『個展 — 画廊:中長小西』

いかにもインチキ臭い変装セット(黒眼鏡・長髪・杖・ひげ)に身を包んだような佐村河内。はたまた、STAPかSTOPか知らないが、空(くう)を見ているような焦点の無い瞳孔の広がりを見せる小保方という名の病理。そういった〈木の芽時〉に相応しい笑える話題も少しづつ失せて、季節は今や、(花粉症)の時期に。しかし、こと私に関しては全く花粉症にかかる気配が無いのは不思議である。少年時代に〈杉鉄砲〉なる物を作るために、杉の木の下で黄色い花粉を頭から浴びながら、その玩具作りに興じていたために体が免疫になってしまったのだろうか・・・・・。

 

さて、今回の中長小西での個展は、画廊空間と作品とが密に共振して緊張感のある展示となっており、訪れた方々を虚構が優位する空間へと誘って、最近の中でも突出した内容となっている事に、作者である私は強い手応えを覚えている。そして未だ存じあげていなかった眼識の高いコレクターの方々との出会いも大きな喜びである。高島屋の個展の時には、一人の男性の方が個展スタートと同時に来られ、その場で六点の作品をコレクションに決めて私を驚かせたが、中長小西の個展初日でも、鋭く骨太の眼識を持った方がスタート直後に来られ、強度のイメージを孕んだ大作のオブジェを一瞬で気に入り、コレクションに決められたのである。その選び方から見て只者ではないと思った私は、奥の部屋でその方とお茶を飲みながらの会話の中で、それを確信する事となった。その方のコレクションの中に、ヴォルスの水彩画やスーラの素描も入っているとの由であるが、そのコレクションの質は、美術館のトップクラスのそれである。結局、初日だけで10点のオブジェやコラージュが〈売約済み〉となり、この個展の為に打ち込んで来た私に大いなる自信を与えてくれたのであった。

 

写真家というよりは、写真術師と云うべき川田喜久治氏が来られ、私が4月12日からイタリアを訪れて写真を撮る際の貴重なアドバイスを頂く。川田氏は今秋から来年にわたってロンドンのテートモダンで開催される、「戦争」を主題とした大規模な写真展の招待作家であるが、我が国の写真集の最高峰と評価され、氏の代表作の一つでもある『地図』を新たにプリントされるとの事。私はその展覧会を見るために今秋に24年ぶりにロンドンを訪れる予定を組んでいる。話の途中で川田氏は突然、ライカのカメラを取り出し、私は肖像写真のモデルへと変わった。写真の被写体になると魂が吸われるというが、それは本当の事である。もの凄い集中力で連写された事で、私の残り少ない余命は間違いなく三年はさらに削られた。そして、撮られた私の肖像写真を拝見し、私はそれを遺影写真にしようと決めたのであった。

 

この国の最も先鋭な知的怪物と云っていい四方田犬彦氏が来られ、久しぶりの再会となった。これまでの著作100册以上の業績が評価されて、今年の芸術選奨に選ばれた由。当然の評価であろう。四方田氏の文章は実に巧みで面白く、再読しても新たなる発見がいつもそこにある。四方田氏が最近刊行した詩集『わが煉獄』のテーマの要にはダンテの『神曲』が在る。そう、今私が開催中の個展『反重力とバルバラの恩寵』と、それは重なってくるのである。何故か今、私たちの脳の中にはダンテの『神曲』が宿り、それが現在形の表現の発露のヴェクトルとなっている事は面白い符合ではある。

 

美学の第一人者である谷川渥氏が来られる。氏が最近刊行した著作名は『書物のエロティクス』。張りぼての権威作りにしゃかりきとなる美術評論家(一冊の著作すらない)が多い中、谷川氏は群れない生き方に徹している。この国の美学者と称する連中が群れて作った美学者学会なるものに、谷川氏が入っていない事は、ひとつの痛烈な批評であろう。

 

短歌の第一人者で、唯美なる世界を詠む歌人・水原紫苑さんより新著『桜は本当に美しいのか ― 欲望が生んだ文化装置』(平凡社新書)がアトリエに送られて来た。万葉集・古今集・枕草子・源氏物語から、西行・定家・世阿弥・芭蕉・宣長から現代までの桜の変容と、その作られた美意識を解析した名著である。私は最近、本居宣長の「敷島のやまと心を人とはは朝日ににほふ山さくら花」の歌の、〈朝日ににほふ山さくら花〉の意味の極みについて、オブジェを作りながら考えていたのであるが、水原女史が上田秋成の文を引きながら、この歌を批判している箇所に出会った。私は本著の女史の文によって、私が本居宣長に寄せていたのが過大評価であった事を知らされた。レトリックを好む私は、そこに深遠なるものの暗示があると思い込んでいた事を、本著によって気付かされたのであった。とまれこの本は実に素晴らしい。ぜひのご購読をおすすめする次第である。

 

さて最後になるが、戦前に三島由起夫らに影響を与えた『ドラクロワの日記』をはじめとして、美術に関連する本を刊行し続けて来た出版社・求龍堂から、今年の七月の刊行予定であるが、私の本が刊行される事が決まった。与謝蕪村の俳句と西洋美術に通底するイメージが確かに在る事の〈妙〉を比較文化論的に論じた内容である。文庫ではなく単行本のために、あと7200字追記する必要があるので、今回の個展が終了する4月5日の翌日からイタリアに発つ12日までの1週間で、それを書きあげねばならない。担当編集者は待ってはくれないのである。それは大変でもあるが、嬉しい産みの苦しみでもある。私は、蕪村の三つの俳句に対峙するものとして、ミレー、ルオー、そしてマグリットについて書くであろう。

 

銀座・中長小西での個展は未だ三分の一を過ぎたばかりであるが、私は会期中の昼過ぎ頃から6時頃までは在廊している予定である。前述した方々に加えて個性のある方々が連日訪れている。会期中に主要な作品の多くが眼識のある人たちによってコレクションされ、それらは私の手元を離れていくであろう。個展、— それは私にとって、出来上がったばかりの作品との束の間の会話であり、また別れでもあるのである。

 

 

 

 

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