『それでも・・・・桜が』

3月11日以来、日本は常軌を逸した空間に入ってしまった。書きたい事はいくつもあるが、筆の焦点が定まらない。最終的には4万人に迫るであろう死者の数。津波によって殺された彼らの誰が、あの日の午後に〈今日、自分が死ぬ〉と思ったであろうか。

 

東電の株の暴落が止まらない。無策、そして仮病で出て来ない社長を考えれば当然であるが、しかし原発を廃したとしても電力依存の三割分を、では何で補うのか、それも又、策がない。私たちが覚えてしまった〈便利さ〉という快楽の味を脳が知ってしまっている以上、元には戻れなくなってしまっているのである。管首相は似合わない作業着を来てパフォーマンスを演じているが、内実、彼の頭にあるのは、延命のための〈大連合〉でいっぱいである。TVからは着飾ったタレントが「日本はひとつ」「君のそばには私たちがいる」というメッセージを流しているが、TVの無い避難所では、それを見る者もおらず、名古屋以西の多くの人たちには、(対岸の火事)として映っているという。原発事故の最初の一撃は天災であるが、直後からの被害を生んだのは、政府と東電による明らかな人災である。これから生じてくるのは、日本人特有の情緒の不気味な現象であるが、今大事なのは、各人が理性を信じて自分で考える事である。過度な情報は、各人の感性というセンサーを狂わしてくる。今は、一倍の確かさで、自分の内面に生じた微妙な変化に眼を注ぐべき時かもしれない。

 

春の叙情を主張するかのように、ふと気がつくと桜が満開である。あの大津波も、そして眼前の薄桃色の桜も共に自然界のそれぞれの姿である。私たちは、そのアニマに囲まれながら不条理の中を生きている。そして足下の地下深くでは、最も不気味なアニマ、余震のエネルギーが出所を求めて今も彷徨しているに違いない。まだまだ異形と化した〈日常〉が続く。予断は許されない。

 

 

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