『個展 – ノスタルジアの光降る回廊』始まる。

 

爆弾低気圧が関東地方に16年ぶりという大雪を降らせた。そして翌日の一転した快晴は庭に積もった白雪の上に木々の青い影を映して、私はふと、モネの『かささぎ』という雪景の絵を思い出してしまった。

しかしそれにしても雪は良い。雪国で育った私などは、雪を踏みしめて歩くその感触だけで、幼い日の自分が我が身の内から立ち上がってきて元気が出る。先日、神田神保町の古書店で,私は30年ぶりくらいで古い友人のH氏と偶然に再会した。「久しぶりに話をしようではないか!!」という事でタンゴの店『ミロンガ』に入り、様々な話をした。彼は不出世の舞踏家の土方巽の弟子であったこともあり、話は身体論的な事にどうしても傾く。話し合った結論は,私たちは幼年期の自分から、その感性の本質が1ミリも動いてはいないという事であった。そして私たちは夢と記憶について更に話し合った。

 

ーーー或る夜、私は奇妙な夢を見た。ーーー長い渡り廊下、花壇に咲いたカンナの花、広い校庭、その先に延々と続く田畑ー。どうやら私は,自分が学んでいた頃の夏休みの小学校にいるらしい。しかし、それにしても全くの無人である。何かに導かれるようにして薄暗い校舎を歩いて行くと、無人の筈の、或る教室の中に、一人の生徒が椅子に座って正面の黒板をぼんやりと見ている姿が目に映った。見ると、その生徒は小学校時の隣の教室に確かにいた少年であった。ーーーしかし、友人としての仲間の中に彼はおらず、名前すらも覚えてはいない。たいした会話をした事もない遠い記憶の果てにもいなかったその少年が、何年も経て、何ゆえ或る夜の夢の中に、まるで亡霊のように彼は登場してきたのであろうか。そして、突然そういう不可解な現象を見せてしまう、私たちの記憶、記憶の構造、ーーーつまりは、夢の回廊とは、一体何なのであろうか。

 

そういう事は常につらつらと考えている事であるが、今年の第一弾として、明日(16日・水曜)から22日(火曜)まで横浜の高島屋7階の美術画廊で開催される私の個展のタイトルは、それを主題にして『ノスタルジアの光降る回廊』にした。個展はもう何十回と開催して来たが、意外にも、長年その地を愛し続けてきたわりには、横浜での個展は初めてである。今回の個展は50点近い展示であるが、普段はあまり展示しない旧作の中からもとりわけの自信作を出品しているので、ご興味のある方は御来場頂ければ嬉しい。

 

 

 

 

 

さて、正月のメッセージに掲載した一枚の古写真であるが、先日それを何ゆえにかくも惹かれるのであろうかと思い、しげしげと眺めていた。そしてようやく気付いた事があった。この堀川に橋が架けられたのは1880年(明治13年)。最初は木橋であったが、それが鉄橋化されたのは1887年(明治20年)。この写真は1887年以後の写真であることがわかる。それはさておくとして、この少女が輪廻しをしながら走って行く先は、日本大通りという広い道であるが、その道の一角に,100年後に自分が15年近く住んでいた事に、ふと気付いたのであった。何の事はない、私はこの写真の中に時を隔てた自分の「気配」を無意識裡に読みとっていたのであった。人は何かに惹かれる時、そこに決まって変容した自分の何らかの投影を透かし見ているものである。ー この写真もそうである事に私はようやく気付いたのであった。橋を渡った左側には、日本で初の和英辞典、ローマ字を広め、医師としても知られたヘボン先生(1815~1911)が住んでいた。患者の一人には岸田吟香(画家の岸田劉生の父)がいたというが、ヘボン先生の子孫にハリウッド女優のキャサリン・ヘップバーンが生まれているのは面白い。横浜からは掲載した写真のような趣は無くなってしまっているが、それでも横浜の街を歩いていると、ふと昔日の気配が立ち上がって、物語の断片が透かし見えてくる事がある。やはり、横浜は今でもノスタルジアが立ち上がる街なのである。

 

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