『洗濯女のいる池』

長い間、連絡先が不明なままに会わずにいた友人のことを急に強く会いたいと思い始めると、その人が目の前に現れる事が私には度々ある。前々回の及川氏もそうであり、その事は今までも何度かこの欄で書いて来たが、またしても、そういう事が起きてしまった。…… 今回はそれについて書こう。

 

前回の飛行機の話で、私はパリに取材で行った時の事を書いたが、書きながら思い出した人がいた。パリ在住のコーディネーターの岸真理子モリヤさんである。パリで取材中、全ての便宜を岸さんに図って頂き、おかげで取材内容の幅が広がり、私は原稿の執筆に集中できたのである。

 

取材する相手は、パリのパサージュ「VERO-DODAT」で古書店を商うベルナール・ゴーギャン氏であり、既に連絡はつけてあった。ところが日程に変更が入り、ゴーギャン氏へのインタビューは3日後になったと岸さんから告げられた。急用でゴーギャン氏がブルターニュに短い旅に出たのだという。私は予定を入れ変えて、モンパルナス駅から、他に類のない階段状のパサージュを見に行くためにナントへと向かった。同行は、岸さん、そしてカメラマンのHと編集者の三人である。ナントのパサージュの体験は私を激しく突き動かし、次なる版画集『ナントに降る七月の雨』の構想を、私はこの地で立ち上げてしまった。

 

ナントから戻った後、私はゴーギャン氏にインタビューする内容を練るため、リュクサンブール公園に行き、ベンチでいろいろと考える事にした。最も楽しい時間である。左右のベンチではホモのカップルが仲睦まじく愛を語らっている。季節はまさに春の盛り。…… そしてようやくインタビューの時が来た。ゴーギャン氏とは20年ぶりの再会である。

 

「ゴーギャンさん、私は3日間待ちましたが、その間にあなたはブルターニュに急ぎの旅で行っておられたという。私も実はブルターニュには特別な関心を持っています。デュシャンやルドン、そしてゴーギャンなど個性的な芸術家が彼の地からは多く輩出しています。私はあなたが好奇心の強い人であることを知っています。私も同じです。もし、お差し支えがなければ、その旅の話からお聞かせ願えませんか? 」…… 私の質問が、岸さんの流暢なフランス語に変わって行く。それはまさに美しい音楽の韻である。ゴーギャン氏は、私のインタビューの切り出しがよほど気に入ったのか、笑い声を立てながら旅の目的を話し始めた。しかし、氏はやがて真顔になり、話は次第に不気味な内容へと変わっていった。

 

ゴーギャン氏の友人の一人に、フランスの大きな文学賞を受賞した四十代の女流作家がいた。彼女はミステリー作家であるが、最近ブルターニュの或る地域にある、「いわく付きの池」を見に行ったのであった。しかし、予定を過ぎてもパリに戻って来ず、連絡さえも全くつかなくなってしまったとの事。ちなみにその池はいつからか「洗濯女のいる池」と呼ばれているらしい。ゴーギャン氏は彼女の消息がどうしても気になり、友人を誘って、3日前に彼女が消えたと覚しき、その池を見に行ったのだという。

 

……… 旅人が道に迷って、その池の前に出て来た光景を想像してほしい。すると、その池の対岸に、二人の若い洗濯女が現れ出て、無心で白いシーツを洗っている姿が見えるという。女達はヒソヒソ声でこうつぶやくらしい。「あの旅の人 ……可哀想ね、まもなく死ぬのよ。…… だって私たちが洗っている、このシーツにやがて包まれるのだから …… 。」そのようにつぶやく声が小さく水面に響いた後に、旅人は次々と姿を消してしまうという。………

 

「それほど広い池ではないが、不気味なほどに深く冷たく澄んでいて、何とも云えない気配がそこには漂っていた」と、ゴーギャン氏は語った。そして、インタビューは七時頃から始まり、深夜まで続いて、ようやく私たちは別れた。別れ際に「いつかその池に私も行ってみたいですね。」……… そう岸さんに告げたのであるが、私は翌日の朝に驚かされる事になった。何と岸さんは、深夜に御自宅に戻ってから、ブルターニュ関連の資料と地図を用意され、強い興味を持った私に、翌朝のホテルの玄関でそれを渡してくれたのであった。優秀なコーディネーターである事は聞いていたが、完璧に行き届いた人である。

 

ルドンの初期の油絵はブルターニュの海辺の、何とも妖しい気配を主題とした作品が多い。見えないが、確かに「何ものか」がいる、そのピンと張りつめた「気」が主題である。柳田國男の『遠野物語』を御存知であろう。岩手県の遠野地方に何故か集中的に起きている不思議で不気味な話を集めたものである。実はブルターニュ地方にも、何故か、このような不気味な場所が数多く残っており、それを集めた翻訳本も出ている。…… ともあれ岸さんが渡してくれたブルターニュの資料と地図は私のアトリエに今も在り、見る度に私を、ブルターニュへと誘っている。しかし、その岸さんの御住所を書いて頂いた紙を私は失くしてしまい、長い間お会いする機会を逸していた。このメッセージ欄で前回の旅の話を書いて以来、私は無性にその岸さんに御会いしたくなっていた。そして、それから数日後、あろう事か、その岸さんが私の目の前に現れることになった。…… それも、テレビの画面から。

 

先日の日曜美術館を見ていると、展覧会紹介で、今月15日まで松濤美術館で開催中のフランスの物故作家クートラス展の事が出てきた。イコンのような不思議な趣を放つ絵を描いた画家である。その画面を見ていて私は驚いた。急に、その岸さんが現れて、画家について語り始めたのであった。クートラスと岸さんは長い間、共同生活をされていたのである。随分久しぶりのお顔であり、私は懐かしかった。願えば、しばらく後にその人が現れ出るこの不思議。それは私の二十代前半から続いているが、今もその交感能力は衰えを知らずにいるらしい。私の親しい人たちは、私に一番向いている職業は「陰陽師」であると云う。…… 私は生まれてくる時代を間違えたのであろうか。

 

さっそく私は岸さんにお会いする為に、松濤美術館の学芸員のS氏に電話を入れてみた。すると何という事であろう、岸さんは昨日パリに戻られたとの由。しかし、連絡先がわかった事で再会の道は開けた。私の次の写真撮影地はパリを予定している。岸さん、そしてゴーギャン氏との再会を私は楽しみにしているのである。

 

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