『モナ・リザ異聞』

IPS細胞を使った世界初の治療をしたと主張していた森口尚史という男。共同通信社と読売新聞の軽卒な報道により一瞬間ではあるが、世の中が沸き立った。しかし次第にすべてが嘘である事が明るみになるにつれ、この森口という男の薄っぺらな顔がライトを浴びてクローズアップされてきた。「人は見た目で判断してはいけない」という言葉と「男の顔は履歴書」という言葉が対としてあるが、このインチキ中華料理店のオーナーのような顔をした男を見る限り、「人は見た目である程度判断できる」という事になろうか。また一方で、ノーベル医学生理学賞を受賞した京大の山中伸弥教授の相貌は「男の顔は履歴書」を裏付けるように、その表相からでさえ、密度のある知性が伝わってきて好感が持てる。

 

かくもレベルが異なって見える二つの顔を新聞で見比べていて、最近似たような事があったなぁとふと思い、ある事に思い至った。それはやはり新聞報道で知った、ダ・ヴィンチ作による「10歳若いモナ・リザ」の絵が出て来たという報道である。ポーズも同じで、炭素により年代検定の結果、ダ・ヴィンチ自身が「モナ・リザ」(ルーヴル蔵)より10年前に描いたものと専門家が断定したという。私は大笑いした。その専門家って誰なんだ!?・・・一度その御仁の顔を見てみたいものである。一見して知の密度がダ・ヴィンチとは異なる他者によって描かれた薄っぺらな顔。おそらくこの場合の他者とは、不肖の弟子であったサライあたりであろうが、使われた絵の具の炭素鑑定で同時代のものであった、故に本物・・・と云うが、、、ダ・ヴィンチの工房に居て弟子が師と同じ顔料を使って絵を描けば、それはダ・ヴィンチと同じ成分になるのは当然である。それに何より、この10歳若い「モナ・リザ」の絵は、6月まで日本の文化村ミュージアムで展示されていて、ダ・ヴィンチ周辺の絵と記されていたのと同一の物である。とはいえ、「専門家が判断した」と新聞の活字で表記されていると、たいていの人は自分の眼よりも、そちらの方に判断の重きを置いてしまうようである。変だと思いつつもそう思ってしまう。この類いを例えるならば、高価な医療機材を備えた病院の医師に似ているか。眼の前で高熱の患者がいたとして、自分は変だと思っても機材の方が「異常なし」と出た場合、そちらを信じてしまうようなものである。ちなみに、機材の精度が進むのと反比例して名医は減り、平均60点くらいの医者が増えているという。

 

さて、ダ・ヴィンチの専門家を自称する方々もおそらくは知らないであろう、ひとつの逸話をここに記そう。それはこのような話である・・・1452年4月15日、フィレンツェ近郊のヴィンチ村にレオナルド・ダ・ヴィンチは生まれた。そして数日して洗礼を受ける際に立ち会い人として、村の女達が10人ばかり同席した。幼な子である未だ生まれたばかりのレオナルドを見つめる女達の目、目、目・・・。私は以前に刊行したダ・ヴィンチ論を書く際に、この女達の名前までも古文書を追って調べた事があった。・・・そして女達の中に「モナ・リザ」という名前があるのを見つけた時に、何やら不気味な感慨にとらわれた。「モナ・リザ」・・・つまりは唯の、リザ夫人という女性が同席していただけの話なのであるが、私の感性は、そこに映像的な不気味さを供なって、何やらダ・ヴィンチの生涯における一種呪われたような運命をさえも見てしまったのであった。このささやかな逸話だけで、ひとつの短編が書けてしまうのである。

 

私の個展が休みなく続いているが、今年最後の個展が、10月31日より11月19日まで日本橋高島屋の美術画廊Xで三週間にわたって開催される。今はその制作も数点を残すばかりとなった。今回の個展のイメージの舞台はイタリアのパドヴァ近郊にあるブレンタ運河である。個展のタイトルは『密室論 – ブレンタ運河沿いの鳥籠の見える部屋で』。次回のメッセージはこれについて書こうと思う。

 

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