『何故かビジネスクラスで』

先だっての台湾の飛行機事故の映像は凄まじかった。CGでは絶対に出ない「気」といおうか、機内の人々の絶叫が伝わってくるようで、背筋を伝ってくる迫力があった。あのような事故を見る度に思う事がある。…… 今迄の事故のデータから見て、確率的に最も安全な機内の場所は何処なのかと。― 先日の事故の関連番組を見ていて遂にそれがわかった。断言的に言ってしまうと後々に差し障りが出てしまうのであろうか、取材を受けた航空関係者はアナウンサーのその質問にやんわりと答えていたが、その最も安全な場所とは、掲載した画像の左側の人物の手首の位置辺り、―  つまり、主翼と尾翼の中間辺りの席が、今迄で最も助かった率が高いという。事実、今回の事故もそうであった。その裏付けの一つとして、「ブラックボックス」は実は尾翼の近くに設置してあるという。私はてっきり機長の側かと思っていたが事実はそうらしい。逆を言えば、ファースト、そしてビジネスクラスの方が死ぬ確率が高い事になる。何となく、世の中は一勝一敗に出来ている。…… そのビジネスクラスに、清貧を生きる私が何故か今まで二回乗った事がある。それも自力ではなく、他力で。

 

 

1度目はANAの機内誌『翼の王国』からの執筆依頼を受けた時であった。世界の何処でも望む場所に行かせてくれるという。私はふとベトナムに行こうかと思ったが、やはり最も好きなパリにした。折しもパリのパサージュVERO-DODATで、私の版画集『夢の通路 ― VERO-DODATを通りぬける試み 』の全作品を展示している事もあり、私はそれに合わせてパリやナントを巡る事にしたのである。初めて乗ったビジネスクラスは、人が少なく何やら霊安室に似た感じがして馴染まないものがあった。そして、長椅子に座るようにして私は本を取り出した。

 

スタンダールの紀行文に読み耽っていると、何やら私の足元がコチョコチョとむず痒い。何だろうと思って見ると、やっと歩けるくらいの男の子が私の足を無心でさわっているのである。そして、その子供が私の顔を見て、あろう事か「パパ…」と言ったのであった。「パパじゃないでしょ!!」そう言って一人の若い母親が慌てて私の席にやって来た。「すみません、申し訳ありませんでした。」と言って私と目があった。見るとその女性は、当時パリ在住の女優で歌手のNであった。このNには以前にも会った事がある。(渋谷の東急ハンズ前の熊本ラーメン屋の中で。)その時はこの女性の横にスタイリストの堀切ミロがいたので、雑誌の撮影の途中でもあったのか。数人の女子高生が「サインを下さい!!」と頼むのを無視して、Nは無心でラーメンを食べていた。……… あれから時が経ち、Nとその子供が私を見ている。Nは相変わらず美しい。その時、私は確かこのように想ったのではなかったか。「いいんだよ、パパと呼んで、このままずうっと…… 」。かくして私たちを乗せた飛行機は一路パリへと飛んで行ったのであった。

 

2回目は、それよりも古く、一年間の留学を終えて帰国する時であった。前日にパリ在住の建築家のM君から連絡があり、お別れなのでエスカルゴの美味しい店に招待してくれるという。パリを去る当日の午前中に私とM君はその店で待ち合わせて、思い出話に熱中した。……… やがてM君がおもむろに時計を見てこう言った。「ヤバイですよ!!…… 出発に間に合わないかも……です!!」私はタクシーに飛び乗り、空港へと向かった。予約していたJALの所に行くと、人影がなくシンとしている。私は焦った。そして、フランス人の若い受付嬢が、航空券を渡しながら、早口で確かにこう言った。「Vous etes de la classe touriste!!」(でも、本当はあなたはエコノミークラスなのよ!!)

 

勿論、私はエコノミークラスで予約しているので、彼女の言う(あなたは本当はという)意味がわからない。わからないままに、私は空港内のあの長いドラムを走り抜け機内へと駆け込んだ。私が入ったのを確認してスチュワーデスは重いハッチを閉じた。???… やけに人気が無く、座席がゆったりとしている。その時私ははじめて気付いたのであるが、私の席はエコノミーからビジネスに変わっていたのであった。私は最初、あの受付嬢の個人的な好意かと思ったが、そうではない事に気がついた。前日に私はリコンファームという、予約確認の電話を忘れていた(今と違い当時は少し厳しかった)。そして、ギリギリまでエスカルゴを食べていたので、その間にエコノミーは次々と埋まっていったのであった。そして運良く、ビジネスの方に空席が一つだけ在ったので、私はそちらに回されたというのが真相らしい。

 

これからも写真の撮影などで飛行機に乗る事はあるだろうが、もうあの霊安室のような席に座ることはないであろう。ましてや今回の事故で死亡率の低い場所がある事を知ってからは、私は積極的に主翼と尾翼の間を選んで座りたいと思う。ともあれ、どうせ死ぬなら爆死が一番いいと生前に語っており、事実、高雄上空での飛行機の爆発事故で予言通りに亡くなった向田邦子女史のような死生観といったものは、未だ未だ今の私には出来ていないようである。

 

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