『私とは何者!?』 

明けましておめでとうございます。今年もメッセージの執筆、徒然なるままに書いていきますので、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。……さて、前回の『そは何者!?』がなかなか好評でしたが、今回はその対象を自分に向けて書いてみますので、暫しお付き合い下さいませ

 

……大晦日が迫った28日の夕方、私は電車で荻窪に向かっていた。その夜の7時から勅使川原三郎氏と佐東利穂子さんの今年最後のダンス公演が、会場のKARAS APPARATUSで開催され、私はその第三部のト―クでの出席を、言語学者の春原憲一郎さんらと共に依頼されていたのであった。向かう車中で、私は、大野一雄や土方巽たちの最後の舞踏が、指先だけでの踊りであった事をふと思い出していた。大野一雄のそれは観た事があるが、土方の場合のそれは、まさに臨終の場での、指先だけの揺れるような踊りであったと、その場に立ち会った人から聞いた事があった。役者の最後の演技は「眼」に極まるというが、やはり舞踏家やダンス表現者の最後の表現は「指先」に極まるのか!?……と考えて、では勅使川原氏の場合はどうなのかと、ふと想像を巡らした。……しかし、そのような最後の表現の場はまだまだ先の事であり、おそらくそれを観る事なく、私は先に逝くであろう……などと、遠い夢見の気分でいる内に、電車は荻窪駅に着いた。…………暗い会場の中で暫し開場を待つ内に突然、鋭い照明が舞台の一角を指した。……そこに椅子に座ったままに目を閉じた勅使川原氏がおり、それを観た私は慄然とした。……先ほど、ふと閃いた勅使川原氏の指先でのダンス表現を観てみたい……という私の想いに、それでは!!とあたかも応えてくれるかのように、正にその指先に神経の張りを集中した見事なダンスを氏は見せてくれたのであった。私は先ほど個人的に想い描いていた光景が、現実に目の前で展開している事の不思議に、我が目を疑った。と同時に、また〈あの事〉が起きてしまった!!という感慨に包まれてもいた。…………ダンス公演、そしてト―クが終わった時は既に深夜。観客やスタッフが帰った後で私達は朝まで話し合ったのであるが、勅使川原氏によると、指先による表現は、氏自身にとっても実に初めての試みであったという。……

 

〈あの事〉……とは、ふと思った事や、目に浮かんだ事が、場所を変えて同時に進行したり、時間をずらして目の前に立ち現れるという、いわゆる予知現象の事であるが、私が度々それを我が身に体験するようになったのは、……やはりあの、昭和39年8月24日に東京の世田谷で起きた、某る有名俳優夫妻の長男が深夜に絞殺された事件が始まりであったかと思われる。その時の私は12才。遠く離れた福井にいて、深夜の夢の中に、突然あまやかな夢を破るようにして映りはじめた、風呂場で若い女中が幼児を水中に浸けて絞殺しているという凄惨な映像がフラッシュするように頭の中で始まったのである。……嫌な夢を見たなと思った私は、その朝のテレビの画像を見て唖然とした。……先ほど夢の中で物凄い表情で幼児を絞殺していた、正にその女が、第一発見者として白々しく涙を浮かべて喋っているのであった!!。結局、警察の追及で女は自供したのであるが、私は自分に起きた、この不思議体験に戸惑っていた。……その体験を後年に、澁澤龍彦の三回忌の折りに、何人かと一緒になって車座で話していると、宮迫千鶴さんが腕組みをしながら「それはコリン・ウィルソンが超常現象を書いた本の中に似た話があったけれど、あなたひょっとして、それを体験する前に、脳に鋭い刺激を体験する事はなかったの?」と聞くので、「そう云えば、その前に歯科医院で虫歯を治療する際に、医者が神経を金具で掻き回して引きずり出された事があった」という話をすると、「それよ、それ。全く同じ内容の事をコリンウィルソンが書いているわよ。……事故などで脳に鋭い刺激や損傷を受けた人間に時々現れる不思議な予知能力の話がまさにそれよ!!」と興味深く話していたのも遠い日の思い出である。

 

その後の私の人生の折々に予知現象や不可解な事は度々起きたが、いつしか、あぁまたか!という感じで、それは日常化していった。……しかし、あの時の事は特に鮮烈な感覚として、今も記憶に新しい。…………それは、今から数年前の事であるが、私は電車(またしても電車)に乗っていて渋谷に向かっていた。電車の中で私は……あのバルセロナに在るサグラダファミリア教会(聖家族贖罪聖堂)は、どうして、あの場所に建っているのだろう!?あの場所である必然的な理由があるのならば知りたいものだ!……とふと思った次の瞬間に、何故か頭上の網棚に目がいった。そこに折り畳んだ新聞があった。興味を覚えて立ち上がって手に取ってみると、日経新聞であった。見るともなく開いてみると、文化欄が目に入り、何気なく見て驚いた。……今、まさに私が思った問いに答えるかのように、その欄には建築家が書いた随筆で、「何故、サグラダファミリア教会はあの地に立てられたのか」と題した一文が載っていたのであった。……その文によると、カタロニア人が精神の拠り所としているモンセラット山の地下道から聖なる〈気〉が這ってバルセロナへと続き、その〈気〉が地下から上に向かって地上で噴き出している場所、まさにその場所に、あのサグラダファミリア教会が立てられたのであるという論旨なのであった。……ふぅ~ん、そうだったのかぁ、私は納得するようにただ頷くだけであった。頷きながら、私は私の横に悪戯好きな黒い悪魔が一匹、いつからか常に私にくっつくようにしている光景をイメ―ジした。昔、私の口中の神経を掻き回して引きずり出した藪な歯科医に最初は怒ったものだが、私はいまあの藪医者に静かな感謝の気持ちを抱いている。私の人生を面白くしてくれた契機を、あの医者は作ってくれたのであるから。……とまれ、ロシアなどではそういう能力をもった子供たちは、拐われ集められて対核兵器に備える為の軍事目的の1つとして使われているという話がまことしやかに伝わっている。また、私がこういう話を書く事で利用されるから、あまり書かない方が良いよと忠告してくれる人もいるが、大丈夫、私はまだ健在でここにいる。少なくとも、新年を迎えた私がここにいる。

 

 

 

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