『及川哲也さん』

小説家や元・獄中に在った人までも含めて、私の交際範囲は、わりと幅の広い方かと思う。その中でも最も多い分野の人は「編集人」が断トツに多い。「今」という時代を読み、その半歩先に神経を集中している彼ら「時代の仕掛人」と話をしている時は、本当に楽しい時間なのである。その中の一人に、及川哲也さんという人がいる。

 

及川さんは、マガジンハウス社の雑誌『ブルータス』発刊時から企画・編集でもその才能を発揮し、写真家としても、90年代に流行した「メメント・モリ」の主題を先取りした写真を撮って世に問うている。その及川さんとの出会いはいつであったか。たぶん西武百貨店で開催された『未来のアダム展』(企画・高橋睦郎)に私が招待作家として出品した時ではなかったか。ちなみにこの時の出品者は他に、井上有一(書)・坂茂(建築)・四谷シモン(人形)・田原桂一(写真)・金子国義(洋画)……と多彩であり、澁澤龍彦氏をはじめ多くの来訪者があり、連日会場は賑わっていた。頭の固い美術館の学芸員にはちょっと真似の出来ない企画であり、色気とエスプリ、そして切り口の鋭さがこの展覧会にはあった。

 

…… さて、その及川さんであるが、詩人の高橋睦郎氏から紹介されてすぐに意気投合し、たちまち私たちは親しくなったのであるが、この数年後に及川さんは「イタリア」にはまり、その居をフィレンツェ他に移したりして、なかなか帰国時にタイムリーには会えなくなり、私も制作が忙しくと、……  たちまち会わないままの20年以上の時が流れ去っていった。ところが昨年の春にイタリア・ジェノバのスタリエーノ墓地を撮影していた時に、無性に及川さんの事が思い出され、再会を果たしたくて仕方がない気分が立ち上がって来たのであった。しかし、その連絡先がわからない。ネットで名前を追って調べると〈及川哲也〉という名前があったので、電話をしてみると、同名ながら全くの別人であった。夏が過ぎ秋が去り、そして年が明けての一月の或る日、信じ難いメールが私の携帯電話に入った。…… それは早朝の5時半頃であった。

 

開いて見ると、何と発信者は及川哲也さんからであった。文面を読むと、昨年来、及川さんも又、どういう訳か私の事が急に思い出されて、アタマにこびりついていたとの由。宗教人類学者の植島啓司氏や、人形作家の四谷シモン氏に私の事を尋ねたりして、ようやく私のサイトに辿り着いたとの事。…… つまり私たちは昨年ほぼ同じ頃にお互いを何故か急に想い出し、気になっていた事になる。私はさっそく返信し、日本橋室町のマンダリンオリエンタル東京38階にあるラウンジで待ち合わせて再会し、そこのカフェで長い時間語り合った。「及川さん、これが男女だったらもう恋愛ですよ。いや、男同士でもありえるか」と言って、私は20年間の時の中での、及川さんのイタリアでのお仕事に聞き入ったのであった。

 

…… 四国の一匹のサルが突然、芋を洗い出すと、彼方の東北のサルの群れの中の一匹も、ほぼ同時期に芋を洗う事に目覚めるという例がある。身近な例では、10年以上前の或る日、突然私の脳裏に「distance(距離・隔たり・差異)」という言葉が急に引っ掛かって来た。私の版画集のタイトル『ローマにおける僅か七ミリの受難』や、写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』といった言葉の多くは、突然下りて来るように閃くのであるが、この場合も突然であった。やがてそれは『Distance ― 距離の詩学』という主題となり、一連の作品へと結びついていく事となった。しかしこの「distance」という言葉が引っ掛かって間もない頃の或る日、私はTVを見ていた。それは宇多田ヒカルのドキュメンタリー番組であったが、その中で彼女の口から「何か最近〈distance〉という言葉が急に気になって仕方がないんですよ。」と話した時は、この発言に興味を持ったものであった。同時期に空間を隔てた者が、同じ着想をしてしまう(サルまでも含めて)。集合体的無意識ともまた少し違う、何かがここには在る。私が脳科学者になってみたいと思うのは、およそこんな時なのである。

 

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