『北の大地にて』

飛行機に乗るたびに思うことであるが、離陸時のあの感覚は他には変え難い、一種の性的恍惚感のようなものがある。ある程度の高度に達して向きを変える瞬間、飛行機がゆらりと揺らいで、貧血のように頼りなく思う時がある。一瞬思う、落ちるのでは?・・・・という感覚、あれがたまらないのである。その瞬間に、私は決まったように思う事がある。飛行機が飛ぶのは〈揚力〉の力だというのは実は嘘で、やっぱり、機長や乗客全員の総力による〈気力〉で飛んでいるのだと・・・・。

 

「雪原に映える、美しい白樺林」

というわけで、私は先月末から五日間の日程で北海道を訪れていた。豪雪で知られる岩見沢にある北海道教育大学で集中講義をするためである。札幌に宿をとり、毎朝、岩見沢間を特急列車で往復する日々が始まった。最初の二日間は快晴であったが、三日目は吹雪であった。車窓から見る白樺林、そして遠景の平野のすべてが白一色となり、風景の総てがかすんで何も見えなくなってしまった。私はその様を見ながら、昔日の、まだ小学生であった頃の自分を想い出していた。

 

私が生まれた北陸の福井も、その頃は未だ冬の厳しい豪雪地帯であった。映画の『八甲田山・死の行進』の何人もの兵士が寒さで死んでいく場面が実にリアルに感じられるような,一寸先が全く見えない吹雪の中を、集団登校のまとまった小さな影が学校(が在ると思われる方向)に向かって必死で進んで行く。呼吸をすれば、冷たい風と雪が口中に襲うように入ってきて息すらも危うくなる。先頭の子供は見えず、唯、自分の前を行く,2、3人の後姿の影について行くのである。灰白色の平野に道はなく、私たちは凍った田んぼの上の積雪を踏みしめながら、一歩また一歩と進んで行くのである。その途中で、突然、前にいた子供の姿がズボリと沈む。張った氷が割れて泥田の水の中に沈み始めるのである。その両脇を私たちは無言のままに抱え上げ、年下の子供を引き上げる。この土地に生まれた事の宿命を皆で受け止めるかのように誰もが無言。・・・・そして無言のままに、再び歩き出すのである。

タレントでモデルの〈みちばた三姉妹〉は、小学校の後輩になるらしいが、彼女たちの頃は気象体系が変わって、福井も豪雪地帯ではなくなってしまった為に、一転して冬の登校も気楽なものであっただろう。・・・・・・・・想えば、その冬の厳しさに鍛えられたのは、結果として良かったと思う。一度しかない人生、これ全て自己責任。だから自主的な姿勢で人生をプロデュースしていく気力が、それと知らずに自分の中に宿っていったのだと私は今にして思うのである。

講義の方は学生達の関心度がとても高く、手応えを覚えながら進める事が出来た。今回の私の講義を企画された、教育大学教授の福山博光さんは知的な考察対象の幅の広い方であり、今日の美術における問題点において共有するところが多く、私は自分からの希望で、授業のわくの中に福山さんとの対談も組み入れてもらう事にした。福山さんは既に私の作品(オブジェ・版画)も数点コレクションされており、今回、授業の参考にと持参したオブジェも即座に気に入られてコレクションに新たに加えて頂いたのは、望外の喜びであった。福山さんとは、長いおつき合いが今後も続いていくという嬉しい予感が私にはある。ともあれ、今回の北海道行は、充電となる得難い体験であったといえよう。

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