『日本中が揺れている』

「天災は忘れた頃にやってくる」の警句を記したのは、物理学者の寺田寅彦であるが、この度の地震はまさしくそのように、虚を衝くようにして発生した。私の住む横浜は震度5弱。折れるように歪んで揺れる眼前の光景を見て、一瞬ではあるが「今日、死ぬのか!?」という感覚に襲われた。しかし、同じ時に東北地方では、二万人を超す人々が一瞬で、どす黒い津波にのみこまれ尊い命を奪われていったのであった。

 

昨日発表された統計によると、津波の警報を聞いて実際に素早く逃げた人々は、何と全体の一割にも達していなかったという。信じ難いが、ほとんどの人々が様子見であったのである。「津波警報が発令されましたぁ〜」ーまるで秋の運動会の予行演習のように、ゆったりと流れる口調をTVで聞いていると、もしこの時に、緊張感を持った厳しい口調で人々に危機を促していたら・・・・と、つくづく思ってしまう。瞬間に生と死が運命的に分かれるのは、この警報の現実感を欠いた在り様も大きく関わっていたのではあるまいか。要は、一刻を争うのである。

 

地震とは、プレート(地球の表面を覆う薄い殻)自体は変形しないために、プレート運動による地球内部の歪みが境界の部分に集中し、その歪みを解消しようとして発生したエネルギーである。それを思えば、今回も度々使われた〈想定外〉という言葉が全くピントはずれであるのは誰にもわかる事である。ちなみに、私の故郷である福井の原発が想定している津波の高さは僅かに1.6mであるという。何という想像力の欠如か!!!

 

 

「人類は大洪水によって間違いなく滅びる」ーはるか500年前に、そう予言したのはレオナルド・ダ・ヴィンチであった。彼が描いた大洪水の不気味なデッサンは、ここ数日にテレビで流れた津波の化け物と化した凄まじい場面と重なって、いっそうリアルである。その彼が最後に描いたのが『洗礼者ヨハネ』であった。背景の闇は人類の絶えたイメージ、毛髪のうねりは水の濁流を暗示していると云われているが、事実、私もそう思う。いわき市に住む友人は机の下に逃れて助かったが、多賀城市に住む友人の安否は未だ不明である。余震の動きは、その震源地を少しづつ関東の方へと下げて、不気味に移動している。眼前に迫った死の恐怖は、未だ消え去ってはいない。誰も皆、共に幸運であれかしと、切に今は祈るのみである。

 

 

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