『BEATLESと共に』

私が美大に入ったその年にビートルズは解散した。〈偉大な足跡を残して。〉多くの人々がそうであるように、長い間、ビートルズのサウンドは、私にとっても又、心の支えといえるものがあった。二十代の生活は大変であったが、それでもレコード盤はよく買った。その頃に最も聞いたのは、モーツァルトとビートルズである。圧倒的な耳の愉楽。・・・・私は彼らの音楽に浸りながら、自らの感性を磨き、表現世界を切り開いていった。

 

・・・・それから時が経ち、或る年の夏にドーバーを越えてロンドンで三ヶ月暮らす事となった。ロンドンはミステリーとビートルズの街である。大英博物館のガラスケースの中で、二十代に影響を受けたビートルズのジョンとポールによる『HELP』の直筆楽譜と、モーツァルトのそれが横に並んで展示されているのを見た時は、体が熱くなる体験であった。そしてフィンチュリーロードという静かな住宅街に暮らし始めて数日後に、近くを歩いていて偶然に“アビーロード”を見つけ、あの有名なジャケットに登場する横断歩道と、その前にアップルレコード会社が在るのを見つけた時は、やはり熱くなってしまった。

 

ビートルズの曲の中で好きなものは無数にあるが、ある意味で高く評価しているのは意外に思われるかもしれないが、実は“レディ・マドンナ”である。それはモーツァルトにおける“アイネクライネナハトムジーク”に相当するであろう。つまり、最も円熟の時に、天才の頭の中からこぼれ落ちた完璧なるものの「一滴」だからである。共に短い曲であるが、それは労せずして、ほとんど一瞬の如くに作られたものであるだろう。そのような至高点に私もまた達したいと思う。彼らの時間芸術とは異なり、私のそれは空間芸術である。それは一瞬にして全てが開示されるものである。一瞬で、とは厳しいものである。故にやりがいも又、そこに在る。

 

高島屋の個展が成功裡に終わった翌日、私は第三京浜を車で走っていた。その時に車の中で流れていたのは“BACK IN THE USSR”である。そして、それから三時間後、私は実際にその曲を生で聞く事になる。

 

東京ドームでのポール・マッカートニーのコンサートは4万人の観客で埋め尽くされていた。そして、その中に私もいた。普段にしゃべるポールの声はややかすれがちであったが、本番になると、このベビーフェイスの天才は、やはり並外れて圧巻であった。約40曲を全くの休み無しで唱い、かつて影響を受けていたビートルズ時代の名曲が、そしてウィングス時代の名曲が、まるで〈眼前の奇蹟〉のように流れていく。観客は皆、酩酊を越えてもはや陶酔の域と化している。二度のアンコールの後に、“イエスタディ”が静かに流れはじめた。この曲は二十世紀における最高のサウンドであるだろう。ポールが眠っている時に夢の中で作り上げてしまったという、まさに天啓のごとき名作!!!人が皆、集合無意識的に抱いている記憶の原郷にある〈切なさ〉を、この曲はその核にまで突いてくる。ジャン・コクトーが語った〈音楽には気をつけろ!!〉といった、まさにその至言を証すかのように、この曲は、聴覚から忍び入って、私たちの生きて在る事の切なさを突いてくる。

 

酩酊から陶酔、そして放心へと観客を酔わせながら、ポールは軽妙にステージを後にした。その様はまさに現代のモーツァルトのそれである。私は、この夜の事をけっして忘れないであろう。艶、綾、粋、・・・・そしてマチスが目指した豪奢、静謐、逸楽、そして多くのイメージの引き出しを持つ事、更には、強度なる毒、危うさ、そして、馥郁たるポエジー。・・・・etc。この夜に、私が得たものは、限りなく多い。

 

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