『ローマ、そして龍馬への旅』

ローマのテルミニ駅近くに宿をとり、ローマ時代の遺構と、ルネサンス・・・・そしてバロックのほとばしるパッションを浴びるようにして、私はローマの街を駆け巡った。今回の旅は、ミケランジェロベルニーニを中心に置き、ヴァチカンでは、望外にルオーフォートリエの近代絵画の秀作も見ることが出来た。かくして、都合12日間のイタリアの旅は終わり、私は東京へと戻った。今回の充電がイメージという形を取るには、今しばらくの時間を要するであろう。

 

コレクターの三宅俊夫さんの企画で、私の版画・オブジェを含む三宅さんのコレクション展がふくやま美術館で開催され、講演を頼まれていた私は久しぶりに広島を訪れた。事前に三宅さんから、講演のテーマを小さく10くらいに分けて頂いていたので話がテンポ良く進んだ。聴講者の方々はもとより美術が大好きな方ばかりなので、こちらも熱が入る。以前に、広島の画廊で個展が開催された時も、多くの方が来られ講演は盛況であった。県民性としての知的好奇心が強いのであろうか、私も引きずられるようにして熱く語ったのであるが、本当に楽しく、かつ貴重な体験であった。

 

夜は三宅さんのご好意で尾道に宿をとった。やはり私の作品を多く収蔵しておられる小塚一昭さんが、講演を聴くためにはるばる長野から来られており、翌日の行動を一緒にする事になった。翌朝から三宅さんに案内して頂き尾道の風情を楽しんだ。瀬戸内海の海を前に尾道の街は横に長く在り、その背後に急な斜面の山が高くそびえている。その様を志賀直哉が小説の中に記している。

 

 

「・・九月末の或る日、五百マイルばかりある瀬戸内海に沿うた或る小さい市(まち)へ来た。(略)・・・・景色はいい所だった。前が展けて、寝転んで居て色々なものが見える。すぐ前に島がある。其処に造船所がある。朝からカーンカーンと槌の音をさせている。その声が市の遥か高い所を通って直接に私のいる所に聞こえて来る。」

 

『暗夜行路』を執筆した旧宅が、山の中腹に今も残っている。この旧宅を志賀直哉の文学ファンは数多く訪れているが、その書斎は入口から見るだけで、部屋に上がる事は出来ない。しかし、私は何故か上げて頂き、志賀が執筆した机の前に座り、その窓から、眼下の海へと広がる尾道の眺望を楽しんだ。しかし、何故上げてもらえたのか!?・・・その理由を、この旧宅でガイドをされているオバちゃんに聞くと、時折、妙なオーラを持った人が訪ねてくる事があり、そういう時に限って何故か書斎に上げて、「志賀直哉」をより体感してほしくなるのだという。「そうそう、ちょっと前にはこの人達にも見てもらったのよ」といって、来館者の芳名帳を持ってきて見せてくれた。そこには、(いとうせいこう)(みうらじゅん)の二人の名前が記されていたのには笑ってしまった。私は見せて頂いた御礼もあり、そこで販売している『暗夜行路』を一冊買い求めた。すると頼んでもいないのに、(これは記念です!!)と云われ、前と後のページに真っ赤なデカいスタンプを赤々と押されてしまったのであった。これもオバちゃんの好意の表れなのであろう。その後、車で浄土寺に行き、小津安二郎の名作『東京物語』のラストシーン、日本映画史上、最も美しいラストシーンと云われる、原節子笠智衆が佇んだ場所を、寺の人に尋ねて確認することが出来た。壁が出来て、灯籠は別なものに変わったが、眺望は同じく、そこには切ないまでの〈永遠〉が、今も息づいているように思われた。

 

 

午後は三宅さんの車で、鞆の浦(とものうら)を訪れた。万葉集大伴家持たちが歌い、近代では谷崎潤一郎が恋の歌を詠んだ風情ある港町である。若い人にはジブリの宮崎駿が「ポニョ」の構想を練るために1ヶ月間、滞在した場所としても知られるが、私には何といっても龍馬が暗殺される7ヶ月前に、この地の船宿の「桝屋清右衛門」宅屋根裏部屋に潜伏し、紀州藩を相手に作戦を練った〈いろは丸事件〉の地として心が騒ぐ場所である。しかし伏見の寺田屋(寺田屋は焼失し、今の建物は復元)へ行く人は多いが、この地まで訪ねてくる人は意外に少ないらしい。龍馬が実際に潜んでいた、そのままの部屋が完全に残っているのは、実はここだけなのであるが……。龍馬がここに潜伏したのは、紀州藩から暗殺される危険性が高かったからであるが、部屋に残るもう一つの小さな隠し部屋・隠し階段を見ていると、その危機的な緊張感がリアルに伝わってくる。龍馬はここで、妻のおりょう宛に一通の文を書いており、その写しが、実際に書かれた机の上に展示されている。文を読んで私は笑い出してしまった。おりょうを安心させる言葉の後に、〈ところで、あなたはいまごろどうしているかしらん・・・・〉というラブレターの内容なのである。

 

 

それを読んでいると、龍馬に扮したガイド役の一人の若い女の子が部屋に入って来た。桔梗の紋入りの羽織・袴・そして刀。完全に龍馬になりきっている。刀を見せてもらうとズシリと重い。ガイドをするにしても大変だろうな・・・・と思ったが、どうも本人はカッコいいと思っているようである。私は調子に乗って、おそらく龍馬通でも知っていない或る逸話を教えてあげた。「京都の霊山墓地の龍馬の墓所には、中岡慎太郎と藤吉(一緒に殺された)の墓もあるが、実はもう一人の人物の骨も密かに埋められているけれど・・・・それが誰か、さぁ、わかるかな?」という問いをすると、そのなりきり龍馬の女子の顔が硬直した。「・・・・それは、おりょうの骨だよ。」と話すと、周りにいた数人の見物人たちもいっせいに私を見て、「・・・・それマジッすか!?」と言って、話に乗って来た。「本当だよ。おりょうの遺言を妹夫妻が実行して明治30年代に一部を分骨しているわけ。しかし状況を考えて墓は立てていないけどね・・・・」と私は語った。「仕事柄、龍馬の事はいろいろ勉強したけれど、今の話が一番インパクトがありました!!」と、その女の子は語った。階段を下りていく私に、その龍馬なりきりの女子が、低く野太い声で「あっ、ありがとうございましたぁ!!」と云ったのは面白かった。

 

江戸時代からの常夜灯、三階建ての女郎部屋、そして夕暮れの波ひとつ無い夢のような瀬戸内海の海の広がり・・・・。一泊二日の僅かな時間ではあったが、多くの想い出が残った広島の旅はかくして終わり、私は東京へと戻って行った。これからは、6月7日から富山の「ぎゃらりー図南」で開催される個展の準備が待っているのである。

 

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