『横浜が消えていく』

今月14日付の新聞の1面を見て唖然とした。そこには「明治の遺産無惨」と題して、明治末期に建てられた旧三井物産横浜支店倉庫の解体が進み、もはや外観は半分近く無くなり、白い化粧煉瓦や屋根の断面が露出している事を報じていたのである。記事によれば、富岡製糸工場と並ぶ「世界遺産級」の評価があった建物との事。製糸工場を残した群馬県の良識に比べ、神奈川県の無策はかくも甚だしい。・・・・後は駐車場になるとの由。

 

今から三十年前に、この三井物産倉庫の隣に私は二年ばかり住んでいた事がある。近くの万國橋やキリコの絵に登場しそうな赤煉瓦倉庫など、古き横浜の風情が未だ残っていて、深夜に近くの横浜港に停泊している船から鳴らされる汽笛が情趣たっぷりに響いていた。山下公園近くに住んでいた時には、すぐ近くの同潤会アパートが解体されるというので、深夜に立入り禁止の柵を超えて忍び込んだ事があった。住人はすでに立ち退いていた筈であったが、何故か一室だけが灯りがもれていたので近寄ってみると、静かにレコード盤から「テネシーワルツ」が流れていて、私は陶然とした気分で聞き入ったもので。/ある。そこには有島武郎大佛次郎の小説のイメージ世界の延長が確かにあった。

 

忍び込んだと云えば、山手の西洋館がその頃には空き家となっているのが多く、旧友と共に入り込んで、「物語」の終わった劇場のような空間や、地下室を見て廻ったことがある。今は近代文学館になっている敷地には、以前には、ポーのアッシャー家のような煉瓦作りの家が朽ちたままに在り、その空き地では、コクトーの小説のごとき、危うい気配を持った外国の少年たちが、夕暮れの中の暗い影となって遊んでいた。そして、その先には精神病棟が在ったが、その建物は、明治末期に英国人の妻が夫を砒素で毒殺した後に廃墟となっていた所を、安価で買い取って造られた事を、私は知っていた。小説の題材となりそうな「物語」の気配が、その頃の横浜には未だ幾つも転がっていた。

 

土地には各々、様々な固有の趣があるが、横浜の場合それは異国情緒とノスタルジアであろう。かつて三島由紀夫が横浜を舞台にして書いた「午後の曳航」にはそれが漂っていて、そこに毒が絡んで、小説の最終行近くで殺人が描かれている。・・・・・本来、都市には陰と陽が両輪のように在って、それが都市空間に独自な情趣を立ち上がらせている。例えば、ヴェネツィアがそうである。イタリアに限らず、フランスほか西欧の多くは、建物の古い外観を残し、内側の補強をして、過去からの時の流れを受け継ぎながら、情趣豊かな「現在」を紡いでいる。先に述べたような、この国のヴィジョンなき無策とは異なり、行政には豊かな発想力と知恵がある。

 

横浜からは、もはや「横浜」たらしめていた情趣は無くなり、「物語」の気配が消えていって既に久しい。私はこの情趣が好きでこの地に長く住んできたのであるが、今後、さぁどうしたものかと想う時がある。想いながら、アトリエへと続く坂道を今日も上がり下りしているのである。

 

 

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