許可を得て作る事が出来た、原寸大は世界でも一点だけという貴重な画像。…拙著『「モナ・リザ」ミステリ-』(新潮社)が刊行され、日本テレビの美術番組で本が紹介された時に記念に頂いた物であり、私はこの原寸大のモナリザを立て掛けて静かな自問自答をしている事が多い(今回もそうである。)……もう1つは、ドイツの出版社のTASCHENから刊行されたダ・ヴィンチの画集で、全絵画・素描が入っている事で貴重であるが、実に重いのが難である。

 

(モナリザの背景はアルプス山脈を描いている)…ケネス・クラ-ク卿の言葉を確認すべく、私はTASCHENの重い本を開き、全素描を精査するように確かめた。…そしてモナリザ正図の左方の最奥に描かれている嶮しい岩肌を見せる形状の連なる形が、アルプスを登った際に描かれた中の二点のスケッチと酷似している事を突き止めたのであった。……ダ・ヴィンチはモナリザの背景にアルプス山脈の光景を、あたかも地球という進行変化形の生命体の謎を封印するようにして描いている。…これは間違いのない事である。

 

…では、それを正図として描かず、切り離して左右に入れ換えて描いている、その真意は何なのか⁉ …私は数日間、その意図を探るべく思案した。…そして、見えて来たのは全く予想だにしない事であった。…『モナ・リザ』が通史以来の絵画の概念を遥かに越えた、とてつもない産物であるという結論に達したのであった。(次回に続く)

 

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『滞欧日誌—ヴィチェンツァ ・フィレンツェ』

旅の続きである。ジェノバからミラノへと戻り、次の列車でヴェローナへと向かう。ここはフィレンツェへの直行列車が発つ場所であるが、ヴェローナのホテルに荷物を預けてすぐに、ヴィチェンツァへと私は向かった。

 

ヴィチェンツァは、ルネサンス後期の建築家パラディヨ(1508~1580)の建築物が多く遺り、「陸のヴェネツイァ」と称される“世界遺産”の街である。ここに来た目的は二つあった。一つは20年前に訪れて以来、何故か私のイメージの原点とも云うべき存在にこの街はなってしまったのである。とにかくヴィチェンツァの街の事を想い浮かべると、イメージが次々と生まれてくるのであるが、その理由が何なのか・・・自分でも解らない。その理由を突き止めに来た事が一つ。今一つは、キリコの形而上絵画の着想が、ここに遺るパラディヨ作の「オリンピコ劇場」という異形な建築物(誇張された遠近法を持っており、それはキリコの絵の舞台そのものを思わせる。)と深く関わっていると推測し、その裏付けを取りに来たのである。キリコ開眼の秘密に気付いているのは、私と画家のダリだけであるが、その詳細については、6月下旬に求龍堂から刊行される私の本に詳しく記しているので、それを御覧いただきたい。まるで完全犯罪の犯人(キリコ)を追いつめていくような内容になっている。乞うご期待!!

 

ヴィチェンツァの滞在は5時間ばかりであったが、この白く美しい街は20年前と変わらず私を優しく受け入れてくれた。そして再びの、そして、また新たなるイメージの充電になった。この先の街にはヴェネツィアがある。しかし私はヴェローナへと戻り、翌日フィレンツェへと旅立ったのであった。フィレンツェへ着いた時、この街には珍しい霧雨が降っていた。タクシーでホテルへと向かう。着いたホテルは16世紀後半に建てられたホテル。つまりミケランジェロの晩年時に建ったホテルで、街の中心に在るシニョーラ広場に面した路地を入った所に在る。夜、ホテルの窓からそのシニョーラ広場を眼下に見る。ボッティチェリの内面をも狂わした怪僧サボナローラが焼かれた場所が、その眼下に見える。その広場を透かし見れば、ダ・ヴィンチやミケランジェロの姿が今も現れそうなスリリングな気持ちにさせる光景である。

 

その広場を右に曲がればすぐにウフィツィ美術館が在り、その先にはアルノ河の流れがあり、ポンティ・ヴェッキオの橋が昔日のままに在る。私は自著の『「モナリザ」ミステリー』(後に文庫化されてタイトルは「絵画の迷宮」)の中で、「・・・窓外にアルノ河の夜が見える。先程見たヴェッキオ橋の美しい姿は、今は水面の黒と溶け合って、闇の沈黙の中にその姿を沈めている。対岸に明滅する人家の灯りが朧にゆれて、僅かに私の郷愁を突いてくる。・・・」と書いたが、「モナリザ」を迷宮の絵画の極に見立て、ひたすらにダ・ヴィンチの足跡を、まるで永遠に解けない完全犯罪の真相を追うように執筆に取り組んでいた、その当時が懐かしい。フィレンツェもまた好きな街であるが、滞在は僅かに二日間しかなかった。そして、旅の最終地であるローマへ旅立った。ローマは過去二回訪れているが、二回とも思わぬアクシデントに出会っており、私にとってローマは鬼門の場所であるが、それゆえに魅かれる所でもある。

 

私はその二回のアクシデントから想を立て、銅版画集『ローマにおける僅か七ミリの受難』を制作し刊行した。その版画集は、刊行直後から人気があり、二ヶ月くらいで早々と完売となってしまった。完売の記録としては最も早いのではないだろうか。ヴィチェンツァ・ローマ・・・、そしてかつて訪れたパリやロンドンでの日々。そこで実際に起きた事件や体験を基に、それを虚構に立ち上げているのであるが、私を支持されるコレクターの方々は、自らの直感を基に、私が作品に暗示した〈謎〉のごときものの秘めた物語性を鮮やかに汲み取っているのかもしれないと思う。私という作者は謎の発信者であり、それを見て、更にはコレクションされる方々は謎の受信者である。そしてそこにはイメージにおける共犯関係というものが成り立ってくる。「コレクションするという行為もまた創造行為である」と強く語る私の根拠がここに在るのである。

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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