驚異の北斎展ー名古屋ボストン美術館ー

あのピカソが晩年に至って辿り着いたのが〈北斎〉であった事は、あまり知られていない。ピカソは日々の中で時折、突き上げるようにして「・・・・やはり北斎はすごい!!」という呟きをくり返していたのである。

 

その北斎展が名古屋ボストン美術館で来年の3月23日まで開催されている。この展覧会が出色して意味があるのは、ボストン美術館の浮世絵作品は今まで門外不出であったために、保存状態が極めて良く、それが今回ようやく公開される事にある。・・・・・というわけで、私はその北斎展を見に名古屋ボストン美術館の内覧会を訪れた。展示構成に工夫が配され、北斎が画狂人へと、つまりは近世最高の画家へと変貌していく過程がスリリングに見てとれて、得る物の多い展覧会であった。北斎の内に既にして在った強度な感性は、「ベロ藍」と呼ばれている合成顔料「プルシャン・ブルー」の強度な青がこの国に入った事で、水を得た魚のように天才の独歩を始める。北斎71歳の頃である。そして翌年(1831年)に「富獄三十六景」が始まり、89歳で亡くなるまで、天才の軌跡は急なる上昇を遂げていく。常に停まる事を良しとしなかった北斎にとって、まことに「ベロ藍」の登場は天恵のようなもので、私はこの展覧会で、初刷りでありながら、今までどの展覧会でも見る事の出来なかった、まさに当時そのままの生々しい北斎の「青」に対面出来たのであった。会場内で、館長の馬場駿吉さんと美学者の谷川渥さんとの三人で暫し話を交わした。谷川さんは北斎の、夢の中の百の橋を描いた版画をコレクションしている由。この作品は北斎の幻想画家としての面を代表する作品であり、そこに私はこの美学者の鋭い慧眼を見てとった。

 

夕刻に名古屋を出て京都へと向った。磯田道史(いそだ・みちふみ)氏の『龍馬史』を読んで以来、機会を見て訪ねてみたいと思っていた松林寺を見に行く事にしたのである。松林寺・・・あまり聞いた事の無い名前ではあるが、その寺こそは、京都見廻組の頭であった佐々木只三郎が下宿していた所であり、その横には、若年寄で幕府最高の頭脳の持ち主であった永井玄蕃の屋敷があった。龍馬が永井に大政奉還の必要を説くために足繁く訪れていた場所である。(ちなみに永井の玄孫にあたるのが作家の三島由紀夫)。つまりその地は、指名手配中の犯人(龍馬の事)が、白昼堂々と警視庁の長官に会いに来たような場所であり、その横の松林寺は、龍馬を暗殺した刺客たちが、その血刀を下げて深夜に戻って来た場所なのである。夜、木屋町で食事をして、高瀬川河畔の「花屋旅館」に宿をとった。この旅館は明治期に建てられた趣のある建物で、映画監督の故・新藤兼人氏も常宿にしていた。十年以上前から私もまた常宿にしているが、この宿の女将の話が面白く、高瀬川を真横に見ながらの朝食が実に美味しい。交通の便が最良で一泊7500円(朝食付)は安い。このブログをご覧の方にはぜひお勧めしたい宿である。

 

翌日、京阪電車で先ずは御所に行き、蛤御門→京都所司代跡→そして件の松林寺→三十三間堂→そして血天井と宗達の絵で知られる養源院を見て、横浜へと戻った。松林寺辺りはかつて聚楽第が在った場所で、源氏物語の舞台ともなった地。掲載した画像に映っている石段は、当時の名残りを残す遺構であるが,私はその石段を踏みながら、リアルで生々しい感概を覚えたのであった。龍馬暗殺。・・・・想像力を持ってすれば、146年前の時などは、僅かな昔日の事なのである。

 

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