『粘りつくような長雨が ………』

粘りつくような長雨が止むこともなく、この七月を濡らしている。この異常な様にさすがに気分も滅入りがちになるが、そんな中で紫陽花の花が見せる叙情には気の安らぐものがある。紫陽花は健気(けなげ)である。その家の土地の成分が酸性かアルカリ性の何れが強いかによって、青い花にもなり赤い花にもなるという。そんな話を聞くと、まるで紫陽花が、旧家に嫁いだ花嫁が、抗する事なくその家の仕来たりに従いながら染まっていくのに似て健気である。

 

7月9日も、やはり雨であった。しかしこの日は用事があるので出掛ける事にした。最初に行ったのは品川の原美術館サイ・トゥンブリー展であった。これで三回目である。作品を見て驚いた。前回見た時とは大きく違い、梅雨の湿気で厚紙に描かれた作品があきらかに波打っているのである。海外の作品を日本で展示する事の危ういリスクを見てとった。しかしそれを越えて展示する事の意義が在ると私は思う。作品も私たちも均しく、ゆるやかに朽ちていっているのであるから。

 

 

……… ふと閃いて、品川から近い所にある〈鈴ヶ森刑場跡〉を次に訪れた。八百屋お七の火刑や、丸橋忠弥らが磔になった場所が、都の史蹟として今もなお現存しているのである。しかも処刑に使われた木の杭や、鉄材を差し込んだ石が、そのままに残っている。ここは旧東海道沿い。この一角には、250年前のドラマの余韻が今も生々しく呼吸しているのを直感する。

 

最寄りの「大森海岸駅」から「両国駅」を目差す。次なる「立会川駅」は土佐藩邸の在った場所で龍馬ゆかりの場所。車窓から、藩主であった「山内容堂墓所」が見えるが、今日は下りずに「両国駅」を目差して行く。遅い午後に両国駅に着き、すぐに直行したのは横網町公園内にある「東京都慰霊堂」であった。この地は、かつて、大正11年に陸軍の被服廠(ひふくしょう)の移転に伴い、跡地を公園にするために造成をしていた。その途中で関東大震災が起きて、火災から難を逃れるために多くの人々がこの広大な空地を目差して避難して来たのであった。その数、実に3万8000人。

 

『関東大震災』の著者・吉村昭氏は、その著書の中で、或る一枚の写真について語っている。その内容は、「……… ここに一枚の写真がある。多くの人々がようやく難を逃れて来て一服のくつろぎを見せている。中には笑っている人もいる。……… しかし、私にはこの一枚の写真が、この世で最も怖ろしい写真に見えてしまうのである。

何故なら、くつろぎ、笑っている彼らを、まもなく烈風に乗った猛火が一瞬で襲い、この地が阿鼻叫喚の地獄絵図へと一変したからである…… 。」この文章は私の記憶で書いているが、まぁ、吉村氏の記述もこのようなものであったと思う。38000人が一瞬の内に焼死し、その後に残った骨の山に向かって後日に僧侶が読経する写真をはじめとして、震災のもの凄さを伝える、猛火で固まりとなった銅貨や、溶けたビン、タイプライター …… 等々、おびただしい数の「時代の証言」がガラスケースの中に展示されている。…… その阿鼻叫喚の灼熱地獄の現場に昭和5年に慰霊堂が建ち、今、まさに、その現場の上に私が立っているのである。

 

芥川龍之介の生地前の食堂で夕食を食べて次に向かったのは、その近く、吉良邸に面した所に在る「シアターX」であった。今日は勅使川原三郎氏のダンス公演『青い目の男』にご招待を頂いており、私はこの日を楽しみにしていたのである。真っ暗な舞台に一瞬の光が差し込んだ瞬間、耳打つ激しい音と共に、勅使川原氏と佐東利穂子さんの見事なデュオが才気ある激しい振りと共に始まり、一瞬で見る者を捕らえて、その表現世界へと引っ張っていく。ブルーノ・シュルツの短編『夢の共和国』の中の詩情豊かな言葉が朗読の音として高みから流れる中、それに融合し化学反応を起こした身体表現の冴えが、舞台空間の密度をゆらしながら、一編の視覚による高度なポエジーへと立ち上がっていく。

 

勅使川原氏と佐東さんのデュオが見せるのは、あたかも一匹の美麗な黒蝶の胴体と羽の関係にも似て不即不離の密なものがあり、その対が時に見せる反発のベクトルの光の中に鮮やかに一瞬浮かぶのは、原作者のブルーノ・シュルツの幼年時に見たと覚しきポーランドの野の広がりであり、森の臭い、鳥の声の幻視・幻聴さえも私は透かし見たのであった。……… 何という才気ある試み、何という完成度の高さ、そして艶 ……。公演終了後の束の間の時間、光、空間、時間、そして視覚の危うさ等について勅使川原氏と(今回は舞踏評論家の國吉和子女史も交えて)語り合ったのであるが、そもそも時間とは何なのか …… ?それははたして存在するのか?…… 幻想なのか?時間と空間に交差するかもしれないその領域とはいかなるものなのか!?等々について、帰路に私は考え込んでしまったのであった。物理学的に語るのは易しい。しかしそこに〈芸術における…… 〉というテーゼを差し込むと、それは詩の主題としても大きく膨らんでいく。…… つらつらそのような事を考えていくと、この秋に控えている日本橋高島屋での個展(10月28日~11月16日)の作品の方向性が卒然と具体化して見えて来たのであった。この収穫は大きい。ともあれその日は、大変濃密な一日となったのであった。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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