『「月天心」を聴きながら』   

アトリエの中に、30年以上も前に骨董店で買った白い医療戸棚がある。この硝子戸の中には、創造の原点と深く関わっている物が多く入っているが、引っ越しの為にそれらを箱詰めにする事にした。掲載した画像はその時に撮したもの。……Rimbaud.、瀧口修造とブルトン、私が留学時に過ごしたパリの下宿の入り口の写真、その近くのJacob通りの医療器具店で買った聴診器、加納光於さんから頂いた珍魚の頭蓋骨、浅草12階(陵雲閣)の古写真…などが無造作に見えるが、わけても気に入っているのが、『金閣寺』を執筆時の頃に撮られた三島由紀夫の写真である。この写真は直に撮った人から頂いた写真で、世に出ていない珍しいものであるが、後の巨匠然とした顔ではなくて、その魔的な才能が剥き出しのままに出ているので気に入っている写真である。

 

 

……閑話休題、肝心の引っ越しの方の片付けと箱詰めであるが、単調な作業ゆえに音楽を聴きながらやると捗るので、そうする事にした。しかし、クラシックのワグナーやバッハは、こういう時には少し重く、モ―ツァルトのCDは何故かこの片付けの場に無く、武満徹は、逆に捗らない。ちあきなおみの『黄昏のビギン』は、素晴らし過ぎて放心してしまうので、ここはやはり、長年慣れ親しんだビ―トルズを聴き、陽水の「九段」や「ジェラシー」を聴き、一青窈の「月天心」を聴いて作業をすると、これがなかなかに捗って良い。…………月天心、……これは漢詩の中に度々登場する言葉であるが、与謝蕪村の俳句にも登場し、拙著『美の侵犯―西洋美術×与謝蕪村』でも、この言葉について言及している。……そう言えば、以前にも書いたが、一青窈は、蕪村や漱石などの文芸にも詳しいが、それを曲の前面には出さず、いわば隠し主題にしているので曲に膨らみがある。いわゆる「二相の異なった文脈を仕掛ける」という術であるが、…………ふと、最近の彼女が、ひと頃に比べて存在感が薄くなっている事に、床掃除をしながら気がついた。(本人からすれば大きなお世話かもしれないが……)。ともあれ、ひと頃の独自な表現世界がぱったりと消え、精彩を欠いているのである。少し前に、60年代に流行った歌謡曲をカバーして祇園の歌舞練場などでコンサートを開いていたが、私はこの安易な戦略を危険だな……と見ていた。魔法が消えたのかどうかは知らないが、独自な音楽空間を掘り下げる茨の道を避けているように映ったのである。まぁ、曲は編曲者の今1つのマジックでいかようにも化けはするが、まぁいろいろな事情があるのであろう。……しかしともあれ、私の危惧は当たったように思われる。…………そう思いながら、医療戸棚の中の、件の三島の写真に再び眼がいき、その写真を撮った当時に文芸評論家の小林秀雄と対談で交わした言葉を、壁の汚れを拭きながら思い出した。

 

確か「美をめぐるかたち」と題して交わされた小林・三島の対談は、最初は軽い冗談から始まりながら、次第に相手の喉元に刃の切っ先を突きつけていく真剣勝負の観があって印象深いものがある。……小林「この道は違う。この方向性も自分のものではない。そう考えていくと自分の可能性は狭くなるが……」、三島「そのかわり表現力は確実に深まっていく。」……いま記憶を頼りに書いているので言葉は少し異なるが、まぁこういった感じで、三島文学の、明晰な主観が紡ぐ美の伽藍に迫っていくものであるが、初めて読んだ19才時に、私はこの対談の文中から多くを得んとして、随所に線引きをしたものである。……一青窈を例に引くまでもなく、ジャンルを越えて私ども表現に関わるものにとって、作品世界の幅を拡げながら、かつ深め、かつ展開を成していく事は至難であるが、ともかく大事なことは継続であり、排すべきは自己模倣のパタ―ン化であり、手強きは、普遍と時世粧とのバランスであるが、最大に大事なことは、感性という、下手をすれば忽ち錆び付いてしまう、この……捕らえ難き内なる魔物を如何に棲まわせておくか、という意識的な認識と、その批評眼が重要である。……………………水回りの汚れはなかなかにしつこいものであるが、どうにか磨き終えて、私の引っ越しの準備はいちおうの完了となった。……新天地では、また新しい表現の展開を見る事になるであろう。この数ヶ月の間、転居の準備の為に、全く制作に集中出来ない日々が続いているが、私の中で、未生ながらも次なるものが感性の内に胚種しているという実感がある。……2月からは集中的な制作の日々が待っているのである。

 

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